出版社 ISBN 初版 定価(入手時) 巻数 文藝春秋 4-16-660019-2 1998/12 690 全2巻
戦争はただ名射手や名パイロットがいればいいわけじゃない。あるいは最新兵器があればいいわけじゃない。戦争は学問である。科学ではないが技術である。
この本はこの学問の概要を基礎から教えてくれる。第一巻は古代から中世までの戦争・戦闘をとりあげて解説し、第二巻は近世から現代の戦争を論じる。
それにつけてもクラウゼビッツは天才である。戦争は政治の延長であり、戦略、戦術は政治・外交と切っても切れない。斜民党の方、平和主義の方には無縁の本であろうが平和を維持するにはそれこそ軍備を伴った戦略によって裏づけされるということを知ってほしいもの、、
この本には参考になることがだくさん書いてある。
「好戦的指導者だというレッテルは敗者に貼られるが、勝者は外交の失敗を認めないから勝者にこのレッテルは貼られることはない。一方敗軍の将は戦争をはじめた責任まで背負うことになる。だから通常、軍人は開戦に反対するのが歴史の通例である。」ほうほう、通例は思い込みとは違うんですね。
軍備は国家の保険である。「百年兵を養うは、ただこの日のため」あなた、決して起きないだろうと自動車保険に入りませんか?
「激戦による敗北は不名誉ではないが、奇襲による敗北は万死に値する」
おおっ、こんな言葉も引用されている。「多くの平和主義者の心の中に激しい好戦的要素をしばしば見て驚かされる。」日本の平和主義者にも見られます。リアル・ハート(英国の戦略家)
平和主義者にぜひ聞かせたい言葉としては、、「話しがつかないときは戦うしか方法がないと素直に認める勇気が必要である。」話し合いは必要ですが、その手に最後の手段を持っていないと足元を見られますよ。
また必要なのは大胆な指揮官であると言っている。日本にもすごい指揮官・参謀はいたんだ。秋山真之、児玉源太郎、源田実、今いるのか?
あまり引用すると著者から売れなくなるとクレームがつくといけません。だまされたと思ってぜひ読んでください。上下合わせてたった1300円ですよ。
戦争学・新戦争学の続きがあります。 知っていたらすみませんが、「名将たちの戦争学」という本です。 格言や名言を引用して、戦略・戦術の真髄と実際的効用を説き明かす。 と言った感じの内容です。 格言・名言を引用すると、 「冷静な平和主義者であろうとするなら、新しい格言を基礎の置くべきである。それが君が平和を望むなら、戦争を理解せよということだ」(リデル・ハート) ※推薦する本のペ−ジで見つけてみてみたら、(リデル・ハート)が、(リアル・ハート)となっていましたが、(リデル・ハート)の方が正しいようです。 もう一つ 予期しないことと、予期したくないことが起こる、と予期するようにせよ」 これはよく言う、「最悪の事態に備えない将は敗れる」と意味は多少似ていると思います。 是非買ってみてください。 |
岳飛様 アドバイスありがとうございます。
リデル・ハート修正しておきました。
最近、というよりだいぶ前から考えていることがあります。
戦争学というのは非常に大事と思いますが、もっと大事なのは戦略ということだと思います。ところが戦略ということについての本はまずありません。
戦略と銘打っている本のほとんどは、戦術レベルです。
その筋の方にお聞きしたことがありますが、本当の戦略論は表に出ないとか
一般市民は戦争学とか戦術論は専門家に任せておけばよいのではないか? 戦略とはすなわち政治、そういうレベルこそ一般市民が理解して政治行動に反映しなければならないのではないかと思うのです。
しかし日本では戦術、戦略に関わらず、『戦』という漢字がつくのは忌み嫌われるだけのようです。
おかしなことだと思いませんか?
確かに戦略は表に出ませんね 戦略と言うと一般的に国家戦略と軍事戦略がありますが、国家戦略は政治家と軍上層部が 話し合うのが一番だと思います。 国家戦略と言うのは、周辺諸国と自国の状況によって自国に出来る範囲の周辺諸国に負けない為の国家戦略を立てていくため、国家戦略が国民やメディアにばれてしまうと、周辺諸国はスパイを放っていますから(スパイを放つのは当然のことです)当然、周辺諸国にはこちらの考えていることや、実情が察知されてしまう。 もし政府きちんと立てていたとしても国家機密扱いかと。 なので、戦略が国民に知られると言うことは、逆に自分は致命的なことだと思います。 軍事戦略についても同様です。 これは、考えてみると、ごく当たり前ですが、出来ればあまり知られたくないことですね。 自己中心的な人が何の考えもなしに、周りとずれた事をやるのと同じで、自分の国の実情だけでは(それすら分かっていないよりはましですが)、戦略は成り立ちません。自己満足の世界です。 なのでスパイが必要なのです。 会話と同じです。会話なら外交があると言うかも知れませんが、外交の基本は「笑いの内に刀あり」と言って軍事力がものをいいます、なので腹を割った会話と言うのがスパイです。 と言うのが自分の意見です。 疑問点あったらどうぞ。 スパイが腹を割った話し合いのようなものだと言いましたが、情報操作の上手いものでも許せない者が居ます。 それは毛沢東です。 ちなみに参考にした本は『マオ 誰も知らなかった毛沢東」です。 毛沢東は記者が来ると偉いことをいったり、嘘を言ったりして、自分に有利な記事を書かせ、そして勇士ある若者が入隊してきますと、当然嘘ばかりなので、逃げようとします。 その脱走兵を捕まえて拷問します。それも一晩中。 その悲鳴を聞いた、他の兵士たちはもう逃げれません。 そんな事を繰り返し、ロシア(ソ連)のおかげで勝ち残っています。 それが許せません。 これは個人的な意見でが本来は仕方の無いことですが、毛沢東軍を打ち破る前に負けた日本も許せません。 自分は「信」と言う言葉が好きで、将軍に必要な才能は多々ありますが、最も必要なのが「信」・「才」・「努力jだと思っているくらいなので。 毛沢東の話を聞くと、反吐が出るようになりました。 一応毛沢東まで学びますが、毛沢東の創った中国も許せません。 半日騒動など無くとも中国・朝鮮はもともと嫌いです。 一部の人ですがやることが汚いので。 信のない国は嫌いです。 個人的な愚痴のようなものですみません。 自分も受験勉強があるのですが、あまり高い大学を目指していない馬鹿なので理由もありまして前に言った言葉に注解を付けておきます。 「周りが馬鹿だったから・・・」と言いましたが、正確には「周りが本気でいじ、心配はなさらないでください。 そんなめをする覚悟が無かったから」です。 中途半端に面白いからいじめをやったのでは自分を陥れることはできないと言う意味で言いました。 自分の才能を買い被っている訳ではありません。 勘違いしていたらすみません。 いじめを克服したと言うより、自分は相手が自分をいじめる事が出来ない様に、策略を以って、嘘と真実で身を守るため壁を作っていったと言うのが大体のやっていた事なので、大そうな事をしていじめを克服したわけでは無いです。 要するに、世論を味方に付けただけです。 佐為さま 大そうな事をしたと思って、真面目に話してくれたのなら、違いますから、自分の意見に期待なさらないでください。 本題に入ります。 戦争やそれが正しいかなどの個人的な意見はありますが、あまり議論には参加しないようにさせていただきます。 個人的には、佐為さまともう少し戦争の話がしてみたいかなと・・・(そういうサイトではないのは分かっていますが)。 それで慣れてきたら参加していきたいなと思います。 一度、模擬情報合戦と言うか勢力闘争と言うか、そんな事を経験しているため、孫子の基本的な理解なら、多少は経験から理解できていると思います。 リデル・ハートも孫子の研究をしていて、戦争論の一部?否定をしていたと「名将たちの戦争学」で読みました。一度読んでみると、「孫子」のよさがわかるかもしれませんよ。まだ読んでいないのなら、是非読んで見て見てみてください。 「日本人としての誇りとは・・・」 自分なりに考えてみました。 まず、基礎となる言葉は「信」と言う言葉だと思います。 中学のときに学校で歴史か道徳の時間だったと思いますが、百姓一揆と言う物語を読まされました。 内容はよくある、飢饉で米が採れず、税が支払えないので、税を減らしてもらえるように、政府に申し立て(一揆を起こす)をして、途中省略、最後に首謀者と思われる者が選ばれ首を切り落とされ街のどこかにさらし首にされると言うものです。 ここで信と言う言葉の意味がが理解できた人は日本の文化を理解していると言うことだと思います。 ヒントは漫画のワンピース・ナルト・ドラゴンボールZ(シャーマンキング「やったらやりかうえされる」)の名シーンにはかならず出てくる言葉が絡んできます。 もう自分のお便りのページを見れば分かると思います。 来週には自分が何でそう思ったのか、発表します。 戦争が善か悪かこれで気が付けない人は日本人ですか? 分からなかったら読んで見るといいと思います。 「軍事的に弱体な国が強力な軍事力の国家に隣り合わせると、戦争は避けられない」 自分の言葉で言えば「戦争は悪でも善でもない、必然だ」。 と言ったところです。 ちなみに自分は戦争は好きではありませんが、必要な戦争もあると思い知らされました。 はっきり言って、そうでなければ読書なんてしていません。 |
岳飛様 毎度ありがとうございます。
毛沢東が偉大かそうでないか?は主観的なものでしょう。誰がなんと言おうと、中国をまとめたということは孫文も蒋介石にもできなかったことです。
時代が異なれば要求される要件は異なります。徳川家康や始皇帝を現在の価値観、倫理観では評価できるはずはありません。
政略結婚がかわいそうだという理屈があるなら、現代の恋愛結婚を家族親族を見捨てて自分の欲望に生きるなんてという見方もあっておかしくない。
歴史に学ぶことは大事ですが、歴史は現代ではないということを認識することが必要です。
岳飛様は一度に思いを吐き出そうとしているようで話が多岐にわたり・・・いろいろなのですが
証拠をひとつひとつ確認しましょう。
そしてそれを積み上げていくという作業が考えるということだと思います。
百姓一揆と言う物語を読まされたとあります。それは真実だったのでしょうか?物語、フィクションだったのでしょうか?
首謀者と思われる者が選ばれ首を切り落とされ街のどこかにさらし首にされたというのは事実なのでしょうか?
いつの時代、どこの藩なのでしょうか?
単なるフィクションであるならば、考えるまでもありません。
信と言う言葉の意味がが理解できた人は日本の文化を理解しているのですか? それはどうしてそう言えるのでしょうか?
その前に、日本の文化とはいったいなんなのでしょうか?
いや、私の知らないことがたくさんあるようです。
岳飛様 ご自身が語ったのですからご自身は説明できるのでしょうね? 教えてください。
まず、道徳の時間に30ページほどの百姓一揆という軽い本を読ませられたのは真です。 フェクションか、真です。学校のものなので今は持っていない、真です。百姓一揆があった、真です。 詳しくはこちらを。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%A7%93%E4%B8%80%E6%8F%86 文化の意味は、ここでは「世の中が空け進んで生活水準が高まっていくこと」です。 ただし意味は通っていないと思います。最初は伝統と書きましたがおかしいかなと思って辞書で調べて文化と言う言葉を使ってみました。 あとは、どうやって「信」がつながったかですかね。 かん簡単に言いますと、飢饉によって食べ物が無い状態に追い詰められて、家族や、ここで漫画の言葉が入りますが、[つながり・キズナ]や「友」と言う言葉が入ります。 「家族・友・つながり」のために立ち上がり死ぬと分かって政府に立ち向かい、申し立てをするのですから、明らかに自分のためではありません。それが自分の信頼する守るべき者のためなのですから、つまり、信を持って信のために戦っていると言う意味で。その心は誇れると思っただけのことです。 他意はありません。 挑発にわざわざ乗っていただきこれから熱くなるところで申し訳ありませんが、パソコンが壊れ気味なので新しく買うまでの間、投降は控えます。 読んでいただきありがとうございました。 |
岳飛様 毎度ありがとうございます。
まずお互いにスタンスを再確認しましょう。
私たちはここで誰が正義かとか、嘘つきは誰かとか、犯人は誰だ?なんてことをしているわけではありません。
政治ばかりでなく、この世の中のいろいろなことに関して、いろいろな観点からみてどのようなことが考えられるかを語るところと考えています。
思考実験といってもいい
「万物は(この部分はなんでもいいのです)である。」という命題を提示して、それが正しいのか、違った見方ではどうなのかを語り合い、その結果、お互いが少し進歩すればよいと考えております。
白か黒かというものではありません。
そう深刻にならないで「ああ、その見方では詰まないか、じゃあ別の手を提案しよう」という意思表明を期待したいところです。
百姓一揆の件
江戸時代260年間に百姓一揆は3200件発生したそうです。さぞかし何万人も死者が出たことでしょう。 岳飛様がご提示されたものを調べてみました。あれえ!死者累々いっていうほどの大問題ではないようです。
年代 一揆の名称 死者 1608年(慶長13年) 山代慶長一揆 11 1637年(寛文) 天草一揆(島原の乱) 27000 1677年(延宝5年) 郡上一揆 14 1686年(貞享3年) 貞享騒動(加助騒動) 28 1761年(宝暦10年) 上田騒動 2 1768年(明和5年) 新潟明和騒動 2 1771年(明和8年) 虹の松原一揆 4 1786年(天明6年) 宿毛一揆 0 1793年(寛政5年) 武左衛門一揆 1 1814年(文化11年) 北越騒動 ? 1825年(文政8年) 赤蓑騒動 ? 1831年(天保2年) 長州藩天保一揆 3 1836年(天保7年) 甲斐一国騒動 ? 1856年(安政3年) 渋染一揆 1 1847年(弘化4年) 三閉伊一揆 1?
例外は島原の乱ですが、これは百姓一揆というより内乱でしょうね。一揆の中に含めるのはちと筋違いでしょう。
江戸時代、百姓が虐げられてしょっちゅう一揆がおき、大勢が死んだという表現にはチト抵抗があります。一揆が起きたことが江戸表に知れればお取りつぶしの可能性が大でしたから、どの藩でも百姓は生かさず殺さずの政治をしたのです。お間違えないように、殺さずですよ。
同時代、中国やヨーロッパで動乱でどのくらいの死者がでていたかを調べてみてください。
内容はよくある、飢饉で米が採れず、税が支払えないので、税を減らしてもらえるように、政府に申し立て(一揆を起こす)をして、途中省略、最後に首謀者と思われる者が選ばれ首を切り落とされ街のどこかにさらし首にされると言うものです。
まさに、これは唯物史観の宣伝としか思えませんね。
日本は昔より平和でおとなしい民族だったのですよ。関が原の闘いを近隣の百姓が弁当もちで見物に来ていたという話もあります。
同時に信とかきずなというのも、あまり神聖視しないほうがよさそうです。
要するに世の中ってそんなに異常なことはありません。特に日本では
のんびりと構えて、何か面白ことはないか? 別の見方はないのか? 裏づけはあるのか? と世の中斜めにみていくのがよさそうです。
もう少しここで修行をしていきませんか?
「信」という言葉が好きなのは孫子や司馬穰苴の司馬法を読んでの影響だと思います。 孫子で言えば、「合戦の命令が出た日には座っているものにはほほから涙が伝い、横になっているものは地面が涙で湿っている」、司馬法「戦いを以って戦いを止む」など。 戦争は敵にとっても見方にとってもそれだけ辛いものだと思っています。 日本人の価値観とは違うかもしれませんが。 自分の議論と言ったら曹操と劉備はどちらが器が大きいか、となってしまいますが・・・ こんなのでもいいんですか? |
岳飛様 毎度ありがとうございます。
正直いいまして「曹操と劉備はどちらが器が大きいか」なんて私はわかりません。
失礼ながら、私の論に戻させていただきます。
この世の中ではいろいろな主張が、学校では教えられ、マスゴミは報道します。それは無色透明ではなく、みな偏光がかかっておりそのまま信じてはならないのです。
一揆があった・・というのは事実だと思います。
しかしそれを封建制の悪であると語ることもあろうし、その圧制が現代も続いているのだと教えるのもあります。だから現政権を倒せと教えることも(教唆することも)あるのです。
他方、諸外国に比べて日本は封建制といっても貧富の差が少なかったし、暴動も少なく、死者も少なかったと教えることもできるし、日本に生まれてよかったと感じることもあるでしょう。
他の例をあげましょう。
1904年日露戦争の203高地で日本は6200名が戦死したそうです。これは乃木将軍の無能、参謀長伊地知幸介の稚拙な指揮のせいといわれています。本当かどうか私がわかるはずありません。
しかし調べれば1815年ワーテルローでは一日で死者40000人、1863年ゲチスバーグの戦いで両軍で45000人の戦死者がでたということを考えればいかがでしょう?
ものごとを相対化するということはある意味無味乾燥となるかもしれませんがそれが現実でもあります。
そしていろいろなことを知れば知るほど、考えれば考えるほど、ものごとを相対化するようになるでしょう。
私は戦史などあまり知りません。しかし岳飛様、中国ばかりが戦史の宝庫ではありません。ギリシアローマ時代以前から戦術は考えられており、そういったことを学ぶことはためになります。
世の中は「信」や「きずな」ばかりでは動いていません。
中世イギリスでは諸侯の間で戦いが起きたら、一族郎党が必ず敵味方に分かれて戦ったといいます。なぜかといいますと、どちらかが勝ってどちらかが負けるわけですが、必ず家名と血筋を残すためであったそうです。
世の中そのくらい覚悟を持ってしたたかに生きていかないといけないのです。
思想とか理念だけでは生きていけません。
さい様の議論にちゃちゃを入れて良いでしょうか、 203高地についてですが、これは死者の比率の問題ではないでしょうかロシア側の死者、及び乃木部隊全体に対する死者の割合を見て他の戦いと比べなければ実際の被害の「酷さ」は測れないのでは? とはいえ、203高地を含む旅順要塞は、本格的機関銃が初めて組織的に配備された当時世界最大の要塞だったため、ドイツ式の塹壕野戦方式を採用した明治政府だけでなく、当時のどの国家であろうと攻略にはそれだけの犠牲を出したであろうことは確かであろうとおもいます。その点で、乃木大将を批判する議論は根底からありえませんね。 と、余計なお世話だったかもしれません。ほんとに楽しい議論が出来て、ここ何週間か充実していました。またお盆休みに楽しいお話をしましょう。 |
ある高校生様 コメントありがとうございます。
被害のスコア比べという発想がちょっと好きになれません。敵を2人以上殺せば戦死しても良いなんてことはないですよね。無差別爆撃で死んだ人とお互いに訓練された兵士同士の戦いで死んだ人の悔しさは違うと思います。
私の言いたかったことは、戦争では大勢の人が死ぬという現実、そして日本は・・第二次大戦を含めて・・本当の大量死ということを経験していないということでした。
日本は太平洋戦争で600万死んだといわれてます。当時の人口の1割です。私はこれは少し過剰な見積もりと思いますが、大勢の方が亡くなったことに間違いありません。
しかしソ連は戦争ではなく1000万の国内粛清を行っています。中国は文化大革命で2500万から6000万が死んだといわれています。
そういう世界の現実をみれば日本はおだやかな国であり、峻烈な歴史を経験していないということです。
そういった歴史が、自分が戦争を仕掛けないと戦争は起きないんだという平和ボケを生み出したのかもしれません。