第5福竜丸 2004.02.29
北朝鮮が欲しがっているものです 明日は第5福竜丸がビキニ環礁で水爆実験で死の灰をあびてから50年だそうである。
半世紀は長い。若い人は水爆実験もビキニも死の灰も第5福竜丸も知らないかもしれない。
いえ、私自身が小学校入った頃であまり正確な記憶はない。
    ちなみに
  • 水爆実験とは、アメリカもソ連も中国も日曜日にピクニックに行くくらいの感じでバンバンとしていましたね。
    革新政党の方々は「社会主義の核兵器はきれいで、資本主義の核兵器は汚い」なんてものすごい論理で共産主義諸国の核兵器を正当化していました。
    最近の北朝鮮との6カ国協議はほとんど物別れでありましたが、某政党は結果を評価するとの声明を出しました。かの政党の価値観は半世紀変っていないようです。
  • ビキニ環礁とはミクロネシアのマーシャル諸島・ラリック列島にある環礁。約30年間にわたり,アメリカの核実験場として使用された。
    なお環礁とは島の周りにさんご礁ができた後、島が沈降して周囲のさんご礁が輪になったもの。
  • ビキニとは布地の少ない水着のこと。
    人目を引こうとして女優の卵が胸と腰にハンカチを付けてカンヌを歩いたのが発祥だという。それが「激情的→explosive→爆発的」から名前が付いたとも、当時大ニュースだった水爆実験からネーミングされたとも言われる。
  • 死の灰とは実験後に白い粉あるいはチリのようなものが周辺に降ったことからそれを死の灰と呼んだ。 チェルノブイリや中国の核実験では周辺国に「死の灰」は降らず、「死のガス」が流れてきたというべきか?

第5福竜丸に関して私が記憶しているのは、両親や先生が「雨が降ったら頭を隠してすばやく雨宿りをするんだ!雨に濡れると頭の毛が抜けるぞ」と言われたことだ。当時は本当にそう信じていた。
大変だあ!雨が・・
雨に濡れた程度で毛が抜けるような強い放射能であったなら、雨に濡れなくとも水・食べ物・呼吸から相当被爆しているはずで・・・頭隠しても効果はなさそうだ。
その証拠にチェルノブイリでは雨に濡れて被害にあったわけじゃない。
学校の先生も本当は、子供たちがあまりそのへんで遊ばないで自宅に帰らせようとして言っていたのだろう。
実際、我々子供たちが放射能汚染を心配していたわけじゃない。なんとなく恐ろしいということでうわさに聞く隣町のいじめっ子と同じようなものだった。
みんなで原爆マグロという歌をよく歌った。もうほとんど忘れてしまって次のような歌詞だったような気がする。
「・・・・あ〜あ、もうだめだ、神経衰弱、脳膜炎、あ〜との祭りだ原爆マグロ〜♪」
しかしこの歌を理解して歌っていたわけじゃない。私たちは神経衰弱も脳膜炎も見たこともなくマグロを食べたこともなかったのだから。
私が子供の頃マグロなんて高級なものを食べたことがない。当時の食卓には鰯とかサンマしかなかった。マグロとかニシンという魚の存在については親父から戦争に負ける前は食べていたと聞く程度だった。
信じられないかもしれないが、本当のことである。

話はそれていくが、数の子は黄色いダイヤと呼ばれていて庶民は食べられないものであった。落語の小話に「年始に行って課長の家には数の子がなく部長の家にはあった」というのを覚えている。昭和40年頃である。
今私でも数の子のわさび漬けなんて酒の肴にできるなんて豊かになったもんだ、
こんな風に核実験を見物していたそうです おお、話を戻そう。
アメリカは核実験の際に、兵士を実験場の近くにおいてさらには実験直後に爆心地に行進させたりしていた。こんなことをしてたら被爆するのは当たり前という感もある。幹部はもちろん被爆させることが目的ではなく、驚異的な威力に驚かず実戦でも戦闘できるように慣らしていたのだろうか?
第5福竜丸などについてもそういった実験の意味があったのだろうか?
人ではないが、ビキニ環礁の実験ではアメリカは日本から鹵獲(ろかく)した艦船や自国で要らなくなった艦船を置いてどのような効果があるかを試している。戦艦長門も最期(さいご)はここで迎えた。
今では沈没した長門はダイビングのポイントとなっているそうだ。
日本の守護神戦艦三笠
戦って最期を迎えた大和と実験の標的にされた長門はどちらが幸運だったのか?
もちろん戦い抜いてなお無傷で残った駆逐艦雪風や、今なお日本を守り続けている三笠が軍艦としては最高の生涯であろうが・・・

やがて第5福竜丸は反核運動のシンボルとなり、反アメリカそして反政府の運動とつながっていった。
まさにサヨク運動の典型である。
このパターンは枚挙に暇(まいきょにいとま)がない。
たとえば成田空港運動もある。立ち退きに反対する農民がいる。それを支援することにより勢力を伸ばそうとする政党や学生運動が現れる。やがてそれは空港による立ち退き反対から反政府運動へとエスカレートし、なんとこれもまた40年を越えて闘争は続いている。
ジャンボが飛べる二本目の滑走路は私が存命のうちに完成するのでしょうか?


もし私の論に異議ある方がいらっしゃったらお聞きしたい。
第5福竜丸に反対した人々は、
今北朝鮮の核開発に反対運動をしているのでしょうか?

北朝鮮に核兵器を持つ権利を!
数ヶ月前、イラクへの自衛隊派遣反対の反戦デモでは、なんとプラカードに「北朝鮮に核兵器を持つ権利を!」と書かれてありました。
これが日本の反戦運動・平和運動の本性のようです。

成田空港反対を唱え、過激な活動をした政党あるいは学生も時がたち、外遊には成田を使い、また会社員となって海外出張のときには成田を使います。
私は成田を使います かって土井たかこは外遊に行くときに「成田を使うとはなにを考えているのか?」と問われて何も答えることができなかった。30年前のデモに参加した会社員は「成田は滑走路がひとつしかなく不便だ」とこぼしている。
そして肉体的には老人となってもまだ過激派を卒業できない永遠の青年たちは、ロケット弾攻撃を続けて日本社会に脅威を与え続けている。
みんな アホ としかいいようがない。


しかしながら・・・と続くのだが、
拉致問題を風化させてはいけない 何ゆえ革新団体、学生運動は北朝鮮による拉致事件に対して被害者、弱者の味方にならなかったのだろうか?
かたや成田空港建設は法的根拠に基づくものあり、移転する農民は移転料を貰えるに対し、こなた北朝鮮拉致は、まったく自分に非がなく北朝鮮に非合法に誘拐された人々である。
この人々のために運動していれば国民の支援を得て、国会でも大勢力になれたであろうに・・そして活動家は国会議員にもなっていたかもしれない。
つまるところ革新とは共産諸国に利することであり、彼らの正義は共産主義勢力拡大でしかないのであろう。
自衛隊の復興支援に反対を叫び、北朝鮮の核武装を支持しているのだから。
あなたはどう考えますか?




本日のテーマはなんじゃい?
なんてお尋ねですか?
いえ、何ということもないのです。第5福竜丸という言葉から私の頭に浮かんだことをただ書き綴っただけでして・・・つまり私の考えがいかにとりとめがなく、いい加減かということでして・・・

老人のたわ言とご理解いただいてもよろしいかと・・・ 



しかしながら、文章を書くのと雨の動きをどうしようとか、写真をあちこちから探すとかけっこう手間ひまはかかりました。


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