歳の差 2007.01.13

私が高校を出て社会人になったのは40年前のことである。
nihongun.jpg 当時高校を出たばかりの私にとって4歳年上の人はすごく大人に見えたし、40歳くらいの人はもう世代ではなく世界が違った。20歳ちょっとの違いではあるが、それは単なる年の差ではなく、その年代の人たちは戦争に行っていたから、体験の差はものすごいものがあった。そして私たち年下のものは年上の方の経験に裏打ちされた発言と行動を無条件に尊敬したのである。
そして当時55歳の人は老人だった。
私が高校を出たとき55歳の人というと、私のオヤジとほぼ同年代で大正元年頃の生まれであるから戦争に行ったにしても太平洋戦争どころではなく支那事変から参戦していたはずだし、太平洋戦争には戦争に行かなかった人もいた。
第二次大戦当時、30過ぎたら老兵と言われたそうだ。
ところで、最近は「支那事変」という言葉さえ忌み嫌われて「日中戦争」と呼ぶらしい。日中戦争というと今現在の日本と中国の関係をいうのかと思ってしまうではないか 
それに『事変』とは『宣戦布告なき戦争』という意味があるのであって、『戦争』などと簡単に言い換えてもらっては困る。
支那事変を日中戦争と言い換えるのは、支那という言葉を使っちゃまずいということではなく、日本が戦争した相手が蒋介石の支那の軍隊でなくて毛沢東であった、かついつの間にかはじまったドンパチでなく中華人民共和国との正規な戦争だと言いくるめようとする意図を感じるのは私だけであろうか?
当時、公務員や一般の会社での定年は55歳とか56歳である。私の父は明治45年生まれで、私が会社に入った年に定年退職した。定年になる人をみるともうよぼよぼという感じだった。 ちなみに明治45年と大正元年は同じ年である。
よけいなことであるが、当時は女性の定年は男子より数年速く50過ぎというのが世間一般であった。女子の方が平均寿命は長いのにどうしてだったのだろう?
性差別なんて思いもよらない時代である。
マンガのサザエさんの父親、波平は54歳の設定だと聞く。
★★54歳!
私よりはるかに若いのだ。でも見かけは私より年老いていることは明らかである。予備知識のない人は、テレビのサザエさんを観て波平はとうに定年を過ぎた60代で、嘱託か役員になっていると思っているのだろう。
定年というのを決めたのは昔のドイツだそうだが、当時は定年より平均寿命が短かったそうだ。定年前に亡くなる人も多かったのだろう。
今時、60前に亡くなる人は非常に少ない。それは想像や思い込みではない。厚生労働省にアクセスすると60前に亡くなる割合なんてすぐ分かる。特段の病気や怪我をしなければほぼ天命を全うする。
それどころではない、今の日本では定年を延長しようとか、定年になったらより高齢者の介護に従事してもらおうという論もある。もはや定年は老後ではなく、職を変わる機会であると捉えなければならないのかもしれない。
私は定年延長がどうのこうのということではなく、人間の身体の状況、年齢についての認識というものが大変化したことに驚く。
松尾芭蕉が奥の細道に出かけたのは45歳である。彼はそのとき老いを感じていたに違いない。江戸時代は40過ぎれば侍も町民も隠居する年代だったという。当時は栄養不良と厳しい肉体労働で身体がくたびれてしまったのだろうか?
しかし伊能忠敬は家督を息子に譲った後に測量・天文観測を学び、測量に従事したのは56歳のときというし、葛飾北斎は90歳で亡くなるまで著作活動をしていた・・・このへんは人により老化の程度が異なるということなのだろうか?
いまいちわからない。
「ローマ人の物語」(塩野七生)によると、紀元前のローマで兵役義務は16歳から60歳とある。人間の体力というか基本的な寿命というのは2000年以上昔から変わっていないような気もする。
「定年諸君!」(あべ善太、篠原とおる作)というマンガがある。1990年の本である。大手銀行を定年退職した人が定年後をどう生きるかと模索するストーリーなのだが、書かれてからわずか15年しか経たないのだが、ものすごいギャップを感じ私が主人公に感情移入することは困難である。
登場する趣味のカメラが銀塩写真であることや電車や車のスタイルが違うということではない。
主人公がもう働く気がないこと、社会と積極的にコミュニケーションをとろうとしないこと、昔の同僚とのコネクションに囚われて新たな人との付き合いとか趣味やスポーツへのチャレンジを考えもしないことなどなど
「定年諸君!」を今頃読んだのではない。私は発行時に買って読み、まもなく定年となった今また反芻している。
しかし、現在の定年後には役に立ちそうがない
私が新入社員のとき「30過ぎたら歳の差はない」と言われた。当然、上司、部下といっても年齢と職位が逆転することもあった。利益を出すために働き、月給をもらうという会社の価値基準ではそれは当然であろう。それは会社を移った今も真理だと確信している。
今の職場では私が最年長である。大卒ホヤホヤどころか20代はいないが、私と20歳以上違う30代はいる。そういった人に対して私がどう認識しているかというと、まったく年代の差を感じていない。言葉使いも50代の人と同じく丁寧語を使うし、また話をするうえでもまったく対等である。そして現実に私は能力、技能、知識、認識という観点で差がないと思っている。私が肉体的に劣っているとさえ思わない。だから仕事の上でも当然対等である。

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年下から見ると年齢の違いを感じても

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もちろんそれは年寄りの思い込みという可能性も大きいことは認めるが。
もちろん、現れては消えるアイドルとか流行歌についての知識ではまったく比較にならない。



はたして30代の相手は私のことをどう見ているのだろうか?
少なくとも私が高校を出たときの40歳の人の位置づけではないだろう。なにせ、私は戦争にも行っていないし、若くても人生経験では私よりさまざまなことをしている人も多い。
現代の日本では物理的な年齢はとっても、精神的な年齢はとらなくなってしまったのだろうか?
あるいは、歳の差というのは上から見たときと下から見たときの差は異なるのかもしれない。オートマチックのギアの切り替えのようにヒステリシスがあるのかもしれない。
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年上から見ると違いを感じないのかもしれない

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本日の愚痴

年があけまたひとつ年をとり、
定年間近の私はそんなことを考えてしまいました。





大国主命様からお便りを頂きました(07.01.14)
どうも、管理人さん。白兎@大国主命です。
年の差ですか?うーん。うちのおやじは、60ですが、握り飯2つを一度にペロリ、ピノ(28個入り)も1人で食べつくす上、未だに背筋力200(私と同じ)ありますね。
まあ、経験・判断という点では、まさに雲泥の差を感じますね。まだまだ、私は経験不足のまま仕事をしているようなものです。といっても、完全に任されている仕事も結構あるんですけど。(乳搾り等)
管理人さんの仰られる、年の差を感じないというのは、私の仕事の世界では、ちょっと考えられないですね。
仕事の分野が違うと、かなり実情も異なってくる、という線もあるとは思うのですが、どうでしょうか?

大国主命拝

大国主命様 神様のお言葉には反論できませんね。
私の言いたいことは、大国主命様がお父上を尊敬しまだ及ばないとお考えであっても、父上から見ればもうすっかり己のレベルになったとたのもしく思っているのではないかといいたかったのですが・・・
親から見ればいつまでも子供と言いますが、現実には親は子供が、上司は部下がものすごく進歩していることを知り差がなくなっているのを感じているのではないでしょうか?
感じてない人もいるでしょうけれど・・それは老害といいます。
まさに後世畏るべしと心では思っているでしょう。
でもそれは嫌なことではなく、うれしいことでしょう。


あらま様からお便りを頂きました(07.01.21)
愛があれば、年の差なんて
佐為さま あらまです
小生は学生時代に寮生活をしていて、ひとつ上の上級生が大きく見えたものでした。
しかし、いま拙宅では、一番の年長者である小生が、一番、小さくなっております。
拙宅の中で一番威張っているのが、長女であります。次に、家内でしょうか。そんななか、次男なんてかわいそうです。
子供なんて、大きくなると、まるで自分で大きくなったような顔をしていて口もきいてくれません。
ですから、たまに長女か「おとうさん・・・」なんて言うと、何でも買ってあげたくなってしまいます。
「だから、おとうさんは長女に甘い ! 」と、非難を受けております。

「子供なんて、大きくなると、まるで自分で大きくなったような顔をして」まったくそうですね 
でも「今の若い者は」という言い回しが人類に普遍的であることを思えばお互い様ではありませんか。
父親が娘に甘く、母親が息子に甘いというのはこれまた人類に普遍的であるようです。
一説によると、熊は生まれたメスは追い払い、オスを大事にして次の歳には息子と交尾をするとか・・近親相姦は種族保存の最後の砦なのでしょうか?
イケナイイケナイ・・そんなことをいうと誰から何を言われるか分かったもんじゃありません 


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