怪談 2006.08.20



毎度バカバカしい・・
毎度お笑いを
エー毎度バカバカしいお話を
暑い中、このくだらない寄席まで足を運んでいただきありがとうございます。
地球温暖化なのでしょうか?、今年の夏はすごい暑さです。でも私の田舎では、日中いくら暑くても、夕方になれば涼しいのは今も同じ。地球温暖化といわれるものの多くは都市化によるヒートアイランド現象によることは間違いございません。
先日アメリカで摂氏47度になったところがあるというので、どんなところかと調べてみましたら、砂漠ではなく住宅地なんですね、驚きました。それとも砂漠に住宅を建てたんでしょうか?
まあ、それはともかく、昔は暑いといってもどうすることもできなかったんでございますね〜。
寒ければ焚き火もできるし、家中の着物を重ね着するとか、おかみさんと抱き合うとか、いろいろ方法はあったんでございますが、冷蔵庫もエアコンもない時代には暑いのを涼しくするとか氷を食べるというのはこりゃ〜できませんわ。
suika1.gif 時間を戻すことができないと同じようなものだったのでしょうねえ〜。
でもって、暑いときはスイカを食べるとか、涼を求めて怖い話を聞くのがせいぜいだったでしょう。つまり私どもの出番でございます。なにしろ、怪談は夏の季語なんだそうであります。
というわけで、本日は怖い話をひとつ。
実はね今日の怪談話はあっしの師匠が高座を勤める予定だったんですが、この暑さでぶっ倒れまして、座布団運びのあっしが代役を勤めさせていただきます。
えっ、表のビアガーデンで師匠が飲んでいるのを見た方がいます? それはお間違いでございましょう。へえ、やはり師匠に間違いない? それじゃあきっと幽体離脱した師匠の怨念でございましょう。
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えー実は、あっしはまだ怪談話のひとつもものにしておりません。それでひとつあっしの体験をお話したいと思います。
私の体験した怖い話といっても、幽霊とか超常現象とか生まれ変わりといったことには縁がありません。
アッツ、大抵の方がそうかもしれませんねえ〜。
隣の商店では10年前にお亡くなりになった先代が毎晩現れて、息子に経営指導しているなんて話は聞いたことがありませんものね、
majo.gif あるいは、向かいの奥さんは魔女で買い物に行くときはほうきに乗って飛んで行くのよ、なんて話も聞いたことがありません。
といいましても全然、怖い話と縁がなかったわけではありません。
でははじまりはじまり・・・・

私が子供の頃、家には両親と4人兄弟、そして父の母親つまり私の祖母の7人暮らしでした。当時はテレビもなく、ラジオもなく、夜になるとまあ家庭団欒といいますか、みなが今日はどんなことがあったよなんてことを話して話が途切れると寝ちゃうというのが定番でございます。
なにしろ6畳と4畳半の二間しかないわけですから、ひとりだけ寝るとかひとりだけ起きているということはできません。
そんなとき祖母はニ三度、人魂(ひとだま)を見たという話しをしました。もちろん子供であった私もそれ以前にも墓地には死んだ人の霊魂が人魂になるとか、りんが燃えるのだとか、空を飛ぶ火の玉とかいうことは聞いていました。
祖母の見た人魂は、そういったおどろおどろといいますか、怖いものというのではなかったようです。夜、畑から家に帰るときに、空をふわふわと火の玉が飛んでいったということでした。それは恐ろしくも感じなかったし墓地とも死者とも関係ないような、ただの自然現象のような話でした。祖母は迷信深くなかったのかもしれません。あるいは、先入観のない田舎の純朴な人が見るとそのように見えたのかもしれません。
寿司を見て美味しそうだと思うには一度食べたことがなければならないでしょう。
人魂は怖いぞ〜と聴いたことのない人が見ても、不思議だなあと思っても、怖いとは思わないのかもしれません。

私が二十歳の頃、静岡の草薙ってところで働いていたことがあります。ある晩、外を歩いていましたら、電信柱の上辺りをふわ〜と赤く光るものが漂っています。
それを見て私は「ああ!これが人魂というものか」とすぐに思いました。それはゆっくりと漂っていると思うとサーッと移動したりしまして、やがて消えてしまいました。時間にしてどのくらいだったのでしょうか? まあ、せいぜいが数十秒だったと思います。
それを見て私は怖いとかぞっとするとかしませんでした。不思議とは思いましたが
その後、自宅に電話して何事かあったのかと聞きましたが、何事もなく、その後亡くなった者もなく良い出来事もありませんでした。
もちろん祖母はその何年も前に死んでおりましたが、祖母が見たのもああいったものだったのかなあ〜と思いました。

やはりその頃のことです。職場の仲間が「なんとか橋に人魂がでるといううわさを聞いた。度胸試しにみんなで行こう」というのです。まあ二十歳くらいの若者ばかりですから、好奇心と怖いもの知らずで数人で行きました。
とにかくなんもない。光も見えず太鼓の音も笛の音も、なーんもない
2時間くらいいましたが、そのまま帰ってきてしまいました。
仲間の中にいたカメラ好きがみなで記念写真を撮りました。数日後、そいつが「幽霊が映っている」といいまして見ますと私たちの周りをいくつもの光が流れているのが写っていました。
それを見て、やはり一瞬ゾットしましたね。
今ではあれはやつが何か写真に手を加えたんじゃないかと疑っております。
当時カメラ小僧は白黒写真は現像も焼きつけも自分でしたのです。カラー写真は高価で一部の人しか使わない時代の話です。

結婚して子供ができてからのこと、といってももうだいぶ昔ですが、私の田舎で人魂騒動がありました。
墓地に人魂が現れるというのです。そして「見た!」という人は一人や二人ではないのです。
もう地元ではたいそう評判になりました。そのようなことをテレビや新聞は報道しませんでしたが、口コミでそんへんに広まりまして、見えるという場所は毎晩毎晩大勢が集まります。
私の住んでいるところから20キロくらい離れていたのですが、好奇心旺盛の我が家族は何度も行ったものです。
すごい人出で道路は渋滞でございます。
夜店を出したり、人魂まんじゅうでも売り出させばひと財産作れるかという感じでございます。 
どのようなものかというと、墓地に現れるのではありません。遠くから見ると墓地の方角の木々の間に光が見えるのですよ、それがふわっと現れて、ふわっと消える。
そんなことを何度も繰り返したり、現れなくなったりするんです。
もちろん毎晩見えるとも限らないのです。
そのへんの人たちは困ってしまい、お払いをしてもらったり、変な人がいたずらしているのではないかと警察に調べてもらったりしたそうですがその現象は消えませんでした。
signal.gif その後の調べで、当時墓地に御影石のお墓を立てた人がいて、また同じ頃だいぶ離れたところに信号機が設置され、その信号機の光が御影石に反射して一定の場所から光が見えたのだという結論に落ち着いたと聞きました。
でもそれが本当なのかどうか?私にはわかりません。
御影石のお墓はそれ以前にもあったことでしょう。それに、その信号機なんて1キロも離れてましたから、レーザー光でもなければ光は拡散して人魂に見えるとは思えません。
当時の田舎には信号機はたくさんありません。以前書いた市役所めぐりで県内を歩きましたが、ある村で役場の場所を聞くと、信号機のそばにあるというのです。
「いくつめの信号機ですか?」と聞くと「この村には信号機はひとつしかない」という答えでした。
そういった村や町は今では平成の大合併で、みんな市になったようです。
それからまもなく人魂が見えたというあたりの道路にも照明がつきました。本当の人魂だったのか、信号機だったのかどうかわかりませんが、あたり一体が明るくなり人魂らしきものも見えなくなり、人魂騒動なんて忘れられてしまいました。
本当は成仏できない人が会いたいと現れていたのかもしれません。忙しい現代ではもう相手にしてくれる人もいないでしょう。

私の60年近くの人生で幽霊とか人魂とかに関わる体験はこんなものでございます。
いずれまもなくあの世からお迎えが来るでしょう。そのときはどんな形で現れるのか楽しみでございます。

えー、本日の話は怖くなく、ゾットしなくて、涼しくなりませんでしたね〜。よけい暑苦しくなってしまいましたか・・・では、本日もまた暑い夜をお楽しみください・・・・



毎度バカバカしい・・
おそまつでした



テケテケテケ・・・・(太鼓の音)


実はですね、昨日娘と婿さんと久しぶりに酒を飲みました。
そして昔話なんかをしたのですが、その中に人魂を見にいった話もあり、こりゃ使えるなと思ったのが発端でございます。
なにしろ、私のアイデアももう枯渇しかかっております。


あらま様から創作怖い話を頂きました(06.08.24)
佐為さま あらまです
小生も、怖い話しを創作しました。ご笑覧ください。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「怪談」の「耳なし芳一」を参考にしました。

「芳太郎の電波」
むかし、北のある国に、将軍さまがいらっしゃいました。
その将軍さまは、矢を射ることが大変下手でした。
そこで将軍さまは、側近の占い師に、特定の音がするところに必ず着くような矢を作らせました。
占い師は、どんな音が将軍さまのお気に入りなのかをお伺いし、「へーわー、むぼーび」という音に反応する矢を作り出しました。
それからというもの、将軍さまは、的の裏で兵士に「へーわー、むぼーび」と唄わせ、矢を射ると必ず当たるようになりました。
将軍さまは大喜びでしたが、落馬が原因でお亡くなりになりました。遺品の矢は宮殿に飾られる事になりました。
それから数百年が過ぎました。宮殿の矢のことなど、忘れ去られてしまいました。
ところで現代の日本に、芳太郎という平和の好きな青年がいるそうです。
彼は、ギターの名手で、街頭で「へーわー、むぼーび」と唄っておりました。
ある日、相変わらず「へーわー、むぼーび」と唄っていると、そこへ将軍さまの末裔の使いというヒトが現われ、芳太郎に小さな箱を渡しました。
なんでも将軍さまの末裔というお方は「へーわー、むぼーび」という歌が大好きで、特にそれを日本人が歌うことを大いに好まれたそうです。
そこで、将軍さまの末裔は、芳太郎の歌を電波で聞こうと、特製の発信機を芳太郎に渡して、「へーわー、むぼーび」と唄わせ、それを特製の受信機で聞いておりました。
ところが、芳太郎は唄いすぎて声が出なくなってしまいました。芳太郎は、ボイスレコーダーに「へーわー、むぼーび」と録音し、ずーと電波していました。
さて、将軍さまの末裔の国で、ミサイルが完成し、試験をする事になりました。
最初、弾頭に「将軍さまを称える唄」を電波する発信機を載せました。
今度は何を弾頭に載せようかと宮殿を見渡すと、ホコリにかぶった矢に目が止まりました。
「あれは、確か元祖将軍さまの遺品と聞く、記念にあれを載せよう・・・」と、いうことになり、元祖将軍さまの愛用した矢と、自分の愛用の受信機を弾頭に載せました。
「まんせー ! ! 」の号令とともに、将軍さまの矢と受信機を載せたミサイルは、ぐんぐんと青空に昇って行きます。
芳太郎の部屋からは、相変わらず「へーわー、むぼーび」と、電波していました。
あらま様 怖くもなんもないような?



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