美しい人 2002.10.29
用がありましてたまに変わった電車に乗りました。
そして懐かしい人を見かけました。
ほんと、お声をかけたくなりました。
いえ、実は生身の人間ではないんですよ、ポスターなんです。

地上に降りた天使 あの麗しい オードリー に出会ったんです。
オードリーを知らないなんてことはないでしょう?
それとももうご存じない方のほうが多いのでしょうか?
でも『ローマの休日』くらいはご存知でしょうね?


オードリー 1929年ご生誕の天使であります。
私 正直申し上げますが、オードリーより美しい方を知りません。

私の年頃の頃はそりゃいろいろアイドルといいますか、女優はいましたよ。
吉永小百合なんてのもいましたが、オードリーに比べれば・・・・そりゃ比較になんねえよ
一方は天使、片方は隣の姉ちゃんだもんね、

吉永ファンから殺される前に申し上げますが、小百合が集団就職とか明日を夢見て浜田光男と汗まみれの労働者を演じていたとき、オードリーは可憐な王女様だったし、大都会を舞う蝶であったわけ、格が違いますよ。
実際、小百合よりもオードリーに感情移入しちゃいますね、昔も今も
オードリーの映画は今でも感動しちゃいますが、当時の小百合の映画を今真剣に見る人がいるだろうか?
いえ、芸術性なんて言うつもりありませんよ。
今の人が、あの頃の生活に同一性を感じ、ファッションにあこがれて感情移入して観ることはできないでしょうね。異議は認める 


もちろん当時はCCとかBBとかグラマーもいたし、細目がいいというならツィギーってのもとり揃えてありましたが、やはり一押しはオードリーでした。
正確に言えばオードリーは小百合を含めたその他大勢より『半世代』上なんですが、私にとってはどうでもいいことでしたね、
オードリーが38歳の時『いつも二人で』で女学生を演じてもちっとも違和感なかったもんね、(本当を言えばちょっと無理気味かな?)
*ツィギー 1949年生まれのやせっぽち
*CC クラウディアカルデナーレ
*BB ブリジットバルドー BB弾とは関係ない



とはいえ、オードリーって方は結構大変な人生だったそうですね、
第二次大戦まっさかりにオランダで子供時代をすごす。バレイダンサーを目指すが背が高すぎていい役につけなかったそうです。
24歳の時アン王女を演じて伝説の「ローマの休日」が生まれる。
恋物語はこれでもう完成して他はいらない。
彼女はきれいだったし、そのファッションもすごい!ジバンシーを知ってるかい?
その後、すばらしい映画もあったけど彼女の人生は不幸だったのでは?
彼女の離婚後に『いつも二人で』を観るとそんな彼女が重なってしまい悲しくなります。

彼女が美人だった、可憐だったということだけじゃなく、私の中学高校の頃のアメリカ映画ってのは夢があふれ、カッコイーとしかいいようなかったね、
ゴールデンフィフティーズは過ぎちゃってたけど車を転がして、あけぴろげにデートしてもう楽天的、明るさ満開でしたもんね。
オードリーはそういったあこがれの大都市ニューヨークとか生活スタイル、ファッションを具現化したシンボルでした。
あんなふうになりたいと思った女性は数限りなく、また彼女にあこがれた男性も数限りなかったと思いますよ。(私もその一人)
あんな暮らしをしたいと願った人は数知れないでしょう。



私はこのような美しい人と同時代(10歳以上は離れてるけどね)生きたことを幸運に思います。


ヘップバーン、いいねえ

なんだ、今日は落ちがないって?
電車から落ちたらまずいだろうに




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美しい人 その2 2004.06.06
初恋の人に会いに行った。
40年前、胸を躍らせてみたあの方、オードリーである。

ここしばらく、通勤の山手線の駅に、オードリー展のポスターがいたるところに貼ってあった。それを見て『おお!これは絶対見なくては』と心に誓った佐為少年であった。

1960年頃、私は田舎町に住んでいた。道路は舗装ではなく、家々の壁は板でトタン屋根、平屋がほとんどだった。あんな壁の家は、今では火災の危険とやらで禁止されているはずだ。
トタン屋根といっても今の長尺屋根とちがい50センチくらいのトタンをつないで貼るものだった。毎年一度は錆止めにコールタールを塗った。暑い時期にオヤジに屋根に上げられ刷毛で塗らされるのが辛かった。当時は瓦屋根というのは金持ちしか建てられないものだった。
そんな田舎町でも映画館はなんと4つもあった。ひとつは成人映画専門だったが、ほかの映画館はまともな映画を上映していた。そしてそのひとつは洋画専門の映画館だった。洋画イコールアメリカ映画という時代である。
街角にはところどころに映画のポスターを貼る看板があり、そこは私と世界をつなぐ窓あるいはタイムトンネルだった。
だいぶ時代は下がるが、尾道を舞台にした映画『転校生』の一画面で街角に貼られている西部劇のポスターが日焼けして風に煽られている光景があった。まさにあんなふうな感じだった。
『転校生』の中学生、小林聡美ももうオバサンです 
gun.gifそこでは封切りから1年遅れの洋画を上映していた。でも私にとってはまさにオアシスであった。
西部劇ではジョンウェインもリチャードウィドマークも元気に馬を走らせていた。
クリントイーストウッドもスティーブマックーンもまだ現れてません。マカロニウェスタンが出る前のことでおおらかともいえるし、大味ともいえるウェスタンが次から次と製作され上映されていた。

opencar.jpg でも私のお気に入りはやはり現代劇であった。映画を観て、アメリカではこんな生活をしているのか!お店はこんな形をしているのか!こんな朝飯を食べているのか!コーヒーってこんな所で飲むのか!ビキニって素敵だ!とはじめて知ることばかり、大いに勉強になった。
当時、アメリカはあこがれの的であったし、今に日本だってこんなふうに豊かになってやるぞという目標としてみていた。

そんな少年にとって、オードリーはまさに地上に降りた天使であった。素敵な人だと胸をときめかした佐為少年の瞳の中にはきっとハートマークがあったに違いない!


    オードリーの美しさは次の三つだ、
  • ひとつ、鎖骨の美しさ、
    彼女のように鎖骨のところに水が溜まるほどくぼみがある人って少ない。
    もっとも60年頃、日本の女性は鎖骨が見えるほどの首もとが広く開いた洋服を着ることはなかった。ヘップバーン展からの帰りの電車でも鎖骨が見えるほど首もとをだしている女性はほとんどいなかった。
  • ひとつ、まゆの美しさ、
    あの特徴ある「まゆ」を描けばオードリーであることのメッセージを送れるだろう。
  • ひとつ、口の美しさ
    彼女は口が大きい。きっとりんごをかじるのが得意だろう。
これ描くのに10分かかりましたローマの街を走った52年型べスパがあった。
へえ!こんなちいさなスクーターだったんだ!そいつにはウィンカーもスピードメーターもなかった。
オードリーが座った後ろのシートは文庫本二つ分くらいしかない。

彼女が後年、社会福祉に尽くしたとか、アフリカの恵まれない人々への使節となったとかあり、写真やビデオがあった。
正直言って私はそういったものに関心はない。私はスクリーンの中のオードリーに魅かれたのであって、私生活を含めた彼女のすべてに魅かれたわけではない。(もちろん彼女は尊敬に値する女性なのだが)
『許されざるもの』で落馬して骨折して、流産してしまったという事実を知って、私は『許されざるもの』を別の見方で見るべきなのか? そうではなかろう。
観客はそういった背景に囚われずに自由に映画を見て楽しんでいいはずだ。

私は彼女の私生活なんてどうでもいい、
私が少年のときに素敵な笑顔を見せてくれただけでもう十分なのである。

しかし、ブンカムラは遠い、渋谷駅からあるいて数分なのだが、田舎者にとっては途中、テッシュ配りの若者と警官に二度道を聞いてやっとたどり着いた。そして帰る時も何かの勧誘をしていたオネーチャンに聞く羽目になった。

相方、都会に来て早や2年たちましたが、いまだ都会人になれません。
私にはオードリーよりたぬきが似合っているのでしょうか?

ヘップバーンよりは・・・グレゴリーペックよりは・・・

帰りの電車で30年連れ添った家内を見て思いました。
ウ〜ン、オードリーよりはちと落ちるが、まあワシもグレゴリーペックよりは足が短いからしゃあないか!


本日はこれまで!


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