本日は建国記念日である。 2004.02.11
本日は建国記念日である。
私は正直なところ建国記念日に特段の感情は持っているわけではない。
私を右だと思っている方は意外かもしれないが本当である。
40年くらい前か?建国記念日を設けるか否かという大激論があった。
テレビか何かで小田実が血相を変えて議論しているのを見たことを思い出す。
私が建国記念日で思い出すことといえばそのくらいだ。
私の亡くなった母は2月11日を紀元節と呼び特別な感情を持っていたようだが、父はそんなことはなかった。人それぞれであろう。
ちなみに祝日の中で私が一番意義をかんじているのは体育の日だ。やはり自分の生きた時代におきたイベントを基にした祝日は特別である。
君は円谷幸吉を知っているか? 体育の日とはもちろん東京オリンピックの開会式が開かれた1964年10月10日を記念して設けられた。そのような正当な由緒ある祝日をハッピーマンデーなんていってずらしてはいけません。
私は憲法記念日にも文化の日にも成人の日にもなんの感情もない。
祝祭日に感じることに限らず、日本人といってもさまざまである。趣味も価値観も思想もバリエーションが大きく、それは時代が下がると共に大きくなってきている。
それは決して悪いことではない。
私が子供の頃より個人が尊重され、本質さえ抑えておけば外観や言葉使いなどは昔より許容範囲が大きくなっているのは間違いない。
私の子供の頃、ピアスなんてしたらおおごとだったろう。親にもらった大事な体をそのような目的で傷つけるなんてもってのほかというわけだ。
うそのような本当の話だが、私の娘が大学生のとき髪の毛を染めたことをなかなか田舎に住んでいた私と家内に言えなかったことがあった。
私が髪の毛を染めちゃいかんなんて言ったことはない。髪の毛を染めたら叱られるのではとは娘が感じたのだろう。躾とは口で言うこととか体罰とかではなく、親の考え・態度・生活が子供に反映されるということでしょうか?
もっとも最近は本質を抑えずに応用をきかせすぎるので問題である。
囲碁でも将棋でも棋風がいろいろあるがプロでも高段者でも基本を知っていてその上で個人の趣味が表れるから良いのであって、低段者や初心者が定石も知らずに○○流なんて真似すると恥をかく。踊りだって楽器だってスポーツだってもちろん仕事だって同じことだと思う。
基本を習得せずには新たなものを生み出すことは困難であるということを知らねばならない。
日本のシンボル さて、日本人に共通な価値観あるいは思いというのは何だろう。
たとえば日本のシンボルと言えば、私が小学生の頃は「日の丸、富士山、桜」といっても誰も異議を唱えることはなかったと思う。カルタだってなんだって日本を表すときはこの三つを書けば誰もが「日本だ」と認識したものだ。

    今はどうだろう?
  • まず日の丸から問題である。
    『反ひのきみ』というのは確固たる言葉として市民権を得たようだ。
    多くの人は日の丸を見れば日本のシンボルとして理解するだろうが、反面一部の人からは日の丸があるだけでそれ以降のメッセージの受け取りを拒否されてしまうだろう。
  • 富士山はどうだろうか?
    昔は富士山というと遠くからでも美しい姿を見ることができたと思う。「思う」と書くのは私は東北人で子供の頃は富士山を見たことがなかったから。
    現在、いかに遠距離から富士山を見るかというのがひとつの競争となっている。なんと福島県北部からでも見えるそうだ。
    しかし60年代から大気汚染などで関東の多くの場所で見ることができなくなった。やがて80年頃に都市部からばい煙(スモッグ)が解消されてからは今度は高層建築物にはばまれてしまい富士山を日常目にすることができなくなった。
    今では富士山は見るより登るほうが容易となったようだ。そしてその結果、富士山は汚れ放題となり世界遺産になれなかったと聞く。悲しいことだ。
空から見た富士山
富士山は単に日本のシンボルというだけでなく、山脈などから離れた孤立しており、かつ完璧な円錐形をしているということが世界的に珍しいと知人の山男に聞いたことがあります。
先日、出張の飛行機から富士山を見下ろすことができた。まわりの目を気にして恥ずかったのですが写真を撮ってしまいました。
私にも恥ずかしいという感情はあったのです。

    日常富士山を見なくなったことにより、今では富士山に持つ思いは私たちが子供の頃の思いとは違っているのはまちがいない。今の小学生に富士山の絵を見せても日本のシンボルとは思わないだろう。富士山を見かけなくなったのと国旗国歌をないがしろにするようになったのは相関があるのか?
    それとも富士山が見えなくなったのと同様に高度成長と共に進展した個人主義の結果なのか?
  • 最後に桜だが、
    花吹雪 まず昔に比べて桜の木が少なくなった。私が子供の頃桜の木というのはどこにでもあった。入学してすぐに校庭にも通学路にも桜の花が咲き、その後まもなく花吹雪の下を歩いたものだ。そういう環境下では日本のシンボルというより以前に年中行事の一環として 春−桜−新入学−新しい暮らし という関連付けが刷り込まれてしまう。


おっと、論点は日本人に共通なものは何であるかであった。
私の同志のウェブサイトには教育勅語をアップしている方もいる。教育勅語が語っているのは人間の道の理想であると考えている人もいる。
もちろん教育勅語こそ諸悪の根源と信じて論じている人々もいるわけで、これまた人さまざまである。
実は私は教育勅語が理想であるとは考えているわけではない。
考えるのだが靖国を貶める自虐史観、靖国を奉じる愛国者、どちらも同じ価値観ではないのだろうか?
結局、右左に共通する「日本の価値観は国境を越えては通用しない」ということです。
自分が尽くせば相手が応えてくれるのは対馬まで、琉球列島までではないかと思っています。
大陸には大陸の価値観があり、朝鮮半島には朝鮮半島の価値観がある。謝罪とか賠償という言葉の意味さえお互いに異なりだから永遠に理解することはできないのではないでしょうか?
朝たたきの投稿にありました、
日本の謝罪は「過去のことは水に流して友好を深めましょう」と言う意味があるが大陸の謝罪は「何でもします。私財も渡します。奴隷にもなります。だから命だけは助けてください」ということだ。
日本は何度も謝罪しているのに中国人とはしつっこい連中だと思い、中国側からすれば日本は中国の言うことを聞かないのだからまだ謝罪していないことになる。
キプリングの「東は東、西は西」というのは西洋と東洋のことだけではなく、日本と朝鮮、日本と中国にも通用するのです。

教育勅語はいいけれどそれは国内でのみ通用する価値観であると理解していないと、異なった価値観を持った人とは話し合いができません。同様に自虐史観を信奉している人々は、中国人も韓国人も日本人同様に胸襟を開けば分かり合えると信じているようですから、その考え方はやはり教育勅語派と同じなのです。
話せば分かるのは共通な価値観を持っている人の間でしかないのです。

多分、自虐史観の人々はまだやけどをするまでこの日本を動かしていないのです。日本が今以上に自虐史観サイドに振れて中国・朝鮮に今以上に貢ぐようになれば日本はもはや立ち直れないのではないだろうか?
貢ぐとは金だけじゃなく、国際政治の主導権、歌や映画の文化、価値観そのものもあるでしょう。
今以上に中国や朝鮮の影響が大きくなりその価値観が持ち込まれれば、国家としての日本があっても文化としての日本は滅びるのではないかと思います。
幸い今現在は右も左もまだ日本人の考え方、価値観を共有しているのではないだろうか?
日本人とは結局この価値観・文化を受け継いでいることがすべてであり、中国の価値観、あるいは聖書の契約社会の文化に染まってしまったらもはや日本人ではないのではないだろうか?

話があちこちに飛んでとりとめがありません。
建国記念の日、ゴロゴロ寝転がり窓から曇天を眺めながらそんなことを考えておりました。


ところでこの拙文のタイトルは書き出しのフレ−ズそのものですが、旧約聖書の表題はもともと各章の書き出しのフレーズだったそうです。
それを真似したわけではありませんが、なんとつけようかと迷いまして、マア、そんなわけです。 


さて本日の結論ですが、

結論はありません。 



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