新聞と政党 2004.04.05
本日は少しまじめに行こうと思う。
なにしろ私のライバルは朝日新聞などではない。偉大なるプロフェッサーKABUその人である。私の得意技であるダジャレと打っちゃりだけではKABUさんには勝ち目がない。
カブ先生 もちろん、彼が私を歯牙にもかけていないことは十分存じている。
とはいえ高い理想を持つことを禁じる法律もなければ、大御所に挑戦していけない理由もなかろう。 
「新聞と政党」と題打っても、新聞と政党がつるんでいる暴露話とか、マスメディアと大衆政治とかを語ろうなんて大それたことではない。それこそそういった論題はKABUさんにお任せである。
私が語らんとしているのは新聞と政党の類似性についてである。
では、はじまり、はじまり

55年体制ともいわれるが自民党による政治が現代日本を作り、動かしてきたのは否定できない。自民党は正義でもなければあるべき姿でもないが、彼らの名誉のために語らなければならないことは、彼らは自民党こそが日本を動かしているという自負というか責任感を持っていたということは間違いなかろう。もっとも今は相当に怪しいのであるが・・・
私が知っているのは岸の時代からだが、岸、池田、佐藤、田中、中曽根といった宰相たちはその覚悟を持っていたと私は信じている。影で悪事を働いたとか、汚職に関わっていたというのはここでは言及しない。
なにしろ辻元の思想に共感している人は横領して有罪になった今でも政界復帰してと主張していることだし〜♪
それに対する社会党は常に批判勢力であり、自民党に代わって日本を背負いますよという覚悟を見せたことは一度もない。安保反対といいながら、ソ連の脅威にどう対応するのか?ということを明確にしたことはなく、消費税反対と叫びながら国家財政については口をぬぐっていたことを忘れてはいけない。
どんな社会にも落ちこぼれも、主流になれない人、反対する人はいる。
働き蟻というのは実はそのうちの2割が一生懸命働いていて、6割がまあまあ働いていて、残り2割はサボっているという研究があるそうだ。ところが2割の働き者だけを集めたり、サボり屋だけを集めたりするとそのアリ達は働き者や怠け者に分かれその割合は変わらないそうだ。その理由は謎である。
現体制を批判する主張を掲げる政党は、それら落ちこぼれや批判者の支持を取り付けることにより、少数ではあるが常に国会に議席を持つことができ、国会議員でありながら責任は負わず、甘い生活をすることができる。すばらしいことではないか!
安定した生活が保障されるのであれば、苦労するよりしないほうが、責任を負うより負わないほうが、積極的提案をするより批判だけしているほうが楽なことはいうまでもない。
会社で大きな声を出すということは、その仕事を私がしますという宣言であり、それゆえに発言力を持つのである。そして失敗すればそれなりの処分を受ける。信賞必罰、けっこうなことである。
社会党というものは自民党独裁体制に寄生する政治団体であり、自民党が倒れれば自らも生存できないというまさに寄生虫そのものであった。
社会党は政党ではない。政権を取ることを目標としない団体、自らのウィル(意思)を持たない集団を政党とは言わない。
政党とは実現可能な構想を持ち政権を取ることを目指す政治団体をいうのであって、単に法律で定める国会議員数以上を有する団体のことではない。
今、民主党が政権を目指すと叫んでいる。(わめいているのかもしれない)
90年以降、日本の政治にも波乱がおき、それまでの万年与党対万年野党という構図が崩れた。ある程度政権交代が起きるかと予想された。しかし、結局日本人は改革を望まず改善を望んでいるということが明白になってきたのではなかろうか?
民主党は旧社会党と自民党左派や民社党などなどの、まさに右から左まで護憲から改憲までのごった煮であり、目指す方向は定かではない。変な話だが民主党が多数を占めれば占めるほどその政治主張は不明確となり政権から遠ざかるのである。だから今現在、明確な方向を示せない民主党は旧社会党の後継政党として政権党への批判勢力と認識されていることは間違いない。
真剣に民主党が政権を取ろうとするとその政治公約(マニフェエストと呼ぼうと)は改革ではなく改善志向とならざるを得ず、そして自衛権やPKOあるいはPKFへの対応という踏み絵を踏まなくてはならない。それによって、政権政党になれるか、批判政党にとどまるかということが決定されるだろう。
民主党は明確なマニフェストを示しているとお考えのお方がいれば、プリントアウトしてよくお読みいただきたい。私は何度も読んだ。確かに文字数は多いようだが、内容は薄い。あれは白日夢に違いない。
廃棄物のマニフェストは一枚の帳票だがもっと内容はあるぞ  
日本人だって死にたくはないし、60年かけて築いていてきた財産を失いたくはない。荒唐無稽な話を語る政党に自らの命とお金を預けることは危険極まりないのである。

なことは私ごときが書くまでもなく、誰もが知っていることである。
さて、新聞でも同じことが言える。
世界最大の発行部数を誇る読売新聞はまさに自民党と同じ立場に置かれているし、過去何十年もその責任を負う覚悟を持っていた。読売新聞は自らを『日本を代表する新聞である』と認識し、新聞紙上でも政治も経済も社会面もスポーツにも力をいれているし、さらにはプロ野球やサッカーチームも保有してそれらのスポーツの底上げと、もちろん宣伝効果による発行部数拡大のために種々活動をしてきた。
そして時として、行き過ぎや試行錯誤によるミスもあるのはまさに自民党と同じである。江川事件やそれ以降の巨人軍を勝たせたいがためのトリックに近い手段を私は厭う(いとう)。それが私が反巨人としての阪神ファンとなった理由でもある。

それに対して朝日新聞は常に主流になれなかった人あるいは反体制の人の立場に立ち、その人たちの代弁をすることにより存在してきた。だから間違ったことをしても読売ほど批判されることはない。なぜなら朝日が日本を引っ張っているのではないことを誰もが知っているからである。
読売の社説は多くの人が信じるが、朝日の社説は少数しか信じない。大学入試に一番採用されているということと、その新聞が日本の政治経済に影響力を持ちあるいは日本の世論を代表するということとは関連がない。
★★証拠だって?
朝日新聞の発行部数推移を見てみなさい。
同志、KABU教授は朝日を読むのは政治に関心のない人と、朝日を批判しようとする人だけではないかと論じている。
スポーツ紙が宇宙人発見を報じてもジョークだと思う人はいても、パニックになる人はいない。
同様に朝日がアメリカの政策批判や中国の代弁しても、それを額面とおり受け取る人は少ないだろう。多くの人は正論は社説の反対であろうと受け取っていることは間違いない。
朝日新聞は常に反体制派の支持を集めて成り立ってきた。逆説的だがそれゆえ反体制勢力が多数を占めれば朝日新聞自体が崩壊することは間違いない。
日本酒はアルコール度数が18度以上にはならない。日本酒に限らず醸造酒はそうである。それ以上に強い酒にするには醸造酒を蒸留しアルコールを濃縮する必要がある。
 なぜか?
酵母菌は自ら作り出すアルコール濃度が18%位になると死滅してしまうからである。
そこに醸造酒と朝日新聞そして社会党の類似性を見る。
民主主義社会において現体制に乗れない人、批判勢力を集めて批判政党をこしらえることは合法であり可能である。そういった人々の声を代弁する政党や新聞は常に一定シエアを確保しそれなりに安定した経営を保つことができる。そういった政党とはいえない政治団体や体制批判紙にとって一番望ましいことは現体制が永続することであり、自らは居心地の良い立場で体制側を批判できることである。
もし万一、自分が主役となったとしてもとても主役を勤める力がないのは自分が良く知っている。
証拠?
自民社会連立政権の村山翁を見ればよい。
あの時自民党も河野という力不足な役者しかいなかったために最悪の事態を招いた。まさに戦後日本最悪の時である。
村山翁が明治の政治家ならその主義思想に関わらず腹を切っていることだろう。
エッツ、今は映画俳優をしているのですか?
読売新聞は誤解を恐れずに積極的提案をしている。かっては憲法改正案を提示し、多くの賛同と批判を受けた。そして日常的に正論を唱えていると私は考えている。
他方、朝日新聞は憲法については護憲を語るしか能がない。そして外交内政ともに政府批判の社説を書き続けている。
君たちは積極性、主体性、独創性というのはないのか?

自民党は戦後ずっと解釈改憲を繰り返し、日本の進路を決めてきたのは事実である。その方法が正当であったかどうか論議はあるが、決して無為ではなかったのである。結局政治とは最少悪の選択であり、イラク派遣しなければ対北朝鮮問題や中国に対抗するためのアメリカの支持を取り付けることができるかできないかという方程式なのである。
他方、社会党・社民党はひたすら護憲を叫び平和主義という美名に隠れて国際平和を乱す北朝鮮や中国を支持してきた。彼ら自身、彼らの主張が実現したら恐ろしくなるのではないか?
共産主義支配下の日本で社会党・社民党が国会で議席を持つことは不可能であり、朝日新聞が発行することはできないだろう。そのときは人民日報と名前を変えているかもしれない。
まさに自分が作り出したアルコールに殺される酵母菌ではないか?

多くの人が論じているように、社会党・社民党は政党ではなく、朝日新聞は報道機関ではない。彼らは日本の現状への不満を持つ人々のサークルであり、そのサークルの機関紙にすぎない。
憲法にもあることだし私はいかなる団体の存在もその機関紙の発行も認めよう。囲碁クラブが会報を発行し、カルチャーセンターが独自の機関紙を発行しても別に問題はない。しかし、たかがサブカルチャーの機関紙が日本を代表する新聞であるとか、日本の良心であると自負することはまったくの勘違いである。

社会党・社民党や朝日新聞は北朝鮮のテポドンや中国のICBMと核について心配ないという。私が質問したいことは可能性が大きいか小さいかではなく、そういったときにどうするのか?ということである。
侵攻してくる危険性は少ない(ない)かもしれないが、万一に備えての見解を聞きたいのだ。
イラク派遣反対を唱えることは簡単である。じゃあどういった政策を取るのか?ということを知りたいのだ。


もっとも最近の話題である『日の丸掲揚』について、朝日は『掲揚する権利を認めるが起立しない権利も認めよ』とのご高説である。
そういった論理の帰結がこの日本をどうするのか知りたくはないか?
★★国旗に敬意を表することが嫌いならしなくてもよいのか?
★★法律を守りたくなければ守らなくても良いのか?
★★国民年金を納めることが嫌なら納めなくとも良いのか?
★★お金が欲しければレジのお金を盗ってもいいのか?
★★国歌を歌うのが嫌なら歌わなくて良いのか?
★★人の迷惑にかまわず電車の中で携帯を使ってもいいのか?
★★街中で酒を飲んでくだを巻いてもいいのか?
★★女が欲しくなれば勝手に犯していいのか?
法律を守らない先生に教えを受ければ法律を守らない子どもができるのは目に見える。
明日の日本は大変なことになるだろう。



エー本日のまとめです。


体制に歯向かうことはかっこいいかもしれない。
まさにダビデの行為を責める預言者のようだ。
でもちょっと待ってくれ、
あなたの主張は反対のための反対ではないのか?
1億2千万の人命と財産を預かる覚悟はあるのか?



うーむ、読み返すとその論理も切れ味もKABU先生には遠く及ばない。
しかし、無責任政党と無責任新聞を批判する気概は遅れてはいないぞ、


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