子育ては恋愛よりも面白い 2004.03.12
「子育ては恋愛よりも面白い」なんてフレーズがテレビから聞こえてきました。何のコマーシャルだろうと思って画面を見ると養育や子供関係ではなく、なんと車のメーカーの宣伝でした。
oldman1.gif さて、子育ては恋愛よりも本当に面白いのか? なんて質問には私は回答不能です。
以前も書いていますが、私は娘息子の教育はすべて家内に丸投げしてました。
家庭人として重大な責任を丸投げしていた人間ですから土建業界の丸投げを非難することはできません。
私が30代、子供たちは幼稚園とか小学校だった頃は会社一筋でありまして、毎週毎週残業と休日出勤の繰り返しで家にいることはめったになく、家内に脅されてシブシブ父親参観とか運動会に行ったくらいです。
お断りしておきますが、家庭を放っといてゴルフとかパチンコに行ったことはありません。なんせ過去現在ゴルフもパチンコもしたことのない人間です。もちろんそれ以外のレジャーをしていて子供と遊ばなかったというわけでもありません。神に誓って仕事に明け暮れていたのです。正確に言えば明け暮れていたのではなく、明けてから夜が更けるまででございます。
今は本当に反省しています。
あのとき仕事を少し減らしても、もっと子供たちと遊んでやればよかったと思います。娘息子に申し訳ないと陰で謝っております。
oyako.gif 私が40代となると子供たちは中学生、私の仕事が変りまた自分の人生観も変ったことにより、残業、出勤ということが少なくなりました。ところが今度は私が囲碁に狂い毎晩毎週田舎のあちこちの碁会所や囲碁クラブのはしごをしているような有様、これまた子供と遊ぶ暇がありません。
家内に「私と囲碁とどっちがいいの?」と問い詰められたことがありました。
エート、そのときの答えは「君がいるから安心して囲碁ができる」だったような記憶が・・・・・
思春期の子供が囲碁に狂った父親を持つといかように育つのかというのが大問題ですが、当家においては家内の影響か?はたまた単なる偶然によるものか、非行にも走らず、不登校にもならず、オタクにもならずまっすぐに育ってくれました。

本当を言えば、親が子を育てるのではなく、子が親を育てるのかもしれません。昔の諺にある通りでございます。
どんな人間でも歳をとったとしても、本当の意味の大人になるのは結婚して、子供を持ってからではないのでしょうか?家庭があり子供がいると、苦労とは言いませんが、世の中とはまた違った人間関係といいますか社会があるわけです。その社会でまた新しい経験を積むことにより成長するのだと思います。
そういやあ、昔は人となるという表現もありました。

30年以上前の桐島洋子の本で、子供がいると楽しい、自分ひとりでは毎年一歳歳をとり悲しいが、子供がいると一歳大きくなるのが楽しいという文章を読んだことがあります。子供というのは実にありがたいものだと思います。
桐島洋子さんというのは元祖未婚の母でありまして、「寂しいアメリカ人」という本で大宅壮一ノンフィクション賞受賞を貰った才女です。
今は桐島かれんの母としてのほうが有名か?
まあ、そんなわけで私のようなできそこないの人間を、何とか一人前にしてくれたのは家内と子供たちのおかげであるというのが実感です。
家庭というのは子供を人間として育て社会生活を教える場であるのでしょうが、同時に生物的遺伝的には親であるものを社会的人間的にも親であるように育てる仕組み、メカニズムでもあるのでしょう。
一時、家庭内暴力とか親をバットで殺したという事件が発生したこともありますが、そういった家庭ではそのメカニズムが機能しなかったのか?仕組みが構築されなかったのでしょうか?

quest.gif 最近、親による子供虐待が報道されていますが、いったいどのような心理状況で行うのか私にはまったく理解できません。あいてが自分を襲ってきたら私は過剰防衛であろうと闘うことをいといませんが、自分より明らかに力のない子供に暴力を振るってなにがいいのでしょうか?

囲碁で強い相手に挑んで負けて元々、勝てば最高ですが、弱い相手をいじめたところで楽しくともなんともありません。
会社でも学校でもイジメとかあるそうですが、私は理解できませんね、
弱いものを多数でいじめるなんて面白いはずがありません。いじめるなら一人で大勢の強い人をいじめなさい。イジメがいがありますよ。  

良い社会があるのは、良い家庭があってこそであると思います。
子供を虐待する家庭も、親をバットで殴る家庭も、子育ては恋愛より楽しくないことは確かなようです。



とりあえずのまとめ

私は子育てを語れるような立場ではありません。
子育ては恋愛よりも面白い?かどうかは分かりません。
でも子が育つのは、草木が育つより面白いのは間違いありません。




毎度のことですが、たった一つのフレーズから2000文字を打つ出すのは出来に関わらずけっこう頭を使うのであります。

雨の朝 2008.05.30
朝、マンションを出ると雨が降っていた。強い降りではないが、霧雨でもない。傘をささないとだめというレベルの雨だ。
やれやれ、これで三日続きの雨か、とちょっとがっかりした。
私は雨が好きではない。嫌いな理由は、深刻とか感情的なことではない。私は実用的な男であり、現実的な理由がある。電車通勤をしていると、雨傘の扱いに困るし、他人の傘で服やズボンが濡れるのもいやだし、電車の中はむれてあまり気分が良くない。窓が曇って表が見えないのも好まない。
もちろん、真夏の夕立のような暑さを吹き飛ばすさっぱりした雨なら嫌いではない。
まあ、お天気という言葉が気まぐれを意味するように、人間がコントロールできるわけがないのは大昔からのことわり、こればかりはどうしようもない。
いつもカバンに入れている折り畳み傘を出して広げ、駅までの道を歩いていくと、上の方から「パパ行ってらっしゃーい」という子供の声が聞こえた。
はて、私にそのような子供がいたのか? なんて一瞬驚いたが、もちろん私の子供ではなかった。
私の前を歩いていた30代の男性が傘を脇によけて道路のそばのマンションを見上げた。
5・6階のあたりで3歳くらいの女の子が手を大きく振っている。
その男性は何度か手を振ると恥ずかしそうに周りを見回して、傘をさして私の前を再び歩き始めた。
それだけのことであったが・・・私の頭にいろいろなことが浮かんできた。
昔なら走馬灯のようにというところだろうが、私は走馬灯というものを見たことがない。
ubaguruma.jpg 1980年頃、当時ものすごく不景気で残業なんてない日が続いた。暮らしは大変だが、帰宅が早いのはありがたかった。
毎日私がバス停から歩いていくと、団地の端まで家内が息子を乳母車に乗せて、娘の手を引いて迎えに来ていた。それから4人で我が家までの道を歩いていくのが楽しいひとときだった。
あれからうすら30年、いやはや時が経つのは早いものだ。娘は結婚し、息子は体重が3桁となり、乳母車は一瞬で壊れるのは間違いない。
手を振っている女の子を見て、あの頃の娘を思い出した。あのお子さんもあっというまに女の子になり、大人になり、「パパ行ってらっしゃーい」なんて言ってくれなくなるのだろう。
私も娘や息子が小さい時にもっともっと一緒に過ごし、遊んでおけばよかったと思う。後悔は先に立たず、時間は戻すことができない。
あのお父さんはお子さんとしっかりあそんでいるのだろうか? そうでなければ仕事を減らしても遊ぶべきですよ。
なんてことを考えて歩いていくと少し気分がなごみ、いやな気分も晴れてきた。
よし、今日も頑張って働くぞ!
若い者は私がバリバリ働かないことを望んでいるだろうが、それは無視しよう 



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