コミュニケーションの前に

22.06.27

最小で最濃密な人間関係は夫婦だろう。では夫婦なら言葉を交わさずとも、お互いの気持ちを分かり合えるだろうか? 夫婦
もちろんそんなことはありえない。夫婦関係のトラブル、うつ病その他の精神的な病気やそこまでいたらないフラストレーションも、日常のコミュニケーションが円滑に行えていないことによると言われる。

家族間のコミュニケーション不足によって不登校や引きこもりが起きることもあるそうだ。コミュケーションを円滑にすればトラブルもうつ病も不登校も引きこもりも防げるのかもしれない。まあ世の中そんなに簡単ではないけどね、


精神科医のウェブサイトに家族間のコミュケーションを円滑にするにはというのがあった(注1)

ということを挙げている。
もちろんそれは家族だけでなく、職場でも近隣住民でも、どの時代でもどの土地でも通用することだろう。

いずれも簡単で基本的なことだが、我が家ではどうだろうと振り返ると……

ということで夫婦間のコミュニケーションはほぼ満点である……本当だろうか?


では私の生まれた家庭はどうだったかというと、親父は酒の方は付き合い程度だったが、考えが明治の男で(生まれも明治だけど)男尊女卑、親父は一家の主でありその他の家族は従僕であるという考えが骨の髄までしみ込んでいた。

だから挨拶をするにしても、母親(大正3年生)を含め子供たちはこちらから丁寧に挨拶しなければならないが、親父はムスッと押し黙っていた。もちろん挨拶しないとか言葉使いが気に入らないと罵声が飛んできた。
挨拶くらいなら罵声だったが、反論するとビンタが飛んできた。

当然「ありがとう/ごめんなさい」を言うのは家来である妻や子が言う言葉であり、ご主人様は黙ってうなずくだけ。うなずかないことも多かった。
ご主人様が語ることに嘘も間違いもなく、連絡の行き違いがあれば家来が嘘をついたことになった。
とまあ親父はそういう考えだったし、母親はそういう親父にハイハイと付き従っていた。

そういう家庭に生まれた子供はそれに染まるのかというと、そうでもない。私の兄弟は姉・姉・私・妹という構成だったが、上の姉と私は納得できなければ親父に反発したし、下の姉は母と同じく奴隷根性だった。そして妹は親父が高齢になってからの子で、もう何をしても叱ることなく可愛がるばかりであった。

2022年現在、上の姉と私は70を過ぎた今も生存しているが、下の姉と妹は70どころか60を少し過ぎ病気で亡くなった。人間、反骨精神がないとだめだ。いや長生きするためでなく、生きていく甲斐がない。


繰り言してもしょうがない。
では60年前の我が家においてISOMS規格を利用して家庭内コミュニケーションの向上を図れないものだろうか?
これが本日のテーマである。

考えるまでもなく、その答えは簡単明瞭である。
ISO規格のコミュニケーションに関する要求事項を眺めても、過去のおばQ生家のコミュニケーション改善には効果がないというか、改善しようということさえ無用と拒否されてしまうだろう。

理由は、冒頭にあったようにコミュニケーションを円滑にするには、条件整備というか円滑に行えるための下準備が必要なのだ。
まず、コミュニケーションを行うには双方ともにコミュニケーションしようという意思がなければならない。

親父が女子供は余計なことを考えなくても俺に従っていれば良いという思想だから、そもそも親父にとっては話し合う必要性がない。親父に必要なコミュニケーションは双方向でなく、命令と復命だけで間に合ったのだろう。
司令官が完璧ならば、提言も諌めることも不要ということなのだろう。それはありえないことだが……

次に話し合うためのルールというかお約束が必要だ。
電子情報の伝送の方式にもいろいろあり、それをプロトコルと呼ぶ。双方が同じプロトコルでないと通信ができない。
プロトコルとは元々国際外交の際のルールのことだったが、そこで決めている主なことは、参加者は平等、席順や旗など順序、服装などがある(注2)

家族の話し合いのプロトコルとはなんだろうか?
例えば物事の重要性によって、重要なことはそれなりの姿勢で真剣に話すとかあるだろう。私は子供たちが小さいとき普段の話は、「○ちゃん」という風に呼んでいたが、悪さして叱るときは「○○○○」とフルネームで呼ぶようにしていた。子供が40を過ぎた今では、普段でも「〇ちゃん」とは言えず、正しく名前を呼んでいる。
その悪影響か、子供たちが私を呼ぶときは私のフルネームを「さん」も付けずに呼ぶ。まあ相見互いならそうなるのだろう。


ちょっと話を戻して、そもそもコミュニケーションとは何だろうか?
コミュニケーションといっても日本語化したコミュニケーションと、本来の英語の意味は違うかもしれない。 いつもの手口ですが英英辞典を引きましょう。

Longman dictionaryを使いました。
to express your thoughts and feelings clearly, so that other people understand them.
他の人に理解してもらうために、あなたの考えや気持ちを明確に表現すること

まさかcommunicationの意味が、英英辞典とISO規格では違うとは言うまい。だって規格で定義してない言葉は一般の辞書の意味で用いることになっている。

どこかのISOコンサルが「環境コミュニケーションとは環境報告書を出すことだ」なんて語っていましたが、それって完璧に間違いですから(笑

でもね、私はコミュニケーションとは「他の人に理解してもらうために、あなたの考えや気持ちを明確に表現すること」ではないと思うのですよ。私は「考えや思いを他の人に伝え理解させ、そして自ら実行させること」ではないか、いやそういうモチベーションを持たせることではないかと思うのです。

よく「理解しても納得しない」なんて言い回しが使われる。理解しなくても納得してほしいとまでは言わないが、「納得しても行動しない」のでは私が話をした意味がない。あるいは「行動はするけど納得してないからまじめにしない」のも困る。

工場でも我が家のリビングでも、汚れているので「部屋が汚れているから掃除しないといけないね」と言ったとしよう。それを聞いた部下や子供が「確かに汚れているな、掃除が必要だ」と理解したとして、それで終わりでは困る。
それを聞いたら「汚れているから、今日はしっかり掃除をしよう」という気持ちになってもらわなければ、あなたの意志は伝わっていない。

となると、コミュニケーションとは「言葉で考えや思いを伝える」前に、お互いの意思疎通ができるように人間関係を構築し、同じ価値観を持ち、利害関係の同じ側に立っていなければならないということになります。


話を戻すと、封建制度を体現した親父と、お互いに平等で話し合うべきというスタンスの私との会話成り立つはずがありません。

家庭におけるISOというのがこのお話のそもそもだったけど、考えるまでなく家庭も職場も本質は変わらない。仲良くしないと居心地が悪く生産性が上がらない。生産性の指標が、ゲゼルシャフトなら仕事の量と質だろうし、ゲマインシャフトなら家事と居心地という違いだけだ。
だからコミュニケーションを向上させる必要性は同じだ。


しかしコミュニケーションを図りましょうといっても、意思疎通が改善されるわけはない。まずは言葉が通じなければならない。
言葉が通じないということがこの日本であるのかとお思いか? いや、外国人労働者のことではない。

私の最初の職場はもちろん生まれた福島県だったが、その会社では東北弁と東京弁と関西弁が話されていた。なぜ関西弁?となるが、工場成立時のいきさつから関西出身者が相当数いたのだ。
私は東北弁のモノリンガルだったが、当時だってテレビがあるから東京弁のヒアリングはできた。そして東京弁と現代東北弁の単語は同じ単語と文法でイントネーションが違うだけだから、意思疎通ができないことはない。
その差はアメリカ英語で、東部と南部の違いくらいではなかろうか?

関西弁話者は我々田舎者と違い関西弁に誇りを持っているから、相手が標準語や東北弁で話してきても関西弁で返すことを止めない。
だが関西弁は単語から違うのだ。「てれこ」とか「ほかす」なんて初めはわけが分からなかった。「なおす」は東北弁と意味が違った。関西弁と東北弁はアメリカ英語とオーストラリア英語以上に違うかもしれない。

注:Google翻訳に、東北弁・関西弁・その他の日本語の方言変換をつけたら面白いだろうと思った。ググったら、さすがにGoogleにはないが、独自に変換サイトを作っている人が多くいるのだ。
当時はインターネットがなかったが、今なら方言習得は容易いようだ。


また会社によって特有の言葉がある。俗にそれは方言と呼ばれる。
デザインレビューとか構成管理とかバージョン管理などで、昔から各社で考案して実施してきたものは、それぞれの会社特有の呼び方がある。

電話 また仕事では略称を多用する。略称の決め方は当然会社によって異なる。本社人事部なら本人(読みは「ほんにん」ではなく「ほんじん」)、営業二課なら営二(「えいじ」ではなく「えいに」)、第4会議室なら「4会」、などなど、
異動とか転職したらまず会社組織とその略称を頭に入れないと電話さえ取れない。そういった略称は組織だけでなく、仕事の用語から計画名称や文書名称に至るまで誤解防止と短縮のために使われる。

誤解防止というと変だが、ある職場に山田さんが二人いたので、「体の大きいほうを『大山田』小さいほうを『小山田』と称します」と社内外に正式に通知していたところがある。フルネームで呼ぶのは徹底できないから、大小をつけたほうが間違いないそうだ。
ちなみに小山田宗徳(注3)は芸名らしい。小山田は出身地の地名と聞いたことがある
驚いたことにタイに行った時のこと、訪問先の会社でやはり同じ名前の人が二人いたために、大柄な方をタイ語で大○○、小柄な方を小○○と呼んでいた。考えることは同じだ。

ともかく会社の方言というか専門用語を知らないと、仕事の話をするにも、今日仕事が終わったら飲みに行こうという話をするにも、相手の語っていることが理解できないとコミュニケーションが取れない。


言葉が通じたら会話が成り立つかとなると、それだけでは理解はできても納得できないレベルである。
次は同じ価値観を持つことが必要だ。価値観というと大げさだが、二つの勢力とか二つの考え方があるなら同じ側に立ってもらわなければならない。

A製品を推す人とB製品を推す人がいるとき、上司がAを売ると決めたら、少なくても表面上はAを売ると表明してもらわないと困る。どうしてもBを売るべきだというなら、それを立証する提言をまとめて上司に出すべきだ。それでも上司がAで行くなら従わなければならない。

会社は平等でもないし、民主主義でもない。専制政治といっても間違いではない。なぜなら所属する個人によって有する権限も責任も違うのだ。上司は決定し命令する権限がありあなたはそれに従う責任があるからだ。もちろんあなたは納得できないときは組織から離脱(退職)する権利を持つ。
ともかく皆の目的に反することを表明してはコミュニケーション以前である。

家庭だって同じだ。法事に行くか、友達と遊ぶかというような選択において家族の理解が得られなければ、それ以外のことにおいてもあなたの意見は軽んじられることになるだろう。家庭はゲマインシャフトだから即リジェクトされることはないだろうが、コミュニケーションにおいて支障が出るだろう。


では価値観に齟齬がないとして、次は良好な人間関係が構築されなければならない。
仲良しこよしが理想ということではないが、情報を共有しないとか、自分の手柄を守ろうとするとか、自己中心的とか、引っ込み思案などであれば、属する集団に溶け込むことは難しい。集団で成果を出す仕事では積極的にコミュニケーションを取ろうとする努力が必要だろう。

人間関係が大事かというと大事なのだ。
昔々20世紀初めの頃、アメリカでウェスタンエレクトリックという会社(その後AT&Tとなり1998年に事業ごとに分割して売却)のホーソン工場でメイヨー教授という人が、生産性を上げる実験を行った。
その結果、生産性に与える影響は、作業環境などよりも人間関係が大きな要素であることが分かった。これがホーソン実験と呼ばれる。

これらの階層を模式的に表せば下図のようになるだろうか?

コミュニケーションの階層の模式図
事項備考
連絡・交渉ISOMS規格の項番7.4のコミュケーションはこの範囲である。
言ってみれば狭義のコミュニケーションだろう。
人間関係ここまでを含めて広義のコミュニケーションと呼びたい
価値観ISOMS規格の項番7.3認識の一部が該当すると言えるのかもしれない
言葉が通じる今はなきISO10011-2の項番10で、合意された言語で審査が行えることを審査の要件として挙げていた。
審査だけでなく業務全般について必要なことだ。組織において関係者が意思疎通に支障ないレベルで共通言語を使えることをマネジメントシステムの要件として挙げるべきではなかろうか?

ここまで条件整備ができて、やっとISO規格の語るコミュニケーションの要求事項に入ることができる。
いやISO規格の要求はコミュニケーションのプロセスを確立し実施し維持しなければならないであり、今までのことが全うされれば、該当する決まりを明文化すれば間に合う。

しかし現行共通テキストというか2015年版のISOMS規格の要求事項は、MS規格ごとの範囲に限定され、実際の会社の業務ではQMSやEMSといったカテゴリーに限定されずに包括的に一体化されたルールとなるだろうし、運用も一本化されていなければ実務に役立たない。
これ重大問題なんだけど(笑)

どこでも見かける会社規定では、品質のコミュニケーション規定があり、環境のコミュニケーション規定があり、○○MSの……、そんな規定を書いた人はまともな仕事をしたことがないはずだ。
まあそれは文書管理でも内部監査でも同じことだけどね、
実務をしたことがない人がISOMS規格を作るからこんなことになる。


話を戻す。
では家庭でのコミュニケーションはどうあるべきか?
それは悩むというか考える必要はなさそうに思える。コミュケーションとは、さあやるぞ!と掛け声をかけて推進するようなものじゃない。上述した条件整備さえできれば、同じところにいる人は自然とコミュニケーションをするはずだ。

ISO規格要求はその規格のカテゴリーについて重要な情報を伝達すべき、その仕組みを作れということでしかない。
ゲマインシャフトである家庭においては、コミュニケーションをとることそのものがコミュニケーションの目的とさえいえる。だからその場にいる人が和気あいあいと暮らせる環境を醸し出せれば良いといえるだろう。


うそ800 本日の言葉

💙
相思相愛であろうと、以心伝心はない。
自分の思いを伝えるには言葉しかない。そして相手に説得するにはあなたの誠意が必要だ。

「コミュニケーションの前」があるなら次もあるのかというご質問につきましては検討中です。一説によると反響次第らしいです。




注1
注2
プロトコルとは元々は、外交儀礼のルールであり、それが国際間の議定書の意味にも使われた。条約と議定書の違いは約束を守る効力の違いで、条約は絶対だが議定書は弱い。
そこから情報機器などの通信に際して定めたIPとかTCPなどの規格に使われるようになった。
外務省ウェブサイト 国際儀礼

注3
今の人は知らないだろうが、1950年代から60年代に活躍した俳優である。




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