衣装はコミュニケーションである。 2005.04.23
ほんの少し出歩いていると何事も旧聞となってしまう。
しかし、現代はニュースが多すぎる。
朝日新聞がNHK報道について政治家の圧力があったと報道し、それをNHKや安倍議員などが「捏造だ!」「捏造でない!」と騒いでいたら、ライブドアの騒動のおかげで朝日報道事件はニュースの主役から滑り落ちてしまった。
ライブドアのフジテレビ買収騒動は朝日新聞がNHKに関する報道の捏造疑惑をうやむやにするために起こしたという説もあった・・・・真偽はワカラン
それからしばらくの間はライブドアのフジテレビ買収騒動は新聞のトップを飾る大騒ぎであった。しかし、いまではもう過去の話でしかない。
ライブドアの乗っ取り騒動も、中国の反日デモ、反日暴動(反日略奪?)でまたもやニュースの主役からすべり落ちてしまった。
今大騒ぎの反日暴動が主役から滑り落ちるのは北朝鮮の核実験によってかもしれない。
そうならないことを祈る。

22日のウォール・ストリート・ジャーナルは、米政府高官の話として、北朝鮮が核実験の準備を進めていると報道した。
ライブドアの堀江社長は04年のプロ野球チーム買収の時、テレビインタビューにTシャツで現れて話題になった。05年4月8日のフジテレビとの和解でもTシャツであった。
これに違和感を感じる人と、親近感を感じる人がいるのは当然だろう。
私は違和感を感じる。
私は高校を卒業して以来、長年田舎の工場で働いており、会社でネクタイをしたなんてことはまずなかった。
しかしもちろん、結婚する前に家内のお宅をはじめて訪問した時とか、パスポートの写真を撮る時にはネクタイをした。

passport.gif 今は規定がないようだが、昔はパスポートの写真は男子はネクタイ着用、背広の上着着用が必須だった。
写真屋にはネクタイをしてこなかった人のためにネクタイと上着が用意してあったのだ。

昔、本田技研の創始者、本田宗一郎は昭和天皇の工場訪問の時、背広ではなく、なんと作業服で工場をご案内した。私はその時の写真を見たことがある。
それを見て、現場で働く者として目頭が熱くなったものだ。
現場上がりで現場をことなく愛する者が、天皇であろうとご案内する時は作業服を着用するのはまことに正しい選択であろうし、昭和天皇もそれをもってよしとされたに違いない。
作業服を着ることによって、私は現場を愛している、日本の再興は現場にあるのだというメッセージを限りなく伝えているのだと思う。
そして受け取る方も、その思いを誤解せずに受け取ったことと思うのだ。

被災地などに視察に行く県知事などは作業服、ヘルメットを着用している。
これも逆の意味で礼儀なのだと思う。
自分たちが怪我をする恐れもないのにええかっこしいと思う方は、思い違いである。

そういった例をいくつかあげますと、
アカデミー賞をもらいに行くには、まあ、タキシードくらい身につけていかなくちゃいけませんよね
sunbath.jpg リゾートではスーツ・ネクタイでは場違いです。やはりバミューダとゴムサンダルくらいの”正装”をしなければいけません。
ビジネスウーマンはエレベーターの中では帽子を取れとかいうのもありましたね
サミットで各国首脳がラフな服装をしてますが、あれは私たち日本人にとってはいっしょに風呂に入るようなもんではないでしょうか?

タイにいた時には日本人ビジネスマンもネクタイスーツなんて着ない。なんといったらいいのだろうか? 半そでの上着を着ているのだが、これがどこにでも通用する正装なのである。会社でも結婚式でも、葬式でも、もちろん他社訪問する時でも。
だからネクタイをすることばかりが正装ということではない。
私は堀江社長が公式な場に紋付袴で現れても違和感はなかった。しかし、和服ならいいのではなく、和服であっても着流しでは場違い、失礼なのである。
他方、Tシャツというのは現時点ではいかなる国の正装でもない。インターネット業界ではそれが正装なのかもしれないが、21世紀初頭の日本においてはビジネスの場において市民権を得ていないことは事実である。
私が他社をご訪問するときに、Tシャツでは塩をまかれても文句は言えない。
彼が私を含めて保守的である現状を打破しようという、ジャンヌダルク的思想なのかは知らないが、私を含めて今現在の多くの人からは変っていると思われることは間違いないと思う。
そして、着るものは単に暑さ寒さをしのぐだけではなく、コミュニケーションの手段であることを考え、多くの人にいっしょに働きたくはないと思わせるに十分ではないかと思う。
もちろん、ノーネクタイであってもよい。場違いな格好をしなければよいと思う。
作業服であってもその企業の制服であるとか、その理由があるならば社会的に認知されるだろう。

sensei.gif ちょっと毛色の違う例えだが、
昔、新規に取引したい会社に毎日訪問してとうとう念願がかなった営業マンがいた。
彼がアメリカに行って同じことをしたら警察に通報されてつまみ出されたという逸話(?)を聞いたことがある。
社会や時代によって、価値観は異なるので、マナーも通用する感覚も多いに異なるのだ。

自分を理解してもらうためには、相手の価値観を理解しなくてはならないだろう。

と振り返って、
私も東北の田舎者であり、日常使う語彙も言い回しも、またそれらが持つニュアンスも私の生い立ちから無縁ではない。
私自身は悪意がなく、乱暴な言葉であると意識していなくても、生い立ちの違う、生まれが違う人にとってはひどい言葉使いとかマナーに反する言い回しであるものもあろう。
このウェブサイトでも多くの方に不快感を与え、また誤解を生んだと思うし、これからもそうであろうと思う。
大いに反省しておりますが生い立ちを抹消することはできそうありません。

相方の肖像
相方の肖像

しかし、私の相方は心が広く、私の言い過ぎや、乱暴な言葉にもじっとこらえてくれる。そうでなければ私の相方は務まらず、すぐに天敵や宿敵になってしまいます。
でもそれは相方の心が広いだけではなく、財布が札束でふくらんで広いからではないかと思っております。


本日のまとめ

人間、自分を知って欲しくば、相手を知ろうとしなくちゃいけません。
そしてコミュニケーションは言葉だけではなく、態度、衣服、アクセサリーなどすべてに支えられているのです。



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