たしなみ 2006.10.22

エー本日もお笑いを一席
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だいぶお寒くなってきましたね。
北海道では雪が降ったって、そういや隣の娘が彼氏を振ったってね、
中国人が銅線を盗んだって、そりゃピッキングだね
北朝鮮からまたミサイルが飛んできた、それはとんだ災難だ
・・・なことを語っている場合じゃないでしょ!
まあ、このホームページはダジャレをたしなむところですから、とげとげしい俗世間から離れて高尚なお話を続けましょう。(謎です)
私の生い立ちはいつも申しておりますが、貧乏人の子倅(こせがれ)でございます。
私が子供の頃、オヤジは休日に近所の人が当時高額であったレコードを聞いてコーヒーを飲んでいるのを見て、あんなのは退廃した趣味だ、ワシは山菜取りが趣味だと語っておりましたが、山菜取りは趣味というより食糧の確保だったようです。
小学校の同級生がボーイスカウトに入っていて、キャンプとかスポーツをしているのを指をくわえてみておりました。正直羨ましかったですね。
そんなわけですから、美味いものを食ったこともなければ、食べ方とか作法なんて知りません。趣味なんてないというよりたしなむ余裕がありません。

もう40年も前、私が高校を卒業して就職したとき、上司から言われました。
「囲碁・将棋・マージャンを覚えなさい。これができれば一生付き合いに困らないよ。」
将棋は子供の頃から近所のおじさんが指しているのを見ていましたが、囲碁もマージャンも全然知りません。囲碁というのは将棋より道具に金がかかったのでしょうか。近所で囲碁の道具を持っている人はおらず、囲碁をする人もいませんでした。マージャンにいたっては見たこともありません。
そんなわけで毎日定時後、上司や先輩とマージャン荘ではなく、先輩の下宿で牌をつまんだのです。
当時、マンションどころかアパートになど住んでいる独身者はいませんでした。賃金が安かったのと食事の用意などできなかったからでしょう。今だって独身者の多くは、自炊ではなく外食やお弁当だと思います。食堂、コンビニ、スーパーのない時代、下宿でもないと食事の用意だけでも大仕事でした。
当時の掛金のレートは1000点10円でした。ハコテンくらうと300円、ちまちましているなんてあなた笑っちゃいけません。1960年代末当時の賃金は総額2万円、手取り1万7千円というところです。一晩で千円もすったらオマンマの食い上げです。そして「教えてやるよ」なんて甘い言葉でしたけど、実際には先輩上司からカモにされていたのです。
最近、NHK職員の子供が病気で手術代のカンパ運動をしているそうですが、この方は1000点千円のレートでマージャンをしているそうです。そんな人たちの間では、毎晩何十万円もの大金が動くのでしょうね。
そんなわけで、付き合い上しかたなくマージャンを数年間しました。レートも最後には1000点50円くらいにアップしました。
 
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この間に払ったお金を計算したことがありますが20万くらいでした。そうとう授業料を払ったことになります。
私にマージャンの才能がないことは明らかでした。
そして、職場が変わったことをきっかけに私はマージャンから足を洗いました。

今度の職場では付き合いは当時流行っていたボウリングでした。もう毎週くらいに職場の人がほとんど全員ボウリングに行くわけです。
「お先にさよなら〜」なんて言おうものならあとが怖い
まあ、ボウリングというのは特別な技能・技術も才能も要らずにある程度のスコアまでは到達します。
投げてみるとけっこう面白く、嫌いでもなかったですね。スポーツが苦手なわたしでも160や170くらいは出せるのです。
つい最近、会社の若いのがボウリングをしましょうなんていうので行ったことがありますが、若い者の方がボウリングをしたことがないのでへたです。昔取った杵柄といいますが、私の年代の者の方がボウリングは上手でしょう。
ただ、こちらはもう歳です。私は1ゲーム目は160くらいでしたが、投げるにつれ握力というか指力がなくなりしっかりとつかめなくなりまして、3ゲーム目はなんと二桁になってしまいました。

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上司が変わると今度の付き合いは酒でした。まあ毎晩毎晩、よく飲みました。
ただ、飲むところは酒屋です。飲み屋じゃありません。屋台でもないのです。
田舎のことですし昔ですから、酒は酒屋でしか売っていません。その店先で飲ませてもらうのです。
会社がひけると数人でぞろぞろと自転車を引って酒屋に行き、店の前に自転車を置いて、こんばんはと入って行くわけです。そしてコップ一杯100円で注いでもらって飲むわけです。そして上司の話を聞くというのがパターンでした。
人生のためになったという尺度で見ると、マージャンよりもボウリングよりも酒を飲みながら聞かせていただいたお話が私のこやしになったと思っております。

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馬鹿なこと言っ
てはいけません
私が結婚したのはその頃です。
家内も田舎の娘だったのですが、結婚する前にお花とかお茶を即席で習ったといいます。
私の生い立ちを知っていれば、そのような無駄(?)なことをする代わりに、昼寝でもしていればよかったでしょうに・・・
そしてお茶、お花がその後の人生で役に立ったとは聞いたことがありません。

結婚すると子供ができ、70年代末から80年頃の不況があり、趣味をたしなむどころではありません。会社の仕事も残業、出勤というのが当たり前でしたし・・
それでもアマチュア無線なんかには凝りましたね。あれはひとりでするものですし、深夜でもできましたから。

カラオケというものが一般家庭に入り込んできたのは80年代はじめでしょう。カラオケブームが始まった頃、私はアパートに住んでいましたが、我が家を含め同じ階段の4軒が子供が同じ幼稚園に行っていたこともあり、交代でそれぞれの家で酒を飲みカラオケをしたものです。実を言いまして、私はオンチです。でも酒を飲んで話をするのは楽しい時間でありました。
あれから20数年、当時いっしょにカラオケをした家庭のその後を伝え聞きますと、一緒に遊んだ3軒のうち2軒は離婚したそうです。
ものすごい時間の経過を感じますね、いつも申しておりますが、私も長生きしすぎたような気がします。

40歳くらいになって時間的余裕ができてから囲碁にはまりました。上司の教えを20年もサボっていたのです。 
もう囲碁命、囲碁一筋、三度の飯より囲碁という生活で、週日も夜は公民館、休日は碁会所のはしご、という生活でした。これも私に才能がないと自覚して終わりました。

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会社では今度はゴルフが流行りました。田舎ではゴルフ場が多く安いのと、車社会ですからゴルフ場までの行き来が困らない、などの理由があり、都会よりゴルフをする人が多いのです。
その頃になると、私はあまり他人に合わせることをしなくなりました。自分は自分、他人は他人です。
したいことをする、したくないことはしない。そんなことをやっと理解しました。
30にして立つじゃあありません。50にして絶つでありましょう。


4年前、都会に出てきたとき、新しい職場ではいったいどんな付き合いをすれば良いのだろうと心配しました。
酒を飲むにしても高いところじゃあないんだろうなあ、まさか銀座なんかには行かないんだろうなあ・・・
笑っちゃいけません。田舎者にとっては銀座というものがちょっと高いところという認識しかありませんでした。とんでもなく高いところのようです。
ところが今の職場では付き合いというのはあまりというか全然ありません。仕事が第一義であり、仕事をしっかりしていればそれ以上も以下もありません。
非常に気楽であります。


本日のだじゃれ

たしなみよりも年並みが怖い





あらま様からお便りを頂きました(06.10.22)
佐為さま あらまです
佐為さまの「たしなみ」を読ませていただきましたよ。
そしたら、ふと『男の作法』(新潮文庫 池波正太郎/著 新潮社 1984年11月 ISBNコード 4-10-115622-0 税込価格 420円 )という本を思い出しました。
最近の世の中は、ものごとに「こだわり」をもつことがよくいわれていのすが、佐為さまがお考えになるように、ものごとを「たしなむ」姿が、男の魅力につながると思うこのごろです。
やはり、寄る年波のせいでしょうか ?

ギェエー、池波正太郎ですか・・・とても比較にならないじゃないですか?
私にはこだわりなんて持つ余裕はありません。
持っているのは、食い物への執着くらいです 


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