おかげさまでアクセス数もなんと
10万になろうとしております。
つまらないことを書き連ねておりますが、それにも懲りずに毎度ご訪問いただき、お客様ありがとうございます。
いつもくだらないことを書いておりますので、せめて10万アクセス記念に罪滅ぼしのためにもひとつ踏ん張ってまじめなことを書こうかと思うところです。
最近、私のような者に「・・についてどう考えますか?」というお便りを頂きます。
ちょっと待って下さい、私は知識もなく学位どころか学歴もなく、ただの
越後のちりめん問屋のご隠居ですよ、
冗談はさておき、私はそのような質問者のスタンス・基本的な発想を疑います。
私たちはすべてにおいてなにものをも疑ってかからねばならない。
他が認めているから権威であるとか、信用できると考えてはいけないのです。
そして考える前に人に聞こうとする姿勢には疑問を感じます。
思想的に保守
(政治的なことではなく、国語辞典を引いて欲しい)であろうとも、考えにおいては常に革新であらねばなりません。
では、本日は権威について
権威ってなんですか?とは以前書きました。まあ、本日もモチーフは同じですが・・・・
人は行動するとき、過去の前例、他人の意見をどう受け止るべきでしょうか?
「人がやらないからやる」とか「人がダメだと言ったからやる」と考えなければ進歩はなく、更には成功もそれにともなう感激もないのではないでしょうか。
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・だれそれ教授が言ったから、
・あの本に書いてあったから、
・先生が教えてくれたから、
・お父さんが言ってたのよ、
・テレビニュースによると、
・○○新聞によると、
・国会議員の話では、
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そんなのそのまま信じてはいけません。みんな疑ってかからなければなりません。
人間が考える葦ならば、自分の頭を使って考えなければなりません。
そう言えば最近は葦も見かけませんねえ〜
そのせいでしょうか、日本人が考えなくなったのは
もう少し視野を広げると、世の中には不思議な現象が多々見られます。
- 党本部の決定が絶対であり、疑うこと,反論することを許さない政党もあります。
こういった政党は絶対に革新ができず、保守主義に陥るでしょう。
既に陥っていますか 
なぜか、そういう体質は革新政党に多いのですよ。いえ、革新を名乗る政党といいましょう。
実態は教条主義の宗教に近いのではないでしょうか?
宗教なら確立した価値観を共有し布教することに意義があるでしょうし、その力を政治的に行使することはできない。ところが政党と名乗れば100年前の価値観を教条主義でもって政治に力を及すことを許されているということが疑問ですね。
しかしなんですね、
政党とは自分たちの意見を実現しようとするために作るものでしょう?
自分たちが奴隷になるための政党って一体なんでしょうか?
- 日本国憲法は理想の平和憲法だ!
そう信じてらっしゃる方が大勢いらっしゃいます。
まあ、赤信号は進めだと信じるよりも事故にあう可能性は少ないかもしれません。でも、レミングのように、盲目的に海に身を投じるために行進しているのかもしれません。
私にはそのように見えます。
まあ、ことの是非はおいといて、(私は何でもこの調子です・・・)
一体全体、彼らは日本国憲法を読んだことがあるのでしょうか?
そして、一語一句味わい、自分の頭で考え、「これが理想の平和憲法だ!」と判断したのでしょうか?
私にはそうとは思えないのですが?
日本国憲法を読み返し、そういう結論に至った方がいらっしゃいましたら、ぜひ憲法を語り合いませんか?
- 環境ホルモンが危ない! 奪われし未来!
『キャア!環境ホルモンって恐いわ』なんて思いますよね。
最近の論文では、環境ホルモンの害を否定するものが多いそうです。
正しくは内分泌攪乱物質というそうです。環境ホルモンというキャッチフレーズは宣伝効果バツグンでした。

フロリダのワニはメスばかり、といった風説もありました。
どうもそうじゃないらしいのです。
爬虫類は温度で性別が変わるので温暖化のせいじゃないか?という方もいます。
ワニの性別なんて外観からは分からないと動物園の飼育係が言ったという話も聞きました。
環境ホルモンだ!と断定できないことは確かであり、そうでない可能性のほうが高いようです。
一方的な論評を鵜呑みにするのは危険です。
ダイオキシンの危険性も怪しそうですしね・・・・
まあ、くだらない話を続けるのはやめましょう。
私が声をからして申し上げますことは、自分の頭で考えよう!ということでございます。
ここをご覧になられる方へ、決して私の主張を信じてはいけません。
信じてよいのは私のスタンス、あるいは考え方です。
権威をそのまま認めちゃいけません。いえ何者も無条件に信じてはいけません。
ご注意申し上げておきますが、
私は権威を疑えと申し上げているのであって、権威を否定せよと語っているのではありません。
疑いをもち、自分なりに調べた結果、その考えは理屈に合っていると自分が判断したなら、それを根拠に更に考えを行動を進めていくことは、これまた過去の英知がしてきたことです。
今までの先人が築いてきた人間の知識、思想、アイデアといったものに何がしかを付け加えることができたら、生まれてきた甲斐があるというものです。
ああ、やはり私はまじめなことは書けませんでした。
みなさま、見捨てずまたご訪問願います。
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