容器包装の話 2007.06.10

容器包装(ようきほうそう)といっても包み紙による宣伝効果とか容器包装リサイクル法についてなどという難しい話ではない。そもそも、おばQは難しい話をしようとすると、知恵熱がでて寝込んでしまうのである。
頭の良い人は、誰でもわかっていると思って初歩的なことを言わないし、結論だけを言ったり、あるいは難しい理論を語るので常人には理解できないことが多い。それに対して私のレベルの低い話は、わかりやすいと喜ばれている。 

日本国内で最大の環境問題は廃棄物問題です。
地球温暖化がより重大問題だ!なんておっしゃってはいけません。あなただって京都議定書を達成しようなんてでなく、ダイオキシンが大変だあ〜と叫んでいるのではありませんか? ダイオキシンとは廃棄物問題そのもの、アスベストもPCBも廃棄物問題の変形です。
最近は経済成長が鈍化してきたので廃棄物発生量も伸び悩みのようですが、廃棄物の処理が頭痛のタネであることは変わりありません。
日本では家庭生活から出るごみは自治体に処理責任があります。企業から出る廃棄物は企業に処理責任があります。オフィスであろうと商店であろうと食堂であろうと、事業活動から発生する廃棄物の処理責任はそれぞれの組織にあります。しかし事業所から出る廃棄物がすべて産業廃棄物かというと違います。事業系一般廃棄物はグレーなところがあり、そこが問題となりやすい。そしてまた、自治体によっては企業を誘致したい田舎と、むしろ出て行ってほしい都市部では、自治体が処理する廃棄物の範囲が異なります。
前に申し上げましたが、私は真面目に論じると熱がでますので、本日はそのようなことを真正面に語るのではなく、ゴミに関する軽い話です。

私たちが毎週家庭から出すゴミはどこに行くのでしょうか?・・・なんて遠い目 
ゴミ袋 それよりも、家庭から出る廃棄物にはどんなものがあるのでしょうか?
家庭ごみというと、野菜の皮、食べ残し、不要になった衣類、テッシュペーパー、スーパーのポリ袋などが頭に浮かぶでしょうか?
新聞や雑誌はほとんどリサイクルされているし、家電五品目、パソコン、UPS装置やベッドなどは法律でリサイクルルートで回収することが義務つけられている。
家電五品目とは、テレビ、洗濯機、エアコン、冷蔵庫、冷凍庫のことです。ゆくゆく家電リサイクルの対象を広げようとしています。家電リサイクル法ができてから北朝鮮へゆく家電は激減したそうです。
これは経済制裁とは関係ない出来事です。
自転車リサイクル法ができたら自転車も激減するのでしょうか?
今の日本国内で、家庭から排出される一般廃棄物は容積の約60%は容器や包装だそうです。
考えてみれば容器とか包装ってお店から家までの間にしか価値がなく、中身を取り出したとたんに不要物、ごみになってしまいます。
シャツはきれいな形に包装されていますが、いざ着ようとしたら、ポリ袋、シャツの形を整えているプラスチックの留め具、首の部分のボール紙、そういったものはすべていらなくなってしまいます。
靴を買えば立派な箱、中に入っている型崩れ防止の風船のようなもの、読んだこともない使用説明書などすべて不用品です。
ブランド品を買うと、本体を入れるブランド名の入った手提げ袋を更にお店の袋に入れてくれます。たかが紙袋といってもブランド名が入っていると痛むのがイヤなのでしょうか? そんなの見ると貧乏人根性という感じですね。
BMWの傷を気にしない、ヴィトンを床に置くのをいとわない、リーガルで泥道を歩く。そんなふうに無造作にできなくちゃ高いものを持っちゃいけません。
お断りしておきますが、私はBMWもヴィトンもリーガルも持っません。
洗濯屋でも大きなポリ袋に入れてくれます。家内の代わりに受け取りに行ったとき、あまり立派な袋で驚きました。
チューインガムをコンビニで買い「テープでよろしいですか?」と聞かれて「いいよ」といったところで、ポリ袋、紙の箱、ガムそのものの包装紙、そういったものはガムの本質とは関わりありません。
ajisio.gif お醤油にしてもプラスチック容器は使い捨て、割り箸の袋も使い捨て、ゴミ袋でさえそれを入れている袋はゴミにしかならない運命
補充式のシャンプーといったところで補充液を入れた袋が容器同様に立派だったりして・・
身の回りにあるもので意味があるのは消しゴムの箱くらいでしょうか? あれは消しゴムが他のプラスチック製品にひっつかないためのものなのです。
まあ、そんなふうに私たちの暮らしは容器包装という一時の用途のためのものが非常に多いのは事実。包装を簡易化すれば品物はもっと安く、ゴミは減り、捨てる手間もいらず、廃棄物処理にかかる税金も安くなるかもしれない。

しかし、私の年代の者が子供の頃を振り返ると、容器包装なんてほとんどなかったことを思い出す。
昔だって風邪なんてひくと医者に行ったのは今と同じ。私が子供の頃医者に行って薬をもらうと、今と同じく模様のついた薬の袋に入れてくれた。そこまでは同じであるが、次回はその袋を大事に持っていってそれに薬を入れてもらったのである。そして袋が破けたり持っていくのを忘れてしまったりすると「困りますよ、今度から大事にするんですよ」なんて看護婦さんに叱られたのである。
当時は看護師ではなく看護婦である。
軟膏をもらうとその容器はなんであったかわかりますか?
まず今の人は見当がつかないだろう。
ハマグリなど二枚貝の貝殻であった。二枚貝の中に軟膏を入れたのである。軟膏が金属製の容器とか、あるいはチューブになったのは私が中学以降のことであろう。
当時だって薬事法はあったはずだ。あの『薬用はまぐり』も医療用の許可を受けていたのだろうか?
『薬用はまぐり』を生産していたところでは責任技術者をおいて・・・なことはなかったのだろうか?
そんなことを考えると夜も眠れない  
お店で果物・食べ物を買えば新聞紙で包むのが当たり前、液体がにじみ出るようなものには笹の葉、竹の子の皮、そういったものが日常使われていた。最近家内がどこかで土産に買ってきたまんじゅうが笹の葉で包まれていた。家内は懐かしいねえ〜といっていたが、私の子供の頃は当たり前であった。
おにぎりののりは味という意味もあるだろうが、おにぎり同士がひっつかないためのものでもある。我が家では遠足のおにぎりはシソの葉で包むと決まっていた。貧乏でのりがなかったからである。
当時はおやじも私の兄弟も弁当をもっていったが、みな新聞紙で包んでいった。包む新聞紙を何度か使って汚れたらかまどの焚き付けにしたのであった。
焚き付けとは薪を燃やすときマッチからでは直接火をつけられないので、一旦紙などに火を移し火力を強くして薪を燃やしたのである。燃えかすの灰は庭にまいてオワリである。だからゴミはでない。
cycle.gif
オヤジは知り合いの医者からときどき薬が入っていた金属製の10センチとか20センチくらいの箱をもらってきた。我が家ではそれを小物入れに使っていた。
あるときたくさんの箱をもらって自転車にぶら下げて夜道を帰ってくるとき、その箱が自転車のハンドルにひっかかり転んで怪我をしたことがあった。オヤジはえらい高いものについたと言っていた。

純粋に容器包装というものはあまりなかったような気がする。
昔だって、缶詰、瓶詰めがあるじゃないか?と言われるかもしれない。
その通り、缶詰も、瓶詰めもあった。しかし貧乏人にはあまり縁はなかった。我が家でも缶詰はときどき食べることはあった。缶詰の空き缶は鶏の水のみとかいろいろな用途に使いごみにはならなかった。
瓶詰めというものの存在は小学校に入って先生からはじめて聞いた。
洋服の箱は使い捨てではなかった。親父が背広を買ってくると、立派な箱に入っていた。親父が背広を着るなんて年に数回であり、タンスの上に箱に入れた背広をしまっておいたのを覚えている。

fufu.gif結婚して地方都市に住んで買い物に行ったとき、買い物かごをもって行こうというと、家内がそんなものいらないよという。いったい買ったものをどうやって持ってくるのか? 理解できなかった。
一緒にスーパーに行くと、買い物袋を無料でくれたのである。
ああ!これが都会かと感動したのを覚えている。
しかし、そういった流通というか容器包装はやはり無駄というか無理があったのは間違いない。
それは資源の浪費であり、その思想の行く手には、多量の廃棄物の発生があり、持続不可能社会であったのは間違いない。

容器包装は最小限が好ましい。
あるいはそれより先に進んで、所有より利用、物よりサービスという社会を創らないと持続不可能からの脱却はできない。
もっともここまできたら、私の子ども時代までにも帰ることはできないかもしれない。
私の子ども時代(1950年頃)と江戸時代(1800年頃)の差と、私の子ども時代(1950年頃)と現代(2007年)を比較すると、後者の方の落差が大きいかもしれないのだ。

この駄文を書くのに1時間半かかりました。一番時間を使ったのはなんだとお思いでしょうか?
過去に書いた文章とダブらないようにと気を使ったことです。自転車でオヤジが転んだということを書いたかどうか調べるのに全文検索したら自転車という言葉のあるファイルが25ファイルあり、全部調べました。
バカみたい



木下様からお便りを頂きました(07.06.12)
模様のついた薬の袋・・・?
私が医者から貰ってくる薬は、粉薬の場合一回分が入ったナイロン(?)の袋が多数つながったもので、カプセルではプラスチックの容器に薄い金属の膜がかぶせてあるものです。こんなものが白い紙袋に入れられてます。

模様のついた薬の袋とはどのようなものでしょう?

kusuri.gif 木下様 お久しぶりでございます。
もう見捨てられたかと・・・
木下様のおっしゃるナイロン(?)の袋が多数つながったものを入れている紙の袋のことでございます。
あのどうでもいいような袋を後生大事に繰り返し使ったのです。
更に、昔は透明なプラスティックで熱溶着したのではなく、ペラペラの薄い薬包紙という紙で包んで折り曲げていたのです。
さすがに薬包紙は使い捨てでしたね。
もっとも薬を飲んだ後に、その紙でうどん粉を薬に見立てて包む真似をした覚えがあります。


KY様からお便りを頂きました(08.07.18)
「エコエコ詐欺」の臭いが・・・
皆さん今晩は。
スーパーに続き、鮮魚店でもレジ袋を有料化する動きが出てきましたね。
もともと原油精製の過程で出る「絞りかす」が「原料」とかで、そんなに高くないとは思うのですが「1枚5円」はちとボッタクリ気味では、と妄想してしまいます。というのもレジ袋の売り上げ金の使途が(私の知る限りでは)公開されていないのです。一応「売上金は環境保護に使われます」と建前上はなってますが、関連団体には役人の天下り先もありそうですから。私の妄想が妄想であって欲しいのですが。
 そして蛇足ながら「アイドリング・ストップ」が本当に環境にいいのかも疑問に思います。一度切ったエンジンをまたかけるということは、エンジンの燃焼効率を悪くし、さらに点火の度に排ガス濃度が濃くなって、却って大気汚染を悪化させるのではと危惧しますが、本当のところはどうなのでしょうか?

KY様 毎度ありがとうございます。
容器包装リサイクル法そのものが怪しいにおいがしますね。
しかし、家庭から出るごみの6割が容器包装だというのは事実らしいので、私たちは過剰包装を避け、無駄をなくすことに努めることはよいことだと思います。
私は田舎でスーパーというものが出現したとき、買い物かごを持たずに行けることに感動しました。
まあ、なにごとも過ぎたるは及ばざるがごとしですから、無駄はやめましょう。
ところで、今年2008年はガソリンの高騰でガソリン消費が7%減ったそうです。神の見えざる手は環境税など不要にしたようです。
人間、慾と徳でできているということかもしれません。
アイドリングストップもバッテリーが上がるとかガソリンがよけいに食うとかで、落ち着くところに落ち着くでしょう。
悩むことは不要でしょう 


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