以前
尊敬する人という拙文を書きました。自分より能力のある人、自分にできないことができる人、自分にできないことをした人、みな尊敬に値します。
正直言って、私にできて他人にできないことはなさそうです・・・
しかし、自分がなろうとする、あるいはあこがれる人というのは単に尊敬する人とは異なると思います。いえ、それどころかまったく違うことが普通じゃありませんか?
- 私はカラオケというものが苦手です。
カラオケの上手な人を尊敬しますが、自分も歌がうまくなりたいな〜なんて思ったことは一度たりともありません。
- インド洋で平和維持活動に従事している海上自衛隊員を尊敬しますが、正直言って暑いところに行きたいとは思いません。
ハンバーガー大食い大会で優勝した方、わんこそば大会で優勝した方を尊敬しますが、私は食べたい以上に無理やり食べたいとは思いません。
- 七大陸の最高峰を登った田部井淳子さんはすごい!女性では世界初だそうです。
私は尊敬しちゃいますが、そのようになりたいとは思いません。山登りって普通のスポーツと違い、ストイックといいますか、苦痛そのものじゃないですか?
おおっと、その前にまず私は女性にもなれません。
アッ、馬鹿なこと言ってちゃいけません。
本日は自分がなりたい人、あるいはこうあらねばならない姿についてひとつ・・・
まあ、自己実現なんてかっこよく言いますが、誰でも自分を磨き自分を高めていかなくちゃいけないと思います。
なぜなの?と訊かれるとこれまた返事に困ります。
『いやあ、おれは苦労もしたくないし、努力もしたくないし、気楽に生きたいんだ!』と言われるともはや反論もしようありません・・・自分を成長させるためにこの世に生まれてくるんじゃないかと信じるとしか言いようありません。
自分が思い描くあるべき姿というのは年齢とともに変わるでしょうし、到達できるものも見えてきます。まさか私がノーベル賞を狙っても不可能と言うもの。
もっとも、最近はノーベル賞の価値も下がる一方です。
ノーベル平和賞というのは平和に寄与しなかった方がもらうもののようですし、ノーベル文学賞にいたっては文学とは関係なく政治的成果によっていただくものらしいのです。
私がなりたい人ってどんな人だとお思いでしょうか?
実は私が具体的にあこがれてる方が一人いらっしゃいます。
私はこの人のようになりたい、こんなふうに話をしたい、日本を日本人にこんな考えをインボルブしたいと思い続けております。

その方は、
みなさん、ご存知と思いますが
『唐津 一』であります。
なぜ?
この方こそ、過去現在
『日本人よ!誇りを持て』と常に本を書き、講演で、テレビで、新聞で声の限り力の限り叫んでいらっしゃる方だからです。
この方の話の特徴としては、
- 数字を挙げる
とにかく、具体的、数値的に実例を上げ説明する。
- 自分が直接見聞きしたこと、体験したことを話す
本で読んだとか、人に聞いたとかいう話ではなく、どこそこに行って誰さんと話したとか、こういったことを見てきましたと言う。
- 積極的でプラスイメージであること
困ったね、だめだね、そんなことは決して言わない。
こうやって良くなったよ!こうしたらうまくいくよ!希望を持て、
- なによりも彼自身の成功体験に裏付けられています。
だから唐津さんの話は説得力があり人を感動させ力づけるんです。
まさにカーネギーの
『道は開ける』のような『読むクスリ』『聞く薬』であります。
唐津さんは終戦後日本が廃墟となったときも自らが日本の産業、日本の工業発展のために尽くしてきた方であり、そのキャリアは成功体験に裏付けられている。
そしていつも『日本人よ!誇りをもて』と叫んでいる。
私は政治的なことだけでなく、日本人が自分の生まれた国を愛し、日本の発展のために尽くして欲しいと思って欲しいと心から願っています。
そのために
唐津さんのような、体験と実績に裏付けられた説得力ある言葉を話せる人になりたい!
と念じております。
道は遠くとも、そのような人になるために努力し修行することが私の喜びであり勤めであります。
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