お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたい方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。
何年前になるだろうか? 東京メトロに乗っていて、「江戸しぐさ」と書かれたポスターを見た。
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ところがところが、最近読んだ本に「江戸しぐさ」は真っ赤なウソと書いてある。「江戸しぐさ」なる言葉は1980年以前にはなかったそうだ。要するに近年になって作られたものということだ。
もちろん1冊だけでは心もとない。まして否定派の本を読んだだけでは一方的だ。肯定派・推進派の本も読まねば何とも言えない。
というわけで図書館に行ってタイトルに「江戸しぐさ」のある本を探した。
検索すると図書館蔵書は16点だった。当然のことだが、「江戸しぐさ肯定本」と「江戸しぐさ否定本」があるわけだ。ともかくその中から5冊借りてきた。
図書館蔵書が意外に少なかったので、家に帰ると書誌データベースとアマゾンでタイトルに「江戸しぐさ」の付くものを検索した。
その結果が下表である。
区分 | 市図書館蔵書 | BOOK or JP | アマゾン検索 | |||
出版年 | 肯定 | 否定 | 肯定 | 否定 | 肯定 | 否定 |
1986 | ● | |||||
1987 | ||||||
1988 | ||||||
1989 | ||||||
1990 | ||||||
1991 | ||||||
1992 | ● | |||||
1993 | ||||||
1994 | ||||||
1995 | ||||||
1996 | ||||||
1997 | ||||||
1998 | ||||||
1999 | ||||||
2000 | ||||||
2001 | ● | ● | ● | |||
2002 | ||||||
2003 | ||||||
2004 | ● | ● | ● | |||
2005 | ● | |||||
2006 | ●● | ●● | ●●●●● | |||
2007 | ●●●● | ●●●●● | ●●●●● | |||
2008 | ●● | ●●●●● | ●●●●●● | |||
2009 | ●●● | ●●● | ||||
2010 | ● | ●●● | ||||
2011 | ||||||
2012 | ● | ● | ● | |||
2013 | ● | ● | ●● | |||
2014 | ● | ● | ● | |||
2015 | ● | ● | ● | |||
2016 | ● | ● | ● | |||
2017 | ||||||
2018 | ● | ● | ● | |||
2019 | ||||||
2020 | ||||||
2021 |
三つの検索結果が違うのは当たり前だ。その理由は、
各年に出版された点数を正確に知るには、過去の毎年の出版年鑑(2019年で休刊)から数え上げないと分からない。だから上表は各年に発行された正確なデータでないが、考えを進めるにはこの程度で十分だろう。
この表から分かることとして、
どちらが正しいか多数決で……となるわけではない。証拠による裏付けのある本と、そうでないものでは存在意義が違う。
2014年に否定派の本が出た後、2015年に発行された肯定派の本はそれ以前から計画していたものだろうが、それ以降肯定派の本が皆無ということで形勢は決定的と推察する。
批判本が出たのちに、様々な場所で複数の歴史学者が、元々「江戸しぐさ」という言葉はなく、それを講(勉強会のようなもの)で教えていたこともなく、また「江戸しぐさ」本の中で書いている明治維新時に江戸しぐさを教えていた人たちに対する弾圧も虐殺もなかったと論じている。
それだけでなく、否定派の本が出版された以降、否定派と肯定派の書簡交換も公開討論もなく、肯定派が否定派を否定する本を出版していないこと、などから社会的には肯定派は否定派と争う気がない……ということは否定派を否定する根拠がないとして、「江戸しぐさ」は否定されたとみなされている。
気になることがある。肯定本の波は2010年頃におさまっている。最初の批判本が出る3年前である。批判本が出版される前から、ネットでは批判されたのだろうか?
そこでGoogleで2000年〜2010年に期間限定して、キーワード「江戸+しぐさ」で検索し、上位約150件を肯定・批判・その他に分けた。「江戸っ子のしぐさ」などは除いた。
年 | 肯定 | 否定 | その他 報道・広告 |
2000 | ● | ● | |
2001 | |||
2002 | ● | ||
2003 | ● | ||
2004 | ●●●●● | ●● | |
2005 | ●●● | ||
2006 | ●●●●●● | ●● | |
2007 | ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● | ●●●●●● | |
2008 | ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●● | ● | ●●● |
2009 | ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●● | ●●●●● | |
2010 | ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●● | ●●●●●● |
書籍と同じくして2004年から「江戸しぐさ」に関するウェブサイト/ブログは急速に増えた。しかし2007年頃には飽和してきたように思える。それは書籍も一緒だ。
ところで上表を見ると、「江戸しぐさ」の露出が大きくなった2000年以降を見ても、「江戸しぐさ」を批判するウェブサイトもブログなどもほとんど存在していない。
ということは「江戸しぐさ」という運動あるいはファッションは、批判勢力がないにもかかわらず2010年頃には既に成長の限界に来ていたのかもしれない。
恐竜が滅んだのは、元々種の寿命の末期だったところに隕石が落ちたからという説もある。
左図は一般的な製品ライフサイクルの模式図である。「江戸しぐさ」は、成長期を過ぎ成熟期に入りつつあるときに、批判本が出て急速に衰えたのかもしれない。
いっときは多方面で「江戸しぐさ」のありがたみが称えられ、学校教育の場でも教えられたが、批判を浴びて「江戸しぐさ」はマナー向上のポスターに使われることもなくなり、学校教育の場からも消えつつあるという。
辞書に載っている言葉だが、その記載は否定的である。
果たして江戸しぐさは、あったのか/なかったのかとなれば、私は断定できないが、なかったように思う。その理由を述べる。
江戸しぐさの本家・家元の越川禮子が書いた「日本人なら知っておきたい江戸しぐさ
まず文章のテンションがものすごく高い。言葉ならテンションが高くなることもあるだろうが、文章のテンションが高いとなると、まさに信仰を語っているようだ。現在なら催眠商法の語り口というのだろう。
正直言って調べるために読むと思わなければ、冒頭の10ページも読んだら放り捨てたいレベルだ。
ではどんなところが胡散臭いのか。
日本人がきれい好きだったとしても、石鹸もなくきれいな水もなければきれいにならない。実際に、天然痘、ハシカ、インフルエンザなどの大流行は数年おきにあり、流行時には江戸の人口の3〜4%が亡くなったという
明治の御代になってからもコレラが何度(1877/1879/1886/1890/1895)も流行した。まだ抗生物質もなく、下水道もない時代だったが、最大の原因は用足し後に手を洗う習慣がなかったせいだというウェブサイトや本は多々ある。
なお1918年スペイン風邪と呼ばれたインフルエンザの世界的流行は日本でも猛威を振るい、3年間で48万人が亡くなったといわれる。
内務省衛生局(今の厚生労働省に相当)が対策として「流行性感冒予防心得」をだし国民に自衛させた。その内容は「病人、咳をする者には近寄らない」、「沢山人の集まっている所(芝居、活動写真、電車など)に立ち入らない」、「咳やクシャミをする時はハンケチ、手ぬぐいなどで鼻、口を覆う」ことが重要であると記してあるが、手洗いに言及されていない。
これからも手を洗う習慣が、江戸時代に普遍的なものであったはずはない。ひょっとして「江戸しぐさ」を知っていた人たちが虐殺されたから、その知識が失われたのだろうか?
注:内閣官房 新型インフルエンザ対策 スペイン風邪(後半)
どうもこの本を書いた人は、想像上の江戸時代を描いているのではないのか?
お説によると、明治維新時の江戸しぐさ弾圧により文献一切が失われたとか、師匠から口伝でしか伝えないとかいうが、それを立証する証拠もないという
勝海舟が江戸しぐさを尊ぶ人たちの脱出を手助けしたそうだが、勝海舟は明治32年まで生きた。勝海舟のような言いたい放題の人なら何か手掛かりを残しているだろう。
要するに引用なのか、著者が発見したのか、著者の創作か分からないのである。
? いろいろと考えて、思いついたものがある。 ![]() そう考えると、迫害者からのエクソダス、ゲットーに身を潜め、ジェノサイドを生き残り、聖地を奪還して国を再興する、まさにシオニズムである。 だけどその教典が「江戸しぐさ」では、旧約聖書に比べてちょっとショボイ。 |
江戸しぐさというムーブメントを簡単にまとめると、
1970年代に芝三光という人が「江戸の良さを見直す会」を作り、そこで古い良き習慣を広めたのが始まりらしい。それが1980年代に読売新聞が取り上げたことから「江戸しぐさ」という名称でだんだんと知られるようになった。
最古の書籍が1986年というのは納得できる年代だ。
そののち強力な宣教者 越川禮子が表れて、マスメディアを使い多数の書籍を出版し、地下鉄のポスターに使われ、小学校の道徳教育まで使われるようになったという流れが、「江戸しぐさの正体」に記されている。
言うならば、マナーからルールへではなく、マナーからビジネスに進化したのである。
では「江戸しぐさ」の正体がばれて終焉を迎えたのかといえば、そうではないのだ。
私は「江戸しぐさ」にまつわる本を読み、ネットをさまよい、テレビで放送された「江戸しぐさ」についてどんな放映があったのかを探して感じたことを書く。
似たようなものはブログにもある。
捏造であっても良いものは良いという理屈は正しいのか?
「あの人は昔強盗をしたけど、今は稼いだお金を孤児院に寄付しているのよ」というのは美談に思える。
では「あの人は昔強盗をして、そのお金を孤児院に寄付したのよ」というのは美談どころか浄財とは言えないのではないか?
同じく、捏造した美談は美談ではなく、ズバリ醜聞である。
フィクションならフィクションと、小説なら小説と己の立ち位置を鮮明にすべきである。
ところで、過去より捏造問題は多々ある。21世紀だけをとらえても、
そういうのを見てウソはいけないと思わない人は、人間として困るのである。「江戸しぐさ」は捏造だけど、言っていることは良いことだから道徳に使ってもよいと考える頭の中が分からない。
「江戸しぐさ」を捏造しても被害者がいないと言ってはいけない。
被害者なき犯罪と言われるものには、賭博、薬物、ポルノ、自殺、不法入国などがある。経歴詐称も被害者なき犯罪だろう。
被害者なき犯罪といわれても、目につかないだけでいずれにも被害者はいるのだ。それは社会全体が被害者であるということだ。
非合法売春が堂々と行われるなら、それは法を破ってもよいという認識を国民が持つことになり、それによって窃盗、恐喝、強盗とどんどんとモラルは悪化していくだろう。非合法移民によって職を求める人が仕事が得られなくなれば、就職できたはずの国民の権利が損なわれる。
「江戸しぐさ」だって、それを信じた人たち数百万人をだました詐欺ではないか? 「嘘をついても良いことは良い」と語るのも共犯である。
道徳そして治安を維持するには、法を破ってはいけないという意識を持たせなければならない。
そしてフィクションを実話だと偽るのは被害者なき犯罪ではなく、被害者だけでなく加害者をも作り出す犯罪ではないのか?
「江戸しぐさ」を考えていて頭に浮かんだのは、従軍慰安婦問題である。これはもはや、詐欺罪だけでなく名誉棄損であり外患に関する罪も関わりそうだ。
ご存じない人もいるかもしれないから簡単に説明する。
吉田清治という人が1983年に「私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行-」という本を書いた。
著者 吉田は太平洋戦争中に労働者や売春婦にするために、朝鮮の村々で人狩りというか、見つけた男女を強制的にトラックに乗せたと、野犬狩りのようなことを書いたのである。
当時、それは大問題だとして日本政府も韓国政府も現地調査を行ったが、そのような証拠も証言も見つからずに終わった。
しかしその後、韓国内で慰安婦問題の存在は事実とされ、連行された女性は20万人と言われている。
そして日本に謝罪と賠償を求めているのが現在である。それだけでなく世界中で日本は朝鮮人を性奴隷にしたと叫んでいる。
日本人こそが、名誉棄損で韓国に対して謝罪と賠償を請求しなければならない。
従軍慰安婦を強制的に駆り集めた日本を許せない💢という人々は、真実はこれこれと教えられてももう戻れないだろう。信じるとはその人のよりどころなのだ。信じるものを失えば己の心が崩壊してしまう。
ウソであろうとフィクションであろうと、一旦世に広まればそれは真実と思われる。自分は従軍慰安婦だったと称する女性は当時10歳前だったとか、つじつまが合わないものが多いが、もうそれは論理ではなく宗教であり信じているからどうしようもない。
中国や韓国では「嘘を百辺言えば真実になる」というそうだ。論理的には間違いなく偽であるが、意識的にそれは真なのである。
本日の主張
捏造は非常に悪いことである、そして捏造を許さないという認識を持たねばならない。「江戸しぐさは捏造であるが、それでも良いことは良い」などと語ること自体大きな誤りである。
我々は「目的は手段を正当化しない」ということを心に深く刻まなければならない。
唯一正当化されるケースとしては、緊急避難だけだろう。
とはいえ、緊急避難は刑法37条第1項で明記されており、非合法ではない。
本日のイソップ物語
引揚者の長屋住まいだった私は、いつも長屋の子供たちとワイワイ遊んでいた。まだ終戦から10年くらいしか経っていないときだ、みな貧しくいつもひもじい思いをしていた。だから、遊びといってもボール遊びとか鬼ごっこをしたわけではない。食い物を探すことだった。
林に入ってアケビやグミを採ったり、百合の球根を掘ったりした。冬でなければ何かはあるものだ。大きな声では言えないが、近くの畑から果物や生で食べられる野菜を盗むこともした。農家もブドウや桃のように高価なもの以外は、見て見ぬふりをしてくれた。
あるとき隣の兄弟が農家に侵入してお金を盗んだ。すぐに捕まったが、二度三度と重なると警察沙汰になり、近所の子供の親はその兄弟と遊ぶのを禁止した。
大人になると、兄弟二人とも刑務所とシャバを行ったり来たりの人生を歩み、弟は40くらいのとき喧嘩で殺され、兄は60過ぎに刑務所で病死した。(実話である)
ちょっとしたことで人生は大きく狂ってしまう。
「江戸しぐさ」は事実ではないけど良い話だから子供の教育に良いなんて語っていると、ウソで教育された子供は、刑務所に行くようになるかもしれない。
心せよ、嘘はいくら繕っても嘘、そこに真実はない。
注1 |
「日本人なら知っておきたい江戸しぐさ」越川禮子、KKロングセラーズ、2015 ![]() | |
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注5 |
史料がなく伝承というなら、(中略)いつどこで誰に聞いたのか証拠が必要です。 「江戸しぐさの終焉」(p.130) ![]() | |
注6 |
興味深い本の感想有難うございます。 江戸しぐさ:イラストが面白いのと、他人に迷惑をかけないという趣旨ならば賛同しますが、行き過ぎれば「着物警察」と同じですかね。 着物が一時若い人から敬遠されるようになった原因は「着物警察」と言われて久しいです。 着物警察:他人の着物の着方に、あれは駄目、こうでないとと、赤の他人が指導する事。 初心者の着崩れを直してあげるとか、明らかな間違い「右前」などを教えるのはアリと思いますが、当人が不快になるような他人によるおせっかいが着物を敬遠させたと言われていました。 もう一点指摘すれば根拠は口伝で文献が無い点、要するに言ったもの勝ち、私の尊敬する有職故実の師匠は、どんなに細かい事でも、文献主義です。 ですから文献に無い事は言いません。 江戸しぐさのように口伝だと言えば、根拠が無かろうが何とでも言えます。 言ってる当人は口伝だからと抗弁出来るから捏造なんて絶対に思わないでしょうね。 (ちょっとISOの審査員独自解釈に似ているかも) 師匠は学問として成立させたいから文献を元で、口伝はあくまで参考。 そして、この師匠の仰ることは、文献があろうが有職故実やマナーの本質は「人に依るべし、時に依るべし」 つまりTPOに応じて周囲を不快にしない事であって、厳格なルールの運営で無いという事を指摘されております。 結局、「江戸しぐさ」も同様で、周囲を不快にしないならば、その通りである必要もない。 これもおばQ様が常々御指摘されている「ISOの認証も会社の利益の為であって、それが無い活動はオママゴト」と共通している気がします。 「江戸しぐさ」の目的が周囲を不快にさせない事ならば、やり方は一例でしかない。 それを絶対のものとして言った瞬間に無意味なものになる気がしました。 |
外資社員様、毎度ありがとうございます。 「江戸しぐさ」が趣味とか芸事であれば、その歴史に多少の脚色があっても問題ないかと思います。 私の住んでいる地域にも、昔 宮本武蔵が野党退治に来てくれた。七人の侍は本当にあったとか言われています(笑)。まあそれくらいは許容範囲だと思います。 ただ「江戸しぐさ」が日本全国の道徳教育とか県の活動に取り入れられているということを見ると、うそを言っちゃあいけねえよ(なぜか江戸弁)と言いたくなります。 そして虐殺とか根拠のないことを言い出して、それを支持する人たち、それを見て従軍慰安婦問題と同じ構図だと思ったのが発端です。 「嘘を百辺言えば真実になる」は現実的には真なのだなという経験を日本人はしてきたわけですから、ここで新たな嘘を真にしてはならずと思いました。 |
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