江戸しぐさ

22.06.26

お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたい方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。



何年前になるだろうか? 東京メトロに乗っていて、「江戸しぐさ」と書かれたポスターを見た。
吊り輪吊り輪
柔らかなタッチで和服の男女を描いた絵で、他人が座るときは少しずれてあげましょうとコピーがあったのを覚えている。
ほう、江戸時代はそんな風な気遣いをしたのか感心し、自分もそう努めようと思った。
私が地下鉄で「江戸しぐさ」のポスターを見たのはそれっきりだ。なぜかその後、地下鉄でそのようなポスターは見たことがない。

ところがところが、最近読んだ本に「江戸しぐさ」は真っ赤なウソと書いてある。「江戸しぐさ」なる言葉は1980年以前にはなかったそうだ。要するに近年になって作られたものということだ。
もちろん1冊だけでは心もとない。まして否定派の本を読んだだけでは一方的だ。肯定派・推進派の本も読まねば何とも言えない。
というわけで図書館に行ってタイトルに「江戸しぐさ」のある本を探した。

検索すると図書館蔵書は16点だった。当然のことだが、「江戸しぐさ肯定本」と「江戸しぐさ否定本」があるわけだ。ともかくその中から5冊借りてきた。
図書館蔵書が意外に少なかったので、家に帰ると書誌データベースとアマゾンでタイトルに「江戸しぐさ」の付くものを検索した。
その結果が下表である。

「江戸しぐさ」でヒットした本の分類
区分市図書館蔵書BOOK or JPアマゾン検索
出版年肯定否定肯定否定肯定否定
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006●●●●●●●●●
2007●●●●●●●●●●●●●●
2008●●●●●●●●●●●●●
2009●●●●●●
2010●●●
2011
2012
2013●●
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021

三つの検索結果が違うのは当たり前だ。その理由は、

各年に出版された点数を正確に知るには、過去の毎年の出版年鑑(2019年で休刊)から数え上げないと分からない。だから上表は各年に発行された正確なデータでないが、考えを進めるにはこの程度で十分だろう。

この表から分かることとして、

  1. 「江戸しぐさ」がタイトルにつく本は1986年が最古である。 アマゾンでは過去に出品されたことがあれば、それ以降は物がなくても「出品なし」と表示されるから、それ以前はないと推定される。
  2. 「江戸しぐさ」の出版が活発になったのは、2004年以降である。
  3. 否定派の本は最古で2014年出版であること
  4. 肯定派の本は2015年が最終で、それ以降出版されていない。


どちらが正しいか多数決で……となるわけではない。証拠による裏付けのある本と、そうでないものでは存在意義が違う。
2014年に否定派の本が出た後、2015年に発行された肯定派の本はそれ以前から計画していたものだろうが、それ以降肯定派の本が皆無ということで形勢は決定的と推察する。

傘かしげ 批判本が出たのちに、様々な場所で複数の歴史学者が、元々「江戸しぐさ」という言葉はなく、それを講(勉強会のようなもの)で教えていたこともなく、また「江戸しぐさ」本の中で書いている明治維新時に江戸しぐさを教えていた人たちに対する弾圧も虐殺もなかったと論じている。

それだけでなく、否定派の本が出版された以降、否定派と肯定派の書簡交換も公開討論もなく、肯定派が否定派を否定する本を出版していないこと、などから社会的には肯定派は否定派と争う気がない……ということは否定派を否定する根拠がないとして、「江戸しぐさ」は否定されたとみなされている。


気になることがある。肯定本の波は2010年頃におさまっている。最初の批判本が出る3年前である。批判本が出版される前から、ネットでは批判されたのだろうか?

そこでGoogleで2000年〜2010年に期間限定して、キーワード「江戸+しぐさ」で検索し、上位約150件を肯定・批判・その他に分けた。「江戸っ子のしぐさ」などは除いた。

ネットを期間限定で検索
肯定否定
その他
報道・広告
2000
2001
2002
2003
2004●●●●●●●
2005●●●
2006●●●●●●●●
2007
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●
2008
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●
●●●
2009
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●
●●●●●
2010
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●

書籍と同じくして2004年から「江戸しぐさ」に関するウェブサイト/ブログは急速に増えた。しかし2007年頃には飽和してきたように思える。それは書籍も一緒だ。
ところで上表を見ると、「江戸しぐさ」の露出が大きくなった2000年以降を見ても、「江戸しぐさ」を批判するウェブサイトもブログなどもほとんど存在していない。

ということは「江戸しぐさ」という運動あるいはファッションは、批判勢力がないにもかかわらず2010年頃には既に成長の限界に来ていたのかもしれない。
恐竜が滅んだのは、元々種の寿命の末期だったところに隕石が落ちたからという説もある。
ライフサイクル曲線 左図は一般的な製品ライフサイクルの模式図である。「江戸しぐさ」は、成長期を過ぎ成熟期に入りつつあるときに、批判本が出て急速に衰えたのかもしれない。


いっときは多方面で「江戸しぐさ」のありがたみが称えられ、学校教育の場でも教えられたが、批判を浴びて「江戸しぐさ」はマナー向上のポスターに使われることもなくなり、学校教育の場からも消えつつあるという。
辞書に載っている言葉だが、その記載は否定的である。


果たして江戸しぐさは、あったのか/なかったのかとなれば、私は断定できないが、なかったように思う。その理由を述べる。

江戸しぐさの本家・家元の越川禮子が書いた「日本人なら知っておきたい江戸しぐさ(注1)を読むと、胡散臭いとかこりゃおかしいだろうというのが多々ある。ツッコミどころ満載だ。

読む気にならないわ

まず文章のテンションがものすごく高い。言葉ならテンションが高くなることもあるだろうが、文章のテンションが高いとなると、まさに信仰を語っているようだ。現在なら催眠商法の語り口というのだろう。
正直言って調べるために読むと思わなければ、冒頭の10ページも読んだら放り捨てたいレベルだ。

ではどんなところが胡散臭いのか。

「江戸しぐさ」を尊ぶのも広めようとするのも理解できる。しかしなんでわざわざ虐殺を捏造する必要があったのか謎だ。あまりにもとっぴすぎるし、衝撃的すぎる。
いろいろと考えて、思いついたものがある。
モーゼ ひょっとして自分たちはユダヤ人のように選ばれた選民であり、今まで迫害を耐え忍んできたという物語を欲したのか?
そう考えると、迫害者からのエクソダス、ゲットーに身を潜め、ジェノサイドを生き残り、聖地を奪還して国を再興する、まさにシオニズムである。
だけどその教典が「江戸しぐさ」では、旧約聖書に比べてちょっとショボイ。

江戸しぐさというムーブメントを簡単にまとめると、
1970年代に芝三光という人が「江戸の良さを見直す会」を作り、そこで古い良き習慣を広めたのが始まりらしい。それが1980年代に読売新聞が取り上げたことから「江戸しぐさ」という名称でだんだんと知られるようになった。
江戸しぐさはお金儲けになった 最古の書籍が1986年というのは納得できる年代だ。

そののち強力な宣教者 越川禮子が表れて、マスメディアを使い多数の書籍を出版し、地下鉄のポスターに使われ、小学校の道徳教育まで使われるようになったという流れが、「江戸しぐさの正体」に記されている。
言うならば、マナーからルールへではなく、マナーからビジネスに進化したのである。

この文はここからが本題である。

では「江戸しぐさ」の正体がばれて終焉を迎えたのかといえば、そうではないのだ。
私は「江戸しぐさ」にまつわる本を読み、ネットをさまよい、テレビで放送された「江戸しぐさ」についてどんな放映があったのかを探して感じたことを書く。