あいまいを敵にしては、2001.11.20
今日の表題はアイザック・アジモフの小説「あいまいを敵にしては、神々の戦いもむなしい」から借用しました。SFファンならご存知でしょうが、ストーリーも登場人物も魅力的な小説ですが,なんと言ってもタイトルがいい。
さて、みなさんあいまいなままに話をしたり物事を処理していませんか?
先日のナショナリズムの語義についてメールをいただきましたが、ある言葉に特別なニュアンスを例えば悪い意味を持たせるなどしてませんか?そして本来の意味で使う人に偏見を持ったりしてませんか?

言葉をいいかげんに扱うととんでもない偏見や凶行を引き起こすことがありますよ!
昔ヨーロッパで魔女狩りが席巻しました。いえいえ、時代が下った19世紀のアメリカでも魔女狩りがあったそうです。魔女狩りって言葉どおりに誰かを「魔女だ!」と決めつけて確たる証拠もなく(もっとも魔女である証拠って何ですかね?)処刑してしまう。これは非常にアンフェアです。第二次大戦後のアメリカでマッカーシー旋風がありましたがこれも魔女狩りでしょう。ソ連の粛清なんかも魔女狩りですかね。終戦後の日本での公職追放やレッドパージというのは戦争に負けたから仕方のないところもありましょう。
今の日本じゃ「右翼」「軍国主義」というのが「魔女だ!」に該当するようです。 「愛国心を持とう」と言ったり、日の丸・君が代に敬意を表すると「右翼!」って言われるのはナゼなの??中国・韓国の理屈に合わない要求に反論すること、日本を愛することがなぜ右翼になるのでしょうか?もちろん同様にサヨクなんて表現も芳しくありません。「おまえはサヨクだ!」と言わずに、「あなたの意見は○○が間違っている。それは国益を損ねますよ!」と具体的な主語と述語で言うべきかと思います。
また自分勝手に新語を作り自分で定義して使う、ウーンこれはあまり人のことを言えないか?(^^)

さて、買い物をする時などはあいまいなままお金は払いません。パソコンを買う時、PCIスロットは3つとあるけどLANとビデオでふさがっていないのかとかUSB端子はどこについているのか?使いやすいのか?などなどしつっこくチェックするでしょう?
これと同じく議論する時にも言葉の定義をあいまいなままでなくしっかりしておかないと無意味に時間を過ごしているだけです。
ちなみに法律やISO規格/JIS規格には定義と言うのが必ずあります。
ISO規格はきわめて厳密で例えば次のようなことが成り立ちます。
「AとはBをCする」こと。「DはAの結果」であるならば⇒必ず「DはBをCした結果である」と言葉を入れ替えても通じるように作られています。これぞ論理学ですよ。
法律では必ず第二条に定義があります。法律の定義で問題になるのは同じ言葉が法律によって意味が異なることですがね(**)例えば「特定化学物質」や「特定施設」という言葉は法律の数だけ違った定義があり専門家でも取り違えることがあります。
JIS規格では材料、機械要素、検査や品質管理など分野毎に定義が独立した規格として制定されています。まあ、普通の人にとって測定器と計測器を使い分けする必要なんかありませんでしょうが・・・
平和主義とか護憲とか民主主義などなど党派、主義によってイメージや目的とするところが全く違うことが珍しくありません。民族開放といっても開放されたくない人もいるわけで・・・
同種同文という言葉がありますが、これもまったく空論です。まず今現在、人種という言葉を使っちゃいかんはず。ゆえに人に関しては同種と言う言葉はいけません。きつく言えば使っちゃならない放送禁止用語。
同文といっても漢字を使っている国の間でももう通じないですよ!筆談ができるのは今や日本と台湾くらいじゃないかな?ご存知のように中国は簡略体となり私にとってはアラビア語と同じです。韓国ではハングルが主と聞きます。ホントに同文というなら関係諸国を集めて漢字字体の統一協議をしなくちゃなりません。あっ、これ不可能じゃありません。昔、ポルトガルとブラジルで語句の表記の統一とかしたことがあります。まあ、そこまでして統一する必要もないでしょうが?ついでに思想まで統一されちゃったりして?
それから外来語を使う場合もかってに意味付けするのはやめましょう。少なくとも出典の確認、英英辞典(あるいは原語の辞典)で確認する。主義・思想によってどのようなニュアンスを付け加えているのかくらいは調べましょうよ。
分かりやすく話すことが大事よ! そんなことできるか?って、そうです、できっこありません。ならば、日本語を使えばいいんです。かっこいいふりして外国語、カタカナ語、そしてもちろん漢語なんか使わなくちゃいいんです。最近あるBBSで「そのQUOTEはどこからか?」という書きこみがありました。わざわざローマ字で書かずに単に「なにから引用したの?」あるいはもっと平たく「誰が言ってたの?」と書いたほうが日本語としてよろしいんじゃないかと思うのは私だけでしょうか??

自分の言葉、できるなら漢語を使わずに大和言葉(やまとことば)で考え、表現した方がよろしいかと思います。そのほうが人の心に響くのではないか?なんて考えます。
見方によれば平易な日本語で言えないから他人の言葉を借りて言っているのではないかとかんぐります。カタカナ語・漢語を使わないと表現できないなら、それはまだ自分のものとなっていない証拠でありましょう。他人の考えじゃなく、自分が考えたことなら方言でも表現することはできるはず。
ちなみに英語にも漢語もあり大和言葉もあります。漢語はラテン語、ギリシャ語からの外来語/借用語でありましょうし、大和言葉はゲルマン伝来の言葉です。雑誌やテレビのタイトル、コマーシャルのキャッチフレーズなんか難しい言葉(そういったものは大体ラテン語からきてるんですが)は使われてません。
アメリカの広告を見ると固有名詞以外中学で習う以外の単語はないようです。お客さんが読めない単語使っても意味ないもんね!!
日本でも昔の電気製品はつまみ類の表示が英語でしたが、最近はスイッチや操作ボタンの表示は日本語となっています。また取扱説明書もきわめて平易で分かりやすくなっています。そうでないと間違った使い方によるトラブル、問い合わせなどがきて総合的に損なのでしょう。パソコンはまだまだ呪文のような取説ですが、いずれ家電品並になるでしょう。
ともあれ、日常生活に限らず、政治談義、経済談義において言葉の定義、意味をはっきりしないと困ります。


今日の教訓:
言葉の意味をあきらかにしよう。それが出発点です。



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