非武装中立 2003.05.16
電車の中つり広告で『非武装中立』という言葉を見かけました。
『非武装中立』・・・懐かしい言葉です。
私が二十歳の頃、非武装中立というのは労働組合や新聞紙上ではまさしく正義でありました。これに異論を発するものは悪魔のごとく毛虫のごとく嫌われたのです。
当時私は『武装中立』をと叫んでいましたが、誰にも相手にされませんでした。 

石橋さんという人がいました。
この方が私の住んでいた地方都市に演説に来た時、私も組合から駆り出されました。会場は怒号が飛び交い演説なんて雰囲気ではなかったことを覚えております。何を語ったのか覚えてません。 
さてこの石橋さんがこの非武装中立という寝言の言いだしっぺだったようです。
田舎には狸が付き物です 地方に行けば、いまでも、戸締りなどしないで外出している家が山程あるということです。隣近所の信頼関係か衰えていないなによりの証拠であり、これ(信頼関係)にまさる平和と安全はないということです。
また、世間には、スイスのような中立国でさえも武装しているではないかといって反論する人もいます。軍隊があり、抵抗の姿勢を示しているからこそ、中立も保たれているのだというわけです。しかし果たしてそうでしょうか。スイスに侵略するものがないのは、この国の軍隊を恐れるからではないはずです。どこの国とも仲よくしようという熱意と誠意を基礎にした外交、これを一致して絶対に支持する国民、そして、これらを暖かく見守る国際世論と環境、それらが相まって、スイスの安全は保障されているのだと思います。
そうはいってもとにかく、不安だ。もし攻めてくる国があったら「降伏」せよというのかと、さらに執拗に迫ってくる人たちがいることも事実です。
このような人たちは、「攻めるとか、攻められるとかいうような、トゲトゲしい関係にならないように、あらゆる国、とくに近隣の国々との間に友好的な関係を確立して、その中で国の安全を図るのだ」といくらいっても聞こうとはしないものです。私は、こういう人たちには誤解を恐れず、思いきって「降伏した方がよい場合だってあるのではないか」ということにしています。
元社会党委員長、石橋政嗣氏の「非武装中立論」(社会新報新書、1980年)より
『敵が来たら逃げる』と語る社民党議員がいますがやはり血筋は争えないものです。
『国家が仲良く』という意味を私は理解できません。きっと石橋さんは童話の読みすぎか頭の中でしか国際関係を知らなかったのでしょう。
彼に下心がないならば純粋であり、同時に考えが足りないとしか言いようがない。彼が旧ソ連の手先であったなら最高のアジテーターである。
保守アジテーターを目指しているおばQとしてはぜひ見習いたいものである。


非武装中立という選択があるなら、他にも選択肢があるのでしょうか?
もちろんあります。
武装同盟の図 つたない絵を描いてみました。
軍隊を持つ持たないという横軸と、同盟を結ぶか結ばないかという縦軸を考えてみました。もちろん他にもいろいろなケースはありえます。まあ、簡単なモデルから始めましょう。(非武装中立って美味しい話題ですからこれっきりではもったいない)

もちろん位置づけとして同盟が強い場合、弱い場合、重軍備・軽装備とあるでしょうがとりあえず省略、(モデル化では単純化ということが重要なのだよ、明智君)

さて、図の4つ象限のケースが考えられるが4つとも存在できるかは非常に微妙です。
投影法では第1角法から第2角法、第3角法、第4角法が考えられますが、現実には第1角法と第3角法しかありません。
化学の世界でも分子構造は考えられても存在しないものはたくさんあります。また非常に不安定で短時間で分解してしまうものもあります。
では現実世界にこの4つのケースは存在しているのでしょうか?
  • 武装中立
    以前のスウェーデンやスイスでしょうか?
    しかし、スウェーデンはNATOによって平和を維持できていたということを見逃しちゃいけません。いえ本当はNATOとワルシャワ条約機構の緩衝材として東西両陣営からその形態を要求されたというのが真実でしょう。同様にフィンランドもワルシャワ条約機構には属しませんでしたが旧ソ連の支配下にあり緩衝材の働きをしていました。
    スイス、石橋さんも褒め称えておりますが、要するに戦火を交えて占領する価値があるか否かという点に尽きるのではないですか?
    特に第二次大戦後中立を通せたのは軍事力より地勢的なおかげということに尽きるでしょう。
    第二次大戦の時だってスイスがポーランドやベルギーに位置していたら武装の有無に関わらずヒトラーに蹂躙されていたことに、おばQは頭の3本の毛を賭けます。
    また、現在のようにABC兵器(これまた死語か?)の時代に一国独立主義が存在するのか?疑問です。
    近隣諸国がABC兵器で汚染されたら、政治的軍事的に中立を守っても戦災を受けるのはまったく同等です。
    現在のイスラエルにしてもアメリカの後ろ盾がなければアッという間にアラブの海に没するでしょう。そうなる前にイスラエルは核武装するでしょうが、非正規軍を相手に核兵器が効果があるかは疑問です。

  • 武装同盟
    世界の9割の国がこれに当たるでしょう。
    最強国家アメリカでさえ一国だけでは大義名分が得られません。ついでに戦費も調達不可能でしょう。
    日本ももちろん過去60年間 武装同盟でした。外国人は自衛隊が軍隊ではないとは信じないでしょうね、

    平和主義の多くが国連主義と語りますが、国連てなんだかご存知なのでしょうか?
    あれは平和のための機関ではなく戦争の軍事同盟なのですよ、国連憲章を良くお読みください。
    嗚呼、日本はいまだに国連から敵国として位置付けられています。そんな日本が国家安全保障を国連頼みとしてよいのでしょうか?国連から見れば『勘違い』『お門違い』に過ぎないでしょう。

  • 非武装中立
    本日のお題「非武装中立」でありますが、かっての社会党の頭の中にはありましたが、現実に存在しているか否か私は知りません。
    コスタリカの国旗 最近ではコスタリカを非武装中立の平和国家と賛美する声があります。
    特に憲法審議会で意味不明な発言をした某評論家は『コスタリカは理想の国』と信じているようです。
    もっともこの方は、以前『ベトナムに平和を』とベトナムを理想の国と信じていたが、ベトナムがカンボジア侵攻したときにはベトナムは悪だと語っています。また以前『北朝鮮は理想の国だ』と賛美していましたが、最近は『北朝鮮の真実は違うようだ』と語っています。要するに主旨一貫しないたわ言でしかなさそうです。そのうち、コスタリカは理想の国でなかったといいだすのではないかと気がかりです。 
    コスタリカは非武装か?中立か?なんて悩むことはありません。
    人口と国民総生産に見合った軍備を持っていますし、そしてアメリカとしっかり同盟関係にあります。日本がイージス艦を持っていて、コスタリカは持っていないといってもそりゃ国家規模から言って当然ですよ。

  • 非武装同盟
    アイスランドがあります。
    規模が小さい国々では軍備をまったく持っていないか形式上わずかな軍隊を持っているかの違いはありますが、これしか選択肢がないのかもしれません。
    人口28万人(アイスランド:2000年)では維持できる軍隊は数百人でしょうから意味ある力にはなりません。見た目を飾るより非武装同盟がコスト的に有利なのは当然です。
    現実にはアイスランドには120人の兵士がいるそうです。
    一個中隊にいかなる意味があるのか?外国の元首が来た時に閲兵行進くらいはできるでしょうけど。
    ところで、人口400万人のコスタリカには8400人の兵隊がいます。
    これって、アイスランドに比べたら軍事大国ですよね
    (世界国勢図絵2002/03年版・データブックオブザワールド2002による)


電車の中で『非武装中立』という言葉を見て、『ああ、この言葉を懐かしく思う人は多いだろう』と感じました。
そして今なお非武装中立に恋焦がれる方もいるだろう。
そんなことを会社に着くまで電車の中でツラツラ考えたのであります。




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国家が支えられる軍隊のサイズに関する小学生的考察

軍事大国になろう!と決めてもそれを実現することは簡単にいきません。
先立つものは金です。
たとえば日本はGNPの1%という限度を決めています。そうすれば保有する兵員も勤労者の1%が限度というものでしょう。
簡単に考えます。
日本人口1億2千万として半数が労働可としてその1%すなわち60万人の軍隊を維持するのが限度となります。
もちろん陸海空によって維持費用が違いますが、簡単に言えばそういうことです。
人口が28万人のアイスランドで兵士120名というと人口比0.04%となります。
日本の自衛隊の人口比は0.2%、コスタリカも0.2%ですからそれから考えるとアイスランドは非武装といえるでしょう。

ファントム1機飛ばすために30人が要ります
ちなみに空軍の場合、1機を運用するのに30名の人員が要るようです。それは私が公表されているデータから考えたので経験則あるいは実績というわけですが・・・
もちろんそれはパイロット、整備、基地警備、レーダーサイト、主計までを含めてですから、規模によって間接部門の占める割合は変わります。ですから空軍の規模によって1機当たり25名くらいから35名くらいの幅はあります。

戦車を1両維持するには毎年大変な費用がかかります これをもとにアイスランドで空軍を保有した場合を類推すると、航空機がせいぜい4機から5機しか運用できないことになります。その内訳が早期警戒機が1機、戦闘機が2機、連絡用1機、練習機1機じゃあ落語です。
海洋国ですから哨戒機も欲しいところですが・・・・

といって早期警戒機だけじゃ意味がなく、戦闘機だけでも意味がない。結論はそんな空軍はありえないということです。
まあ、歩兵の場合なら規模に関わらず存在しえるわけで・・・
といってもそれが有効なのか意味がないのかは疑問です。
スタインベックの「月は沈みぬ」を思い出します。


人口2200万人の北朝鮮が100万人の軍隊を保有しているということは、異常なことだとお分かりでしょうか?

これはもう重武装国家でなく、破綻国家です。