保守と革新 2007.09.11

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ー毎度ばかばかしいお笑いを一席・・・
保守と革新なんて言葉があります。普通、政治的なことに使われますが、本来意味するところは政治に限りません。
さて、保守・革新といいましてもいろいろな定義がありますが、私は、保守とは修理すること、革新とは取り替えることと理解しております。ですから保守と革新とは修理と更新と言い換えることもできるでしょう。
機械の維持管理で保守(メンテナンス)といいますと修理のことですが、修理が効かなくなれば当然新しい設備に入れ替えます。
ご理解いただきたいのは、保守にしても革新にしても、その意図するところは、今より良くすることだということです。
今より悪くするとか、現状が気に食わないから壊してしまえ、というような考えは保守でもなく革新でもない、単なる愚かな行為にすぎません。

身近なことで考えて見ましょう。
今お住まいの家、あるいは部屋がどうも使いにくいとしましょう。
このタンスを置く位置をずらしてみようか、そうすればふすまが全部開くので家の中が広く使えるだろう。あるいは家具を捨てようか、という発想が保守的なアプローチといってよろしい。
反対に、この賃貸マンションに住んでもう4年、まもなく二度目の契約更新の時期だ。このマンションはレイアウトが悪く使いにくいし、近所のパチンコ屋の音もうるさい。いっそのこと引越そうか。こういうのが革新的アプローチであると理解できるでしょう。
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実はこの事例はまさに今の私のおかれた状況でありまして、引っ越すべきか? 契約更新すべきか? ハムレットの心境でございます。
そしてまだ結論は出ておりません。
いずれにしても家が使いにくいから、少しでも使いやすく住みやすくしようということに違いはありません。使いにくい家なら壊してしまえとか、大家に文句を言って金を巻き上げようなんてことは、保守でもなく革新でもなく、子供じみたわがまま、すねているだけです。
保守も革新も改善であって破壊とは違います。まずこれを肝に銘じましょう。

私たちは社会人として大人として、暮らしていく上でいろいろな困りごと、障害、悩み事がありますが、そういった問題から逃げたり不運を嘆いたりすることは、すなわち一人前の大人になっていないということでしょう。保守にせよ革新にせよ問題から目をそらさず立ち向かい、積極的に改善を図り、自分も他人も満足する妥協点、あるいは最適解を目指しているはずです。
最近はそういうことをかっこよくWIN-WIN、解決策をソリューションというのだそうです。ウィンウィンと聞くと私には子供がランランと喜ぶ様、ソリューションというと氷が溶けてまずくなったウィスキーのような気がします。
現状を良くすることは正常な人なら誰でも望んでいることです。現状を破壊しようとか、今より悪くしようと考えている人は異常でまともではないことは間違いありません。

そして保守にせよ革新にせよ現状を良くしようとするには、現状を良く知っていることが必要条件です。
コペルニクス的展開なんて言葉があります。コペルニクスはそれまで絶対的に信じられていた天動説を否定したとされていますが、彼ははじめから天動説否定論者だったわけではなく、実はプトレマイオスの天動説の権威であったそうです。
保守であろうと革新であろうと、現状を知るということは必要なことであり、現状を知らなくては改良も革新もできるはずがない。この当たり前のことを特に革新を志す人は理解していなければならない。なぜなら革新路線の方は従来の理屈、現状をばかにして真面目に学ぶ必要がないと考えている方が多いからだ。そして地道な学究もせず経験も持たずに単なるひらめきとか思いつきだけですごい発想をしたと思っている方がいるが、そんなものはまず勘違いだと思う。
もちろん天才は天命で結論を知ることができるが、残念ながら、私もあなたも天才でないことは間違いない。
会社の業務改善を図ろうとするとき、保守的アプローチもあるだろうし革新的アプローチもあるだろうが、いずれにしても現状を知ること、いかなる過程があって今があるのか、現状の特徴、良い点悪い点、みーんな知り尽くしていなければ改良も革新もできるはずがない。
会社の業務改善ばかりでなく、政治に限らず日常のくらしにおいてもみな同じである。

さて、現在の政治において保守と革新とはいったいどんな意味だろうか。
現在の日本には複数の政党が存在している。一般的にそれらの政党は保守と革新のふたつに分けられる。保守と呼ばれている政党は本当に保守なんでしょうか? 革新と呼ばれている政党は本当に革新なのでしょうか?
ところで政治において革新は善、保守は悪という二分法が日本では今でも健在です。地方の首長選挙で「革新の灯を消すな」なんて報道されたものである。
以前そんな風潮について語ったことがある。
そういう価値観の国であるから政党は主義思想に関わらず、かっこよく思われるためには革新を標榜しないとならないらしい。

しかし各政党の主張するところを聞くと、革新とか保守という切り口での問答というか政治論争はまずない。あるのは敵対する政党のスキャンダル、失言、失政の揚げ足取り、ネガティブキャンペーンがほとんどである。
最近の話題であるが、社会保険庁の問題を首相の責任問題とするのは論理的に無理があると私は考える。この問題については、まず職務を担当している公務員が法令、規則にそっていたのか職務遂行状況を調べ、管理者レベルの公務員についてはその管理監督状況を調べ、それぞれの階層での責任の有無を調査検討すべきだろう。そういったことは超党派で行うべきである。そして首相がそういった調査を命じなければその怠慢を責めるべきである。当時大臣をしていた野党の方が現在の大臣を責める資格などあるはずがない。
話がわき道にそれた。現在の日本の革新政党は、日本国憲法を破棄して新しい国の形を作ろうとしているものはない。革新政党が護憲を訴え、保守と呼ばれる政党が改憲を主張している。
日本のマスコミも国民も、現実を踏まえて保守と革新政党の呼び名を変えるべきではないだろうか? だからマスコミが革新政党と呼んだところで、日本の革新政党は革新ではないことに確信を持っている。
そして日本の政治の核心は真の革新政党が必要であると言うことである。


本日確信したこと

革新政党は革新でないことを確信した。

いやあ、本日の核心は、革新、確信のダジャレを語ることにあったのです。 



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