無事法制を作ろう 2002.04.21
先日、「平和主義的有事法制を作ろう」を書きましたが、その後考えを改めました。
先日の論理は「有事はある」という前提で考えたものです。
しかし、ある人たちが有事と考えるものが価値観の異なる方から見れば、有事でない(すなわち無事である)という考えもあるという結論に達しました。
そんな、高尚な理論かい?  (陰の声)
有事の反対語は何か?
私の大好きな佐々さんの著書に「有事の指揮官、平時の指揮官」というのがあります。有事の反対語は平時でしょうか?
 残念でした。
平時の反対語は戦時です。
佐々さんは「平時」の対として「戦時」じゃまずいと考えて「有事」とされたんでしょう。
有事の反対語は無事でした。
(^^)
ということで、ある人たちが考える「有事」は私たちにとって「有事」ではない、すなわち「無事」であるという思想に基づいて「無事法制案」を策定しましたのでここに議員立法を提案いたします。
(いつから佐為は国会議員になったんや? 謎です)


ちなみに、ある人たちが言っている「有事」とは、、
たとえば、大地震がおきたとき、あるいは中国人民解放軍が突如として北九州に上陸してくるとか、北朝鮮の不審船が海上保安庁の巡視船にミサイルを撃ち込むとか、極左テロが成田空港を襲うとか、マアそういったものと仮定しましょう。

私たちはこれは「有事」ではない、すなわち「無事」、「平常時」であると理解しています。
では「無事法案」とはどのようなものかご説明いたします。

ご存知のように、私たちはかねてより中国の人民解放軍を称えております。具体的には社民党土井委員長や元首相であらせらる村山翁などの発言をご存知でありましょう。また私たちは、自衛隊をあってはいけないもの、必ずや廃止しなくてはならないものと考えております。
これは反対派から見れば矛盾と見えるかもしれません。でも矛盾ではないのです。
なぜならば私たちは中国人民軍が日本を支配するのがあるべき姿と考えておりますので、それに対抗する勢力をなくそうとするのは当然であり、理論的に矛盾しないのです。

私たちにとって、自衛隊があり、日本が独立国であるという現実が「有事」なのです。
そうです、
私たちは中国人民開放軍が日本を占領することが無事であると信じているのです。

さて、では反対勢力が「有事」、私たちが「無事」であると考えている事態の時、何をするべきかを定めた無事法案の内容ですが、、

第一のケースとして、大地震が起きるということは日本人の悪行に神の怒りが下ったということでしょう。なにしろ『戦後50年国会決議』を否決したような良心を持ち合わせていない国民なのですから。
政府はなにもしないのが正しい対応と考えます。国民が自主的にボランティア活動をするのは黙認したいと考えます。
歓迎、人民解放軍♪

第二のケースとして中国人民解放軍が攻撃したときですが、
これこそ待ち望んでいた事態ですから、私たちの無事法制では自衛隊が動かないことと規定します。
私たちの「無事法制」では国民の一切反抗行為を禁じ、速やかに平穏に中国の支配下に入ることを定めます。
そして国民を強制的に動員して「五星紅旗」を打ち振り歓迎するパレードを行います。

第三のケースとして、次回北朝鮮と思われる不審船が現れた場合は、何もしないことです。
だって無事なんですもん、
彼らは必要な任務、たとえば罪のない日本人を拉致するとか、覚せい剤を持ち込むとか、高度な電子機器を持ち出すなどを達成すれば何事もなく日本を立ち去るはずです。
私たちが何もせずにいれば、犠牲になった人だけの問題で事は終わります。

これが私たちの提案する「無事法制」です。
みなさん、有事あるいは無事というのはものの見方、考え方により異なるのです。

さあ、みんなで無事法制を議決するための署名運動を行いましょう!

しかしながら、
日本の無事をこのように定義し、無事法制を日本の憲法あるいは体制内で制定しようとする論理は成り立たないことに気が付きます。
先日提案した「平和主義的有事法制」は倫理的にはともかく、論理的には整合が取れると考えましたが、この「無事法制」は倫理的にも論理的にも成り立つはずがありません。

日本の自由主義体制を倒そうとするのはひとつの論理として整合性を保つことができるでしょう。
しかし、それを現在の日本の体制を利用して行おうとすることは自己矛盾に陥ることが自明です。

『無事法制』は悪い冗談とおっしゃるあなた、、
この悪い冗談を言っているれっきとした政党があるんですから驚きます。



本日の結論

無事法制を作ろうとすることは
現体制を否定することであり、自己矛盾に陥ります。
議員立法を断念します


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