引退して4ヶ月

12.08.31
仕事を辞めてから早4月が経った。ということで今までのことを書いてみる。退職1か月後にも書いたが、今後、月日が経ったら、また違う考えになるかもしれない。自分の暮らしや考えが時間と共に変わるのも面白いだろう。

会社を辞めた時、さっそくその翌日に家内がいらないものを捨てろという。「いらないものってなんだ?」というと、通勤とか仕事で着るものや使うものなどだという。
家内は言うだけではなく、すぐさま体を動かして、家内がいらないと思うものを取り出した。
まず、下駄箱から、黒2足、茶2足の皮靴を取り出して、いらないよねという。
../oldman2.gif オイオイ、それまだかかともすり減っていないし、今まで通勤や出張に履いていたんだよ。使えるよと言ったが、家内の決心は固く、躊躇なくそれらを大きなごみ袋に放り込んだ。
次に、ネクタイを取り出した。色とりどりのネクタイを片っ端からごみ袋に放り込む。ああ、高かったんだぞうと思ったが声は出なかった。あっというまにネクタイは冠婚葬祭用の白と黒、それにまあ人に会うときに必要だろうと無難な紺系統が2本だけ残った。
それだけではない、我が家はウオークインクロゼットなので服は全部つるしてある。家内はスーツを一着ずつみて「もう着ないわね」という一声で、数分間で何着もごみ袋に・・
それからワイシャツは2つ3つを除いてすべて廃棄。
ビジネスバッグもやり玉。サムソナイトのアタッシュケースは田舎にいた時使っていたが、都会に来てからは使ったことがない。通勤電車で固いアタッシュケースはひんしゅくを買うから。ハイ、廃棄。それから黒のバッグは日常の通勤用と出張用の大小があったが、いずれも廃棄。
家内と私の考えは相当に違う。私は使えるものは残そうと思うのだが、家内は使う当てのないものは捨てるという考えなのだ。
そんなふうに、私のたくさんの持ち物を、老後の人生で使うか使わないかという判断で、バサバサと処分していった。

だが家内は私のものを捨てるだけではなかった。家内は私を連れて電車で三つ目の駅のショッピングモールに行った。
靴は皮のウオーキングシューズ1足とスニーカーを2足買った。そして綿パン3着、その他その辺を歩くときのシャツ、パーカーなどなど。
日中その辺を歩くとき熱中症になるからと、綿のハットを買った。キャップは私は嫌いだし、家内も首の回りが日焼けするからハットがいいという。
捨てたビジネスバッグの代わりには、手提げとショルダーのバッグを買ってくれた。確かにスーツでないとビジネスバッグは似合わない。

私自身も、本の類、集めた資料類をバサバサと捨てた。本棚の半分は捨てたと思う。過去に私もいろいろな仕事をしてきたがもうそういうことに関わることはないだろうと思う。仕事で使った、塗装、めっき、刃物、NCプログラミング、シーケンサの組み方とそのための論理代数の本、品質管理や品質保証の本、ISO9001、ISO14001、環境管理、公害防止、環境法規制、品質監査、環境監査など、いやたくさんあった。そういった本(s)には大変お世話になったが、既に専門書としては時代遅れ、自分自身の思い出にしか過ぎない。かわいそうだが長年の貢献に感謝して、サヨウナラをした。まあ、特に思い入れのある物だけは記念に残したが・・
本には若干の思いがあったが、資料類はあまり思い入れはなかった。経産省や環境省の通知や告示をプリントしたものは大量にあった。こういったものはインターネットにあるのだが、仕事で使うにときは読んだりアンダーラインを引いたりするので、やはりプリントしておかないと効率が悪い。そんなものが本棚に幅60センチくらいあった。紙代もすごいだろうが、プリンターのインク代がずいぶんかかったと思う。
紙の厚さは0.1ミリくらいだが、プリントアウトしたりするとしわができたりするから0.2〜0.3ミリくらいになる。幅60センチとすると、2000〜3000枚になる。今は両面プリントだから、6000ページ、普通のA5サイズの本なら40冊分くらいになる。よくもまあ、そんなものを日常使っていたものだと、自分自身感心する。
そういえば、会社勤めしていた時は一月半に1回くらいはプリンタインクのセットを買っていたように思う。退職してから4ヶ月経つが、その間に買ったのは単色の黒カートリッジを1個だけだ。いかにプリンタも動かなくなったかと言える。
今プリンタを使うのは、家内のクラブの大会案内とか、決算報告程度だ。家内はパソコンが使えないから私が代わりにそういったことをしてやる。まあ、サービス、サービス、

指サック 老人になると指の脂がなくなって、紙をめくるのが苦手になるってご存知でしょうか? といって、指をなめるのはみっともない。だから、私は監査に行くと指サックをして帳票類をめくっていた。この指サックも、すぐにイボイボがすり減ってしまう。なにしろ何千枚という帳票をめくる日常だったから。だから毎月くらいに買っていた。退職するとそれもいらない。クリップやクリアケースももう使わないだろう。
退職すると、そういうプリンタインクや文具類を買う費用が少なくなる。まあ、月割りにして3000円か4000円くらいだけれど

さて、それから4か月、捨てて困ったものはなにもない。会社を辞めてから、ネクタイをしたことは一度もない。マンション内はショートパンツとTシャツ、マンションの外まで買い物に行くときは綿の帽子をかぶる。家内は熱射病になるよと、いつも注意する。家内は私を子ども扱いするのだ。
講演会聴講とか大学のシンポジウムとか、少しはまともな恰好が期待されているところへは、綿パンと柄シャツで行く。最近はクールビズなのであまり変には見えないのがうれしい。

毎日なにをしているかだが、退職して初めの1週間はただボーゼンとしていた。朝起きても、服を着替えることもなく満員電車に乗ることもない。これは楽だ。でもこれでいいのだろうか?
はじめは運動のために毎日1万歩歩こうと思い、片道4キロくらいのところの公園や、公共の建物を目標に往復してみた。だけど数日もせずに止めた。だって、つまらない。単に歩くだけでは面白くない。その頃は5月連休になったばかりで、それほど暑くなかった。今なら日中8キロも歩いたら脱水症状になってしまうだろう。
それで、フィットネスクラブに入会することにした。私の住んでいるところは、田舎なので歩いて行けるところにはない。それで電車で一駅か二駅のところにあるフィットネスクラブを5か所見学して説明を聞いた。
行ってみて驚いたのは、平日昼間のフィットネスクラブは老人ホームであった。定年退職後、嘱託勤めをしてから引退した私が、若い方なのである。
私は誰にでも話しかける方なのだが、話を聞いてみると、女性も男性も70代なんて珍しくない。80歳という方もいた。さすがにその方は卓球の球を追いかけることができなくなったので、スイミングを主にしているという。そしてみなさんロビーで食べたりしておしゃべりをしている。人と話すために来ているのかもしれない。病院が老人クラブと言われているが、病院じゃ辛気臭いと思う方はフィットネスクラブか・・
ともかく、料金も大事だが、設備、混み合い具合、清潔さ、交通の便利さ、そんなことを天秤にかけて、二駅先のところに入会した。家内がウェアなどを買ってくれた。家内から見ると私は子供らしい。
さて運動を始めてみると、これが面白い。まず汗をかくのが楽しい。実をいうと最初は汗をかかなかった。長年、運動などしなかったから、汗腺がなまけていたらしい。10日ほど行くと、ドンドン汗をかくようになった。自転車とかウオーキングをするときは鉢巻をしないと汗が目に入り痛い。1時間半もしていると、もうウェアも靴下も汗で重くなる。床もたれた汗でびっしょりになる。一度パンツの着替えを持っていくのを忘れた。クラブの風呂から上がってから、ビショビショのパンツをはく気にはなれず、帰りはノーパンで来たが、ちょっと落ち着かない。
その努力の結果、退職した4月には66キロ代であったが、4か月後の今は64キロを切った。体重が減ったことよりも、おなかがへこんできたのがうれしい。とはいえ、脇腹のプヨプヨはまだ気になる。まあ、これからに期待したい。

とはいえ、毎日朝から夕方までフィットネスクラブというわけにはいかない。
私は本を読むのが好きなので図書館に行った。会社勤めの時は図書館など行ったことがない。行く暇もないし返す暇もない。しかし今は暇が十二分にある。
おお! しかし、そこは想像していた風景とは全く違った。
ここはフィットネスクラブに行っている人たちより高齢の老人ホームだ。本を探すでもなく、読むでもなく、大勢の年寄りがソファーや椅子に腰を下ろし、ただごろごろしている。この人たちは、家にいることもできないのだろうか・・
ともあれ、本屋で本を買うより、ただで借りて読むのは良い。フィットネスクラブ帰りに図書館に行って、興味のあるものを借りて読んだ。
興味のある物とは、ノモンハン事件とか日清戦争とか日露戦争の歴史関係だ。おっと、司馬遼太郎は歴史じゃない。あれは、物語、作り話である。
ただ市の図書館は小説などは豊富にあるものの、歴史などをしっかり勉強しようとすると、そういった本はほとんどない。それで大学の図書館に行く。今は開かれた大学とかいって、手続きすると外部の人にも貸してくれる。もちろん貸出冊数とか日数とか制限があるのだが、市の図書館よりははるかに蔵書はそろっている。
もっとも大学の図書館は小説は少ない。
そんなわけで、会社勤めしていた時は、1月に読む本はせいぜい8冊とか10冊のペースだったが、仕事のない今は、週に5冊くらい読んでいる。

とはいえ、これだけでもまだ1週間は埋まらない。住んでいる地区の公民館に行って、なにか面白いクラブはないかと探している。まだ入るものを決めていない。

さて、生活習慣は大きく変わった。
会社勤めの時は5時半には起きて、6時10分くらいになると家を出た。逆算すると夜は11時半には寝ないとならない。会社を辞めた今は、完璧に遅寝遅起きの夜型の生活リズムになってしまった。寝るのは12時過ぎである。朝7時頃に目が覚めるが、家内は8時ころまで寝ていてほしいという。しゃあないとひっそりとパソコンを叩いている。

変わらないものもある。定期券だ。
私も勤めをやめて定期券を持たなくなった。しかし1週間もすると、定期がないとスイカのチャージがドンドンとなくなってしまうということに気が付いた。フィットネスクラブ、図書館、本屋、大学、公民館、まともなパン屋、どこに行くにも歩いて行けるところはない。電車に一駅か二駅乗らないと行けない。費用的には月に20往復乗らないと定期券代にならないらしい。だが計算してみると、それ以上に電車に乗る計算になる。ということで無職ではあるが、二駅先の市街地までの定期券を買った。まあ、早い話が前払いで乗るか都度払うのかの違いなのだろうけど、乗るたびにスイカの金額が減るのは精神衛生上良くない。それに定期なら一日何度乗っても同じだから。 日焼け


そんなこんなで今は週7日のところ4日くらいは埋まるようになった。それでほとんど毎日、外出している。自分でも驚くのだが、日焼けして黒くなった。裸になると面白い。腕時計の部分、足のくるぶしから下、Tシャツの袖から下の部分がはっきりと日焼けして黒くなった部分と日焼けしていないところの境目ができている。
老後を過ごすための3Kというのがあるそうだ。健康、金、気持ちのみっつとのこと。
健康はどうだろうか? 以前、左ひざが痛くなって、外科に行った。歳をとると関節の液が減ってどうこうというが、その原因はももの筋肉が弱くなったからという。その後、毎日ラジオ体操とかフィットネスクラブに行くようになって、痛みは消えた。
腹もへこんできたことだし、特段病気はない。
お金であるが、私はまじめに働いて来て、バクチも女も酒も縁がなかった。だから家内と二人で贅沢をしなければ、老後を静かに過ごすくらいはなんとかなりそうだ。
昔、「年金生活者」という言葉は「貧しい暮らし」という意味であったが、今では「年金の出ない定年退職者」という更に下の階級ができた。まあ、愛とは耐えること、人生とは絶えること。
気持ちとなれば、もう毎日が天国である。しかしなにも仕事をしないとそのうちに地獄になるかもしれない。ここはひとつ、世間様にお役にたつようなことをせねばと・・

そして自分でも変わったと思うのが、性格である。もうあまり時間は気にしない。なにしろ遅刻という事態が発生しない。朝9時まで寝ていても、夜1時まで起きていても、誰にも迷惑をかけない。仕事の納期もない。報告書を出す義務もない。楽だ。
そんなせいだろうか、今までのように真剣になることもなく、言葉つかいもきつくなくなった。
もう20年以上も前のことである。私が現場監督を首になったときのこと。そのとき、私には部下は200名もいたのだ。職場を変わってからのこと、以前の職場のパートの方に街であったとき、「顔つきが変わって誰かわからなかった。以前は鬼のような顔だった」と言われたことがある。
品質、コスト、出荷のノルマを達成しようとすると、そんな顔つきになるのだろう。
そういえば、監督だったときは喉が悪くて耳鼻咽喉科に通っていた。医者が言うには大声を出すからだという。職場が変わってからは喉は治った。
今の私は、当時に比べれば仏どころか、ボケに見えるに違いない。

さて、ともかく私の毎日は、まさに終わらない夏休みだ。
日本中の働いている皆さん、申し訳ない。いや学校に行かなければならない子供たちにもあいすまん。
とはいえ、私は45年間、月月火水木金金という海軍 軍艦旗 並みの生活をしてきたので、お許しください。
アハハハ

本日の実は・・
実は、ここには書けないが某NPOに参加している。



ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012/9/1)
お元気そうでなによりです。私の10年後を考える際の参考になりました。おっと、その頃には定年延長になっているだろうから15年後か。。

ぶらっくたいがぁ様、毎度ありがとうございます。
10年は長いですね、今から20年前、私が囲碁に狂っていた時、お相手は国鉄(!)、自衛隊、教職員、その他大手企業を引退した人たちが、高額な年金をいただいて悠々としていました。
私も定年後はそんな生活ができるのかと思っていましたら、時代が変わりました。
でも、あと15年したら、また定年後悠々自適な暮らしが待っているかもしれません。
人生万事塞翁が馬ですからね、期待していて大丈夫

名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012/9/1)
人生楽しそうでなによりです。
鶏の祖母が昔、「最近のゲートボールクラブは若いモンが増えて話が合わん」とこぼしてました。「若いモン」が60歳、祖母が80台後半でしたから20年以上の差が・・・親子ほど違うわけです。
余談ですが、脇腹の肉はキホン「落ちない」と思ってもらって結構です。「落ちる」のは足とか胸周りが先です。逆に脇が無くなるほど痩せると低糖症の危険がありますよ。

鶏さん、毎度ありがとうございます。
義母も一度だけゲートボールをしたことがあるそうです。そしてあまりにもつまらなく体力も使わないので84になる今も農作業にいそしんでいます。
ところで、脇腹の肉は減らないんですか!
真正面から見て、ギュット細くなっているとカッコいいんですけど・・・
ともかくまだ4ヶ月・・おっと、フィットネスクラブは3か月、これから半年で大化けするかもしれませんよ(願望)

緑青の看板様からお便りを頂きました(2012/9/1)
素晴らしい奥様ですね!
ぐずぐず切り替えの鈍い緑青
見習いたい!
いつも全力のおばQ様がいて
…え〜ぇえ〜ぇえ〜ぇと
素晴らしい奥様がいて
おばQ様!?

緑青のお嬢様、毎度ありがとうございます。
そんな素晴らしくないんですよー
口は悪いし、なにかあると私をぶつし、危険な人物です。
近寄っちゃいけません。


blue moon様からお便りを頂きました(2012.09.02)
年退職者」という更に下の階級ができた。まあ、愛とは耐えること、人生とは絶えること。
 ↑
校正ですm(_ _)m
人生はまだ絶えてないのではないでしょうか(*^_^*)

ぶるむん姫様 ツッコミありがとうございます。
昔、1969年のこと、浅丘ルリ子って美人が歌ってましたね
「愛するって耐えることなの♪」
でも、ご本人、石坂浩二の横暴に耐えられず・・・(以下略)、
私の場合は、この先、細々となる一方で絶えるまで耐えるしかないという、ダジャレでございます。
姫様、あまり深く考えちゃいけません。
ここはひとつ「サムーイ」と軽く流さねば・・・
ぶるむん姫
ぶるむん姫様の肖像
正式称号はプリンセス・日本奪還・ブルームーンであらせられる。
セイラームーンではない。



ひとりごとの目次にもどる