品質講座

この文はISO規格、JIS規格その他多数の出典を基に作成しておりますが、文責はすべて佐為にあります。



品質って何ですか?
品質保証って何ですか?
品質管理と品質管理?(ワープロミスじゃありません)
検査をすると品質は上がりますか?
品質は設計で作りこむ"って本当ですか?
監査って何ですか?
トレーサビリティって何ですか?
ISO9000って何ですか?
品質コストって何ですか?
品質工学って何ですか?
顧客満足って何ですか?
記録は鉛筆ではダメですか?
責任、権限って何ですか?
ISO9000では品質向上を要求していますか?



品質って何ですか?
「品質」といっても人によって捕らえている「品質」のイメージが違っては困りますね!?
JIS規格では「品物またはサービスが、使用目的を満たしているかどうかを決定するための評価の対象となる固有の性質・性能の全体」と定義しています。
ISO規格では「"もの"の明示されたまたは暗黙のニーズを満たす能力に関する特性の全体」と若干表現は違いますがほぼ同じと見てよいでしょう。
いずれにしても物だけでなくサービスや業務も含めて、よさ、悪さを表す言葉であることが分かります。
品質そのものの定義とはちょっと違いますが田口玄一先生(田口メソッドの考案者)は「品質とは、品物が出荷後に社会に与える損失で評価される。」といっています。この表現のほうが品質のイメージがつかめるかと思います。

まだしっくりこないかと思いますのでいくつか事例を考えてみましょう。
スポーツカーと乗用車は加速もコーナリング性能も違いますがスポーツカーのほうが品質が良いのでしょうか?
スポーツカーと乗用車は"品種"が違い品質の比較にはなりません。品質の違いは同じ品種で同じ機能のものを維持費、故障率、快適さなどを比較した時の優劣となります。同じ品種の車と比較した時、他と比べて故障が多ければこれは品質問題です。

飛行機でビジネスクラスとエコノミークラスでのサービスの違いは品質の差ですか?
飛行機に乗るとき、客は提供してもらうサービスと料金を考慮して予約します。
当然、シートの広さ、機内食、預けることのできる荷物の重量を考えているはずです。乗り込むときも降りる時もエコノミーより先にできます。これが期待されるサービスです。ビジネスとエコノミーはグレードが違うので、品質が違うのではありません。もちろん違う航空会社の同じクラス間では品質の比較ができます。

品質には使用品質、設計品質、製造品質という区分けもあります。
使用品質を要求品質、設計品質をねらいの品質、製造品質をできばえの品質ともいいます。
製造に当り我々メーカーは使用品質を(市場調査あるいはお客様からの仕様書で)把握し、設計活動で設計品質を確立し、これを達成するように製造品質を作りこみます。
お客様の要求品質を達成すれば品質問題は発生しないでしょうか?
「明記してあるものだけ」を確保すれば品質問題はおこらないでしょうか?
実際はそうではありません。
使用品質は明確に記載されている他に、記述されていない「暗黙のニーズ」や「期待するサービス」と「法規制などによる義務としての品質」があります。
暗黙のニーズあるいは期待するサービスは時代と共に、あるいは周囲環境により変わります。

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品質保証って何ですか?
品質は既に説明しました。では保証とは何でしょう?
国語辞典を調べますと、「保証」とはうけあうこと、責任を持つこと、他人の責務を負うことなど
すると「品質保証」とは「品質の責任を持つこと」なんでしょうか?

品質保証とは英語の訳語ですから英語を調べてみましょう・・・
品質保証は英語で「Quality assurance」といいます。Qualityは品質なのは分かりました。assuranceとは何か英和辞典を引いてみましょう。
assurance:請け負うこと、確信、自信、ずうずうしいこと
ちなみに電気製品の「保証書」には英語では[assurance]でなく、 [warranty]あるいは[guarantee]と書いてあります。
参考に調べてみましょう。
warranty:正当な理由を示すもの、根拠を示すもの、保障の約束、保証書
guarantee:引受人、保証人、担保、準備金、保証書
おっ、違いが見えてきましたね、
[assurance]と「保証」はまったく同じ意味ではなかったのです。
[assurance]を「保証」と訳すより「信頼」か「確信」あるいは「安心」くらいの意味に訳すべきでした。 「品質保証」とは「品質が悪ければお金をお支払いします」ということじゃなく「品質が良いと自信を持って言えるようにすること」でした。

すると品質保証とは単に確信をもって「品質は大丈夫ですよ」というため、あるいはお客様が「安心する」ためだけなんでしょうか?なにかあまり価値がないようにも思えますね?
お客様は不具合があったとき[補償]されることが確実であれば購入するでしょうか?
現実にはお客様にとって不具合があったとき[補償]されることはあたり前であって、購入時に品質がよいと[確信]できるものを選ぶでしょう。お客様の品質コストは維持費の他に機会損失などありますからコストミニマムにするためには品質が良い方が好ましく、良いと立証されているものを購入するのは明らかです。
というわけで現在では品質保証は必須条件です。
お客様の信頼を得るために、いやそれ以前に会社自らが製品品質に確信を持たなくてはなりません。不良が多い製品を営業の方は売ろうとしてくれないでしょう?

それが品質保証です。お客様に安心感を与えることを[外部品質保証]、会社自身に安心感を与えることを[内部品質保証]とも言います。このふたつは対象とする品質の範囲が異なります。外部品質保証とは顧客に提供する品質についてのみ保証すればよいですが、内部品質保証とは業務全体の品質を保証する必要があります。具体例としては設計を考えると外部品質保証にはお客様にお渡しする製品の設計過程と結果が対象ですが、内部品質保証には設計業務全体、例えば特許取得、標準化、原価低減などが入るでしょう。
*2000年改定以前のISO9001は外部品質保証の規格です。

「品質保証」は簡単には達成できません。
「品質保証」とはキチンとした会社の仕組みを作り、その仕組み(規則)を守った仕事をすることです。
品質保証は品質を要求を達成するために実施すべきことを調査し、それを会社の規則に展開し、教育し、実施させ、その記録を残すことによって立証されます。
そうすることにより、しっかりした物が作られるはずです。


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品質管理と品質管理?
通常品質管理というとQuality Controlの意味に使われています。
もう一つQuaity Managementと言う言葉があります。日本語ではやはり品質管理と訳されています。
本などではQuality Controlを狭義の品質管理、Quaity Managementを広義の品質管理と書いてあるものもあります。
ISO9000では誤解を防ぐためにQuaity Managementを品質マネジメントと訳しています。
英語でcontrolというと機械などを操作することで、managementとは統帥という意味でだいぶレベルが異なります。
正しくはJISあるいはISOで定義を調べてもらうこととして、簡単に言えば
Quality Controlとは不良を下げる活動をいい、
Quaity Managementとは経営として品質に対して行う活動を言います。
いってみればQuality Controlは戦術、Quaity Managementは戦略でしょうか?
例えば種々データを採って改善策を行うのがQuality Controlで統計的手法を使うのをSQCなんて言います。
小集団活動などもこの範疇で、昔はTQCなんて言いました。
Quaity ManagementとはQuality Controlより包括的で、通常「狭義の品質管理・Quality Control」、「品質保証・Quality assurance」、「品質改善・Quality improvement」から構成されます。

全社的な品質改善活動をTQMなんて称している団体もあります。
ちなみにISO9000はと言いますと94年版は品質保証・Quality assuranceの規格、2000年版は品質マネジメント・Quaity Managementの規格と称してますが、2000年版でもまだ内容的には品質保証レベルの規格でありQuaity Managementまで成長していません。
誰でも「品質を良くしよう!」考えていると思います。
そのためにはQuality ControlだけではなくQuaity Managementの品質管理を勉強する必要があります。
品質を継続的に向上させるためには、統計的手法や田口メソッドを学んだり、全員参加の活動とか、顧客情報の収集分析だけじゃ実現できないのです。
もちろん戦略だけで戦術がなければ戦いに負けてしまうのと同じく、Quaity ManagementだけでQuality Controlの知識技術がなければ改善は進みません。
戦術しかなく、戦略であるQuaity Managementが確立していなければ正しい道でなく誤った方向に進む可能性もあります。

品質システムをどのようにすべきか、例えば技能教育、技術教育、必要とする設備・計測器、生産技術、組織と機能などなどを考慮し実現する活動がQuaity Managementです。

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検査をすると品質は上がりますか?
「検査では品質は良くならない、製造工程で作り込め」とよく言われます。これは論理的に正しいのでしょうか?
まず品質の定義として田口先生のものを採用します。
それから検査の定義として「検査とは良いもの悪いものを選り分ける行為である。(JISZ8101)」を採用します。
検査にかかる費用と出荷後の費用を天秤にかけトータルコストを最小とする検査を行い出荷すれば、社会(製造者を含めた)に与える損失を減らすことになり田口先生の定義から品質を向上させていることになります。
ゆえに「検査で品質は良くならない」は偽であり、「検査は品質を上げる」は真であることが分かります。
だからこそ世の中の会社は経験的に検査の効果を認識し検査をしているのです。

よく言われる「品質は工程で作り込め」とは、社会に与える損失を削減するためには検査による選別精度向上あるいは検査費用の削減では限界があることを意味しています。
見方を変えれば製造技術が低くばらつきがある時はできたものの善し悪しを選別するしか手がないが、製造技術が向上すれば不良品を減らすことができるようになり、検査だけをするより製造技術・技能に改善を図る方がトータルコストを下げることができるということです。
「検査では品質は良くならない、製造工程で作り込め」はスローガンで、「検査で品質を上げることには限界があり、更に品質を上げる(=損失を減らす)ためには製造工程に手を打つ必要がある」ということです。

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"品質は設計で作りこむ"って本当ですか?
検査をすると品質は上がりますか?を考えましたが「品質は設計段階で作り込め」についてはどうでしょうか?
製造工程で作業者の訓練や機械精度を上げてもクリテカルなもの、あるいは確率的に不良が発生してしまうものはある。製造工程での品質向上活動には限界がある。その限界を越えて改善するには設計で活動しないとどうにもならない。これをキャッチフレーズ的に言えば「品質は設計段階で作り込め」となる。
関係者の関心を引き付けるためにそのようなキャッチフレーズを使うことも方便であり否定はできないが、決して品質は設計だけで作り込むものではない。このスローガンも一過性だといえる。
皮相的に考えればそのうち「品質は営業活動で決まる」とか「品質はマーケッテングで作り込め」、さらに最終的には「品質は経営者が作り込め」などど言い出されかねない。
いずれも誤りだと言い切れないが正しくはない。

では真に品質をあげるにはどうすればよいか?
当たり前であるが「品質は品質システムで作り込む」のである。
真に品質を上げる(つまり社会的損失を下げる)ためには総合的な対策が必要である。
正しい基準にしたがった適切な精度の検査、訓練された作業者による作業標準にもとづく製造工程、設計段階での設計検証・DRそして妥当性の確認、そして営業段階の契約の確認などなどである。
これらを包括的かつ継続的に向上していくためには、品質に関わる業務に従事するすべての従事員に対して業務遂行能力を付与すること、業務を遂行するための資源を与えること、そしてなにより品質意識を持たせることである。これらにより有効な品質システムをつくり、PDCAを回していくこと。これが真の品質の作り込みである。
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監査って何ですか?
監査には種類が沢山あります。会計監査、品質監査、環境監査、工程監査、製品監査などなど
官公庁によっては監査のことを立ち入り調査とか点検などと呼んでいるところもあります。
さらに実施者により「第1者監査(内部監査)」「第2者監査(顧客監査)」「第三者監査(第三者登録審査)」に分けられます。
ここでは内部監査についてお話ししましょう。

監査というと「あら探し」と見られているかもしれません。
監査はあら探しや個人や部門のミスを見つけたり責めたりすることではありません。監査とは経営者(社長)に代わって業務遂行状況を調べ会社の仕組みが適正か、弱い部分があるかを所長に報告することです。
例えば何かの記録に検認漏れがあった時に単純に「検認漏れは不適合!」と決め付ける監査員がいれば未熟と言うことでお許しください。
理想の監査員は検認漏れが「単なるミス」なのか、「会社の仕組みに欠陥があって発生した」のかを調べなくてはなりません。
単なるミスと分かればその処置はしてもらわなくてはなりませんが、不適合と指摘する必要はありません。
会社の仕組みが不十分で検認漏れが発生するのであればその仕組みの改善をお願いするのが監査員の努めです。
監査を受ける側も単なるミスであれば監査員に対して「これは単なるポカミスです。是正処置は必要ありません。」と言明してください。
もっとも単なるミスでも複数発生しているならば、それはもはや単なるミスではありません。「教育訓練が不十分」か「帳票のルールに欠陥がある」のか「組織及び権限が不適切なのか」というシステムの欠陥となるでしょう!!
「処置」とは発見された不具合を正すこと、
「是正処置」とは再発を防止することで規則改定や再教育などを行います。

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トレーサビリティって何ですか?
トレーサビリティとは「トレース」+「アビリティ」のことで「追跡可能」あるいは「つながりがとれている」という意味です。
いろいろな用途に使われますが意味は同じです。
最も多く使われるのは「出荷された製品と使われた部品の履歴や製造条件が後で分かること」あるいは「計測器と国家標準とのつながり」です。
この他に「製品と検査記録」や「監査した不具合とその証拠」など相互の関連がたどれるかの意味にも使われます。
製品と部品のトレーサビリティには上流方向と下流方向の二つがあります。
上流方向のトレーサビリティとは製品、あるいは加工中の製品に使われている部品材料の履歴がたどれること
下流方向のトレーサビリティとは製品がどこに何時出荷されたかが分かる事です。
これはもちろん絶対必要なわけではありません。ISO規格ではお客さんが要求した時対応せよと決めています。
実際には供給者(我々メーカー)は自分のリスクを軽減するために費用とリスクを秤にかけて自ら必要とする範囲を決めてトレーサビリティを確保しているのが普通です。

計測器と国家標準のトレーサビリティについて
測定にあたっては国家標準にトレーサブルな計測器を使わなくてはなりません。
国家標準と聞いてもピンとこないかもしれませんが、長さ(m)も質量(kg)も電圧(V)も温度(K)もすべて国家標準がありそれは世界標準にたどり着くのです。
色、臭い、あるいはFDDなどの基準は世界標準がないものが多く、業界標準などが根拠に用いられます。
拡大解釈するといけません、トレーサビリティが要求されるのはお客様に渡す製品の試験検査に用いるもののみです。かつ製品品質を保証する検査工程のみで良いのです。だから工程内で調整し、ライン検査をするなら検査で使う計測器のみ校正すればよいですし、開発段階で使用している計測器は校正不要です。しかし、設計の計測器を生産でも使う可能性があれば校正は必要です。またたとえばEMIの測定を開発段階だけで行い、ライン検査を行わないとすれば、開発品の評価で製品品質の保証をしていると考えられますから校正が必要です。その他、秤や天秤などは計量法で商取引に使うものは計測器メーカーの校正ではなく市町村の検定が必要です。検定に合格すると市の検定マークが貼られます。

計測器のトレーサビリティについて知りたい方は経済産業省計量研究所を訪ねてください。

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ISO9000って何ですか?
これはむずかしい質問です。いえ、もったいぶるわけではありません。(^^)
ISO9000(シリ−ズの規格なので普通ISO9000sと呼びます)は時と共に変化しているからです。
1987年に制定された時は顧客から供給者(メーカー)に対する品質保証要求事項を定めたものでした。
その後二社間の取引に限らず、品質システムを第三者が評価してお墨付きを与える事が始まりました。これを第三者認証システムといい第三者を審査登録機関と呼びます。
そのため1994年の第一回改定後は第三者認証が主となりました。
その後、この規格を用いて審査登録しようとする企業が製造業にとどまらず、ソフト業界/サービス業(病院、デパートなど)/官公庁などに広がっていきました。このために製造業用に作られた規格であるために規格の言葉をその業界特有の言葉に読みかえるというおかしな事態が発生しました。
こうした状況に対応するために2000年版では規格の範囲が品質保証から品質マネジメントシステムに、またどんな職種でも使えるように記述が大幅に変化しました。
こうして87年から2000年の13年間でISO9000はお客さんへの外部品質保証の基準から、会社の品質経営の基準へと出世してしまったわけです。

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品質コストって何ですか?
読んで字のごとく、品質に関わる(品質に掛かる)コストのことです。
どの費目の区分が該当するか簿記会計上決まっているわけではありません。
学者によって、あるいは会社によって、場合によって費目の区分や勘定方法がいろいろ唱えられています。
広く知られているのは「失敗コスト」「予防コスト」「評価コスト」に分けるものですが、これも一学説に過ぎません。

失敗コストと予防、評価コストはトレードオフ(あちら立てればこちらが立たず。一方を増すと他方が減る)の関係にありますが、合計をミニマムにすればよいと言うわけでもありません。
「失敗コスト」「予防コスト」「評価コスト」の比率を決めるのは会社の経営方針になるでしょう。
もちろん、技術がなければいくら予防コストをかけても完全に失敗コストをゼロにはできません。
この比率を決定できるほど技術が確立しているならば、許容できる失敗コストを設定しそれに見合った予防、評価費用を投入するという考えとなるでしょう。


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品質工学って何ですか?
品質工学とは田口玄一博士によって創始された技術方法論です。
"品質工学”というと品質管理の技術と受け取れますが、"技術工学”と名付ける案もあったといわれるように技術全般の最適設計法です。外国では創始者の名をとって”タグチメソッド”と呼ばれており、品質工学を直訳して”Quality engineering"といっても通じないそうです。
品質工学は技術そのものを取り扱うのではなく、技術的な最適条件を能率良く求める方法です。それは計測技術と同じように汎用技術であるので、いろいろな固有技術の分野における技術課題解決に適用できます。
一般に、工学は目標達成のために必要な技術的手段を与えるものですが、この手段には様々なものがあります。
問題は、そうした様々な手段の中からどのようにして最適な手段を選択するか、にあります。技術者は自分のアイデアを評価するために実験を行います。従来の開発研究の時間とコストはその大部分が評価のための実験に充てられていました。特に、世の中にないような全く新しい技術や製品の場合、頼りにできる文献などありませんから、非常に多くの時間とコストをかけて実験を繰り返すことになります。
品質工学では、実験計画法と評価特性の合理化によって開発時間とコストの削減を実現します。つまり、品質工学を適用することにより専門家が選んだ技術の善し悪しがたちどころに分かるようになるので、技術の開発や改善が格段に進むのです。

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顧客満足って何ですか?
「顧客満足」とは、欧米で生まれた企業経営のコンセプト「Customer Satisfaction」のことでCS(シーエス)と略します。
80年代、深刻な不況に喘いでいたアメリカの企業社会を甦らせた思想として脚光をあびました。
日本には1990年頃新しい価値観として鳴り物入りで宣伝されました。そしてCSを掲げる企業も少なくありませんでした。しかし、その後のバブル崩壊と長引く不況とともに下火になってしまいました。
最近ISO9000の2000年版で”顧客満足の把握”が要求されて再び注目を集めています。
顧客満足の定義ですが定まったものはありません。佐藤知恭(ともやす)教授の定義では「サービス/製品に顧客が自分自身の基準により納得の得られる品質と価値を見出すこと」とあります。
「CSなくしてCSなし」といわれます。
はじめのCSは顧客サービス、後ろのCSは顧客満足です。企業が決定でき、努力できる範囲は顧客志向の理念を周知徹底させ、顧客の要求を把握した製品/サービスを提供するだけであり、顧客満足とはその結果「お客様が感じるもの」だというのです。
数年前某自動車メーカーが新聞広告で「当社の製品がヨーロッパで顧客満足調査結果第一位だった。」という広告をしました。それを批判した方がいて、顧客満足とは顧客個人個人が感じるものであって他の大勢が満足してもそれを既成の価値として押し付ける事自体が顧客志向主義に反すると言う論理でした。なかなかむずかしい理屈ですね!?
ちなみに日本では「顧客満足」をかかげる企業や書物が多いそうですがアメリカでは「顧客サービス」を掲げる企業・書物が多いという方もいます。(確証はありません)
誤解のないように付け加えますが・・・ISO9001:2000年版では「顧客満足を実現せよ」なんて言ってません。「顧客満足の度合いを調べてマネジメントレビューに反映しなさい」と言っているにすぎません。
つまりISO9001を採用すると顧客満足が向上するんじゃありません。ISO9001が顧客満足の向上を求めているということです。

もっとも、日本人は顧客満足を非常に高い水準と考えていますが、ISO規格を作る委員会で外国の委員が「一回取引した顧客から再度注文がくれば顧客満足を得ていることになる」と発言したように大げさに考えることはなさそう。
オックスフォード辞典によると"safisfy"とは「ニーズ、要求を満たす事」で優・良・可・不可でいうと可のレベルなんだそうです。日本人が顧客満足としてイメージする「お客様が製品/サービスに感動すること」は"customer delight"というそうです。「顧客感激」とでも訳すんでしょうかね

具体例としては、黒猫ヤマトの神話、サウスウェスト航空のサービスなど顧客満足に関する挿話には事欠きません。
そういえば「真実の瞬間(とき)」もはやりましたね。これは一人の経営者が文字とおり孤軍奮闘して採算の悪い、モラルの低い航空会社を立ち直らせた物語(もちろん実話)です。
黒猫ヤマトの神話とは
1984年、59豪雪と呼ばれる大雪が降りました。
スキーに行くのに板を宅配便に頼む方が多いそうですが、当然これにも大きな影響があり遅れどころか届ける目処がつかないものもありました。この場合輸送約款では運送会社に責はないそうですが、ヤマト運輸はスキー板を依頼した客に貸しスキーを無料で貸すということをしたそうです。
これが後に黒猫ヤマトの神話となりました。
NHKのプロジェクトXという番組でヤマト運輸のサクセスストーリーが放送されました。
発展を支えたのはスタンドプレイやとっぴなプロジェクトではなく、現場の一人一人の仕事に対する誠意であると思いました。(放送されたものがクロネコのすべてではないはずですが)
一つの荷物を背負い雪の中を届けるという行為にただ感動しました。
CSとか顧客満足といった歯の浮くような言葉でなく、「後工程はお客様、悪いものは決して渡さないんだ」という心意気がすべてと思います。
そのためには、あるいはそうすることによって自分の仕事に誇りが持て、自己実現がなされると言ったら大げさかな?
「真実の瞬間」の中で石を積んでいる職人のたとえ話があります。
通行人「あなたは何をしてるんですか?」
職人A「おれは今日の飯のために働いているのさ。」
職人B「おれはいわれたとおり石を積んでいるんだ。」
職人C「おれは教会を作っているんだ。」
製品を作るということは、単に良い製品を作ることではないと思う。
その製品をお客様に使っていただき、それによりお客様の生活を豊かにする、そして社会に貢献するということであるはずです。


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記録は鉛筆ではダメですか?
ISO9000/14001の場合、あるいはBABTなど特定の規格対応の場合、PL訴訟のケースを考えてみましょう
特定の規格によっては「鉛筆はダメ」と定めている場合があります。これには従わなくてはなりません。古い話ですがBABTでは禁じていたと思います。(1992年のことなので今は変わっているかもしれない)
ISO審査の場合、認定機関が独自に種々の基準を定めています。イギリスのUKASなどは鉛筆に厳しく、ここから認定されている審査機関は当然鉛筆に厳しくなります。審査機関がさらに独自の基準を定める場合があります。しかし最近の傾向として、ISO規格に鉛筆を禁じると定めていない以上、記録保管期限まで劣化しないならOKとする判断が一般的です。改竄(かいざん:書換え)はいかなる筆記具、記録媒体(CD-Rであっても)でもやろうとすれば修正できるという前提(あきらめ)のようです。
もうひとつ考慮しなくてはならないことは、会社規則がどのように定めているかということです。ISO審査においては規格通り実施されているかということと、会社のルールが守られているかを確認します。ISO規格になくとも、会社の規則で記録には鉛筆書きを禁じていれば鉛筆で書くことは不適合となります。
PLにおいて鉛筆の記録の有効性はどうでしょうか?商取引においては口頭の約束でも契約が成り立つわけで鉛筆/ボールペンと関係なく、判事の心証が得られれば有効です。

別な観点から見る事も必要です。それは何が記録に該当するかです。
日常作成している記録には議事録、伝票、評価試験報告書、出張報告、測定記録、点検記録、文書台帳などたくさんありますが、それらがみな「品質記録」あるいは「環境記録」ではありません。
機械の日常点検チェックシートを考えてみましょう。これは製品品質を立証する記録あるいは製品の製造条件を立証する記録に該当するでしょうか?
ISO規格を見ると「認定された工程/設備について記録を維持すること」とあります。つまり、その工程以降で製品の不具合が発見できれば→機械の認定の必要はなく→機械の点検記録はいらない。
ですから規格から言えば認定不要の機械/設備のチェックシートは品質記録ではありません。
さらに認定が必要な設備でも、個々のチェックシートでなくてこれをまとめたものを点検記録とすることも可能です。
真に必要なものだけを品質記録/環境記録として、「それ以外は一過性のものでISO規格で要求する記録ではない」と解釈/主張する事は可能です。もちろんその時対象となる記録を明確にする必要があります。
しかしながら、鉛筆とボールペン書きの区分を明確にして、それを間違いなく守らせることはまたそれなりに困難なので、「すべてボールペンで書かせるんだ」という判断であればそれもひとつの見識ですから尊重しなくてはなりません。
結論として、特段の外部要求がなければ自らが決める事、但し地区内での見解は統一されている事と、時と場合で変わってはいけないことは言うまでもありません。

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責任、権限ってなんですか?
ここではISO規格とか会社の規則でいう責任、権限を考えます。
責任とは何か?と国語辞典を引くと(1)しなければならないこと、(2)制裁を受けること、などと書いてあります。
権限もいろいろ書いてありますが省略。
ISO規格の原文は英語です。決まりでは「ISO規格は英語、仏語で制定する」とありますが、検討時は英語で審議されます。つまり仏語に翻訳されたものも原本として認めるということです。
で、責任と訳されている元の単語は「responsibility」です。
これは日本語で言えば「責任」なんでしょうが、その意味は「response」+「ability」であって、「対応することができる」ということです。
よく「責任者を出せ!」なんていいますね。この時の責任者は「この問題を取扱える人」ということで英語の意味と同じです。
ISO規格でその後に出てくる「implementation(実施)」につながり、実施する機能という意味です。この役割は担当者または部門に所属します。
つまり「仕事をするのが誰か?」ということであって、制裁を受けるとか腹を切るという意味とは違います。

日本の政治家は日本語の責任で腹を切る人はいても、英語の責任で対応する人は少ないようで・・・・・

同様に権限も「法に基づいて決定できる範囲(広辞苑より)」ではなく、原語は「authority」ですから「authorize(またはapprove)する機能」、簡単に言えば「はんこを押す、決済する」と言うことです。
なあんだ、 責任権限を決めろと言うのは「誰がその仕事をするのか、この書類あるいは伝票を承認する人を決めろと言うこと」だったんです。

「権限は委譲できるが、責任は委譲できない。」なんてことをおっしゃる方もいますが、そんなことありません。
責任を委譲することもできます
「この仕事おれの代わりにやってくれ!」なんていうでしょう。これは責任の委譲です。責任逃れともいう(^^)
「課長がいないときは君が代印を押してくれ。」これは権限の委譲です。

『権限とはなんぞや?』と疑問を持たれた方はルイス・A・アレン著「組織と管理」をお読みください。
もう40年?も前の本ですが”組織論はここから始まった”といわれる本です。
今出版されている組織論はみなこの子引き、孫引きです。
部、課といった組織構造、権限、管理、方針などについて書かれています。
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ISO9000では品質向上を要求していますか?
規格の8.5.1継続的改善では「組織は、品質方針、品質目標、監査結果、データの分析、是正処置、予防処置及びマネジメントレビューを通じて、品質マネジメントシステムの有効性を継続的に改善すること。」とあり、”求めているのは製品(またはサービス)の品質向上”ではなく、”品質を作りこむためのシステムの改善”を求めています。
要するに、
製品の性能向上やバラツキ削減などを求めていません。
不良率の削減も求めていません。
ちょっと、ピンとこないかもしれませんがISO9000の求めているのは、製品の品質を作りこむためのシステムの改善です。

例えば教育体系を見直すとか、文書管理方法の改善、内部監査の仕方を変える、その他もちろん不良対策方法の見直しもあるでしょう。
その結果、業務の質が向上し、お客様に提供する製品の品質が向上すると考えているのです。
まだるっこしいと受け取られるかもしれませんが、仕組みを見直していけば長期的に確実に製品の品質が改善されると考えているのです。
いってみればISO9000は解熱剤のような対象療法ではなく、漢方薬のような体質改善なのです。

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