引退して1年

13.04.20
私が会社員を辞めてから1年が経過した。今まで、引退して1か月引退して4ヶ月のとき暮らしぶりや心境を書いたが、さて1年たった今はどうだろうかと振り返るのも、少しは意味はあるだろう。正直なことを言って、これから退職する人は私のようにならないでほしいと思う。
もっとも私は異常というか例外で、私のような人はいないのかもしれない。

老人には、「きょうよう」と「きょういく」が必要と言われる。「教養」と「教育」ではない。今日しなければならない用事と、今日行くところ(行かねばならないところ)が必要ということだ。なにもすることがなく、行くあてもない、そんなことでは生きがいというと大げさだが張り合いがない。
あるいは3Kが必要という人もいる。3Kとは元々、「きつい、危険、汚い仕事」という意味だったのだろうが、その後さまざまなことにこじつけられている。老人の場合は、「健康、金、気持ち(意欲)」がなければいけないという。 さて、そんなことをまずご理解いただいて話を始める。

私が現役時代は、毎日朝早く満員電車に揺られ、会社に行けば自分の職責は明確で、その仕事を、品質・コスト・納期を守って達成すること、更にはその仕事を改善しようと頑張っていると、あっという間に時間が過ぎていく。そしてときどき仲間と飲んでいると、激流のように月日が過ぎていく。そんな感じだった。それは私だけでなく、多くのサラリーマンの実感ではないだろうか。
私はゴルフはしたことがない。ゴルフ場が日本最大の環境破壊だからではなく、そんなことをする暇がなかっただけだ。
ねずみ
この絵、15分で作りました。
私は44年間輪の中で走ってました。

もちろん仕事をする中で、創造的なことやチャレンジすることはあるが、それも枠というか方向性が定められていて限定的であり、そのなかでひたすらコマネズミのように輪を回し続けるという感じだ。
特に私の場合、土曜日は出勤していたし、日曜日は家内と買い物などでつぶれたから、仕事以外に趣味も社会貢献活動もせずに、そんな会社中心どころか会社がすべてという暮らしがルーチンになっていた。

だから会社を辞めてひと月くらいは何をしたらよいのかわからない。しなければならないということがなく、したいものもない。朝起きてご飯を食べて、お昼になれば昼飯を食べ、夕方になったら晩飯を食べ、夜になったら寝るということしかない。
私はテレビや新聞を読まない。最近はドラマで面白いというものがない。というよりもひな壇番組ばかりでドラマは少ない。
ニュース番組・・・NHKの国谷裕子なんて見ていると、中国の宣伝のうそばかりだ。
でもネットで各社の社説を含めてニュースは見ているから、時代には遅れていないだろう。国会の答弁など新聞を読むよりU-tubeの方が信頼性は高い。
そして海外のニュースの詳細を知りたければ、CNNニュースでも見た方がよい。
でもCNNではどんな大事件でも動画の前にコマーシャルが入るのが不思議!

確かに満員電車に揺られるよりも、そんな電車に乗らない方が肉体的に楽だし、納期のある仕事に追い立てられないことは気楽だ。
でも何もすることがない、正確に言えばしなければならないこと、あるいは納期のある仕事がないと、何をしたらよいのか途方に暮れる。
昔見た、アメリカの南北戦争の映画で、戦争が終わって奴隷だった少年が農場主の奥さんに「これから自分はどうすればよいのか?」と尋ねるシーンがあった。奥さんは「どこに行ってもいい。歩いて行っても走って行ってもいいのよ」と応えるのだが、少年は途方に暮れてしまう。たぶんその少年は農場の外に出たこともなかったのだろう。
別の例でこれは本当の話だが、1960年代とか1970年代の冷戦時代のこと。ソ連からアメリカに亡命してきて、スパイでないか調べられた後に亡命を認められてアメリカで一般市民として生活を始めると、おかしくなる人が多かったという。なぜかというと行動が規制され常に周りから監視されていた暮らしから、住むところも職業も宗教も発言も買い物も自由という生活に投げ込まれると、すべてを自分が考えて判断しなければならず、精神が不安定になったという。そのために亡命者をケアする仕組みを作ったというのを読んだことがある。
言い方によれば何のために亡命したのかということも言える。いや、そうではないのだろう。人間は個人として独立して尊重されるのがあるべき姿であって、共産主義、独裁主義はあるべき姿ではないのだ。
日本じゃ責任を教えられず、権利意識だけが肥大したモンスター人間が大量にいるが、そういった人は精神的におかしくなることさえできないようだ。
悲しいことだ。
北朝鮮から韓国に亡命してきた人の多くが・・・その中には北朝鮮のスパイもいるとは思うが・・・再び北朝鮮に帰ることを望むというのは、そんな精神状態にあるのではないだろうか。
自由とはすばらしいものに見えて、独裁国家や共産主義国家から自由主義諸国に逃亡する人は後を絶たない。しかし、実際に自由になるとその自由を使いこなせる人は少ないというか、自由を使う訓練を受けていなければ自由な社会では生きていけないのだ。何の規制も受けない自分が自分の主人であることより、命令されたことに従うだけの生活の方が気楽であることは間違いない。
軍隊で士官よりも兵士が気楽、会社で管理者よりも担当者の方が気楽なのは言うまでもない。もっとも現実には責任を認識せずその責を全うしていない上司が多いから、担当者より管理者が楽だと思われているのだ。

私が奴隷とか北朝鮮の人民レベルであったとは思わないが、やはりそうとう規制というか暗黙の規範のきつい生活をしていたのだろうと思う。まあサラリーマンの過半数は私と似たようなものだろう。
自由の中で自立した生活をする方法を知らなかった私は、そんなタガがはずれたから、途方に暮れた。

もし日々の暮らしがたちいかず、生活の糧を得るために新たな仕事を見つけて必死で働かねばならないのであれば、従来の価値感というか生活スタイルが継続したというか、せざるをえなかっただろう。しかし、満額ではないにしても年金はもらえて、なんとか生活はできている。そして下手に働くとそのぶん年金が減るという社会制度だから働く気にはならなかった。

要するに私は自由を使いこなせなかったのに自由を与えられてしまったのだ。
とりあえず、私はヒマつぶしを見つけなければならなかった。
さて、私にできることはなんだろうか?
碁会所、図書館、公民館、そんなところを巡って面白いものがないかと探したというのは4か月目に書いた。

囲碁 私は40歳くらいの時、囲碁に狂っていた。毎晩、会社の残業を終えてから・・・午後9時頃だ・・・まだやっている囲碁クラブに行ってはひたすら打っていた。月曜日から金曜日まで。
休日は出勤でなければ地域の公民館に行って、朝から夕方まで碁という生活だった。家内から家庭と囲碁とどっちが大事なのかと問い詰められたこともある。
確かに囲碁に狂うのは見苦しいし、家族に迷惑をかけたが、正直言って女とかバクチよりは良かったのではないだろうか。
しかし学校の参観や運動会に行ってくれないと困っただろう。
私が囲碁をやめたのは、私が教えた家内の弟に追い越されたからだ。私は囲碁の才能がないと悟り、それから二度と碁石を持つ気にならなかった。あれから15年経つ。
もし義弟に追い越されなかったら、ずっと囲碁に狂っていたのかと思うと、それもまた恐ろしいことだ。
でも昔囲碁をしないと決心はしたものの、することがなくまた将棋は全然できないとなれば、暇つぶしには囲碁でもするしかない。近くの公民館などを探してそこの囲碁クラブ入会した。
不思議なことに、棋力というものは15年経っても落ちないものだ。もちろん昔より強くなっているはずもない。まあ二段か三段というところだろう。どこのクラブでもその程度の棋力があればそれなりに遊べる。
さて囲碁をやってみて面白いかといえば、実は面白くなかった。勝ち負けではない。今は段位ではなく点数制でやっているクラブが多く、勝てば点数が増え、負ければ点数が減る。だから少し時間が経てば勝率は五分五分になる。
なぜ面白くないのかと考えると、いや考えるまでもなく、要するに私が暇だからだ。会社で働いていて、残業や休日出勤の合間を縫って、いや一生懸命に働いてやっとのことで時間をつくり碁会所に飛び込んで碁を打つのと、することがなくしかたなく碁を打つのとは意味あいがまったく違う。囲碁を楽しむには忙しくないとならないのだ。

フィットネスクラブにも行った。体を動かして汗を流すのは理屈なしに楽しい。全然泳げなかった水泳もスイミングスクールに入って早や10か月、なんとか息継ぎして泳げるようになった。6ビートとか2ビートというのがまだよくできないが・・
しかしこれも面白いし健康維持のためにはなるが・・生きがいというものではない。

英会話学校に行って体験レッスンに参加した。
驚いたことに、ここも高齢者が多い。話を聞くと今のオバサン連中は海外旅行にしょっちゅう行っているようだ。やはり体験レッスンに来ていた私と同年輩の女性に聞いたら、昨年は4回海外旅行に行ったという。夫婦じゃなくてお友達と一緒とのこと。それで最低限の英会話くらいできるようになりたいというのが目的という。
先生が短い会話が書かれた紙を配り、みんなそれを読み、少しづつ単語やフレーズを変えて練習する。
 「What's your hobby?」
 「My hobby is dancing. How about you?」
 「My hobby is ・・・・」

私は体験レッスンに行っただけでやめた。
誤解なきよう、レベルが高い低いの話ではない。自分の目的、それと到達レベルや期限というものがしっかりしていなければ習い事もやる気が起きないのを実感したからだ。
なんでもそうだろうと思う。私はお茶とかお花などしたことがないが、私がそれに価値を見出せば習うことは自分にとって楽しく有意義だろうが、単なる暇つぶしにやってみようかと思うのであれば、苦行に過ぎない。
家内は大学院に行ってドクターを目指せなんていうが、ドクターになって何になるという疑問もさることながら、自分が研究したいテーマがなければそれも生きがいにはならないように思う。
博士課程に入ったところで私がドクターになれる確率は1パーセントもないだろう。お金の無駄使いでギャンブルと同じか。趣味にしては安くはない。
ところで私の昔の同僚で詩吟をしていた人が、師範とかいろいろな資格をとるために都合何百万も納めていたが、それもにたようなものか・・もっとも詩吟なら老後の楽しみになるかもしれない。

昔アマチュア無線をしていた。私はモールスもできる2アマという資格がある。じゃあ安い無線機でも買って再びでてみようかと思って、最近のCQ誌などを読んでみた。すると30年前とは完全に様変わりしている。
まず無線機が高性能化していてあまり面白味がないようだ。キーボードを打つとパソコンがモールス信号に変換して送信し、受信したモールス信号をパソコンがテキストに変換してモニターに表示するとなると、いったい何をしているのかという気がしませんか?
またレピーターというのは、基地局を経由して通信する方法です。通信条件は画期的によくなるでしょうけど、それって携帯電話と何が違うのってことになりません?
そう思うのは、私がストイックというか昔の人だということでしょうか?
それと昔はドライブの際に地元の人に近道や渋滞状況を聞いたりするのが目的の一つでもあったが今ではカーナビもあり、また車同士の連絡では携帯電話の方が確実である。東日本大震災の後に、アマ無線が売れに売れたと聞くが、まあ災害に備えて無線機を常備するよりも、食料の備蓄や避難方法の習熟の方が優先するだろう。
ということで無線をやる気はなくなった。

じゃあ社会貢献活動でもしようかとなる。
NPOには政治的思想を広めようとしている怪しげなものも多いが、そうではなくまっとうな介護あるいは公共機関のお手伝いなどをするNPOもある。地元のいくつかのNPOについて家内に情報収集を頼んだ。家内はクラブ活動などをつうじて顔が広いのだ。
するとどのNPOにも内部には派閥がありカーストがあるそうだ。新人が参加させてほしいと言っても、NPO内部のどれかの派閥に属さねばならない。そして最下層カーストからスタートしなければないという。NPO活動というよりも出世競争と派閥抗争でミニ会社のようだ。
そしてまた私がやってみたいというものが近くになかった。面白いNPOといっても、電車を乗り継いで行くような遠方のNPOに参加する気はない。実は中野かどこかに私の関心をもっていることをしているNPOがあるようだが、考慮する気もなかった。中野までは、片道1時間はかかる。
ということで今はまだそういったものに参加せず、遠くから眺めている状況である。

昨年、順番が回ってきてマンションの役員になったが、これも会合は月数回で、お仕事といっても年に数度のイベントの準備とその運営で、仕事量としては非常に少ない。そんなわけでマンションの人々のためになっていると認識することもない。

まとめると、1年経ってなんとか毎週7日間のスケジュールは埋まったものの、ひとさまあるいは社会のためになるようなことはしていない。そして自分が世の中に貢献していると感じることができないということは、己の存在意義に自信が持てず、それは不安そのものだ。
アメリカに亡命したソ連人とはちょっと違うか・・・
まあ、開き直って、まだ世に出る前の勉強をしている段階だと思えば焦ることもないのかもしれない。
いや待てよ、世の多くの定年退職者は、どのような社会貢献をしているのだろうか? そして自分の存在意義をどのように感じているのだろうか? こんな暮らしを1年2年と続けているとマンネリとなり、疑問も持たずに当然のことと認識するようになるのだろうか?
そうだとすると、それもなんだかなーという気がする。

 本日の結論
私には、「きょうよう」も「きょういく」もない。3Kについては、「気持ち」が足りない。
よって、良い老後にするには一層の努力を要する。

 本日の小話
休日なのに出勤する人を見て
 家内「休みというのに大変ねえ〜」
 私 「あー、うらやましい〜」


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2013/4/20)
休日?のはずなのに仕事をしてきた鶏です。仕事といっても社内発表会ですが・・・
それが終わってから「親睦と一体感を深める」として懇親会があったのですが、みんな「んなのどーでもいいから早よ帰りてー」と思ってますから、「何も言わずにひたすら黙々と食べる」とw
NPOとか趣味の団体なんてのも、どっちかと言うと「懇親」とか「親睦」が主目的な人が多いですよね。単に技術的な向上を目指すというよりも。それでも別にいいですけど、企業の仕事に「それ」を持ち込むのは筋違いな気がします。いや別に「ISO活動」の話をしてるワケではないのですが。

鶏様 うらめしい、いやうらやましい
だって、休日まで働けるなんてなんて幸せなんでしょう 棒
NPOって親睦を図るものだったのですか!
 私は老人の暇つぶしとばかり・・・


あらま様からお便りを頂きました(2013.04.22)
おばQさま、お久しぶりです。
あらまです。
定年退職後、時間と体力とお金が余っているようで、羨ましい話です。
小生は、年金支給開始年齢が、60歳から 61歳へ。61歳が 62歳へと、ドンドンと遠退いて行きます。
しかも、沢山納めているのに、「年金定期便」によれば、なぜか支給予想金額が毎年減っていきます。
恐らく、何も貰えないであの世に行くことになるでしょう。
そうなれば、年金制度は、小生にとっては「国家的振り込め詐欺」の他でもありません。
年をとっても、いつまでも働き続けなければ、食べていけないでしょう。
はたして、そんな老骨に、食べていけるだけの仕事があるかどうか・・・
なのに、おばQさまには、キチンとした生活の基盤が保証され、それによって自由時間があって、その使途に迷っておられる・・・
羨ましい話です。
もし、小生に、お金と時間と健康があれば、迷わず海外長期旅行をします。
クイーンエリザベスで世界一周の高級クルーズ。
そうでなくても、東南アジアでは豪華客船を利用したショートクルーズがあって、たいへんな人気の様子です。
そうして、アジアの人たちとの時間の流れを共有すると、日本人が忙殺されていることが滑稽に思えてくると思います。
なぜ、同じ人間なのに、時間の流れが違うのか・・・
そう考えてみると、面白いと思いますよ。
小生は、元気でカネがあるうちに、つまり、この 6月頃から日本一周のフェリーの旅をしようと、家内と一緒に計画を立てています。
カネや健康が失われてからでは、困難になりますからね。

あらま様 ご無沙汰しております。海外勤務からご赦免になったのでしょうか?
ものごとを見るのも視点や視座を変えると全く異なると思います。もちろん私が時間と体力とお金が無尽蔵にあるわけではありません。まず、歳相当の病気はありますし、更に歳と共にだんだんと具合の悪いところが増えてきて、豪華絢爛、オプションたくさんになりつつあります。それと人より体力が劣るのは悔しくもありませんが、以前より体力が落ちてくるのは悲しいことです。
またお金に余裕があるといえばあるとも言えますし、ないといえばないとも言えます。生活の基盤といってもその水準は人により多数あるわけで、要するに、上を見ればきりがなく、下を見ればきりがないということでしょう。
私にとってごちそうといえば、「美味しんぼ」に出てくるようなものではなく、散歩していて見つけた自家製造の小さな団子屋で団子を買い、小さな公園の藤の花の下で家内といっしょに頂くことです。そんな風に考えると、私は毎日ごちそうを食べているわけです。
ご推薦のクルーズですが、今まで考えたこともありませんでした。早速インターネットでいくつかの旅行会社をみてみました。二泊三日の伊勢の旅よりは高そうですので遠慮しておきましょう。それに乗船前に1キロくらいは泳げるようになっておきたいと思います。万が一の時、家内は泳ぎは得意ですが、私を見捨てていきそうですから




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