前回、人の生き方は老人であろうと若く現役であろうと、変わるはずがないと書いた。しかしあれからいろいろ考えた。私自身引退してから価値観というか生き方が大いに変わったなと思うところがある。
そんなことを書く。
半世紀も前のこと、桐島洋子の「淋しいアメリカ人
注:今時、桐島洋子なんて知ってる人はいないだろう。桐島かれんとか桐島ノエルなら知っているかもしれない。彼らの母親だ。
その中に桐島がアメリカで知り合った老弁護士の言葉として「老人の特権は偏見だ
桐島は日本語で「偏見」と書いているが、その弁護士が語った元の英語が何であったのかはわからない。
「偏見」を和英辞典で引くと第一に出てくるのは「prejudice」で、これを英英辞典で見ると「an unreasonable dislike and distrust of people who are different from you in some way, especially because of their race, sex, religion etc ? used to show disapproval」で私が訳せば「人種・性別・宗教など、あなたと異なる人々に対して正当でない嫌悪や差別」となり、上記文脈では意味が通じない…と私は思う。
和英辞典で出てくる二番目の英語は、biasで「偏り・ひいき目・ひがみ・こだわり」などの意味で、三番目はnarrow viewで、これも日本語では偏見と訳されるが、偏見というより文字通り視野が狭いとか法律での狭義の解釈という意味になる。
私は元の英語は日本語の「偏見」ではなく、文脈から他人の意見を聞かない「独断」とか「偏執」の意味であったように思う。
50年以上たった今でもそのフレーズを記憶しているのは、私の記憶力がいいのもあるが、そのフレーズに強い印象を受けたからだ。
そのときは「老人は特権がある」とか「偏見で良いのだ」なんて同意できなかった。そのときはそう思ったのだが、自分が老人になった今は、偏見こそまさしく老人の特権だと思う。
なお、ここで「偏見」とは一般的な意味でなく、上記で説明した「独断」とか「拘り」の意味とする。
人間は社会的動物であると言われるように、人間は一人では生きていけない。なぜなら弱い生き物だからだ。
弱い生き物であるが、構成メンバーに自由がない集団主義のアリやハチと違い、人間はすべて個性があり自我がありそれぞれ思うままにふるまう。
だが人は弱いから原始人のとき狩りをするにも一人ではできない、古代時代は大規模工事とか敵と戦うために国家を作り、現代でも個人では企業と戦えない。
だから何事をするにもメンバーの意思を合わせなければまとまった行動ができず、集団の力を発揮することができない。そのため強いリーダーが命令して全員を同じ目標に向かって動かすとか、似た考えの人が集まり少しの違いは妥協して生きるしかない。政治の発祥である。そのための手段がコミュニケーションだ。
注:communicateとはto express your thoughts and feelings clearly, so that other people understand them.
あなたの考えや思いを他の人に伝え理解させること、
自給自足でなく貨幣経済の現代では、お金がなければ生きていけない。大富豪ならともかく、
一般人は成人すれば生きていくために働いてお金を稼ぐ。現役時代は生きていくために、関わりのある人とコミュニケーションを図り、衝突しないように人間関係の構築に努めなければならない、それが現実だ。
飲みに誘われればお相手し、ゴルフに誘われれば仕事と割り切り、投票を頼まれれば口だけは了解し、前回儲けさせてもらったら今回はギリギリでも取引し、こりゃ胃が痛くなる……まさに浮世である。
注:
そこから相手の気持ちや事情を理解する意味になり、さらに相手に応じて手加減/配慮する意味となった。
人間生きていく上でいろいろしがらみがあって大変だ。
おっと、しがらみとは柵(さく)と書きます。我々は牧場の牛のように柵の中で生きているのです。
だが年金をもらう歳になれば、人間関係に気を遣わずに生きていける。あるいは偏屈であろうと名を馳せれば人間関係が悪くても仕事に困らない。特段独立しなくても、社内で何かの専門家としての地位を確立すれば、上司にペコペコしないとか、人付き合いが悪くても困らない。今の時代、コーデネイトしかできない管理者よりも、職階は平でも専門家のほうが価値がある。
老人になると偏屈になるとか、独善的になるとかいうが、そうなる立派な理由がある。老人になると頭が固くなるとか、ボケはじめで融通が利かなくなったのではない。他人に意見を合わせなくても困らないし、妥協しなくても生きていけるからだ。ましてこれからの人生がせいぜい10年とか15年なら、トラブルを避けるために相手に譲歩するより、本音を語ったほうが己のフラストレーションが小さいならそれを選ぶだろう。
老いては子に従えとは、老人より子のほうが賢いということではない。老いては物理的にも経済的にも力がないから、子の言うことに従わないと生きていけなかった時代の処世訓だ。力があれば子の語ることなど聞く必要がない。
「老人の特権は偏見」であるが、そう言えるにはそれなりの力がいる。
と書いてきて私自身もそれを行動規範とするようになったことを思い出す。
もう数年前だが、フェイスブックにメッセージが来た。発信者は30年以上前の同僚だった。内容はフェイスブックでお名前を拝見した、ぜひお付き合いを復活しましょうという趣旨だった。
年賀状のやり取りもなく、長きの間、思い出すこともなかった方である。その方と特段、争ったとかの愛憎はないが、今更何を語るのかと思った。二人で何度か飲んだことはあるが、特段深い付き合いでもなく、家族ぐるみで会ったこともない。お互いの人生が、あるとき交差した、あるいは数年並行したというだけだ。30年経ってお互いの近況を知ることに意味があるのか? 助け合うとか研鑽しあうという必要があるのか?
それに交際を再開といっても、だいぶ離れた所に住んでおり、死ぬまでに会うか会わないか分からない。酒を飲んで昔話をしても1回で話が尽きてしまう。
ひょっとして借金でも申し込みたかったのかもしれない。
冷たいようだけど、「今更……」とお断りした。
マンションの会合で議論したことがある。その後、あるご老人がそのときの論敵(?)と私の仲を取り持とうと、三人で飲みましょうと言ってきた。
飲む理由が分からない。お互いに相手の人格攻撃をしたわけではない。施策について是非を論じただけであり、そのメリット・デメリットについての見解が一致しなかっただけだ。
別に飲む理由がありませんと断った。
あのご老人はなにがしたかったのだろう? 仲たがいした人たちを取り持った俺偉い!と叫びたかったのか?
おっと、私は義理堅いほうだ。相手の知識や人脈を利用したら捨てるなんてことはしたことがない。下品な言い方をすればギブアンドテイクであり、上品に言えばお互いに切磋琢磨する関係であったと思う。
30代末、当時働いていた会社では、藤圭子ではないが私の人生真っ暗だった
その10年後、仕事を変わり運が回ってきたと思えた。そのときは私がどん底だったとき励ましてくれた方々を探して直接お会いして感謝申し上げた。「今私があるのはあなたのおかげです
残念ながら転職されて見つからなかった人もいたけど、心の中でいつも感謝している。
もちろんそうでない人もいた。
そやつは私より五つ上だったが、その部下だった人が私の部下に異動になった。ところが来てすぐに判明したのは、異動してきた人はウツだったのだ。そして異動後すぐに休職してしまった。数か月に一度くらい出社してくるのだが半月も経たずにまた休職することを繰り返し、結局退職した。
それを異動前の部門の管理者が私のせいでウツになった。前職場では問題がなかったと社内に吹聴した。イヤイヤ、私の職場で仕事をする前に休職しましたけど。
前職場の管理者はその後もいろいろ私にケチをつけてきたが、いったいなんだったのだろう。自分の責任を転嫁しようとしたのだろうか? まあ古い話だ。
私は感謝も忘れないが、そういう輩も忘れない。
老人クラブというものがある。高齢になると行動範囲も狭くなり、また世の中の情報にも疎くなる。そういうことで親睦とか体力維持あるいは情報交換などが目的という。
確かにそう言われると、あるべきもの、必要なものかもしれない。
だけど現実の老人クラブを見れば、運営側になって頑張る人はボケ防止になるだろうし、その活動が生きがいかもしれない。参加するほうはあまりその必要性を感じてもいないようだし、そもそも参加したいとか有用だと考えていないんじゃないか?
老人は孤高とは言わないが、群れることなく己の好きなように生きるべきだ。老人クラブに入っていても、倒れたとき救急車を呼んでくれるわけでなく、介護するわけでなく、じゃあなんだということになる。
人間開き直って、独善で生きると宣言したほうが精神衛生上よろしいのではないか。
よく頑固おやじなんて言われる老人がいる。悪さしている子供がいれば叱り、吸殻を捨てる若者がいれば注意する。傍目にはあんなこと言うと嫌われる、親に憎まれる、余計なことをするのはバカ、そう思われるだろう。
だが、ちょっと待ってほしい(朝日新聞の定型句である)、人間はバカ(愚直)で良いのではないか、自分の心に正直に生きるべきではないのか、斟酌なんて忘れてよいのではないか?
実は私は日常言いたい放題語っている。家内はもう私の行動に慣れたのか、諦めたのか、私の言動を注意などしない。
いや私は当たり前のことを語っているつもりだ。
私の住んでいるマンションの建屋内は、自転車乗り禁止、スケートボード禁止である。
マンションには大きな自転車置き場はあるが、高級な自転車や子供用の自転車は自宅に置人も多い。だがエレベーターまで自転車を押していくのでなく通路を乗っていく子供も大人もいる。スケートボードなどで通路を疾走する子供たちも多い。
万が一、人にぶつかって怪我でもさせたら大ごとだ。困るのは本人であり加害者が子供なら親である。そんなこと考えてないだろうけど…
注:自転車による事故死者数は毎年550〜650名ほど出ている。これは交通事故の全死者数の15%になる。自動二輪車と原付の事故の死者数を合わせたものにほぼ等しい。
マンションの屋内通路で死亡事故など出さないでほしい。
中庭で建屋を背にしてキャッチボールをしたら、後逸すればガラスが割れるだろう。エントランスやロビーの大きなガラスなら、1枚何十万もする。子供の小遣いでは払えないだろう。親なら……大丈夫か?
おっと怪我人でも出れば……
エレベーターに何人も乗っているのに、小学校低学年の子がいたずらで外側のボタンを何度も押している。そのたびにエレベーターのドアが開き、エレベーターは動かない。中の人はヤレヤレという顔をして黙っている。その子供の母親がそばで他の母親と話している。
私が子供にボタンを押すなというと、そのバカ親は私を睨んで子供を抱きしめた。母性があるなら放牧しないでしっかり躾けろ。
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私は世のため人のために注意しているつもりだ。バカ者はそれがわからない。
今思いついた。これからの生きがいは頑固爺を実践しよう。世のため人のために、
続ければ、頑固爺道を確立できるかもしれん。
本日のお断り
独善とか偏見といっても、間違ったことを強要するのではない。いろいろな考えがありそれぞれ正否がつかないことであるなら、自分が信じることを主張してもよいということだ。
飲もうよと言われて、行きたくなければ止めとくと言えばよい。土曜日ゴルフどうと言われたら、家庭サービスと言えばよい。東京○区の○○を頼むよと言われたら、俺は対立候補支持だと言えばよい。正直でいいじゃないか、
お愛想も義理も捨てよう、老人は先が短いのだ。取り繕ってはいられん(笑)
本日白状すること
実を言いまして、歳に関係なく行動規範とか価値観は変わるはずがないと思っていたのは事実です。しかし前回そんなことを書いてから、そういえば……と振り返るといろいろと思い出し……
自分も変わったのだと実感しました。
まあ、ここは「男子三日会わずば刮目してみよ
私はこんなこと人生訓とかでなく、ISOMS規格をひたすら読むことで理解しました。人を動かすことそれはマネジメントであり、誰が上になっても下になっても同じように機能する仕組みがマネジメントシステムそのものです。
そして規格の序文には、組織が永続するためにはしっかりしたマネジメントシステムを持たねばならないと記してある。ということはこの組織はリーダー一代限りだ、親方が斃れれば消滅するのだというなら、マネジメントシステムなど備えなくても良いのだ。
注1 |
「淋しいアメリカ人」、桐島洋子、文藝春秋 1971 ![]() ■2022年6月14日追加 読売新聞(2022.06.13)の記事に桐島洋子さんが認知症となっていたことが記されていた。記事によると2016年に認知症を発症したとある。 執筆中だった本「ペガサスの記憶」はお子さんたち……といっても私と同年代だが……が引き継いで脱稿し出版するという。 皆年を取れば体が不自由になったり、知能も衰えるのは生き物の宿命でありしかたない。 桐島洋子さん、たくさんのためになるお話、面白いお話をありがとうございました。 あなたと同時代に生きた幸運に感謝します。 これからもお元気に、お幸せに、 書名 「ペガサスの記憶」桐島 洋子・桐島 かれん・桐島ノエル他、小学館、2023 ![]() | |
注2 |
「淋しいアメリカ人」p.120 なにせ50年前に読んだことだから、正確な言い回しを確認するため図書館から借りて再読した。 ![]() | |
注3 |
「夢は夜開く」、作詞 石坂まさを、作曲 曽根幸明、歌手 藤圭子、1970年のヒット曲。 歌詞に「15,16,17と、私の人生暗かった」とある。 ![]() | |
注4 |
板垣退助が坂本竜馬の親族に「今私があるのはあのお方のおかげです」と語ったパクリ。 ![]() | |
注5 |
この出典は三国志演義だそうです。初めて知りました。 ![]() | |
注6 |
「コンシェルジュ」、いしぜきひでゆき・藤栄道彦、新潮社、2010 21巻、p.173登場人物 藤原貴梨花のセリフ ![]() |
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