「誰か戦前を知らないか」山本夏彦 著

出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
文芸春秋 4-16-660064-B 1998/10/20690全1巻

電車の中つりの「ビッグコミックスピリッツ」の広告に「80年代に戻ろう(Back to the 80's)未来が輝いて見えた時代」とありました。
知らない方へ・・・ビッグコミックスピリッツって漫画雑誌です。

未来が輝いていた時代!? へえ、80年代ってそうだったんですか?知りませんでした。
私にとっては80年代って未来が光り輝いていたとは思ってませんでしたね、  誰が見てそう感じたのでしょうかね?
    しかし似たようなフレーズをたくさん思い出します。
  • ゴールデンフィフィティーズ
    アメリカ人にとっても日本人にとってもこれは間違いなくゴールデンだったのでしょう。
    何年も続いた戦争が終わった。日々、科学技術は発展する。明日は今日より、あさっては明日より良い・・・・と感じてもおかしくない・・・・と私は思う。

  • 高度成長の60年代
    確かに公害はあったがそれは全国規模の問題ではない。
    国民の所得は伸び続け、「もはや戦後ではない」も既に過去の言葉
    明日は今日よりよいと感じたのではなく、現実に種々統計データが良くなった。国民所得、平均寿命、米の作量などなど
    毎年の米の取れ高が国民的重大関心事だった時代を君は知っているか?
    不作の年は現在の為替相場以上に国内の景気に影響したんですよ。
    60年代、社会は大混乱だった。いえ混乱状態を作らんとしたのは左派政党やそれが扇動した学生や一部組合幹部だった。大多数の国民はこれら連中が行ったテロ、デモ、不法占拠に多大な迷惑を受けた。
    文芸新書
    064


    誰か「戦前」を知らないか
    夏彦迷惑問答

    山本夏彦











    文芸春秋


    あなたは忘れてしまっただろうか?

  • 70年代はどうだったのだろうか?
    そりゃあ、立場や見方によってさまざまだろう。
    ドルショック、ニクソンショック、オイルショック・・・ショックばかり受けていたらそれはもはやショックではない・・・なんてね
    過激派・赤軍派のテロはほぼ一掃され日本には平和が訪れた。
    国民所得は伸び続け、外貨準備も増えたおかげで外貨交換が500ドルという制限もなくなり日本人は自由に海外旅行に出かけることができるようになった。
    自動車を持つ人は増え続け、大勢の人たちが免許をとるようになった。当時は新たに免許が取得できる年齢になった人だけでなく、既に成人になった人たちが大勢自動車学校に通った時代で自動車学校にとっては最高の時代だったろう。

  • あなたは子供時代を覚えていますか?
    夏休みにせみを取ったりプールに行ったり、子供会の行事とか、地元の祭で友達同士で浴衣を着て夜店で遊んだことなどを思い出すかもしれない。
    あるいは学校で怒られたり、親に叩かれたり、近所の悪童にたかられたり、親に言えないようなことも多々やったはずだ。
    でも大人になった今、子供時代を振り返るとすべてが美化され苦しいことはなかったように感じるのではないか?
    それはまったくの勘違いなのだが・・・・・

  • 「死んだ人には勝てない」という言葉もある。
    初出は知らないが、我がいとしき高橋留美子の「めぞん一刻」の音無響子さんの亡き夫惣太郎さんへの思いを五代裕作が嘆く言葉であります。
    三角関係であれば私を振り向いてほしいということができても、過去の人との比較では今生きている人が負けるのは必定のようです。
人間の記憶というのは非常にあいまいであり信頼性に欠けるものです。
記憶は銀塩写真と同じく時間とともにフォーカスが甘くなり、コントラストが薄れていく。しかしそれだけでなく何事も美しく、楽しいこと感動したことは強調され、悲しさ苦しさはかすんでしまう。
それは苦しさを紛らわすためにDNAに備わっているものなのかもしれない。


話はやっとこの本の話になる。
山本夏彦さんは平成14年10月23日お亡くなりになった。まあ山本さんの本って早い話が一家言あるご隠居さんの言いたい放題なんだが・・・・
戦前はこうだった、ああだったと若いといっても私くらいの人を相手に語ったお話である。
個々の内容はどうでもいい。

私がこの本を読んで感じたのは、過去を正確に記憶しておくことは不可能に近いということだ。
戦後生まれが戦前を知らないのは当たり前。
しかし問題なのは自分の子供時代さえ忘れてしまっていること。
アジテーション(扇動)や偏った報道を聞いても、自分の経験・人生に重ねればおかしいかおかしくないかってことに気がつきますよ。
水道水が危ない!
へえ、私の子供の頃は満足に水道もなく井戸水で毎年のように赤痢や疫痢になる同級生がいて、死んだ子もいる。水道水を飲んで死んだ人の話は聞いたことがない。あの時代に比べれば非常に安全になったような気がするのだが?

ダイオキシンが危ない!
ダイオキシンが最高濃度だったのは70年頃(益永茂樹)だそうで2000年時点の濃度は最高時の半分かそれ以下、今さら大騒ぎしなくともよろしいようです。
50年代のことですが私の子供時代はかっぱらってきた芋を畑で焼いて黒焦げのものを食べていていまだに生きており、かつ正常な子供もできたのだから環境ホルモンの影響も受けなかったようだ 



過去を美化しようと事実と違った歴史を信じようと、思うのは勝手、
でも本当はどうだったのだろうか?
真実は変えられないと私は信じる。


本当に昔が良かったと信じておられる方がいたらぜひその具体例をあげてほしい。
一緒に検討しましょう。
ちなみに私の家内に「いつが一番良かったか?」と聞くと「今が一番いい」と応えます。
今日あるのは昨日の結果じゃありませんか。それが年輪というものです。
昨日が良かった、若いときに返りたいと思うなら・・・・なんと悲しい人生ではありませんか。



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