ものの見方考え方(2)2002.02.11
以前、「ものの見方考え方」と銘打って書きましたが、改めて思うことを書きます。
いつぞやも書きましたが、何事でも個々の現象をとらえてもしかたありません。
まず、全体をとらえて収支を考えることが必要です。次に本質をとらえないと議論は空転します。

たとえば環境問題を取り上げてみましょう。
有名な『成長の限界』は地球全体としての収支を検討、シミュレーションしたことがそれ以前の環境問題認識と大きく違うと思います。
具体的には生物の活動の源は太陽エネルギーです。(わずかな例外は原子力ですがそれを利用するにはやはり太陽を源とするエネルギーがいります。あっ、地熱なんて言いださないで、その寄与率はゼロに近いです)
その他、各種資源についても総量と消費から研究したアプローチが斬新だったと思います。
そこから導き出される環境問題に対する認識は、
資源は永遠には続かず、やがて枯渇するということと、よって文明は永続することはできないということです。
恐竜と同じく文明は永久には続かずまた人間も生物の種としての寿命を持っています。
唯物史観ではこの解決として宇宙への脱出を考えていたわけです。
ご存知ですか?人間が宗教によらずに永遠の命を持つには宇宙にでなければ・・・というフレーズを
人間は個としての命が限定されていると同時に、種としての命も限定されているのです。
考えると悲しいことですが、生物としてやむをえないことでしょう。
この宇宙さえ熱的死を逃れることはできないのですから、
ですから自らの死を理解して、納得した者が大人であるということです。

さて次に、世の中では簡単に環境保護という言葉が使われていますが、環境保護とは何でしょうか?
私に言わせれば環境保護とは人間の住みやすい環境を維持することに他なりません。
世にたくさんある環境保護団体の中にはこの事実を理解してない方が多いようです。
 『このままの自然を守りましょう』ですって?
どの自然を守るのですか?
地球が過去より現在の姿であったわけではありません。
小中学校の理科で習ったように、発生当時は単なる岩と灼熱の環境でした。大気もなかったそうです。その後、地球環境は還元性気体、酸化性気体への変遷があり、その時々のPH、気圧、温度(地温、気温)その他の指標は大きく移り変わってきたのです。
オゾン層を守ろうということは、人間にとって安全で住みやすい環境を守ろうということだと認識しなくちゃいけません。地球を守るためにオゾン層を守るんだなんて信じている方は認識が間違っています。
オゾン層がなく、亜硫酸ガスの漂う地球が本来の姿なのかも知れず、それであれば今までの公害発生や温暖化。オゾン層破壊はあるべき地球環境への回帰活動だったのかもしれません。これマジメですよ!
もう一度言いますが、環境保護とは人間の住みやすい環境を維持することなのです。
ならば野鳥の生息する環境を維持しようというときに、人間の経済活動を無視することは大いなる欺瞞です。
反論したいあなた、私の定義でない環境保護の定義を教えてください。
---ぜひ反論を期待します。---
財布にある以上の買い物はできないんです
第三は何事もイン・アウトの総量から考えなくてはならないことです。
地球のエネルギー総量は一定ですから、フロー(太陽エネルギー)だけを使って生活するのか、ストック(化石エネルギー)も消費して生活するのかを決めなくてはなりません。
月給だけでなくて親の遺産を使っていればいつかは遺産はなくなります。自分の寿命に合わせてストックを使うという選択もあります。
蒸気機関、ガソリンエンジン、ガスタービン、なんであろうとカルノーサイクルの手のひらから逃れることはできないのです。あっ、これエネルギーだけじゃありませんよ、いかなるものも自然の法則に支配されているということです。トンネル効果や超流動は微小世界あるいは特異な状態でのみありえるのです。

今まで述べたことは環境だけじゃないですよね、、
平和、平和って叫んでいる人たちもいます。これについても適用できます。
全体としての認識があってはじめて個々の事象について言及することができます。
戦争とは一国だけとらえてもせんのないこと。戦争は複数の国家間の行為なのです。日本で『戦争反対!』と叫ぶなら仮想敵国、表現が気に入らなければ相手国にも叫ばなければなりません。自らの反省だけでなく、関係国に対しても反省を求めなければなりません。
過去の戦争において日本も反省するところはあるでしょう。しかし同時に過去の中国の行為に対して反省を求める必要がありますし、それ以上に、現在中国が行っているチベット侵攻や国内の弾圧に対して反省を求め、撤退を要求しなくてはなりません。
『反核運動の叫びはニューヨーク市の空にとどろいても、モスクワ市の街角では沈黙を強いられている』(読売新聞84.01.01社説より)
そして今現在、自衛隊反対、憲法違反と叫ぶ人や団体はあっても、中国軍の脅威を、テポドンの脅威を、竹島の不法占拠を叫ぶ人は少ないのです。
日本の防衛力は中国の軍備に比べてどのようにとらえられているのでしょうか?
まさか、中国は平和国家だから軍備は持たないとか少ないとかお考えではないでしょうね?
社民党議員団が北京で謁観しその精強振りを称えたことは広く報道されています。
日本は自国の防衛上、いえいえお付き合いするうえでもそれなりの防衛力を持たないといけません。
北朝鮮の核兵器疑惑、テポドンの脅威、細菌兵器などなど、私たち日本人は自己の生存のために対抗策を執る権利があります。

何事も自分の立場にとらわれずに、全体的、超長期的にものを見ないといけません。
環境問題も国家論も同じですね!

ところで、こんな私ですが、社民党あるいはサヨク団体のスポークスマンとしての職はないものでしょうか?今、リストラの危機にあり首筋が涼しいので仕事を探しています。
お声がかかるのを待っております。


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