民主主義を考えよう 2006.04.21

若干旧聞であるが、朝日新聞の社説について書く。
旧聞といえ、社説とは歴史に残るべき位置づけなのだから、私が論評することを朝日新聞論説委員は名誉と受け止めなければならない。
私は朝日新聞2006年4月15日付け社説を読んで非常に腹が立った。彼らの主張に対してではない。彼らが民主主義を理解しているのか?という点が問題なのである。
なお、同社説は既にわが師、KABU先生が左袈裟に切っているが彼の論は若干学問的でとっつきにくいので、私が平明に書く。
決してKABU先生に挑戦しようなどとたいそれた考えをしているわけではない。 
あきれる、というよりも、思わず笑ってしまう、こっけいな話ではないだろうか。東京都教育委員会が、都立学校の職員会議で先生たちの挙手や採決を禁止したことだ。
odoroki.jpg 都教委は今年初め、高校など263校の都立学校に対して運営のあり方を自己点検させた。その結果、学校行事などのやり方をめぐり職員会議で挙手や採決をしていたところが十数校あった。学校を運営する決定権は校長にある。職員会議は校長の仕事を補助する機関にすぎない。校長が職員会議の意見に影響されるのは、けしからん。
そう考えた都教委は、全校に「学校経営の適正化」を求める通知を出した。その中で「挙手、採決などの方法で職員の意向を確認するような運営は行わないこと」と述べた。(中略)
もちろん、なんでも多数決で決めればいいというわけではない。校長は指導力を発揮しなければならないし、最終的に学校の方針を決めるのは校長である。しかし、その場合でも先生たちの意見を聞きながら、方針を決めるのが常識ではないか。先生たちの意見が割れたときには、挙手してもらって全体の意向を知りたいということもあるだろう。そうしたことを一切許さないというのは、どう考えても、行き過ぎである。
賛成か反対か、採決によって多数意見を決める方法は、民主主義の大事なルールとして、先生が子どもたちに教えていることだ。その先生たちが、職員会議では挙手も採決も禁じられていると知ったら、子どもたちはどう思うだろう。
(以上、引用終了)
何事でもことをなすにあたっては、計画段階では多くの人の意見を聞き、可能な限り意見を取り入れて決定することが望ましい。それは人間が長い歴史の中で考え出してきた手法である。しかし、そのようにして決定したことは実施段階においては、わずかな人の反対があってもそれを説得しあるいは排除して実施しなければならないという意味でもある。
ものごとの実現段階においても多くの意見を聞き、それを取り入れてすべての人を満足させるように運ぼうとするなら、そのプロジェクトは決して完成しないだろう。それどころか決して進まないことに私は賭けましょう。

朝日新聞は職員会議で学校運営を決めるべきだという。
ちょっと待ってくれ!
たかが教職員が学校運営を決める権限があるのか?
そう真っ向から発言すると私の意見に違和感を感じる方が多いかもしれない。
例を挙げよう。
市の運営を市職員が多数決で決めたらあなたはそれを当然だと思いますか?あなたの市でどのような事業をするかということは市会議員が決定し、市長以下市職員はその決定を粛々と実行に移すのみなのである。
oioi.gif 市役所の運営について市職員が決めたらあなたはそれを当然だと思いますか?誰がどこに座るとか窓口をどう配置するとかといったことでも、職員が決定することじゃない。それは管理者が決めることに違和感を感じるでしょうか?
あなたの会社について考えて見ましょう。
今月の営業方針、あるいは売り上げ目標、はたまた査定を従業員の多数決で決めようという会社があるのでしょうか?
もしあるならば、それはきっと株式会社や公益法人などではない。社員が会社を保有しているのではないでしょうか。なぜなら会社というのはオーナーに対して貢献するものであって、そうでなきゃ会社じゃありません。
それとも外部の人が「あの会社では社員が経営に口出しするのを禁じた、とんでもない会社だ」と語ったり、新聞の社説で「許しがたいことだ」と書いたりするのでしょうか?
建物の強度を偽った会社、それを知りながら売った会社を批判する人はいますが、それは法を破り、人道にもとるから当然です。会社で社長が決定し、管理者が決定して経営することを批判することは、お門違いなのです。
朝日新聞ご自身について考えてみよう。
朝日新聞はここずっと不祥事が多発し社員の間にはいろいろ意見があり、社長も出席した社員集会もあったと聞く。そういった場で社員が発言した意見を取り入れて朝日新聞の運営、報道に対する姿勢やニュースの真偽の検証方法を変えたとは・・・聞かない。
論理に反するだけでなく、己でさえ実行できないことを他人に実行せよとか、国民にそうあるべきだという社説を書くということ自体 支離滅裂ではないのだろうか?

私のホームページはご訪問される方も少なくマイナーではあるが、それなりにいろいろなご意見をお持ちの方もいるし、ご訪問者同士、あるいはご訪問者と私の間で議論もある。
 ・北朝鮮経済制裁賛成もいれば反対もいる。
 ・NHK解体派もいればNHK解体反対派もいる。
・・最近は犬HKと呼ばれているようだ 
 ・小泉good job派もいれば小泉悪政と主張する方もいる。
わたしのスタンスというか認識に異論があるのは当然であり、反論を受けるのは必然、議論があるのはよい状態であると考えている。
それは少なくとも、このホームページは独裁ではなく、発言の自由があり、反論する権利が保証されていることの証明である。
さて、私のホームページと教職員会議と何が違うか?
それは私のホームページは論ずるための場所であって、執行機関ではないからである。

次に民主主義というものについて多くの方は誤解している。
man1.gif それは民主主義とは己の考えを主張することだと認識していることだ。それは間違いではないが民主主義の半分である。残りの半分がなければ民主主義ではない。
残り半分、それは妥協するということだ。みんなが主張するだけならば、それは言論の自由ではあるが民主主義ではない。この世のまつりごとをみんなでしようと決めたからには妥協がなければ運営できるはずがないことは自明である。
だからお互いの意見に相違が少ないもの同志は結託し、最大公約数の方向に目指して協力を図ることがまさに民主主義である。
それが政党であり、圧力団体であり、市民団体なのであろう。
もっとも市民団体とは非民主的なテロリストの隠れ蓑のようである。
もうひとつの間違いがある。
それは民主主義とは自分がほしいもの、言いたいことを述べることだという誤解である。
私が子供の頃、民主主義とは親に反対することであった。当時の映画で、子供が親を馬鹿にすると親は「民主主義だから仕方がない」といっていた。
バカかアホか!?
そんなものは民主主義でもなんでもない。わがままというのだ。 
わけのわからない社説を垂れ流す新聞社はマッカーサーが語ったように15歳なのであろう。子供なら民主主義を理解していないのはやむをえない。だがだからこそ子供には参政権がないのだ。
民主主義とは権利を主張することと同時に、義務を主張することでもある。



本日の叫び

民主主義でないものが議論をするな
民主主義でないものが戦後民主主義を名乗るな
民主主義を理解しないものが新聞など発行するな



本日の記事は学校における民主主義のモチーフと同じである。しかし、多くの人に訴えるには同じことを何度も唱えないとならないと思っている。




SLEEP様からお便りを頂きました(06.04.21)
すげえぜあさひ
そう、仰られるとおりだと思います。
企業の従業員は株主ならびその代表に従わなくてはなりません。いやならやめればいいんです。
公務員は国民ならびにその代表に従わなくてはなりません。いやならやめればいいんです。
深刻なのはなぜかこの簡単な道理がわが国では充分に理解されていないことです。ライブドアによるニッポン放送株買収のさいも企業は株主だけのものじゃないとかいう連中が大勢いましたよね。
そしてより深刻なのは公務員が政治家の言うことに従わない時です。
東京都議を誹謗した女性教諭が先日ようやく免職(懲戒解雇じゃない!)されましたが、日の丸君が代に敬意を払わない教職員も含めて戦前の軍官僚とやってることは同じ国家と国民への裏切りです。つまり朝日新聞は軍隊へのシビリアンコントロールは必要だけど教育へのシビリアンコントロールは必要ないと言いたいんでしょう。そのうち中国人はサル以下!朝鮮人は犬以下!とか言う教師が出てきてもきっと擁護してくれることでしょう。頼もしいですね。
SLEEP様、お便りありがとうございます。
すごい!
シビリアンコントロールとは軍人だけではないのですね!
そうか、そうです。新しいアイデアありがとうございました。
もっともSLEEP様、朝日が守るのは偏った教師だけのようですから、まっとうな教師を守ることはしないのではないかと愚考いたします。

大国主命様からお便りを頂きました(06.04.21)
どうも、管理人さん。大国主命です。
まず、間違いがございましたので、指摘いたします。
マッカーサーは、「12歳」といっています。
マークス寿子女史は、「6歳児」だと揶揄していますが・・・。

では、本題に入ります。
日教組は、民主主義を教えると抜かして、こないだ分限免職喰らった
増田都子のような「密室の女王」を大量生産し、自虐的歴史観の大量垂れ流しをしています。もし、東中野教授のように、検証する人間が出れば、告訴もやってのける、不埒者です。
しかも、日教組は、北朝鮮崇拝者がトップに居座っている組織で、いまだに拉致を否定しています。
以上から、日教組は民主主義を唱える権利など端からなく、むしろ独裁体制のシンパだといってよいでしょう。その証拠に、日教組の教員たちは、安保闘争以降北朝鮮や中国にわたり、千里馬運動や文革運動に参加しています。
このような環境から、子供たちを守るため、我々愛国者は、教育民営化を主張しなければなりません。内部監査制度や外部監査制度の導入で、不良教員を一掃し、教育現場に共産主義やフェミニズム、自虐的歴史観が二度と吹き荒れないよう、努力していかなければなりません。
「日本!正気?神通力!?」主宰者白兎こと大国主命拝
えっ!はずかしながらマッカーサーは12歳といったのですか?
私は半世紀もの間、15歳と言ったと思い込んでおりました。とすると一層マッカーサーに怒りがこみ上げてきました。
でも、マークスさんなら何歳でも許す。
とまあ、本題に入りましょう。
日教組はまだ拉致を認めていないのですか? それはいいことです。
拉致されたやっとのことで帰国した人が実在するのを否定すると言うことは、日教組の主張がうそであるという明らかな証拠ということでしょう。
竹島問題もドンドン大きくなって日本人が「北朝鮮ばかりじゃない、韓国も汚いぞ」と気付くのを期待します。


あらま様からお便りを頂きました(06.04.22)
最悪の選択 ?
イギリスの元首相で、ノーベル文学賞受賞者、チャーチル曰く、「民主主義は最悪の政治であるが、今まで存在したいかなる政治制度よりマシである」と、言ったそうです。
小生も、民主主義も共産主義も「主義」である限り最善のものとは思いません。
また、君主専制よりも民主制度のほうがまだマシであると思う程度です。
最近は、「高徳な君主であれば、愚民政治よりも君主制のほうがよい」と言う意見もあるようです。
フセインも金正日も、多数決で100%の得票率で、民主的に選出されたとされています。なにしろ「朝鮮民主主義人民共和国」というのですから。
冒頭のチャーチルの時代に、イギリスは核保有国となったといいます。みんなで決めた結果でありましょう。それが、正しい選択であったかどうかは、まだ答えが出ていないようであります。
とにかく、朝日の言い方をすれば、みんなで一人をイジメることは、民主的で正しいと言うことになりませんかねぇ。
あらま様、毎度ありがとうございます。
「みんなでひとりをいじめることは民主主義であろうか」というあらま様の問題の回答は簡単です。
みんなで決めたことなら民主主義が機能しているであろうし、黒幕がみなをそそのかしてさせているなら衆愚政治という民主主義の一形態です。
しかしながら、民主主義が正しい方法であるということは保証されていません。
hatena.gif 民主主義が君主制より良いという理論的証明は知る限りありません。また歴史上民主主義が君主制より良かったという事実もないようです。
民主主義が君主制より良い点はあります。それは、最大多数が結果責任を負うということです。
太平洋戦争の責任を一部の軍人に負わせて、己は責任がなかったなどという日本人は恥知らずですが、やはり民主主義が有効に機能していなかったという事実はあります。
もっとも軍人がはばっていたから民主主義が有効に機能しなかったのではなく、民主主義が機能しなかったので軍人が出ざるを得なかったというのが真相ではないでしょうか?
そういう事実を無視して、軍人が悪い、東条が悪い、A級戦犯が悪いと言うのは、頭が悪いのか、心根が腐っているのか、私には判断がつきかねます。
今、憲法を守れという市民団体や弁護士は、民主主義を語っているのではなく、民主主義から最も遠い中国の属国になりたいのでしょう。

Tama様からお便りを頂きました(06.04.23)
「民主主義を考えよう」について
朝日の論調は、「最終的に学校の方針を決めるのは校長である。しかし、その場合でも先生たちの意見を聞きながら、方針を決めるのが常識ではないか」としています。それでいて多数決による決定を推奨し、しかも「そうしたことを一切許さない」と断ずることで、「職員会議ではなく校長が運営方針を決定することは、教員の意見を一切聞かずに独裁的に決定するという悪であり、教育委員会はそうしろと命じている」とでもいうように読者をミスリーディングしているようです。
「そうしたこと」と代名詞でぼやかしているのが特徴でしょうね。ここは代名詞を使わないなら「挙手、採決などの方法で職員の意向を確認するような運営」であるはずです。
ところで、実際に教育委員会が出した通知の内容がよくわからないのですが、最終更新日からするとこちらの内容ではないかと思われます。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/kohyojoho/reiki_int/reiki_honbun/g1012406001.html
(ファイルの最終更新日は2006/04/05)
こちらによると、校長の権限、とりわけ職務についてを明確にし、また職員会議などで校長の意思決定を不当に束縛することが無いよう定められています。
特に注目すべきは第三項の一「改正の趣旨」に明記されている内容です。
もとより、校長には、日頃から所属職員との円滑なコミュニケーションが求められており、校長は、職員会議が補助機関であることを踏まえた上で、職員会議の場を活用することなどにより、所属職員の建設的な考え方や意見を聞き、それを学校運営に生かすよう努める必要がある。
この規則をまとめると、要は、何か問題があったときに「現場の教員がやったことでして、私どもは感知しておりません」などという逃げ口上は通用しないぞ、ということだと思うのですが。朝日は逆に「悪いのは全員ですよ、トップは責任無いのだからどんどんお逃げなさい」と言っているような気がします。今後本当にそういう報道をするのであれば、それはそれで主義が一貫していて面白いのですが。
tama様、毎度ありがとうございます。
決定者が責任を負うというのはどこの世界でもどんな体制でも当然のことわりです。
この普遍的なルールを破ったのは唯一毛沢東をはじめとする中国の指導者のみでございます。自分が決めて結果が悪かったら部下に罪をかぶせて粛清してしまう。もちろんうまくいったら自分の名誉!
ああ!なんて都合の良い方法でしょうか。
学校の運営において校長が決定するならば校長が責任を負う。当然です。
tama様が指摘されましたが、権限があろうがなかろうが総体としての教職員が決定したならば、教職員全員が責任を負うのでしょう。それが朝日の目指すところならそれも一理あります。
もし全員が参加して決定して、校長のみが責任を負うというならそれはもうムチャクチャです。
たとえば、先生方が国旗国歌に反対を決議してそういった教育をして、その結果教え子が後に外国に行って問題を起こしたり、反社会的行動をしたときにいかなる責任のとり方をするのでしょうか?
責任をとりたくはないが自分意思を通したい・・おお、これこそまさに先生方が量産している現代の子供たちではないか。
とすると、そういったお考えの先生は教育する資質がないということになります。これは根が深い問題です。
それを推奨する朝日新聞は支離滅裂ということになります。
もっとも朝日はさんごにKYなど捏造しても、報道したことがウソであっても責任をとらないようですから、その主張にどの程度重みがあるのか定かではありません。2ちゃんねるでは「朝日のいうことの反対をすればうまくいく」と言われております。
しかしなんですね、朝日の書いたものをKABU先生やtama様をはじめ、日本全国で多くの人が考え議論していることを思うとやはり朝日は偉大なのでしょう。
cat.gif
tama様とおっしゃいますので猫なのでしょうか?


tama様からお便りを頂きました(06.04.27)
ねこではなく・・・
いえ、実はハムスターです(笑)
ポストペットとして生まれてからはや6年。
朝日はこの6年でもいろいろやってくれました・・・・・あまり記憶に留まっておりませんが。
tanu.JPG わざわざご返事ありがとうございます。
私の仲間は人間は少ないのです。
mogura.gif たぬきとか、オオカミとか、畑に植えてあるカブとか、モグラ、バイキンまでいるのです。
でもポストペットというのは新しいカテゴリーです。
よろしくお願いします。


ひとりごとの目次にもどる