ニイタカヤマノボレ4 2004.12.04
今年もまた太平洋戦争の始まりである真珠湾攻撃の日が近づいた。
もうニイタカヤマノボレは終わりにしようと考えておりましたが、珍しくご期待のメールを頂きましたので、また拙文を重ねることとします。

今から63年前、戦争に突入したとき、私の父母たちはいったいどんな思いを持ったのでしょうか?
少年Hのごとく、4年後の敗戦を予測し、戦争反対!と叫んだ人は・・・実はいなかったようです。
「・・・ようです」と書くのは私が当時生きていなかったからだが・・・当時、日本国民全体が経済的に追いつめられていたのは事実です。いろいろな本を読むと開戦が当時の日本人を覆っていた閉塞感を打破したことは間違いないようだ。戦争に突入してある意味、清々しいところがあったのではないでしょうか? 清清しいというと語弊があるかもしれません。迷いが吹っ切れたと言うべきかもしれません。
nihongun.jpg それは戦争を肯定するものではありません。しかし、今この豊かさを当たり前として暮らしている私たちが当時の状況を推察することは非常に困難である、いえ当時のことを知っている人でさえそのときの状況を思い出すことは不可能に近いという気がします。人間てすべてを忘れてしまいますからね、
当時の日本は、私たちの記憶にまだあるオイルショックとかニクソンショックあるいはバブル崩壊といったレベルではないきわめて深刻な不景気に覆われていたという事実を知らずして語ってはいけない。

軍部が戦争に導いたというならば、なぜ軍部が力を持ったのかを考えるべきであり、大正デモクラシーを称えるならばなぜそれが急速に力を失ったのかを考えなくてはならない。
515事件も、226事件も単に軍人が権力を欲したからではない。国家、国民の窮状が引き起こしたことを無視してはならない。
軍部を悪者にする人は多い。あるいは太平洋戦争に入らず外交交渉をもっと工夫すべきだったという人もいる。でも歴史は変えられない。戦争があり、戦後の復興があり、そして今私たちがここにいるのだ。それを否定したり、現実から目をそむけることはしてはいけない。
それに軍人が戦争に導いたかというと、そうともいえません。山本五十六はニ三年なら暴れまわりましょうといったとのこと。それ以上はもたないと知っていたわけです。石原莞爾も太平洋戦争への突入は反対だったそうです。軍備を持っていると使いたくなるという説はまちがいです。勝つ見込みのある戦争ならしたくなるというのが本当でしょう。
どこの軍人だって勝つ見込みのない戦争はしたくありません。
海軍と陸軍の争いというのはあったでしょうが、海軍が戦争反対、陸軍が戦争賛成という俗説もまゆつばものです。これは戦後アメリカや国内の勢力が作った伝説だそうです。
陸軍は外国に行っていなかったので諸外国の事情を知らなかったなんてのも俗説でしょう。当時の陸軍の将官連中はほとんど外国に行っています。
蛇足ですが、東条英機は独裁者であったのか? と言えばよく分かりませんが・・独裁者になろうとしたとは思えず、首相になろうとさえ考えていなかったと思います。
運命のいたずらで国難の時期に首相になってしまったというのが真相なのではないでしょうか?
とにかく認識の第一は、当時の日本の実情、貧しさ、苦しさを知ることが必要です。
そして当時はどの民族も等しく平等であるという認識はなかったということも重要なポイントです。太平洋戦争勃発時、有色人種の独立国がいくつあったかご存じですか? 日本を除くとタイくらいだったのです。
いま世界に200ある独立国のほとんどを占める有色人種の国のほとんどは植民地であり、欧米の国家に搾取されていたのです。名前をあげてみてください、モンゴル、インド、ベトナム、シンガポール・・・・アフリカはのきなみです。中国は海岸地帯は植民地、内陸部は軍閥同士の内戦状態でした。

日本国憲法の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とか「基本的人権」なんてのは連合国が掲げた理念ではなく敗戦国日本が信じて戦ったものなのです。
開戦当時、真珠湾攻撃あるいは戦争に入らずにいても油の輸入が途絶えている状況では半年で日本の軍艦も飛行機も飛べなくなる見込みだったそうです。
その場合はアメリカをはじめとする欧米に戦わずして無条件降伏という事態になったでしょう。
無条件降伏とはハルノートを受諾し、そしてそれだけでなくそれに続く限りない要求に応じるしかなく明治維新当時の不平等条約へと、そして実質植民地となる道を歩んだような気がします。
こんなふうにいいますと、今、諸外国から批判をあびている北朝鮮はまさしく当時の日本のようだと思う方もいるかもしれません。
当時の日本は現在の北朝鮮並みだったのでしょうか?
そんなことはありません。
まず、日本には政治も外交も機能していました。経済封鎖を受けていたこと、四面楚歌であることなどは確かに似ています。でも国家としての体をなさず、大型暴力団とか戦争のために国家があるという北朝鮮とは違います。日本は外交交渉の末に戦争に入ったが、北朝鮮はまともな外交交渉をせずに国際社会を恫喝していることは明白です。
じゃあ、日本のどこが、なにが悪かったのか?といえば、単に西欧に属していなかったということではないでしょうか?
日本は黄色人種であり、アジアの国であり、一人前になっちゃいかんとアメリカやイギリスが思ったということではないですか?

frag.jpg 客観的に見て日本が太平洋戦争に入ったということは国家存続を賭けていたということは事実であったでしょう。
「皇国の興廃この一戦にあり」というのはまったくの真実であったのです。
イギリスがフォークランドでアルゼンチンと戦争したとき、あるいはアメリカがベトナム戦争やイラク攻撃したとき、いずれもイギリスの存続あるいはアメリカという国家の存続を賭けて戦ったわけではない。自国からはるか遠く離れたところでの戦争、自国の領土に敵が一弾も撃ち込めないところでの戦争なのだ。
太平洋戦争の最中にアメリカでは鳴り物入りの大統領選挙をしてました。かたや日本にとって戦争は片手間仕事ではなかったのです。 wtc.jpg
WTCテロはその意味でアメリカ本土が攻撃されたまれなケースであり、それゆえに過剰反応したのでしょう。アメリカが戦争状態においても敵国から本土を攻撃されたのは非常にまれなことです。
真珠湾は当時は正確にはアメリカの本土ではなく属州であった。アリューシャンの小島は敵(日本のことだ)に占領された過去唯一の領土であったがこれも本土とはいえない。日本の潜水艦から飛び立った飛行機がオレゴン州に爆弾投下したのが過去唯一のアメリカが本土に受けた攻撃である。

太平洋戦争とはなんだったのだろう?
そのようなことは私のような無学な者には語ることはできない。
しかし、当時の日本の状況を知り、世界の情勢を知り、先人の心中を思うことはとても大事なことだと思う。
軽々しく、戦争に導いた軍部が悪いとか、外交で解決できたはずとか、日本人は悪かったなどと言って欲しくない。すべては原因があって起き、それがまた結果を生み出したのである。
しかし今、世界の誰もが人間はみな平等だと考え、たくさんの有色人種の独立国があるというのは事実である。日本が世界のために闘ったというのは事実ではないだろう。しかし、日本の戦争がなければ今の国際社会がなかったというのも事実に違いない。
すべては過去の事実であり、私たちは恥じるような過去を持った国家ではないのだ。



日本人に生まれたことはすばらしいことなのだ。
私はこの国に生まれたことを誇りに思う
私は太平洋戦争で闘った祖先、父母を敬う。
それは軍国主義とか侵略是認といわれるすじあいではない。

真珠湾攻撃の日が来るたびに私は先人たちが決死の覚悟でこの日本を守るために行動したことを改めて認識し、この国を守ることを誓いたい。




原田様からお便りを頂きました(06.07.30)
はじめまして。原田と申します。
ニイタカヤマノボレ4 を拝読し、感激致しました。
大東亜戦争という正式名称が無いのが玉に瑕ですが、
日頃、自身が感じていることを、とても上手く文章にしていらっしゃいます。プリントアウトして、甥や姪に見せても構いませんか。
原田様、お便りありがとうございます。
拙文にコメントをいただき感謝申し上げます。
稚拙なウェブサイトでありますが私なりに思いを込め書き綴っておるつもりです。ぜひ多くの方にご紹介あるいはプリントしてお見せいただければ幸せでございます。
大東亜戦争の件、私のオヤジがいつもそう呼んでいました。でも最近は若い者には通用しません。まあそんなわけで太平洋戦争とか第二次大戦と呼んでおります。
話は違いますが、ISO規格では「遵法」を読める人が少ないので今では「順法」と記載するようになりました。
世も末でしょうか?

ひとりごとの目次に戻る