「韓国の暴走」  呉善花 goodbetterbest
出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
小学館 4-09-402477-82006/8/1560全1巻

日本人が外国に行って、日本のことを悪く言うと私はその人の人格を疑う。
最近、東大教授の和田春樹が韓国で、竹島(独島と呼んでいた)は韓国のものだと語っていた
man1.gif はたして彼が言うように「独島をまた侵奪できると勘違いしているのは小泉政権一派以外には日本国民の中にもほとんどいない」のか、あるいは「和田教授と同じ考えの人がほとんどいない」のかは興味あるところである。
少なくとも私の周囲には竹島(独島ではない)を取り戻そうという人間しかいないのだが・・・

この本の著者呉善花(オソンファ)さんは韓国人である。彼女が日本で韓国と同胞を批判することは同じレベルなのであろうか?
まあ、そこをどう考えるかは人それぞれであろう。
しかし比較の問題ではあるが、語っていることが歴史的に正しいか? 論理的に正しいかによって、自国を批判することが良い悪いではなく、その人が信用できるか、できないかが測れることは間違いない。
その観点で言えば、和田教授は信用できず、呉善花教授が信用できると私は考える。

しかし日本をけなし、歴史を改竄する東大教授の心は貧しいと断ずればそれまでであるが、自国を憂い目を覚ませと叫び続ける呉善花教授のお気持ちはいかがであろうか?
それを思うと私の方が苦しくなってくる。

かって・・・といってもそんな昔ではない・・・韓国は自由主義陣営の主要なメンバーであり、東アジアの共産主義の堤防であった。
陸から海から絶え間ない共産主義勢力の侵入があり、ときどき戦闘状態になることもあった。
北朝鮮は韓国首脳を殺そうとラングーンでは爆弾を仕掛け、航空機を爆破しようとした。韓国からは大勢のひとを拉致していったのである。
韓国はこのような北朝鮮、その共産主義と半世紀戦ってきたのである。
ところが最近は、航空機爆破は北朝鮮ではなく、韓国政府が起こそうとしたという報道がされているそうだ。
baikin1.gif 韓国男性は北朝鮮の美女軍団に心がメロメロになり、金正日は悪魔からステキな政治指導者に評価が180度変わったそうだ。
北朝鮮が核開発をすること、ミサイル開発することを歓迎する韓国人が多いという。
実際に06年の北朝鮮のミサイル発射のとき、韓国政府は日本が大騒ぎすることが北朝鮮を刺激して悪循環をもたらしていると語った。
本当なら一番騒がなければならないのは韓国と韓国政府ではないのか?

韓国がハンガンの奇跡を経験したのは60年代後半、韓国にとっても「もはや戦後ではない」と思ったに違いない。
☆☆☆日本の経済白書に「もはや戦後ではない」という語句が踊ったのは1956年(昭和31年)

造船は日本を抜き去り、自動車輸出もバンバンと進みました。
ソウルオリンピックは1988年、先進国のクラブであるOECDにも加盟しました。まさに順風満帆である。
そんな共産主義の堤防の役目を果たしていた韓国に共産主義国家の崩壊が与えた影響はある意味矛盾というか皮肉です。

なぜ韓国はこのように容共、北より、はちゃめちゃになってしまったのでしょうか?
2チャンネルで酋長と揶揄されている盧武鉉(ノムヒョン)大統領一人ではこんなふうにすることはできるはずがありません。韓国のマスメディアが左だったにしても、それだけではないでしょうね?
なぜ、どうして?
☆☆☆そこが私にはわかりません。

呉善花さんは、そこを淡々と説明する。
人がなにものかに出会ったとき、それをどのように受け止めるか、どのような感情を持つか、どのように反応するかは一様ではない。生い立ち、性格、そのときの健康、気分、経済他の条件によって異なるのは当然である。
結局、人間はその人生経験から脱却できないのと同じく、国家はその歴史から逃れることができないのだろう。
人は変われるし、変わらなければならない。国家も変われるし変わらなければならない。
しかし「(100年間で)変わったのは日本だけで、中国、ロシア、朝鮮はほとんど昔も今も同じ」(本書75ページ)
韓国が世界から孤立しているとみなすのは世界中であり、それを韓国人も感じている。
そして、そのリアクションがさらに孤立を深める方向にいってしまっているようだ。
6カ国協議で韓国は北朝鮮の味方になり、北朝鮮のミサイルでも北朝鮮のほうについた。これではアメリカも韓国を信用できないと思うしかないだろう。
最近、アメリカはF15Eを韓国に売却した。2008年までに40機を引き渡すという。イスラエルでさえF15を80機しか保有していない。これはどう理解すればいいのだろうか?
契約がずっと前だったからいいのか? ボーイング社の経営を考えたのか?
韓国はイージス艦も建造中である。はたしてアメリカがイージスシステムを売るか売らないかはまだ分からないようだが。
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もし、韓国が北朝鮮に吸収される、あるいは金正日治世下となった場合、F15やイージス艦はきわめて危険なものになることは間違いない。
☆☆☆『もし』と書いたが可能性は小さくない。
かって、イランが帝政時代に入手したF14を使いこなせなかったことがあるが、あれはイランが韓国より工業化が遅れていたいことと部品供給が途絶えてから長期間たっていたことが影響した。

神話と歴史の違いを理解できない国家、気に入らないことがあれば本当は違うんだと白昼夢を真実と信じる国民、自分が不遇なのは日本のせいだという責任転嫁、空想上の従軍慰安婦の謝罪を求め、自分から改名したことを日本のせいだといい、出稼ぎに行ったことを強制連行といい、存在しない70年戦争を戦い抜き、日本の援助は忘れてしまい、とにかく自分たちは正しく、誠実で、努力したと叫び続ける。
お葬式で泣き女が泣き叫ぶのと同じではないか!
きっと、半万年の歴史を持つ韓国はこれからの半万年も世界の指導者たることだろう。

韓国の暴走は日本にも多大な影響を・・悪影響であることに間違いない・・与えるであろうが、韓国人にはより直接的、重大な影響を与えるだろう。
韓国の暴走を恐れているのは我々日本人だけではない。呉善花さんは韓国人だから我が身のことである。


結論?
そんなものはない。
まあ、あえて言えばこの本に限らず呉善花さんの本をたくさん読んでほしい。それが私のメッセージである。
白状する。以前、和田春樹の本を1冊買ったことがある。それを今でも悔やんでいる。 


呉善花さんはたくさんの本を書いているが、どれも推薦物である。
最近、私が読んだものをあげる。
書名出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
韓国人から見た北朝鮮 PHP 4-569-62947-42003700全1巻
日韓、愛の幻想 文芸春秋 4-16-367920-020061300全1巻
「反日韓国」に未来はない 小学館 4-09-402476-X 2001500全1巻
また、講演を聞いたことが一度ある。講演録を載せる。著作権については未確認です。



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妙様からお便りを頂きました(06.08.07)
韓国の暴走について
いつも拝見しております駆け出しのISO14001の審査員補です。((シンサインポ)と読んだやつがいた)
貴サイトでISOに関していろいろ勉強させていただいております。
ところで呉善花さんですが「スカートの風」以来注目しておりました。最近の比較文化論関係の記事(「正論」「諸君!」などの論文)を見てどこかの大学で学位を出して教授に招聘たら良いのにと思っておりましたところ拓殖大学の教授になっておられました。やはり見る目のある人はあるもんだと感心した次第です。
で「呉善花さんは韓国人である」となっていますがすでに日本人になられていると思うのですが。「諸君!」平成18年6月号(「在日」よ日本人になろう)という記事の中で帰化したように書かれています。
妙様、ご指摘ありがとうございます。
審査員補と名乗るなら、『指摘』の重さをよくご存じでしょう。 
おっしゃるとおり、彼女は帰化しているそうです。
ただ、日本人というものが日本国籍所持者なのか?、韓国人というものが韓国国籍者に限定されるのかと考えると、そうではないと思います。
以前、「日本人よ誇りを持て」を見て「日本国民」でないので訪問したという日系人がおられました。「日本国民よ誇りを持て」では通り過ぎただろうとのこと
まあ、ISO規格ではありませんので韓国という文化を持つ人、日本という文化を持つ人と考えましょう。
日本に帰化すれば、韓国は赤の他人などと考える呉善花さんではないでしょう。





「韓国、独島問題あせる必要ない」東大教授(中央日報 2006.07.29)
「韓国民は日本の竹島(韓国名、独島=トクト)領有権主張に対してあせったり執拗に防御的な態度を見せる必要はない」と日本の和田春樹東京大学名誉教授が指摘した。
和田教授は28日、済州(チェジュ)で行われた全国経済人連合会最高経営者フォーラムの一環として開かれた「北東アジア政治・歴史的懸案と共存案」シンポジウムのテーマ発表を通じ「韓国は半世紀間、独島を実効的に支配してきており、日本政府は竹島を日本領土と主張するが、再び取り戻す方法はない」と明らかにした。
「北東アジアの領土問題のうち、独島をめぐる紛争が単純さからいって最も解決の可能性が高い」とし「日本の島根県の漁夫たちにとって竹島周辺漁業権は重要だが、これに関しては地域協力の立場で妥協が可能」と見通した。和田教授は「日本の再侵略に対する懸念もあるが、たとえ米国の支援を受けても北東アジアの中心国家としてぐんとそびえ立った韓国を侵略することはできない」とした。
和田教授は「昭和天皇がA級戦犯合祀以後、靖国神社参拝を中断したという報道があってから世論が悪くなり、今後小泉純一郎首相や彼の後継者として挙論される安倍晋三官房長官が靖国を参拝することは難しい」と見通した。
また「1965年、韓日国交正常化条約によって日本は 第2次大戦当時、強制労役に対する賠償責任を清算したが、道徳的責任は残っている」とし「日本政府と企業、国民が力を合わせ、損害賠償プロジェクトに参加し、中国と北朝鮮にも努力を拡大すべきだ」と強調した。
討論に参加した中国人民大学の王ウィンシャ教授は高句麗歴史歪曲プロジェクトとして挙げられている東北工程について「学者としても一般市民としても聞いたことがない」とし「ほとんどの中国人が知らずにおり、政府事業でもないこのことに敏感に応じる必要はない」と指摘した。
ソウル大学のシン・ヨンハ名誉教授は「北東アジアの覇権競争が始まれば韓国は日本に、北朝鮮は中国に属して旧韓国末の悲劇が再燃される可能性もまったくなくはない」と懸念した。これを避けるため「政治家と学者たちが小さなことにこだわらず、大きな絵を見る目をもたねばならない」と強調した。
また「独島問題は日本が領土の野望を捨てることだけが解決策で共存の道」とし「昔の日本帝国が1905年に強奪した独島をまた侵奪できると勘違いしているのは小泉政権一派以外には日本国民の中にもほとんどいない」と指摘した。
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よりよい日韓関係の構築
経団連クラブ例会(2005.3.)講演
 講師:呉 善花 氏


韓国は徹底した儒教文化
私は来日して21年が経ちます。理屈としては日本または日本人については分かっているつもりでおり、日本を語る著書もいろいろと出しています。
日本と韓国は,地勢学的には近いけれども、遠い国だと言われます。文化や価値観、習慣など極めて似ていますが、違いも大きい。近いということと、似ているということだけで親近感を覚える人も多いのですが、ちょっとつきあってみると、なぜ?というような分からなくなることが今の日韓の関係だと思います。韓国は徹底した儒教文化です。日本も一見、儒教文化圏のように見えますが、韓国の場合は深い生活レベルまで儒教が浸透しているのに、日本はかなり表面的で、儒教だけで説明できないものがたくさんあります。その辺も、錯覚しやすいところです。
このようなことは、日常的にたくさん出てきます。そのひとつが、敬語の使い方です。その使い方は、韓国、北朝鮮は徹底しています。どこが儒教的なのかといえば、他人より身内を崇め、大切にする言い方をするのです。例えば、家に電話がかかってきた時、韓国や北朝鮮の人は「今、うちのお父様におかれましては、いらっしゃいません」という言い方をしなければなりません。日本では、「父はおりません」という言い方をしますが、とんでもなく礼を失したことになってしまうのです。
来日したばかりの頃、日本の会社でアルバイトをしていた時、私はある会社に電話をかけました。「鈴木社長様、いらっしゃいますか」と聞いたところ、若い女性の声でなんと「今、鈴木は席を外しております」と言われました。一体、どんな会社なのだろうと思ったものです。これは私だけでなく、韓国人なら誰もがそう感じます。
日本の社長からよくこう言われました。「韓国の会社を訪ね、そこの社長と社内を回っていると、社員が皆立ち上がってお辞儀をしてくれるが、それは日本のお客さんである自分に向かってではなく、その会社の社長に向かってのお辞儀だと分かって大変に不愉快な思いをした」ということです。これが韓国であり、北朝鮮です。外国の高官の偉い人が北朝鮮を訪ねたとしましょう。街角には大勢の市民たちが出て歓迎をします。その時に皆が叫ぶ声をよく聞いてみると、「金正日将軍様、万歳」ということしか叫んでいません。
「小泉総理、万歳」とか、「韓国大統領、万歳」という言葉は、まったく出てこないのです。
日本人は、北朝鮮は独裁国だから、そう叫ばないと何をされるか分からない、怖いからそうしているのだと言われますが、彼らの価値観がそうなっているのです。わが国の王様が偉いからこそ、外国の偉い人をうちの国へお招きすることができる、わが国の王様というのは本当に尊敬すべき人だ、王様万歳、という気持ちは、まさに儒教的な価値観なのです。

韓流ブームの中で反日が起きた背景
今、日本はすごい韓流ブームです。今年は日韓友好年だと言われ、盛んに友好ムードに包まれている日本ですが、韓国では、ここにきて急に反日感情が高まっています。
なぜなのでしょうか。韓国のタレントや俳優がたくさん日本へやってきて、民間交流が進んでいるかのように思いますし、自治体の交流なども進んで、韓国の人たちも以前の固さがなくなりソフトになってきています。感覚的に、感情的に、日本人と変わらなくなった。問題は韓国ではなくて、北朝鮮だ、北朝鮮だけが分からないと考えておられた日本人は多いと思います。
私は数日前まで韓国を取材で回ってきたばかりですが、韓国のあの強烈な反日感情は、ほとんど日本に伝わっていないという感じがしてなりません。その2週間ほど、韓国では怖いくらい、トップニュースだけでなく芸能番組ですら、必ずといっていいほど反日的なコメントから物事が始まります。一般の人々の間で、猛烈に反日感情が高まっています。
なぜ、そんなことが起きたのか、表と裏の両面から見ていかなければなりません。
韓流ブームに象徴されるような韓国社会は、消費社会の顔にすぎないのです。ようやく、消費社会のあり方において日本と接点を持つようになったところで、今、韓流ブームが起きているわけで、日本女性に受けている冬ソナのヨン様などには、明らかに韓国的なものがほとんどありません。というのも、韓国における消費社会のあり方自体、戦後、日本的なものを受け入れてできたものだからです。
韓国の商品などを見ると、日本をまねて、そっくりそのままといったものがたくさんあります。お菓子にしても、テレビドラマ、あるいは漫画なども大部分が日本のもの、あるいはそのコピーです。日本のものだと言わないで、韓国で発明されたかのようにずっと言われてきましたので、消費の顔が、おのずと日本に近づいてきたということです。
そうした表面だけ見ると、韓国は変わったな、彼らも私たちと同じ感覚になってきたなということになるのですが、それが大きな錯覚だと思います。消費の顔というものは、感覚の顔であって、感覚の顔は国境を超えた共通性を持っています。しかしそれと、精神的なものはまったく別問題です。表向きだけ見て本質が見えないために、どのような対応をしていけばいいのかが、まったく分からなくなっているのです。
今日本で日韓友好の年ということで、韓国でも同じように思われているとしたら大きな間違いです。日本側の一方的な友好ということであって、韓国人は精神的には何も変わっていないのです。

竹島問題と日本人観光客の無関心
韓国人の反日感情のあり方は、日本統治時代のことを抜きに語ることはできません。
竹島の領有権問題にしても、なぜ韓国人のすべてが「韓国のものだ」と主張しているのか。日本の主張を検証しようという気持ちは、まったくない。われわれは日韓友好を高めようとしているのに、日本がおかしなことを仕掛けてきたと皆が言うわけです。取材先のどこでも、その話ばかりでした。「日本と韓国は地球が存在する限り仲良くなれない。原因はいつでも、日本がつくっている」ということになっていました。至るところ反日運動が展開されています。竹島問題だけでなく、今年採択されようとしている日本の「新しい歴史教科書をつくる会」の今年度版の中学教科書問題と、4月号の「正論」に韓国の大学教授が、「日本統治時代は、韓国人が非難するほど悪くなかったのではないか」と書いた記事に大変な反発が起きていることも加わっています。
不思議なのは、街角の至るところ反日運動が展開されている一方で、日本人観光客、特に中高年の女性たちが、にぎやかに買い物に走り回っていることです。かたわらのデモが何なのかすら無関心な状態です。このことは日本と韓国のあり方を象徴的に物語っているのではないでしょうか。
私は韓国の人たちに、「ヨン様に駆けつける日本の中高年の女性をどう見るか」と聞いてみました。「まあ外貨獲得という面では、とてもいいのではないか」と言います。しかしどうもあの心境が分からない、というのが多くの人の反応でした。極端な場合、「日本女性は、品性が高くて、韓国人のような派手な感情表現はしないと思っていたのだが、あの人たちは皆寂しく、心が空になっているのではないか」「それで若いあの男目当てに走り回っている」。つまり、いかに日本人が精神的に貧弱であるかを物語っているのだから、何も考えていない日本人の言い分は信用してはいけない、竹島問題にしてもまともに彼らと向き合っては何にもならないということで、反日をあおるよい材料になっているわけなのです。

反日の背景
反日という問題は、韓国では数年前に歴史教科書問題があった時にわっと騒ぎましたが、それからはできるだけ、言わないようにしていたのです。特に1997年、韓国がIMFの管理下に置かれるほど経済危機に陥った時は、韓国にとっては敗戦に近いほどのショックでした。もう反日などと言っていられない、日本なしでは韓国の経済が成り立たないというところまできました。
日本人観光客を受け入れないわけにはいかない、日本企業に韓国に来てもらわないと困るということになって、かっては観光にもビジネスにも平然と歴史問題を持ち込み、反日感情をあらわにしてきた韓国人が、それ以来、表向きはそのようなことを言わなくなりました。そして、ノ・ムヒョン大統領も就任演説で、「もうこれからは反日的なことは言わず、未来志向でいきます」とはっきりと言ったのです。しかし、去年あたりから流れが変わりました。
政治的な面では、野党のハンナラ党の党首、朴元大統領の娘さんですが、彼女の人気が今とても高く、次期大統領の呼び声も高いことがあります。それに脅威を感じる与党のノ・ムヒョン政権が、なんとか倒さなければならないということで昨年つくられたのが、親日・反民族主義者を裁くという内容の法律です。
なぜかといえば朴大統領は日本で軍隊に入っていたからで、韓国は儒教社会ですから、お父さんは亡くなっても、子供まで罰することができるという価値観が強く残っているのです。罰するまでいかないにしても、責任を持つということになっていきます。朴大統領が親日的なら、娘である今の党首は当然ながら辞めるべきだという流れで、その法律が通ってしまいました。それに対して野党からかなり反発が出て衝突していたわけです。
与党は自ら、日本の軍隊に入った父を持つ数人の国会議員が辞任していきました。与党の姿勢を見せ、野党にもそれを迫るために法律を制定したのです。野党はそれに反対する強力な論を持っておらず、次第に力が弱まっていきます。与党が力を持つようになると、日本統治時代に日本に協力していた人たち、特に警察官、軍隊に入った人たちは、亡くなった人であっても、子孫や周りの人が全て当局に申告するようにと、そのための機関が設けられました。
戦後、韓国では国家保安法という、親北的な人を裁く法律がありました。そのために3年ぐらい前までは、北朝鮮のことを評価する人がいれば、たちまち逮捕されていました。去年あたりその法律がなくなって、今度は今までになかった親日派を裁く法律ができたのです。

戦後賠償問題と韓国の親北ムード
与党が力を強めるために、去年の暮れから竹島問題を持ち出して、反日を向けるようになった背景にはもうひとつ理由があります。韓国内で「戦後、日本が戦争賠償をした」という資料が出てしまい、韓国政府も隠すことができなくなって、去年11月に発表しました。それまで日本だけに賠償と反省を叫んできた被害者の家族たちが、今度は自国にも要求するようになりました。
ところが韓国政府は、戦後日本から賠償されたお金を被害者に渡さず、経済に力を入れようと財閥に投資していたので、それを公表してこなかったために極めて困ったことになりました。そこで、その目を外に向ければいいということで反日カードを持ち出したのです。このような流れの中で、韓国では反日が強まり、たまたまそこへ、島根県が「竹島の日」を制定したので、もう一気に韓国内が盛り上がっていったのです。
日本の場合なら、政府が何をし掛けようとしても、民間から「おかしいんじゃないか」という人たちが出ますが、韓国ではなかなかそうはいきません。政治は、韓国では昔からとても力を持っています。誰疑うことなく、竹島は100%韓国のものであるということになっています。
その一方で、日本では数年前から反北朝鮮ムードが高まっています。日本では北朝鮮に親近感を持つ人などいないこの時期に、不思議に韓国ではこの2,3年ぐらい前から「北朝鮮、万歳」ということになっています。北朝鮮はすばらしいという本や雑誌が出回り、今、南北が統一されれば、金正日が選挙で勝つとまで言われています。なぜでしょうか。
理由として、大きくは冷戦体制崩壊があります。冷戦後、世界のさまざまなところで、民族という言葉が浮上しました。欧米化あるいはグロ−バル化というところに問題があるのではないかという言い方が、あちこちでされるようになってきました。そうしますと、われわれ韓国人はどうするのか、アジア的なもの、即ち、韓国、朝鮮半島的な、最近失われようとしている儒教的なところへ戻るべきだ、アメリカ化が進んだことで起きた家庭崩壊・社会崩壊といった副作用をきちんと正すためには、やはりわれわれの昔からの儒教社会をつくり直すべきだという動きが出てきたわけなのです。そこで結局、北朝鮮という国も、同じ民族ではないかという流れが出てきました。

韓国政府が掲げる理想と抱える現実
20世紀には、北から攻められたり、戦争もあったけれども、21世紀には戦争というのはあり得ない。従来型の考え方を100%変えなければならない。新しい時代が到来するときに北朝鮮と怨み合っては何にもならない。彼らと仲良くなって未来へ進んでいくべきではないか。韓国の今の与党、政府の一番の狙いというのは、東アジアの中心国家になろうということなのです。韓国の知識人たちの考えも同じです。
けれど今北朝鮮と統一されてしまうと、韓国も経済が大変なのに、そのしわ寄せは韓国に全部くる、だから今の体制をなんとか維持させなければならないということになります。そして、北朝鮮を徐々に開放させていき、ある程度経済的によくなった時に統一しようというのが本音です。狙いとしてはもっともらしいのですが、しかし、韓国はすでに今、膨大に援助しているわけです。それが結局は、北の体制を現状維持させることになって、悪循環に陥っている。狙いはいいのですが、具体的なところを見落としています。
それと、金融市場経済への絶望感を民衆が感じていることもあります。かってIMF管理下に置かれた韓国の企業は、次々とリストラを行いました。余計なものをリストラしますから、数字としてはよくなっていきますが、その反面、失業者が町に溢れるようになったわけです。
昨日まで仕事をしていた夫が、いきなり今日から仕事がなくなって生活が大変です。
すると奥さんたちも自分も立ち上がらなければということで出ようとするけれども、社会には女性を受け入れる場はそれほどないため、今度は離婚がすごいのです。儒教の国で、離婚は悪とされていたのに、なんと金融危機の98年以降、韓国はアメリカに次ぐ離婚大国になってしまっています。
そして、子供を捨てる率が猛烈に多い。昔は子供のために離婚はできないということだったのですが、もう借金、借金となっていくと、子どもも抱えていられないのです。
失業問題対策のために政府が持ち出したのは、会社への再就職に力を入れるより、新しい仕事を創りなさいという、創業の勧めです。そして誰もが簡単にお金を借りられるカード式のシステムをつくりました。これが、日本の銀行のようなものではなくて半分サラ金のようなものです。とても高い金利で、しかし誰もが簡単に借りられるようになっていますから、皆がお金を借り、ベンチャーがすごくはやりました。すると今度は同じような業種が溢れ、お互いに食いつぶすような関係になってきます。「カード大乱」という言葉まで生まれる状況です。
最近では、韓国人の間で貧富の差がものすごく出て、これに多くの人が絶望感を感じています。市場経済に対する絶望感、資本主義のあり方に何か問題があるのではないかということになっていき、仕事ができる年齢の20代、30代の人たちに移民がすごく増えています。

「北」と「南」は、やはり同じ民族
そこで韓国政府は「この貧富の格差を縮めるために」と、社会主義的経済のシステムを導入しました。財閥のお金をある程度、下の人たちに分配するシステムをつくったのですが、すると金持ちは海外へ資金を持ち出すといったようなことも起きる。韓国人は今、資本主義に問題があるのではないかという絶望感を抱き始めているのです。
そんな中で、北朝鮮には行きすぎたところがあるが、もしかすると社会主義のあり方に何か希望があるのではないか、資本主義のあり方と社会主義の何かがうまく結びつけば、未来的なものをつくっていけるのではないかということから、今、韓国は親北になっていっているのです。
北朝鮮の情報がオープンになればなるほど、北朝鮮からの音楽や映画が入ってきます。あの軍事パレード、ひとつの乱れもなく統一されたマスゲーム、全く同じ笑顔をしている美女軍団など、見れば見るほど日本人は奇異な感じをもつでしょうが、韓国人は不思議によく分かると言います。
韓国人は、北朝鮮はとんでもない国、社会主義の怖い国という教育をずっと受けてきたのですが、知れば知るほど、やはり同じ民族ではないか、頭だけ社会主義と資本主義であっても、首から下はやはり同じ儒教的な民族ではないかということを、切実に感じているのです。映画を観ながら同じところで泣いて、同じところで喜び、感覚・感情は同じではないか、同じ食べ物を食べて美味しく感じるのは北朝鮮の人ではないか。そして、北朝鮮にはなんと美女が多いのだろうかと言います。南男北女という朝鮮の言い伝えどおりに、北朝鮮には美女が多いと思うとともに、マスゲームなどのひとつも乱れのない行動に感じ入り、それができるほどのリーダーシップを持つ金正日はすごいという評価につながっていくのです。
金正日という人物は、帝王教育を受けた人です。韓国では、今や帝王教育を受ける人はいませんが、儒教的な礼儀作法教育に基づく金正日の行動は、韓国人の心を引き寄せる魅力があるわけです。権力を維持するためのある程度の独裁なら、韓国人もずっとやってきたから不思議なこととは思わないし、核開発をしていたとしても韓国に向かっては使わないだろう、というのが韓国人の考え方なのです。先日、竹島問題で激しく反日感情がたかまっている時、韓国の有名作家が、「日本への対応策として、竹島に北朝鮮のミサイル基地をつくればいい」という発言をして、これが韓国で大騒ぎになっています。大半が驚きですが、大騒ぎの裏には痛快な気持ちもあるのです。

韓国と日本を隔てる感覚,感性という壁
つまり同じ民族だから、感覚、感性的に、北朝鮮と韓国はぴったりで、画一的に統一されたあの美意識のあり方が、韓国人も理想とするものであり、そこに共感を持つようになっていったのです。だからあっという間に、反北的な気持ちが韓国人になくなってしまいましたが、問題は日本です。日本とは戦後絶え間なくさまざまな交流が行われているけれども、どうも日本人の本音をつかむことができない、何を考えているのか分からないというのが、韓国人の日本人観なのです。
なぜこれほどつきあいが深く長いのに、韓国人が日本人の本音をつかむことができないかということのひとつに、感覚、感性の違いがあります。多くの韓国人が来日し、日本を知っていくプロセスを見ると、1年目はとてもいい印象を持つのです。韓国で強烈は反日教育を受けた韓国人は、日本人イコール野蛮人とイメージしていたけれども、日本人はとても紳士的で思いやりがあるし、親切で、町並みもきれいだなど、さまざまなよい印象があります。それが2年、3年たち、一歩踏み込んだつきあいをした時に、「やはり、日本人は野蛮人だった」となっていくのです。
それを何とか乗り越えて5年ぐらい日本にいるようになると、再び日本のよさが見え、ある意味で日本社会の本質が見えてきます。体系的に説明はできないのですが、日本はすごい社会ではないかと感じるようになるわけです。問題は日本に来ての2,3年であり、今、日本と韓国のあり方がなかなか分かりづらいというのも、この2,3年と同様な問題だと思います。日本が北朝鮮のことを理解できないのも、やはり同様の問題だと思うのです。
一歩踏み込んだつきあいをした時に、「やはり、日本人は野蛮人だった」という印象は、ほとんどが、価値観の違い、習慣の違い、文化の違いから派生したものです。日本に2年半滞在していた女性ジャーナリストが書いた日本叩きの本が300万部以上も売れましたが、そこにはこんな例があります。
「日本人も韓国人も部屋に入るときは靴を脱いで入る。韓国人は靴を室内に向けて揃えておき、それが乱れようと何をしようとすっと部屋に入る。これが本来人間のあるべき姿である。しかし日本人は、体をわざわざ後ろに捻じ曲げて、靴を外側に向けて部屋に入る。いかに日本人の心が捻じ曲がっているかをシンボリックに物語っている」。
そうした目に見える違いは、実はそれほど大きな問題ではないのです。彼女は自分の目に見えないところで、日本人を理解できなかったことを、全部、目に見えるもので表現し、叩いています。問題は肝心の目に見えないものなのであり、つまり感覚、感性の違いになってきます。

分かりづらさの元にある日本人の美意識
一般に儒教文化圏、キリスト教文化圏では、どんな生き方が正しいかという、倫理観、道徳観に従って生きようとするのが理想です。ところが日本人は、倫理的、道徳的というより、いかに美しく生きるかに重点を置くような感じがします。みっともない生き方をしたくない、また悪い人間と言われるより卑怯だと言われる時、日本人は一番つらい。日本人には品があることが、格好よい生き方なのですが、これが韓国人に分かりづらいのは、まさに美意識の問題だからです。美のあり方の一番根本にある侘び、さび、もののあわれが、韓国人、アジア人全般に分かりづらいのです。
アジアに共通する美意識というのは、派手な色彩、ピカピカ輝いて満月のように均一に整った美を理想とするものです。例えば花を見る時でも、満開に咲いた花が咲き乱れて溢れた状態を理想とする。ところが日本人は、満開の花よりは蕾のほうがよい、しおれて落ちる花にも風情があるという。あるいは月を見ても、韓国では満月こそが一番美しい。
しかし日本人は、やや霞がかった月、少し欠けた月がよいと言う。「信じられない」と、私は日本人とずいぶん喧嘩したものです。
日本には十三夜、十六夜という言葉があります。少し欠けたもの、左右非対称のものを楽しむという習慣が昔からありました。でも韓国やアジアでは左右対称なものが望まれます。乱れたものより、きちんといつも真っ直ぐ、真四角に、真ん丸くというように。
ですから韓国人も、北朝鮮のあのひとつも乱れのないマスゲームや軍事パレードに惹かれるのです。
例えば日本人はヒノキのお風呂が大好きです。私は、なぜかと思い日本人と一緒に入ってみました。真っ白いお風呂があって、まだ未完成のものかと思えば、「これはもう完成されたもので、自然に黒ずんでいくから、それでよい」と言われました。でも韓国人にとって、自然に黒ずんでいくものほど奇妙に思えるものはないのです。とにかく、最初からピカピカに磨いてペンキでも塗ればよいのにと思います。

日本文化は「止まらない文化」
日本人の美意識については、私も数年間苦しんで、理解できなくて悩んだ末に、なぜそうなのか探っていこうと思いました。まず身近なところで、家庭の中の食器に対する美意識です。韓国では、まったく同じ柄の食器を10個ぐらいずつ、セットで整然と食器棚の中に飾ったときに、やすらぎを感じます。ところが、日本の家庭に入っていきますと、入れるものによって形も色も違うし、家族それぞれの食器も色や形がバラバラで、不自然に思えてなりません。さらに納得のいかなかったものが、くねっと曲がった茶碗です。
韓国で美しい品のある茶碗はステンレス茶碗です。ステンレスはどこから見てもピカピカ輝くのです。
ところが驚いたのは、韓国に行ったことのある日本人、皆に言われたことです。「韓国の焼肉はおいしいけれども、あのステンレス食器、何とかしてくれないか」と。品がないからと言うのです。しかも、ステンレス箸と食器がぶつかる、その音が嫌だと言うのです。韓国人にしてみれば、ぶつかる音がなんとも心地よい音なのです。ですから、食べながらわざと叩く習慣があるのです。では日本人にとって品のあるものは何かと聞いて見せられたのが、どす黒く、分厚く、しかもくねっと曲がっている茶碗でした。本当にショックでしたが、とにかくその感覚を知ろうと思い、そうした食器を1個ずつ集め始めました。
するといつの間にか、私の食器棚の中がどす黒い色に変わり、入りきれなくなったのに、もっと集めたいという気持ちが止まらなくなっていったのです。「これだ」と思いました。日本文化とは、「止まらない文化」ではないかと気づいたのです。
なぜかといえば、どす黒い色は、土からつくられたという素朴感が見えるわけです。
だから飽きることがない。そして形が真っ直ぐではないために、きりがありません。
真ん丸いもの、真四角なもの相手だと、頭の働きがそこで止まってしまいますが、そうでないから、次々想像を超えたものが現れる。だから止まらなくなっていくのです。
そう考えてようやく分かったのは、止まってしまうものが、日本人の感覚には向かないのです。なぜ日本人が満開の花より蕾が好きなのか。満開の花は終わってしまうが、蕾だと動きが感じられてよいということです。あるいは満月だと疲れてしまう反面、ちょっと欠けたものに対して風情を感じ、動きを感じる。これは、完璧に完成されるよりは、終わってしまわないような状態に置かれることが、一番日本人にとって幸せだからです。
だから日本語には腹八分という言葉もありますが、韓国人にとっては、腹いっぱいの状態が一番幸せな気持ちなのです。

日本人の三つの世界観
日本人には、自然に対する絶対的な受身思想が働いているようです。砂漠のような自然、大陸のような自然もありますが、日本は海あり、谷あり、山あり、川あり、平地あり、さまざまな自然がひとつの視野に全部おさまる。山の上に登って四方を眺めてみますと、すべてが調和しているものが日本の自然です。
 韓国も似たような自然であるけれども、高度な文化、文明を持った大陸にくっついているために、いつも圧倒されてきました。ですから、自然観というものが薄れてしまい、儒教的、イデオロギー的になっていったのです。ところが日本の場合は、島国で大陸から適当に離れていたので、いかなるものが入ってこようとも一気に入るのではないから、圧倒されることがない。入ってくるやいなや吸収するぐらいの基盤が、日本にはきちんとありました。自然に恵まれ、自然が豊かな上に、そうやって入ってきますから、全部ごちゃ混ぜになり、ミックスされていく。そして海外から侵略されたことがないために、古いものも残っている。韓国の場合は、侵略されていった歴史の中で古いものはなくなり、考え方がイデオロギー的になっていったという違いがあるのでしょう。
その意味で今の日本には、大きく分けて三つの世界があると言えます。ひとつは欧米化された日本、もうひとつは韓国や中国と似た農耕アジア的な日本、三つ目は自然と一体になって生きてきた、縄文時代にまでさかのぼる感覚、感性。一般には近代化とともに三つ目の世界は薄れていくものなのですが、日本は、この三つの世界が混在していて曖昧なところがある。海辺、平地、山地がごく近傍にあって混在する景観も日本に独特なものです。その辺から、すべてが調和をする自然観が日本人には強く、日本人としての感性を形づくっているのではないでしょうか。
韓国では集団になればなるほど、各自が自分を主張しようとしますから、建設的なものが生まれないのですが、日本人はなぜか集まれば集まるほど建設的なものが生まれます。
そのためにも、日本人に限っては集まる場をつくればつくるほどよいと私は強く感じています。
そして今、日本には経済問題、社会問題など、さまざまな副作用がでています。それは欧米化された日本、あるいはアジア的な日本という世界に生じた副作用の面が多いと思います。しかし私は、もうひとつの世界の中に、大きな未来性を感じてなりません。
日本の未来性だけではなくて、世界の未来性が日本の中のもうひとつの世界にあると確信しています。日本は直感的情緒的に、もうひとつの世界に裏打ちされた社会性を、経済に浸透させていくことができました。なぜ日本だけが達成できたのかといえば、主体と客体を分離せず、調和を理想とする共同社会に特異なセンスがあるからです。私はここに着目して、ここを生かしていくことが、日本のためにも、世界のためにも、大きな貢献になると確信しています。