虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す 2006.04.09

私が子供のとき・・・小学校の頃・・・母はいつも私に「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残さねばならない」と言っていた。母は私が将来有名な人になるだろうと妄想を持っていたに違いない。 
tora2.gif いや、どの母親もそうであるように、わが子について過大な期待というか勘違いをしていたに過ぎないのだろう。
それを聞いた時分には、私はその言葉の意味もそのメッセージも理解できなかった。
まず、虎の皮というものが分からない。今ならたとえば暴力団の組事務所の床に広がっている頭付きのトラの皮というイメージが持てるのだが、そんなものを見たことも聞いたこともない田舎の小僧に虎の皮といったところで「なんだ、それ?」でおわりである。
名を残すというのはもっと難しい概念(?)である。いくら田舎でも小学校に行けば偉人(もう死語でしょう)の伝記などはたくさんありましたが、名を残すということがどういうことかわからない。
日本の場合、発見や発明は具体的な名称をつけることが多いが、外国ではほとんど人物の名前が冠される。例えば超伝導の反磁性をマイスナー効果といったり、磁気と電気と力の関係をフレミングの法則というようなもの。日本では品質工学というが外国では田口メソッドというのが一般的だそうだ。
そのような具体例をあげればきりも限りもない。メンデルの法則、ダランベールの定理、パスカルの法則、カサンドラの予言、ハンセン氏病、セルシウス度(温度のこと)、アメリカ(発見者名から)などなど・・・西洋人ってそうとう自己顕示欲の強い人種ではなかろうか?
さすがの私もかなわない 

とまあ、そういったことが名を残すことなのだろう。
ということで残念ながら、いくら母親が名を残せといっても、はなたれ小僧の私にとっては何の意味も持たず、どのような人物になるべきかなどという教訓にもならなかったのである。
もっともその意味を理解したとしても私がノーベル賞をもらうこともなかったろうし、政治家になり大臣になることもなかったろうし、特許をとって金持ちになったこともなかったろう。
私にはどこにでもいるめだたない凡人という偉大な才能があるので、まちがっても有名人に落ちぶれることはない。 

私は高校を卒業して会社に入った。仕事は電気製品を作ることであった。電気製品といっても多々あるが、まあ当時のことだから真空管式ラジオをイメージしてくれれば間違いはない。
当時「三種の神器(洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビ)」の時代は過ぎていたが「3C(クーラー、カラーテレビ、カー」になる前である。
カセットテープが出始めた頃であり、ラジカセなどという商品カテゴリーはまだ存在しなかった。
電気製品といえば、昔も今も変わらないことがある。それは製品サイクルである。「季節の変わり目をあなたの心で知るなんて〜♪」なんて歌もあったが、家電品の製品サイクルは短く季節の変わり目を新製品で知ることができた。
今だっていうでしょう、今春のパソコン、今夏に出たパソコン、パソコン秋の製品・・・
話を戻す。もちろん当時の私は開発を指揮したわけでもなく製品を設計したわけでもなく、ただ生産ラインの一部で働いていたに過ぎない。

それ以降、数年前まで約30数年間、ずっと製造業に従事してきた。その間、私が関わった製品は20種類くらいあると思うが、それこそ季節が変わるたびに衣替えをするごとく、次から次と似たような新製品をドンドンと作っていたのである。
その中で今も使われているだろうと思われる製品は・・・ない!
そして私の手で組み立てたいろいろな種類のおびただしい数の製品は、今ではすべてが間違いなく産業廃棄物として日本のどこかに埋められているに違いない。
あるいはどこか外国の廃棄物処分場に埋められているかもしれない。

oioi.gif 私が職業人としてこの世に残したものはなにもないことを残念ながら確信する。正直言ってやはりそれは悲しいことだ。
家を建てた、橋を作った、ビルを建てた、水路を掘った、線路を施設した、などという仕事をされている人ならば、少なくとも数十年あるいはもっと長い期間、その成果物は人間社会に残り、後世の人々は建設に従事した人の名を知らずとも先人の仕事を身をもって知り感謝してくれることだろう。

あるいは歌であっても文学であっても、世に広まり文化として残るならそれはすばらしいことだと思う。
もう何十年も前のことだが、ダビデに関する小説を読んだ。その中で、ダビデの命を受けて井戸を掘った人がいて、またダビデを批判する歌を作った人がいた。井戸を掘った人は作った当時は社会的に誉れを受けた。しかしやがて時代が移りダビテは死に井戸は涸れたが、その歌は世に歌われ続けたというオハナシであった。・・・もうろくが始まったので半分私の創作かもしれない 
そのとき井戸を作った人は悲しむだろうか?・・・などと詮索してもしょうがない・・・だってその歌だって21世紀の現代まで歌われ続けていないことは間違いない。
ところで今テレビに溢れている歌手は己の歌がどのくらい社会に残れば本望なのだろうか?
1ヶ月なのか? 半年か? 一年か?
間違っても10年間残って欲しいと思いを込めた歌があるとは思えない。
私は中島みゆきの歌以外22世紀に残る価値はないと思っている。
私が大好きだった雪シーズンの定番女 広瀬こうみを覚えている人はいるだろうか? 少なくても、今彼女の歌を歌っている人はいない。いたら「ふっ古〜い」と言われてしまうだろう。
人間は生物であるから必然的に寿命がある。人間の人生とはせいぜいが80年、人生わずか50年といったときよりは伸びているとはいえ、人類の歴史から見れば50歩100歩である。
死ということをどのように認識しているのかということは人それぞれであろう。しかし、死は免れない運命ではあるが、せめて自分の肉体的存在期間を越えて、何かを後世に残したいと願うのはやはり人間共通の願いだと思う。
少なくても私は自分の死後も、個人として何かをこの人間社会に残したいと思う。
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一番普遍的、かつ生物的にも常識的な願いは子孫を残すことだと思う。幸い私は結婚して子供が産まれ、かつ二人とも一人前の成体まで育て上げたので、義務も果たしたし権利も行使したと思う。
だって正常な子孫を残すことは、日本人としてなどと大上段に振りかぶらなくても生物としての義務でもあろうし権利でもあろう。本当を言えば幸運なだけかもしれないが。
そして孫に関しては、私のマターではない。それは私の息子や娘が決定・実施するべきマターであって、ワシャ知らんのだ。それが生物の掟である。

しかし人間は己の遺伝子・DNAを残せばいいのか? というとはたしてそうとも言い切れない。
それは必要条件ではないと思う。
多くの生物が極めてたくさんの次世代の子孫を作るが、次世代のほとんどは弱肉強食の世界で子孫を残さずに死に、ほんのわずかが次・次世代を残すことができる。
魚類の卵の99%は卵の時代で命を終えるという。鳥の9割は生まれた年に死ぬという。自然は厳しい教師なのである。
では、子孫を残さなかったきわめて多くのものは無駄死にか?と問えばそうではないと思う。それは必要なのである。受精する精子は一匹であるが、受精のためには何千万もの精子のバックアップがないと、ことが成就しないらしい。ひとりの英雄を出すためには多くの兵士が必要であるということだろうか? それは捨石、捨て駒だということではないと思う。
あるいは自然は生物を改良しようとして、大勢を生ませ、適性のないものをふるいにかけ排除しているのかもしれない。 それから類推すると、私がたいして仕事を残さなかったのは、他の誰かがすばらしい業績を残すために必要なことだったのかもしれない。

あと20年もしたら私は死ぬだろう。まあそれが10年にしても30年にしてもあまり大きな意味はない。
そのとき、私はこの人間社会、日本でもいい、何かを貢献したというものを残すことができるのだろうか?
せめて少しでも良くしたいと念じて、本日もデモに参加しよう。





2006年4月9日午後 新宿にて
忘れないぞ!中国の反日暴動糾弾一周年デモ行進
に参加してまいりました。
感動したのははじめに国歌斉唱があったことです。今まで北朝鮮拉致集会、人権問題などの集会に行っても、はじめに君が代を歌うなんてほとんどありませんでした。私は感動のあまり鳥肌が立ちました。
ひのきみ派がスパイにいても、きっとこの時点でジンマシンを起こして逃げ出すに違いありません。
残念ながら人数は北京の国営デモにはかないません。
しかし、日本人の真心と、台湾人の真心に共産党の邪心がかなうはずがありません。
そう信じましょう。
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黄 文雄先生 そして、実は、黄 文雄先生が話された後に、ずうずうしくも握手をお願いしました。
先生、ありがとうございます。
感激いたしました。


台湾万歳台湾は独立国家だ!
台湾の安全保障確保を




犬様からお便りを頂きました(2012.08.19)
ちょっとした感想
「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残さねばならない」と母親に言われていたらしいですが、女性でこのような考えを持っているのは非常に変わっていると思いました。

このような親に育てられると一歩間違うとアダルトチルドレンになってしまいますね。
感想は、それだけです。失礼しました。(^~^)
犬様 お便りありがとうございます。
非常にユニークなご見解と思われます。
その1
女性でそのような考えを持っているのが変わっているとは、どうしてなのでしょうか?
犬様が、そういう故事成語をご存じないのか、どーなんでしょう?
その2
そういう親に育てられるとアダルトチルドレンになるという根拠を示してほしいものです。
よーするに、あなたのおっしゃることは、まったくおかしいオハナシですね!
精神分析医に駆けつけることを推奨します。


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