日の丸・君が代(その3) 2002.01.25

またまた引き続いて、、
日の丸、君が代の議論は観念論になると泥沼です。
お互いに宗教のように信じているのですから、議論可能性はありません。

人間は体験、見聞しなければ本当に理解できるはずがありません。
日の丸は侵略の象徴だとおっしゃるお方、日の丸を先頭に侵略した光景を見たのでしょうか?
聞いた、読んだ、そのはずだ、そんなことうっちゃりましょう!
仮定の話、建前論、思いこみ、教条主義、一旦それらを離れて自分の体験、心象から考えてみようじゃないか、、

日の丸は単に布切れに赤く丸を描いたに過ぎない。
しかし、それが意味を持つのは我が人生の苦楽を共にし、その体験、意義が日の丸に込められたからこそ象徴としての存在となる。
流行歌が記憶に残るのは、自分の歴史の道しるべであるからだ。
私は横須賀ストーリーで結婚し、中島みゆきの時代で娘が生まれた。だから歌を忘れない。

私の今までの人生で日の丸はいかなるイメージを持つのか私の思いをつづろう。

日の丸とは!

日本復興のイベントにはいつも日の丸があった。
今、日本は豊かで当り前だと思われている。
私は貧しい時を知っている。我々がこの日本を復興させたのだ。
日の丸は私にとって、戦争なんかと関係ありません。戦後の復興の象徴だったのです。
私と同世代、今50代 60代の方々は同じ経験,体験があるはずです。



現在の韓国や中国も国威高揚や国家意識をたかめるためにそのようなドライブがかかっていることは認める。
しかし、決定的に違うことがある。
我々は他国を貶めたり、責任を転嫁するなど卑しいことは絶対にしなかったのだ。



日の丸君が代に反対している人に問う!
我々が日本復興に邁進していた時に、あなたは何をしていたのか?
もちろんみなが苦労を担ったわけではない。ここにいる人の中にはまだ生まれていなかった人もあろう。
ならば、今の安全で豊かな暮らしを誰が築いてくれたのかを思い返し、感謝しなければならない。
日本の復興の象徴である日の丸・君が代を貶めることを私は許さない。
どうしても日の丸が嫌いならせめて静かにしていたまえ。


”話がわからん奴は手袋を拾え、受けてたつ”


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