私の勉強法 2003.05.01
『勉強法だって? おばQは勉強するんかいな?』
まあ、そうきついことを言わんでください。そりゃ私は大学になんて行ったことありませんし、学位なんて無縁の衆生であります。
でも社会勉強だけじゃなくて、それなりにコツコツ(?)と勉強しているのです。

でもって、本日は私の勉強法について一言・・・・
自分が知らないことについて知りたい場合、本を読んだり、講習会に行ったり、あるいは個人的に先生について習うほかありません。
ところで、勉強に限らず投資するあるいは労力を投入する時は当然効果・見返りを期待します。学校の勉強でも仕事でも趣味であろうと努力したらそれなりの進歩がなくては困ります。
そして少しの労力の投入で最大の効果を狙うのが世の常でしょう。投資対効果といいましょうか、
その時、臨界点といいますかある水準までに至らないとまったく効果がでず見返りがない場合と、投入したものに応じて少しづつ効果が分かり配当が期待できる場合があります。
日本的な道を究めるとか修行と言った場合、ある一定のところまで達しないとまったく効果がないケースが多いようです。宗教の悟りをはじめ剣術にしても芸の道にしても・・・
苦労に苦労を重ねているがまったく進歩が見られない。ところがある日突然『分かった!』と悟りを開くような按配です。
そうじゃなくて少し勉強すれば少し外国語が話せるようになり、もう少し勉強すればさらにコミュニケーションが図れるというケースもあります。
こういったたぐいですとやりがいがあります。
ええい!百発百中なるぞ! もっとも武道がすべて前者のようであるともいえないようです。
私が以前お付き合いいただいた弓道の先生が語っていましたが、的を近くにおいて弓を射ってこれに百発百中すればすこしづつ距離を伸ばしていくとやがて遠射ができるようになるとのことでありました。
この方は若い時から弓道をしていたのではなく、機械加工の技能競技会の選手として精神集中するために弓道を始めたとのこと、
ですから旧来の弓道の修行とは異なっているかもしれません。
なにせ私は弓など引いたことがないのでわかりません。
ちなみにこの弓道の先生は囲碁も大好きでしたが腕のほうはからきしで、私が囲碁の先生をしておりました。 

私はその日暮しといいましょうか、遠い未来の配当に期待して励むという性格は持ち合わせておりません。今日の努力は今日回収できなくては納得できません。そんでもって少し勉強すれば少し力がついたのが分かり、もっと勉強しようというモチベーションが得られる勉強法を期待します。
配当なき投資は無駄使いと言います
投資の勧誘なんかで『これを買えば絶対儲かりますよ』なんて甘言に乗せられてなけなしの虎の子を投じて元本をなくし、『もっと投資すれば必ず取り返せます』なんてまただまされる・・・
私はそんな心配はありません。少し投資したら少し配当がないと、更に投資する気は絶対にありません(断言)・・・・おっと、数日前に書きましたが元々お金がないから心配ないというのが真実でありましょう。
ということで、私の勉強法というのは少しでも進歩が分かる方法というものを選択します。何しろ悟りが開けるのが遠い未来ではそれ以前に死んでしまった場合は今までの努力・投資はまったく無駄だったということになってしまいます。それじゃ困ります。
今日学んだ分だけは理解したと納得できれば、たとえ明日死んでも自分としては満足です。
ですから何事かを学ぶ時は、たくさんある単元の一方から少しづつ学んでいくという手順では途中で中断したり挫折した場合、それまでの努力・投資が回収できません。
はじめは全体の概要をつかむ、次には全体的にベーシックなことを理解できた、更に少しレベルアップしていくというのが私の勉強法です。
14001ではスパイラルアップを語っております
ISO14001でいうところのスパイラルアップとはまさしくこの考え方であります。
だから低いレベルで満足している組織・人々もいるわけで・・・それはまた別の機会に・・

もっともこれ勉強方法だけでなく、社会生活のスタンスの問題ではないでしょうかね?
ものすごい難しい学問を学んでも実生活にそれを生かせなくては意味がありません。テンソル微積なんか使いこなせたらすごいですが、それよりもヨドバシで18%ポイント還元とロケットで5500円引きというのの、どっちが割がいいか?ということがすばやくできるのが生活の知恵でございます。


いえいえ、それは算数に限ったものではございません。
拉致された人たちを北朝鮮に返さないのは約束違反だ! なんて論じる人たちは論理学という深遠を学びつつあるものの、全容をつかんでいないので今までに学んだことを生かせず真偽を理解することができないのでしょう。
私のように論理学という難しい学問もとりあえず概論を終えて、次はブール代数をさらっと流して、次は・・・・というふうな勉強方法ですと、何か難しい課題にぶち当たっても今までに学んだことを元にしてあとは常識っていうスーパーウェポンで料理しちゃいます。
こりゃどう考えてもおかしいというものはどこかで間違っているのであります。


北朝鮮の核武装についての受け止め方、拉致問題が先か国交正常化が先か?、なんてことにトーダイの教授とか、大新聞の論説委員がおかしな理屈を語っているのを見ますと裸の王様としかいいようありません。
・・・もっとも彼らは北朝鮮の下働きという説もございますが・・・

なぜ拉致された方々とそのご家族の心情などを理解することができないのでしょうか?
反面教師としたいところであります。
ところで本日の読売新聞 政治部次長 永原さんの『平和を叫ぶだけでなく』という囲みで書いています。
「イラク国民を解放したのは若者の平和集会でも反戦デモでもなく、反米・反戦を唱えた人たちが大義なき戦争と批判した米国の軍事行動だ。」

まことにまっとうなことだ!と同感であります。
さすが読売新聞は日本のリーダーたる大新聞であります。



なにごとも勉強する時は、大局を知ること、そして少しづつ深く、そして高くなるように学んでいくべきであろうと思います。
一挙に頂点を極めようとすると視野が狭くなったり、無邪気な者には直感的に分かる矛盾に気づかずに大きな間違いを犯しやすいんであります。



分かったか?
反戦デモに参加したばか者ども

反戦デモはかっこいいんだもん


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