一億円当たったら! 2003.04.29
通勤電車の中つり広告を見ておりますと宝くじやロトとかの広告を見かけます。
愛嬌のある所さんが白い歯を見せて笑っております。
宝くじ!夢がありますね、好きですよこういうの、
100,000,000円

今は1億じゃないなんて言わないでください。
金額の問題じゃないんですよ、
ハーイ、宝くじ楽しいよ♪
実を言いまして、私ここ10年以上グリーンジャンボと年末ジャンボは欠かさず買っております。
そしてもちろん当選したことはありません。 いえ、それどころか下から二番目にさえあたったことがありません。
じゃあなぜ買うのか?と聞かれると答えに困るのですが、まあ、お正月とかクリスマスと同じように季節の行事といいましょうか・・・・

10年以上前は「宝くじ当たったら会社を辞めるぞ」と家内に言っておりました。
本心ですが最近は当選しても会社を辞める気は毛頭ありません。それどころか賞金の使い道も思い浮かばないのです。

あなたお金がほしいですか? お金があったら何に使いますか?
私もお金がいらないと言えばウソになりますし、ないよりあったほうがいいのですが、今のところ使い道がありません。
金は必要以上はイラン 今、私の財布を開けてみたら1万5千円ちょっと入っていました。もっとあったほうがいいですか?
私ほしいとは思いません。実を言って使い道がないんですよ、
もちろん何でも持っているからなんてことではありません。
私の家には物があまりありません。家内も私もあまり物に執着しないたちですし、足りないものがないのです。
もっとも足りる足りないとは万国共通の基準に対して過不足を言うのじゃなくて、自分の欲望に対しての過不足ですから、あなたから見れば物を持っていないかも知れず、貧しいかもしれません。
でもね、人間暮らしていくのにたいしたもの入りません。

ずっと以前、世界の家財道具という写真を見たことがあります。 各国から一家族を選んで、その家財道具をぜーんぶ外に出して家族と一緒に写真を撮っただけなんですが・・・・
ケニアの家庭では皿とかなべとか100点もなかったように思います。フランス・アラビア・その他いろいろな国々
日本の家庭がダントツでした。4千点くらいあったそうです。今なら1万点くらいあるかもしれません。
布団、枕、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、照明器具、本、本棚、皿、茶碗、なべ、包丁、電話、座椅子、座布団、テーブル、物干し台、竿、傘、ファンヒーター、石油ポリタンク、石油のポンプ、目覚まし時計、裁縫ミシン、デジカメ、ビデオ、パソコン、衣類、アクセサリー・・・・・・ヒェーあるものです。
しかし本当に必要なものってなんでしょうか? どのくらいあれば間に合うんでしょうか?
テレビなんて10年たっても壊れません。二人暮らしの我が家では2台のテレビはいりません。
冷蔵庫だって通常の2ドアで充分です。だいたいいつ開けても中は空っぽです。歩いて5分のところにスーパーがいくつもあるんじゃ冷蔵庫の役目はビールを冷やすことだけです。
洗濯機、先年10年以上使っていた洗濯機がご臨終となり我が家でもついに全自動洗濯機というのを買いました。きっとこれは私が定年退職どころかご臨終になるまで活躍してくれるでしょう。
家内も私もコーヒーが好きでドリップの器具を1000円で買いました。もう3年くらい使ってますが役に立っています。
20数年前結婚祝いにすばらしいガラス器一式をいただきました。ワイングラス、ブランディグラス、ゴブレット、カクテル・・・・一個数千円、セットで数十万というものでした。でもこれって取り扱いに困るんですよね、 1個1万円のブランディグラスなら入れるものもVSOPでなくちゃ釣り合わないでしょう?現実はそのような用途に使われることもなく、そのうち子供が生まれて水を飲ませるのにゴブレットを使ったら噛み付いて割っちゃたりして 
かくして高価なグラスセットは散逸してしまいました。
最後まで残っていたウィスキーグラス5個を昨年引越し手伝いに来た同僚にくれてやったけど、あいつ1個何千円もするって分かってたんだろうか?
私の生まれたところでは「乞食が馬を持つ」ということわざがありましたが、人間 分を超えたものを持つとかえって扱いに困るものです。

家がほしいですか?
私たち夫婦が住んでいるマンションではLDKと呼ばれる台所と食べるのとテレビをみる兼用の部屋と寝室だけで間に合っています。あとは物置同然です。
広い家がほしいなんて思います?
誰かお客さんが来たら、お泊めする部屋もないわ、なんてね?
先日我が家に田舎から友達が来た時は近くのホテルに泊まっていただきました。そのほうがお互いに気楽でしょうが・・・
年に数回しか使わない部屋を備える費用を考えたらその方が投資対効果があります。
子供が車を持つということは親離れということか?
同様に自家用車というのも都会では無用です。いえ、田舎でも必要なつどレンタカーとかタクシーを使ったほうが安いのは自明。でも車を持つということは自由と同義であるようです。子供が車を持つということは親離れを意味するのでしょう。
私が40年近く前高校を出て働き始めた時、初任給というのは1万6千円くらいだった記憶があります。週5日制なんて以前でありまして土曜日も仕事、わずかに月に一回くらい土日休みでした。
当時は社会人になると皆一そろい道具をそろえるのが当たり前のようになっていました。
  • 最初の月給で腕時計を買いました。
    その時まで時計を持っていなかったのです。セイコーファイブ自動巻きというやつで1万2千円のものを1万円に値引いてもらいました。うれしかったですね、自分が働いたお金で買うのは格別です。
  • 誰でも一眼レフカメラを買いました。
    カメラマンでもないのに何でみんなそんなものを買ったのでしょうか?当時3万円位しました。月給の二倍です。そんな高いものが買えない人のためにハーフサイズの一眼レフというのもありました。ハーフサイズを買うならふつうの35mmのコンパクトカメラのほうが画質が良かったりして?もっとも当時はコンパクトカメラというとほとんどがハーフサイズでした。フィルム代が半分で済むからです。貧しかったんですね、
    でもいったいカメラを何に使ったのでしょうか? 謎です。
    ハーフサイズといっても分からない方もいるでしょう。
    フィルムを正常の半分サイズで撮影する方法です。フィルムの面積が半分ですから画質は落ちます。でも24枚撮りが48枚撮りになります。得した気になるでしょう。
  • オーディオも買うのが当たり前でした。
    どんな安アパートにいてもみなステレオを持つのが当たり前でした。
    当時パイオニアがセパレートステレオという形のステレオを出しました。それまではアンサンブルステレオといってひとつのキャビネットに二つのスピーカーとレコードプレーヤーとアンプが入っていました。スピーカーが別になると音が良かったのでしょうか?当時はデジタルではもちろんなく、アンプの性能(ダンピングファクター・リニアリティ・SN・ゲインみんな)悪かったのです。それでスピーカーが再生音に寄与する割合が極めて大きかったのです。(難しい理屈はどうあれ簡単に言えばそういうことでした)
  • 山にも行きました。
    車もなく、ディズニーランドもなく、海外旅行どころか北海道も沖縄も夢であれば近くの山に登るのがせいぜいなわけです。そうすると登山靴、ニッカボッカ、リュック、ポンチョ、ヤッケと一そろい揃えるのがまた当然で年に何度も行かないのにいったいどうしてでしょうか?
    昔は遊ぶ場所も車もなかったし、趣味も多様でなかったのでそのくらいしか楽しみがなかったのでしょうか?
  • それに比べると現代の若者はあまり物を持っていないような気がします。持っていても人さまざまで、みんなが同じ種類のものを持つという文化はなくなったようです。
    パソコンに凝る人、ウインドサーフィンに凝る人、スキーに凝る人、けっこうなことです。自分がしたいことをする、できるということはすばらしい社会だと思います。
    携帯電話だけは必需品のようですが?
おっと、話があちこちに逸れ漂うばかりであります。
不景気だ、失業率が高い、リストラだ、などなど言われていますが現在の社会は私が社会人となった65年頃に比べればはるかに豊かになり、それだけでなく個人が自由に生きられる社会になったと感じます。

さて、はじめに戻りますが、宝くじを買って当選したら皆さん何がほしいのでしょうか?
よく考えると私と同じで何にも欲しいものはないのではないでしょうか?
するってえと、現在日本が物が売れないというのは当然ですよね、
たいていのものは持っている、もう欲しい物がない、お金を使いたいんだけど使い道がないというのが実態でないのでしょうか?ブランド品を買いあさるのだって買い物をする・お金を使うというためだけ(代償行為)のような気がします。
日本国民がもはや欲しい物がなく、お金を持っていても買わないならば『お金が回転しない』=『不景気』になるのは当然です。

テレビ番組でお金がほしい! 私に投資してくれというものがありますが、大半の方は興味だけで切羽詰ってはいないでしょう。
ギャンブルにのめり込みにっちもさっちも行かない方は・・・そりゃ自業自得ってもんですよ。

ふつうの人はお天道様に顔向けできないようなことをしなくちゃ、なんとか生きていけるように世の中ってはできてるもんです。


しかしながら日本経済を立ち直らせるには国民が欲しいものを考えだして、買わせるようすることが良いことなのか?いささか疑問です。
よく考えてみればほしいものはハードウェアではなくソフトウェアであり、所有権ではなく利用権ではないのでしょうか?
CDもDVDもポリカーボネートの円盤を買うのではなくそこに記録されている情報を買うわけです。ならば捨てるのに困る『形あるもの』ではなく、情報だけを購入することを選ぶのは当然のこと。音楽がインターネットから落とせればそれで済むわけですし、見たい時に見たい映画が見られれば(オンデマンド)それで十分ではないでしょうか?
情報化が進めば進むほど、物自体に対する執着ではなく、利用することに価値を見出すでしょう。
花の美術館 以前書きましたが、自宅に庭をつくりより公共の庭園を見に行くほうがそりゃきれいです。きれいに咲いている花を見ると、この庭園を維持するのは大変だ!と感じます。田舎の家には金木犀がありましたが、あの香りは1週間だけ、どうだんだって花の時期はあっという間、わざわざ手間暇かける気もしません。生垣は二月に一回くらいは剪定しないとお隣に迷惑をかけますし・・・

特にリユース、リジュース、リサイクルをモットーとする社会では捨てるのにお金がかかるようになっています。家電品、家具、OA機器、みんな買う時だけじゃなくて捨てる時にも大金がかかります。
物離れはますます加速されそうです。

というわけで1億円当たったらというタイトルでしたが、本心から1億円なんて欲しくないんですよ。まあ、宝くじは楽しみだけで買いましょう。当てにしても相手が振り向いてもくれませんしね、


本日はたまの休日でありまして、キーボードを叩いていたら意味不明、だらだらと長文となってしまいました。
最後までお読みいただいた方、あいすみません。



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スヌーピー様よりお便りをいただきました。(2005.01.16)
君に3億円あげよう!
次期CEOはどうかね? を楽しく読ませていただきました。
年の初めに願をかけるのは珍しいことではありません。
私はつい去年まで、毎年毎年同じことをシュミレーションしていたことがあります。私が道を歩いていると、前からおじいさんが歩いてきて、私に大きな袋を出して、「ここに3億円あります。これをあなたにあげましょう!」と言われたら・・・・・・・受け取れるか?
これがもう20年近くも続いた自問です。
そして、これが受け取れないんです!どうしても・・・
それが、去年のお正月に・・・なんの抵抗もなく受け取れたんです!
この話をすると、大抵の人が・・「そんなもん誰でももらうで! アホちゃう?!」
・・・・・・・そうでしょうか?
見ず知らずの人から、突然3億円あげよう、と言われて素直にもらえますか?
そんなことあるわけない!と思っているからではないですか?  僕は真剣にこの命題に取り組んでいたから、長い間、受け取れなかった。
しかし、去年は受け取れた!
そして、その結果、3億円にも匹敵(それ以上)するものを手に入れました。自分の存在理由、これから自分がするべき仕事(天職)が理解出来たんです!  3億円では買えないでしょう?!
機械オンチの私が、パソコンを触りだしたのも去年の1月からです。そして、暮れ近くに、佐為さんのサイトに偶然出会いました。これもお金に直したら・・・
3億にはならないかも・・でも、僕の中では相当額になっています。
ところで、最近愛妻が「あんた、1億円って10キロもあるねんて!」
「え! そんなに重たいのか!! 3億で30キロか・・・・・・今年は2億にしとこ・・。」
という訳で、今年は2億円以下までなら、いただきます・・・。
=ギターを弾くスヌ〜ピ〜=

スヌーピー様、お便りありがとうございます。
以前、1億円もらったらという駄文を書きましたが、では本日はスヌーピー様の上の句を受けて、3億円もらったらという下の句を考えました。
okane.gif ナポレオンヒルの本を読んでいたら「あなたの欲しいものは何か?」という問がありました。
今3億円いただいたとして、私が欲しいものはなんだろう?
実は今当面の予定としてメモリーオーディオを買おうと思っているのですが、そんなものせいぜいが1万とか2万、私の欲しいものはこれだなんて取り上げるほどのことはありません。
たまたま昨夜かみそりの刃がなくなったので買わなくてはといってもそれも欲しいものというわけではありません。
家とか土地といっても田舎にありますので、今住んでいる都会でマンションを買う気もありません。
チャーチルじゃありませんが、子供には1銭も残す気はありません。私は自分の置かれた環境で一生懸命子供を育ててきたつもりですから、立派に成人となった今、ネガティブなことだけでなくポジティブなことであっても干渉はいたしません。遺産を残すということは重大な干渉(外乱)であると思います。
家内に「ここに3億円あったとして何か欲しいものはないか?」と聞きますと「ない!」という力強いご返事でありました。

それじゃ物じゃあなくてほしいものがあるのかと思い巡らしますと
健康といってもまあ、この年になればいろいろ悪い所があるわけですが、人間そういったところがあるのがあたりまえで、持病と折り合いをつけて生きていくというのも当然でございましょう。
夢みたいに永遠の命が欲しいという願いが仮にかなった時に、それが幸福につながるかといえば絶対そんなことはないでしょう。
絶対って絶対使える言葉じゃないなんていわれるかもしれませんが 
いえ、願い事、期待することはたくさんあるのです。
たとえば日本がしっかりした国になりますようにというのが私の願いです。
しかしそれが神様の思し召しで一瞬にして成就したとしてそれは日本にとって私にとって良いことかと考えますと、そうではなさそうな気がします。
やはり私たち一人一人がサヨクは間違っている、戦後民主主義は誤りである、報道機関の捏造報道を断固糾弾しようという意思と行動によって、是正活動が行われるべきであり、達成されるべきものがと思うのです。
世界の人々がみな幸せに暮らせますようにという願いもあるかもしれません。
このたびのインド洋大津波について考えますと、あの津波はなかったほうが良かったのでしょうか?それともあるのは仕方がないが早期発見や通信網が整備されていて被害を少なく食い止めることができたらよかったのでしょうか?
あるいは地球温暖化の危機を認識するためには必要な災害であったと位置付ける方がいるかもしれません。
みなさんはどうお考えでしょうか?
地球のいたるところでテロが起きてます。
あまりご存知ないかもしれませんが、この日本でも今現在であっても成田空港反対運動が時たまロケット弾発射なんて無差別テロをしています。
なぜかあまりこういう事件は被害がないかぎり報道されないのが事実です。テロの脅威を報道すると不安をあおるからでしょうか?それともテロ組織を鼓舞するからでしょうか? もっといえば消極的にテロを支援しているのでしょうか?
テロというのは単なる通り魔ではなく、自らの意思を恐怖と暴力で押し付けようとする行為であると仮に定義しましょう。世界の人々がみな幸せに暮らせるということは可能か不可能かと考えるとテロという手段を選択する人々にとっては「他の人々が幸せに暮らせる」という状況を作ることは「己の幸せにならない」わけで論理的に成り立たないようです。
それともパレスチナ人にも十分な土地、イスラエルにも十分な土地があれば双方とも幸せになれるのでしょうか?
チョット待ってください、エルサレムを二つ作ることはできません。困りました。

3億円から大幅にずれてしまいました。
やはり私にはお金は円がなさそうです。
オット、縁の間違いです。