ダブルスタンダードって?2001.9.18
標準とか基準とかいった言葉を聞いたことがあるでしょう。
長さを測るにはものさしを使いますが、人により使うものさしの目盛が異なっては困ります。日本のすべてのものさしや長さを測る機器は国家標準につながっています。(国家標準というと構える方がいるかもしれません。しかし単位の世界においては全体主義が確立してます。そうでないと商取引、貿易もできないのです)長さに限らず、重さ、電圧、電流、硬さなどなどみな国家標準を頂点とするハイラルキーを形作っています。そして国家標準は更に国際標準につながっています。パリにある重さの基準器の写真などを見た方もいるでしょう。国家標準を基に作られたものさしであればみな同等であり、安心して取引ができるというものです。
さて人間の判断基準にも標準があるべきですが、時と所により、あるいは測るものによって基準を使い分けることをダブルスタンダード(二重基準)といいます。昔はダブルスタンダードというと、女性は結婚まで処女でなくちゃならないけど、男はそうでなくともよいという意味に使われてました。断っておきますが私は男尊女卑主義じゃありません。辞典にそう書いてあったんです。
現在は日本の評価と外国の評価にダブルスタンダードが顕著に見られます。
マスゲームですよ北朝鮮でマスゲームを見て多くの方が「若い人達の心技を一つに集めたすばらしい演技 (@_@)」と感嘆します。故金丸さんがマスゲームを見て感涙したという伝聞があります。日本でならどうでしょうかね?「なんでこんな全体主義的で創造力の乏しいことをさせるんだ〜」と言われるでしょう。だってボク、高校野球のマスゲームを見て感激した人知らないもん。
中国共産党や北朝鮮で反対政党が皆無ということは「指導者の思想が徹底されたすばらしい教育成果」や「人民に信任された結果」じゃなくて、単に一党独裁って言うんでしょ!
外国で無名戦士の墓に花を献じる野党政党がなぜ日本の靖国神社に参拝しないのだ?いえいえ、それどころか参拝しようとする人を妨害する、これはなぜ??「アメリカはアメリカ人とテロ国家の命の重さが違うと考えている」なんて文句を言ってるメディアがありましたが、「日本人と外国人の命の重さが違うと考えている政党」のほうがこりゃ国内的には大問題ですよ。
中国ニイハオや韓国アンニョンハセヨ、北朝鮮同胞を返せ!でいたるところに掲げてある国旗にいちゃもんをつけず、それどころかかの国の愛国心をたたえて、日本の政府機関の広報の際に国旗があることにクレームをつける、、、こりゃ頭の構造はどうなっているんでしょうか??これは主義主張というより精神異常としかいいようありません。(反論は憲法に基づき許可しますが論理的にお願いします)
とにかく同じものを見ても判断基準が違うんだからどうしようもありません。
教育の自主性、多様性をいいながら、使用する教科書について全体主義を貫こうとするのは言行不一致の見本でしょう。
もっとも某組合に属している先生方は自分で考えることができず上層部からの通知を伝達するだけだそうです。
いろいろ揚げましたが、愚痴をいってもはじまらない。私たちは明らかなダブルスタンダードを見つけたらそれを指摘して、ちょっとおかしいんじゃないのと教えて上げましょう。そして「そんなこと信じちゃダメよ!」と声を大きくして言いましょう。
どこかのバカが大人とこどもの権利が違うのはダブルスタンダードだ!なんて言うかもしれないので一言。第一に日本では国民としての各種権利を持てるのは成人のみと定めている。第二に慣習あるいは倫理から言えば自分で自分を養うことができなければ一人前じゃない。第三に自我に気づき、自分はいつか死ぬということを納得したものが大人と言うんだ。そうでない者は一人前として認めることはできない。ご異議ございますれば受けてたちます。

現実には前述したような明白なものだけでなく、応用問題がありますので若干例をあげておきましょう。
社民党原ようこ議員のホームページより(2001.9.13)
今回のような民間人を無差別に巻きこむような残虐な行為は、どんな状況においても許されるべきではありません。しかし、アメリカが今回の暴力に屈しないと言っているように、暴力によって報復をしても(やったら、やり返すでは)結局、何も解決しないのではないでしょうか。私は日本におけるテロ対策は必要だと思います。しかし「テロ対策」と自民党を中心に議論している「有事法制」とは質が異なるものです。だからこそ、これを機に乗じた「有事法制」の制定には、はっきりと反対の立場をとっていきます。
(猫なで声で)ようこちゃんは何を言いたいの?テロを許さないと言ってて、それに備える有事法制はイヤなんてお話がおかしいよね?・・・・ところでようこちゃんはどこの幼稚園にいってるの?
人には口がすべるとか、誤解を受けると言うことは多々あります。私は「ざまーみろ」という表現については一切言及しません。言葉尻でなく、日本の有事に対する考え方を問いただしているつもりです。

民主党幹事長管直人ホームページ「今日の一言」(2001.9.15)より
今回のイスラム原理主義の信奉者によるものと見られる自殺テロを、アメリカでは「神風攻撃」と呼んでいる。もちろん今回の事件と当時の日本と背景は違うが、軍事的に追いつめられた中での行動という点は共通している。小泉総理は特攻隊の隊員の心情に共感するとよく言っているが、「神風攻撃」を命じた者の責任をどう考えるかと問うても小泉総理はこれまでまともにに答えていない。今回の自殺テロに対しては小泉総理はどう言うのだろう。心情論で物事を正当化する小泉総理の考え方の「危うさ」を改めて感じる。
おかしな点がいくつもある
神風攻撃はテロではない。この違いを理解してない方に政治はできないぞ!もし分からなければ勉強してね。正規軍・民兵・ゲリラの違い、事変と戦争の違いとか覚えることはいっぱいあるな〜、管君よ、
管さんが今回のテロ実施犯が「軍事的に追い詰められている」といっているが、まだ誰がやったか分かっちゃいねーのに軍事的に追い詰められた結果とどうして分かるの?それとも民主党は独自に調査して犯人を特定したのか、あるいは民主党はアメリカの広報を一方的に信じているのか?
仮にアメリカが言うとおりビンラディン氏だとして彼は軍事的に追い詰められていたのか?そうとは思えない。アフガンは経済制裁などで大変な状況だろうが軍事的に追い詰められた状態とも思えない。民主党の定義では経済不調の国を軍事的に追い詰められた国と言うのだろうか?それなら飢餓に苦しんでいる北朝鮮も軍事的に追い詰められたというのか?ついでに選挙で伸び悩みの民主党も軍事的に追い詰められているんだね。(??)
心情論で物事を言っているのは管君じゃないの?
★テロ攻撃が起きた時、首相が管直人でなく小泉純一郎であったことは日本の幸運だった。

社民党ホームページ「社会新報2001年9月12日号」より
今回の採択に至る経過は、大きな教訓を残した。「つくる会」が、教育委員会の影響力を持つメンバーへのロビー活動に力を注いだのに対し、採択に反対する市民は全国一千ヵ所以上と言われる草の根集会などを開くとともに、教育委での議論の経過、さらには議論の場そのものを公開するよう働きかけた。つまり、決定権者をも巻き込みながら教科書問題を議論する公共空間が数多くつくられたことが市民側の 力量を高め、力関係を有利に転換させた。結局、双方向の民主的な議論を行なう条件が保障されたオープンな空間をどれだけつくれるかに勝負がかかっているということだ。
現行制度を前提としても検定と採択の過程は最大限に公開され、透明化される必要がある。また採択は、水平で実質的な議論ができる各学校単位で教職員、父母が参加して行なわれるべきであり、生徒、地域住民の参加も検討されるべきだろう。さらに、政府による検定制度を今後も続けるべきなのか、幅広い議論を本気で行なう時期にきている。検定を廃止し、自由発行・自由採択を基本としつつ、独立した第三者機関が教育水準を保障する上で一定の役割を果たすことも含め、国民の理解と国際的な信頼の得られる制度が目指されなければならない。
つくる会と反対派の評価が明確なダブルスタンダードですね(^^)
市民を巻き込んだじゃなくて、単に一部過激な思想集団が圧力をかけたでしょ。一般市民は過激な採択反対派が怖くて近くに寄らなかっただけですよ。すくなくとも私の町ではそうでした。
公開とか透明化とか言ってますが真実を公開されて困るのはどっちなんでしょう?
「地域住民も参加して」というところは私も大賛成です!!私も一住民として参加して反対派の発言を逐一記録し分析させてもらいます。
独立した第三者機関というものが謎です。ぜひ知りたい(??)
ひょっとするとこれは「社民党の息がかかった機関」を意味するのでしょうか

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