汝、神仏を敬え 2004.08.19
パーティーでは宗教と政治を話題にするのは禁物と聞きます。野暮であると共にいろいろなお考えの方がいるから差しさわりがあるのでしょう。
こんなけちなウェブサイトでも宗教を論じるのは火中の栗を拾うようなもの、取り上げない方が無難・・・なんて私が恐れをなすわけがありません。 

では本日は私と宗教とのかかわりを、テケテケ

私が幼いとき、我が家には仏壇も神棚もなかった。もちろんオヤジは戦死したオヤジの弟の位牌を預かっていた。それをどこに置いていたのかといえば、本立てに位牌を置いていた。私はそれが当たり前と思っていたのであるとき買い物に連れられて行ったお店で本立てを売っていたので「仏壇があるよ」と言うと、母はあわてて私をさえぎった。後で考えると母はとても恥ずかしかったと思う。昭和20年代末の話である。
その後幾分か豊かになって本物の仏壇を買った。もっとも今から考えるとちゃちなものだった。塗装も砥粉のような赤い塗料を塗っただけであった。

尼さんとはこういうものだ

子供の頃、近くにキリスト教会があり尼さんが何人もいた。独特の服装で歩いているのを親父が指差して「ペンギンというのはああいう姿形をしているのだ。」と語った。
小学校に入ってから見た第一次南極探検隊の映画の中でペンギンは確かに尼さんそっくりであった。
このたとえ話はオヤジが間違っていなかった数少ない事例のひとつである。 

我が家に神棚はずっとなかった。もちろん神社からいただいてきたお札はあったが、それをただ鴨居に画鋲で止めていた。
後年、オヤジは鴨居に板を打ち付けて形だけは神棚に見えるようになったが、棚だけで宮は買うことはなかった。その理由は宮を買うほど豊かでなかったからだろう。
衣食足りて礼節を知るのは間違いない。
もちろんオヤジが不信心であったわけではあるまいが、


生まれた家の近所にクリスチャンの人がいた。もちろん結婚して子供もいる一家の主であった。時々遊びに行ったが、家の中には仏壇と位牌があった。長男であれば先祖からのものを守っていかなくてはならないだろうから・・・と他人事ながらその苦労を思いやった。
我が家の墓がある墓地にもキリスト教のお墓があった。石碑の上に金属の十字架が飾り付けてあった。日本人でかつキリスト教徒であることは困難を伴うものだと同情する。
でもそのお寺は文句を言わなかったのだろうか?墓地は寺のものか?永代使用権を持つ檀家のものなのか?

私の中学時代の同級生が高校をでて就職して数年後に海水浴場でおぼれて死んだ。まだ20歳そこそこであった。いったいどうして!?スポーツ万能な彼が、海水浴場の海岸からほんの数十メートルのところでおぼれたなんて我々は信じることができなかった。
彼の葬式は神式であった。
聞くと仏教の葬式では戒名代とか坊さんの謝礼などが大変で、神式にしたという。神道では亡くなっても戒名はなく生前の名前の下に「命」(みこと)がつくだけだ。たとえば私が死ぬと「佐為命」(さいのみこと)となる。
みーんな貧しかった昭和40年頃の話である。
今なら仏教でお葬式をしたのだろう。


チーンチーン 私の娘が2歳の頃、仏壇の鐘が気に入って、それを持ち歩いてチンチンと叩いていた。私と家内は別に気にもしなかったが、オヤジは烈火の如く怒り「冒涜だア!」と怒鳴った。
それから半年もせずに親父は逝ってしまった。
孫娘が叩く鐘の音を自分の挽歌だと感じたわけでもあるまいに?

さてオヤジが逝ってしまって長男は私である。仏壇もあつらえなければならないと近くの葬儀屋に行って簡単なものを求めた。ところがこれが簡単じゃないんですね、入魂式というのをしないとならないそうです。もちろん坊さんに頼むわけで、ただじゃありません。
位牌が故人の魂ならば、仏壇になぜ入魂が必要なのか分かりません?
最近は入魂式済みという表示のある仏壇も並んでます。しかしこれも理解困難ですよね?故人の魂よ安かれと入魂するならば不特定多数の人向けの入魂というのがありえるのだろうか? 謎です。

もっと時代が下がって、娘・息子が中学高校のころのお話です。うちの家内はけっこう近所の奥様方とお付き合いが多く、ほとんど毎日誰かしらは来てお茶などを飲んでいました。
実は日中だけでなく夕方になり夜になって、私が仕事から帰って来るまで世間話などをしていたのです。
都会に来てから近所の方と付き合いがなくて、家内が寂しがっているのではなどとご心配には及びません。かっての仲間たちと連絡を取り合い、我が家をベースキャンプにしてディズニーランドや東京漫遊をしております。
我が家の豚児たち娘・息子が学校から帰ってくると、必ず仏壇の前に行って鐘を鳴らすと、そのおばさんたちの評判が大変よろしかったのです。
「お宅の息子さん、娘さんのしつけはしっかりしているのね、見習わなくちゃ!」
といったあんばいです。
あとで客が帰ってから家内が私に笑って言いました。
「自転車の鍵を仏壇の鐘の中に置くだけなのにね」
学校から帰ると通学自転車の鍵を仏壇の鐘に入れる、そのときにチーンと音がしたというだけのことです。幽霊の正体見たり枯れ尾花とあい似通うところがあります。
まあ、自転車の鍵を仏壇においても罰はあたらないでしょう。 でも親父が生きていたらオソロシイ
もっとも、自宅におくにも自転車に鍵をかけないと盗まれてしまうという治安の悪さをいかがいたしましょうや?
タイにいたとき初めはものめずらしさで一般的な名所旧跡を巡りましたが、主な所を一回りしてしまうとその後の休日は知り合ったタイ人にお願いしてそのへんの有名でない寺に連れて行っていただきました。
もちろん仏教のお寺で、そこでは日本と同じく仏像を拝んでさい銭を上げる。そしておみくじを引く、そんな行動様式になぜか私の子供時代と古里を感じてなごむのでありました。
そんなとき現地の方に「あなたの宗教は何か?」と聞かれることが多かった。そのときいつも私は「仏教」と答えていた。もちろん本当に私は仏教徒である。しかしもしあなたがそう聞かれた場合は仏教徒でなくともそう答えるのが一番問題ないし、誤解を招かない!唱える念仏が「南無大師遍照金剛」であっても「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でもよいのだ。彼らだって自分たちの言葉で拝んでいるのだから。
もしそんなときあなたが宗教を信じていなくても、「私は無宗教だ」とか「私は自己の信念で生きている」なんて答えないほうがいい。そういう生き方を相手は理解できない、というかそういった人の存在を理解できない。間違っても「平和憲法をもとに行動している」なって言っちゃうと「詐欺師かうそつきか」と思われるのがオチである。

さて都会に来てマンションと呼ばれるところに住むと神棚を置くところがない。
いつも書いているが、マンションの本当の意味は金持ちが住む広い家であって、70平米とかのアパートを言うのではない。 わが師 Yosh様はいつもマンションという言葉を笑いの種にしている。
Yosh様、バイニルをビニールというのは発音が悪いのではなく日本語ではビニールというのです。マンションとは日本語では鉄筋コンクリートの集合住宅をいうのであって・・・まあご理解ください。


わが師、Yosh様よりさっそくコメントを頂きました。(2004.08.20)

バイニル & ビニールについて
ブァイニル、ヴァィニールが近いような気がします。
ご指導ありがとうございます。
アメリカ人がおっしゃるのですから間違いありません。
謹んで、ご指導に感謝申し上げます。
で私はペーパー神棚というものを考えたのだ。これは特許にならないだろうか?
つまり神棚をお札(おふだ)を含めてすべて1枚の紙に印刷するのである。タペストリーとかポスターと同じと考えればよいのでは
ホテルだって窓のない壁にわざわざカーテンを置くと窓があると感じて開放感をかもし出せると聞く。
そういったものを神社で売ったらどうだろうか?きっと売れるに違いない。
毎年それを張り替えるだけだったら環境保護にもなる。
そんな私のすばらしいアイディアを家内は「バカなことを言ってんじゃないよ」と一蹴した。


紙の神棚を作ったらどうか?
 
oldman1.gif

神棚


バカなこと言ってんじゃありません
 oldwoman.gif


最近の話題ですが、年金未納を追及していた民主党の党首が自分も未納だったことがばれて党首を辞任した後に、四国八十八箇所めぐりをしたというのがありました。
ご苦労なことです。
ほとんどの日本人は一生に一度は四国八十八箇所めぐりをしようかと思っているのではないでしょうか? そういった日本人の心象に訴える行動をする、いやあこれこそ政治的、戦略的行動でありましょう。
スバラシイ 君の政治生命 復活の日は近いぞ!

しかし彼が何日もかけて四国巡業をするよりも靖国神社を参拝したほうが政敵からは一目置かれたのではないでしょうか?そのほうが日本人の心象に訴えるものが大きいのではないか?と愚考いたします。
国民は「彼は日本人の心象を持っている。彼にまかせても安心だ」と感じたのではないでしょうか?
「考えるのではないでしょうか」ではないことに注意!
批判を受けても、「もう公人ではない」と開き直れますし・・・

koizumi.gif 小泉さんがシベリアで厳寒の中、コートを脱いで抑留者の墓で手を合わせた写真を私は忘れない。
小泉さん、あなたの政治家としての評価は将来決定されるだろうが、立派な日本人であることは既に立証された!


これで終わりか?って、
いやあ昔話は売るほどありますので出張から帰りましたら続きを書きましょう。

タイトルと中身が違うとか、羊頭狗肉だあ!なんていっちゃいかん、
この文章は苦肉の策なんちゃって 



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