「拉致と核と餓死の国 北朝鮮」 萩原 遼 著

出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
文藝春秋 4-16-660306-X 2003/3680全1巻

本屋でタイトルに「北朝鮮」とか「拉致」とついている本を見かけると必ず手にとり斜め読みしております。この本も電車の時間待ちの本屋で見かけました。
北朝鮮の極悪非道を責めておりますが、若干ニュアンスが異なります。
といいますのは著者は筋金入りの共産主義者であり、共産党を離れてもその信念はいささかも揺るいでいません。
萩原氏は私より10歳年上で共産主義は正義というイメージがあった頃に少年期を過ごしたわけです。さらに親が共産主義であったという刷り込みもあるのでしょう。

昔でさえ10年一昔といわれたのですから、萩原氏の青少年期を私が知るわけはなく、いずれの時代にも己の信じる道を精一杯生きた方を論評することは許されることではありません。
萩原氏にとっては太平洋戦争、朝鮮戦争が進行しているその時代に少年時代、青年時代をすごしています。私が朝鮮戦争の前に生まれたといっても戦争自体を体験していないことは現代の若者と同じです。
ベトナム戦争といっても日本が戦場になったわけではありません。べ平連や過激派が街頭で大騒ぎをしたくらいです。

この本を読みまして、拉致問題ではなくいろいろなことを思いました。
  • この方は本当に純粋な方です。
    詩を書き、歌を詠み、共産主義を称える歌を歌う。
    北朝鮮帰国運動もすばらしい事業と信じていた。
    私は自由主義を支持するが、それを詩に書いたり称える歌を歌うなんて恥ずかしくてできません。
    なぜ、昔はこのような純粋な人たちが共産主義を信じたのでしょうか?
    世の中が暗かったのでしょうか?日本が八方ふさがりのひどい状況だったのでしょうか?
    自由主義に魅力がなかったのでしょうか?
    共産主義が遠くにあって実態を知らなかったからでしょうか?

  • なぜ北朝鮮の実態を知らなかったのか?
    著者は拉致を許せないと語る。そして北朝鮮が悪だと知ったのは90年ころだと言う。
    ご本人は共産党に在籍していた。それも赤旗の記者として北朝鮮に駐在していたのです。一般大衆でなくそういった人々が実態を知らずに中央からの指示で動いているだけなのだろうか?
    情報は管理されているのか?個人の考えはないのか?もしそうだというなら全体主義そのものだ。
    今現在の社民党や共産党の体質はどうなんでしょうか?
    自民党には内紛が絶えませんが、共産党、社民党には内紛がないようです。
    全体主義なのでしょうか?
    謎 同志たちは以心伝心で議論は不要なのでしょうか?

    ところでいわゆる市民団体はどうなのでしょう?
    個人個人が自由意志を主張することができるのでしょうか?
    執行部の考えに賛成を叫び、ただ従うだけならそれは・・・・

  • ソ連が崩壊してもう10年もたちました。
    かって社会主義国だったところはみな新しい国家体制で新規まき直しで発展を目指しています。なぜ、日本にはいまもなお社会主義を信じる人がいて、社会主義政党があるのでしょうか?
    現在の日本の社会に対する不満なのか?アメリカ支配の世界に対する反抗なのか?
    それとも反体制という組織での地位や特権という既得権を失いたくないからなのでしょうか?
    不満とは欲求と現実の差であるならば、社会主義者の求める要求水準はきわめて高いものであると言わざるを得ない。
    そのような期待に応える社会は世界中探しても見つからないだろう。

昔、純粋な人たちがなぜ共産主義になびいたのか?なぜ北朝鮮を善と信じたのか、今なお社会主義を支持する人たちは何を考えているのか?そういったことを考えさせてくれるという点でこの本をあげました。

彼は正義か? 今なお北朝鮮をかばい支持する人たちとその運動というのはいったいなにを目的にしているのか?
闇が深まるばかりである。



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