なまけもの様よりお便りをいただきました。(2003.03.10)
「人間の盾」を読んで 〜23歳の消極的反戦派の主張〜
はじめまして。
毎回、深く考えさせられながら拝見しております。今回、人間の盾についてのコラムを拝見しまして、自分なりに思うことがありましたのでメールを送ろうと思った次第です。このメールはどのようになされても結構ですので私の思いを述べさせて下さい。
連日、反戦運動が報道されています。実際に反戦を唱える人は非常に多いですね。戦争の悲惨さと平和の大切さの両方を知っている日本では当然の事でしょう。私もどちらかと言えば反戦の立場を取ります。しかし、私はここでデモに参加し、または盾となる事で反戦を唱えている人に聞きたい事があります。
「如何なる論理を以ってして反戦を唱えるのか?」
戦争が悲惨で悪い事というのは誰だって分かる事です。今、アメリカはその戦争を敢えて行おうとしているわけです。以降は戦争は必要悪として認められるべきものという視点に立って論を進めます。なぜなら、これは国際政治で通用する価値観であり、イラク攻撃に反対しているフランスも「武力行使を否定するわけではない。」と公言している事からこの視点に立てない人には、アメリカを思いとどまらせる力はありませんので、議論する余地がないからです。
アメリカが、この必要悪を敢えて行う以上アメリカなりの論理展開をしっかりしており、その論理に沿った形の結論として戦争を選択しているように思えます。ならば、反戦を唱える方はアメリカの論理を破る論理を展開しなくてはいけません。よく「イラクの子供がたくさん死ぬことになる。そんなことは許されるはずがない。」とインタビューで仰る方を見受けます。イラクとの戦争は国家間戦争である以上、イラクは自国民を戦争に巻き込まないように最大限の配慮をする必要があると思います。
ならばまず最初にイラクは自国の子供に対し戦争に巻き込まれないように最大限の配慮を払っているか?という問いを発しなくては行けません。イラクで戦争が起こりそうな情勢である以上、イラクの非戦闘員を戦火から遠ざけるのはイラクという国家の責任であり義務であると思います。守備側のイラクがこのような義務や責任を果たした上で、次は攻撃側のアメリカやイギリスが非戦闘員を巻き込まないように配慮しつつ、作戦を立てる。これが順序というものではないでしょうか。ならば、「人間の盾」を歓迎し、しかも自国民を軍事施設を守るための盾として利用している(少なくともそのような疑惑がある)イラクこそ非難されるべきだと愚考します。よって民間人の犠牲を以ってしてアメリカに対し反戦を唱えるのは不可能だと結論付けます。
次に、私が「消極的な反戦」とも言える理由を挙げます。
- まず第一にアメリカがイラクを敵視する理由が遷移している事です。最初、対テロ戦争を理由にしておりましたが、現在の理由は国連決議違反です。もちろん国連決議違反は武力行使の理由となりえるでしょうが、いつのまにか理由がすり替えられている以上、アメリカの信用を多少なりとも損ねてしまった事は否めません。よって、アメリカは国際的な信用を維持し続ける為にも、もっと時期を選ぶべきであると思います。
- 第二に、国連を軽視する行動は慎むべきと考えます。少なくとも軽視するポーズだけに留めるべきと考えます。これは過去の国際連盟が、その機能を満足に果たせなくなり消滅した後、再び国際連合という話し合いのテーブルが生まれるまでに多量の血が必要とされた事を思い返すべきだと思うからです。
- 第三に、アメリカ国内に、しかも権力に近いところに「中東を民主化するのが我々に与えられた責務なのだ」と堂々と発言する人間が存在することです。そういう第二の目的があったとしても、それを公言している輩がいる限り、イデオロギーに基づいた戦争であると受け取られるからです。今時、十字軍ではあるまいし、「イラクの武装解除」という大きな目標の前にアメリカは内側に足を引っ張る輩が存在するのではないかと愚考する次第です。
しかし、イラクに圧力をかけることは賛成です。刀の柄に手をかけ、ジッと睨み付けることは絶対に必要です。ですが、伝家の宝刀は抜いてしまっては意味がありません。軍事力は行使されない事にこそ意味があると思います。しかし、せっかく睨みを効かせても刀の前に丸腰の人が身を躍らせてアメリカが刀を抜けないようにすると意味が無いのではないでしょうか?ならば我々も睨みを効かせながら、イラクに聞こえないように「ブッシュさんブッシュさん、短気をおこしなさんな。いえいえ、日本はアメリカの味方ですよ。でも、今短気をおこすとマズイんぢゃないですかい?」と言うのがBetterな選択ではないでしょうか。
マスコミは「日本の態度は曖昧だ」と言っていますが、私はかなりいい線を行っているのではないかと思います。長くなりました。すみません(汗)。
初めは安易に反戦を唱えている人に対する批判を書くだけに留めるつもりだったのですが、ついつい超長文になっていまいました。初めてのメールなのに非常に長文で申し訳ありません。
なまけもの様、お便りありがとうございます。
ものすごく深く考えておられますね、とても私の及ぶところではありません。
「日本人よ」の論説委員をお願いしたいところです。
私は戦争が好きなわけありません。・・・戦争が好きな人はいないでしょう?
なまけもの様も同様と思いますが、「戦争する権利だけは放棄しない」ことが重要でないかと考えております。
それと、反戦を叫ぶ人が「非暴力でない」ということに驚きます。
元赤軍派の老人が「非戦の旗は降ろさない」なんて語っているのをみると「思考がめちゃくちゃ」といいましょうか、支離滅裂といいましょうか、あきれるほかありません。
反戦なら非暴力で実行して欲しいものです。
「戦争反対」のためなら力に訴えても、非合法活動も許されるなら、それはもはや話になりません。
そういった輩よりは、力を信じるフセインとブッシュ間のほうが話し合え、理解しあえるのではないか、なんて思います。
それと長文であることが悪いことはありません。
戦争と平和で長い文を批判したのを気にされたのでしょうか?
気にしない、気にしない、
なまけもの様よりお便りをいただきました。(2003.03.11)
掲載ありがとうございます。
先日メールを送らせて頂きました”なまけもの”です。
あのような駄文を掲載して頂いて恐縮です。
イラク問題のような国際情勢に関する私の考えは、ほとんどフリージャーナリストと呼ばれる方の受け売りでして、特に田中宇さんの影響を強く受けている事が分かる人には分かってしまうんです。勢いで送信ボタンを押してから多少恥ずかしく思った事を白状します。(^-^;)
ただ、反戦デモなどに参加しておられる方は感情的になっておられるだけの様な気がして、「それではいけない」と言いたかっただけなんです。佐為が挙げておられた「60年安保」「成田闘争」「大学騒動」などなども、やっぱり感情的になっていただけだと思います。しかし、人間は理性知性の生き物ですから、感情だけで物を言ってはいけないと思います。朝日新聞に代表されるマスコミも、もっと理屈をこねくり回すくらいの覚悟で考えてから記事を書いて欲しいですね。それから、新聞を読むほうも自分なりの目を養うと言うか…。私なんてまだまだですけど。(論説委員なんてとてもとても…)
最後に…佐為さんの仰られている事は至極もっともで大変納得させられます。応援してますので、頑張って下さい!
なまけもの様、お便りありがとうございます。
実は私の相方がいたくあなたの論文を気に入ってぜひ引用したいと申しております。
できましたら、相方の板に回答をしていただければと思います。
彼は体も大きく、気持も大きい大人物ですから、ひょっとすると原稿料がいただけるかもしれません。
いえ、きっともらえるに違いない!
よろしくお願いします。
私がお金がもらえるといっていたなんて書いちゃダメですよ
やししれし様よりお便りをいただきました。(2003.03.21)
『人間の盾』としてイラクに赴いてる人たちが、滞在費を捻出せんとしてホテルでバザーを催したそうです。
その際コーランを出品したところ(!)、現地の人が「コーランは叩き売るような物ではありません!」と激怒した由。
どんな宗教においても、聖地は無論、経典や祭具の類は命に代えて守るべき神聖な物であるのは、常識以前の話です。経典を売り払い換金する行為は、現地の人々の目に、どういうふうに映ったでしょう。
その程度の基本的な常識も持っていない人間が、現在極めて複雑な状況下にある土地に「平和が一番!戦争ハンターイ!」と唱えながら乗り込んでいる光景に、私は滑稽を通り越して恐怖を覚えました。
宗教を教育現場に持ち込んではいけないという原則を守る余り、信仰のためには自分の命と引き換えにして何ら躊躇しない人々が世界には数多存在するという事実を子供達に教え込むことが欠落し、その代わり「平和平和」と3遍唱えるか、千羽鶴でも折ればたちどころに平和が到来するような教育を施してきた結果がこれなんだと思い知らされた様な気がします。
政府は『人間の盾』の人々に、最後までイラク国外への退去を説得する方針であり、いよいよの時は脱出用の政府専用機派遣も検討中とのこと。世界のどれだけの国家が、自国民、それもVIPでは無い一般の国民救出に、命懸けで脱出用航空機をはるばる外国に飛ばす能力を持っているでしょうか。ところがこういう人たちに限って、最大限に自国の悪口を言うのです(笑)。
一体日本という国は、どこまで世間知らずの我儘な坊ちゃま嬢ちゃまを甘やかすのでしょう。
お便りありがとうございます。
今日はお彼岸でしたが、家族そろってお墓参りとかするという風習が廃れてしまいました。
先祖がなければ自分はいない、ということを実感として理解できないのでしょう。
そして自分も子孫になにかを伝えねばならない、自分の帰属する社会の文化を伝えていくという責任あるいは生きがいを持っていなければ人生とは何のためなのでしょうか?
日本人が生活と密着したそういった習慣を捨てたとき、日本社会は崩壊したのでしょう。
でも、まだ間に合います。
鎮守の祭り、ひな祭り、お彼岸、お盆、節句、そういう習慣を伝えることが日本社会を再生することかなと思っております。
私は日本人として日本が強国(軍事的という意味ではありません)であってほしい、誇りのもてる国であってほしいと念じております。
しかし、それは軍備を増強しようとか、国連の常任理事国になるべきだとかいう物理的なことではなく、国民一人一人がこの日本の古きよき伝統を伝えることから始まるのかな? なんて考えておるのです。
実は、私はミリタリーオタクなんです。
出張などで海外に行くと恥ずかしながらピストルを撃ったりしております。
でも、このウェブサイトでは軍拡をしよう、核武装しようなどと語ったことはありません。
本心から日本を強国とする手段はそんなことじゃない、日本人の意識から生まれるものだと信じております。
このウェブサイトはそんなことを理解してほしいと思って開設しました。
効果のほどは定かではありませんが・・・
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