「売文業者たちの戦後責任」 若槻泰雄good better

出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
原書房 4-562-02923-4 1997/04/282000全1巻

重い本である。
いえ厚さが4センチあるとか重さが220グラムあるとかそういうわけじゃありません。
読むのが疲れるといいましょうか、陰鬱にさせる本です。
楽しく読める本ではないことは保証します。
私は青少年時代、この若槻泰雄さんの書いた本を相当読んだ。60年代というのは海外旅行なんて一般庶民には考えられない時代だった。でも外国はどんなところだろうという好奇心は現代の若者に劣ることはなかった。
オヤジたちの年代の人はむしろ外国に行ったという人がほとんどだった。満州開拓に行っていた、シベリアに抑留されていた、朝鮮の大学を出た、シャムに戦争に行っていた、グアムで横井さんと同じ部隊だったなんて人は珍しくなかったのだから、
外国に行くことがかなわなければ、せめて外国というものはどんなものか知りたかった。
「兼高かおる」の世界の旅なんてうそ臭かった。旅行記なんてわけの分からないものも手当たりしだい読んだ。北杜夫の「ドクトルまんぼう航海記」から小田実の「何でも見てやろう」とか、とにかくなんでも読んでいた。それらをひたすら読んで、外国というのを想像していたのであった。
深田祐介のような知的好奇心を満たしてくれる本がでるのはずっと後のことである。
そんな中でこれは本物だと感じたのが若槻泰雄氏の本であった。なにしろ海外移住事業団(現:国際協力事業団)の職員として海外に移民を率いて行った出来事を書いたものだったから、
さて、本屋で表題を見て、売文業者というからには評論家などをこきおろした本かな?と思い何気なく買いました。
出張に二度持参して二度読み返しましたが、やはり重い本です。しこりのような感じといいましょうか・・・・
本の内容は売文業者とはあまり関係ありません。もちろん受け取り方ですが・・・・
この本は日本国憲法について論じています。

彼の主張を簡単に言えば、日本国憲法は改正しなければならない。その最大の改正のポイントは第一章の廃止である。第二章は第一章とセットになっており、第一章が変れば自動的に変るものであるという考えです。

まず、著者は日本国憲法の存在意義を否定する。存在価値ではない。
日本国憲法とは内容に関わらず戦勝国の押し付けに他ならずいま有効であるはずがないと断じる。そしてその憲法を現状維持しようとする護憲という運動は共産主義諸国に利するためのものであり、今は主義の根幹を失ったがそのエセ平和主義だけは心情に快く響くことから日本に定着している悪であると断じている。
ところが、彼の論はまた思いがけない方向に転じる。
日本人と日本は戦争責任を取っていない。アジアから世界から信頼されず嫌われているのはそのせいであると論を続ける。日本は中国・韓国・北朝鮮をはじめとして世界に謝罪し戦後責任を清算しなければならないそうだ。
その清算とは天皇を廃止することであると結論付ける。

司馬遼太郎が彼の考えを構築したのは戦車兵だったからという説がある。
日本の吹けば飛ぶような軽戦車に乗って、アメリカ軍の重戦車に立ち向かうと虚無感というか、戦意など持てずにこの状況に自分をおいた為政者、上官、そして天皇を恨むしかないということだろうか?
サイパン
写真で見たことがあるがほんとうに薄い鉄板でできた戦車だったようだ。そんなのに乗って、アメリカ軍の戦車に向かうのは悲壮を通り越して喜劇なのかもしれない。乗員は運命を恨むしかない。
しかし、その原因は工業の水準であろうし、その国力で戦争を起こした政治家にさかのぼる。
軍部が戦争を始めたとは誰もが語るが、軍人が力を持ったのは政治家のせいであるという論を聞いたことがない。


若槻氏は1924年中国生まれで現地で応召し戦い、そして敗戦を迎えている。そういった経歴からして自分の運命は天皇の罪、天皇制の罪であると信じるに至ったことは当然なのであろう。
だから彼が日本は戦後責任を取っていない、贖罪は済んでいないということは、アジアあるいは中国に対してではなく天皇が彼個人に対して、そして同じ運命にあった日本人に対して責任を取っていないということなのだろう。

しかし、
若槻氏は日本は天皇制を廃して中国に謝罪せよ!韓国に謝罪せよ!アメリカに謝罪せよと叫ぶが、中国は正義なのか?韓国は正義なのか?アメリカは正義なのか?
彼はそれには言及しない。
いや私は単に相対化するためにいうのではない。現に中国がベトナムやチベットあるいは過去にソ連と戦火を交えたという事実を著者はどう評価するのだろうか?
日本は戦後責任をとって天皇を廃止すれば中国は明日から友好国になり、日本の安全保障は安泰だとでもお考えなのだろうか??
ひたすら護憲と叫ぶしか能がない護憲主義者と同じく、若槻氏もまた観念的日本原罪説に囚われていると私は確信する。あるいは前述したように自分にとっての戦争責任を取っていないことに対する屈折した抗議なのか?
日本は戦争をしませんと宣言し、世界中にひざまずけば戦争は二度と起こらないのか?
そんなことはない!

イスラエルとパレスチナ、イラクとイラン、アフガニスタンとソ連、ベトナムそういった戦争に日本の責任はないということに護憲論者も同意されるであろう。
自らが戦争をしないと宣言し、武器を捨てても戦争は起こる。むしろ武装解除した国はいっそう攻め込まれる可能性が高いであろう。
戦争責任はまだとっていないというのは正しいのだろう。なにより彼が語るように戦後生まれの世代(それには私も入る)人々が中国から韓国から謝罪を求められている現実を見れば明らかである。しかしそれは天皇を廃せばよいというのではなかろう。断固たる外交姿勢を示さなかった戦後の政治家の意気地のない行動がもたらした。それはまさに国民に対する戦争責任を果たしていないのである。
若槻氏に疑問を感じるのは他にもある。
quest.gif 彼はドイツはナチスを悪だと断じてそれと決別した。そして戦後賠償もしている。だから贖罪は済んでいて日本とは大きく異なると論じている。
これは事実誤認というしかない。
私に言わせればナチスに罪をかぶせて一般ドイツ人自身は免罪してもらおうとしたのではないか?
また戦後賠償については言うまでもない。それは事実と異なる。
彼もまた、外国は正しい日本は悪いという自虐史観そのものではないのか?
もちろん、
若槻氏は私が論戦を挑めるようなお方ではなく、その生い立ち、業績ともいわゆる護憲派とか巷の評論家とは一線を画する方である。
しかしながら、人は自分の人生から価値観が確立し、決してそれを超えることができないのではないかとだけ申し上げておこう。


しかし、なんですね、 大勢の憲法学者、政治家、法制局、評論家、思想家が語る憲法論とは結局この市井のサラリーマンが考えていることと大して変るものじゃないということは間違いなさそうである。
ならば、私も遠慮せずに自論を語っても良いというわけだ  



私は考える。
日本という国家・日本人が安心して生活でき、国際的にも評価される、まさしく現状の日本国憲法前文のような地位を占めたいということを、
そのためには、
護憲を叫ぶことではないし、天皇制を廃止することが前提でもなかろうと






2005.03.16
若槻氏のウェブサイトへのリンクを外しました。

以前、若槻氏の教え子様と名乗るお方から、ご推薦を頂きリンクしておりました。
もとより若槻さんを尊敬はいたしておりましたが、その主張には同意いたしかねるとこるもありました。
最近の氏の論文は論理というより怨念というべきか、理解不能と考えましてリンクから外しました。
私の判断が正しいか否か、ぜひご確認ください。


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