ISOの課題 2004.06.11
私も毎日この日本はどうあるべきか?サヨクを一掃するにはどうしたらいいか?なんてばかり考えているわけじゃありません。おまんまを食べるために一生懸命(かなり怪しい)働いているのです。

ISO14001認証企業の課題は何か?と同業者に問われた。私は即座に次のようなことを語った。
私が話すのもキーを叩くのも、そして頭の回転も早いのは言うまでもない。
もっとも早いことは間違いないにしても、考えていることのレベルが高いかどうかは議論の余地があるが、
ISO14001はプライズなのか?入札免許や資格証明なのか?
私はそんなものではないという考えだ。
    過去報道された環境事故や法違反を起こした会社のほとんどはISO14001の審査登録をしていた。
  • クレゾールを社外流出して下流の町の水道で異臭問題を起こした会社では緊急事態やコミュニケーションはどうだったのでしょうか?
  • 死傷者を出したRDF発電所では小さな事故が多発していたそうです。是正処置は適切だったのでしょうか?
  • マニフェスト票の記載を業者にさせていて書類送検を受けた会社では手順を定めていなかったのでしょうか?
  • 青森岩手不法投棄に絡んで社名が公表された会社は廃掃法を知らなかったのでしょうか?
すべてこれらは報道された事故や事件です。
ISO14001規格の目的はなんでしょうか?それは認証することが目的ではあるはずがない。
ISO規格に沿ったEMS(環境マネジメントシステム)によって、遵法の担保と環境パフォーマンス向上と経済性の効率向上、そして企業としての競争力強化にあるはずです。
ISO14001はプライズではない。マネジメントシステムは目的ではなく、それを運用して効果をいかに出すかが目的である。
その目的を達成していないなら、手段として構築したEMSはまだ自分のものになっていないのではないか?
EMSを本当に会社に見合った効果のあるツールとすること、それが課題である。

ということを述べたのである。
そしたら、相手は「いや、そういうことじゃなくて、ボトムアップとか、全員参加とか、事務局だけががんばっていて経営層の認識が低いとかあるだろう」とのたまう。
まあ、実務者レベルとしてはそういう問題認識があっておかしくない。

しかし、規格をよく読んでみれば全員参加と書いてある個所はないようだ。経営者が方針を定めよと書いてあるのだから、どのように読んでもボトムアップとは理解できそうにない。
ISOをボトムアップでしようとか、全員参加が必要だと語る審査員、コンサルタント、先生方がいるが・・・私は言葉もない。
TQCやTQMとは違いまっせ、ボトムアップでするも良し、全員参加でするも良し、反対はしません。でもそれはISO規格で求めてはいない。
事務局だけがんばってはいけないとも書いていないようだ。もちろん経営者に認識が低ければよく認識していただかないといけない。
しかしシステムの効果はインプット、アウトプットで測られるのであって、内部の苦労や汗によって測られるのではない。 私はねずみをとりません
ケ小平の言葉を借りれば「色が何であれねずみを取る猫は良い猫である」
猫がどんな努力をしようとあるいはどんな戦法でねずみを捕るかは無関係、ねずみを捕るか否かが評価ポイントである。

オリンピックの代表選考も同じ論のはずだ、
過去の貢献や栄光は無関係、メダルが取れるか取れないかがポイントである。
ISO9001の仕組みを持ちながら品質が上がらないのは意味がない、と断じてはおかしいだろうか?
ISO14001の審査登録をしていながら環境事故を起こすなら、ISO14001などに見向きもせずに遵法とリスク管理を徹底した会社のほうが正しい、と言ってはおかしいだろうか?

quest.gif ところで、法律を知らないでISO14001システム構築ができるのだろうか?
危険を見つけ出せずにISOのシステムです!なんて言えるのだろうか?
見方を変えれば、法律を知らないでISO14001の審査ができるのだろうか?
計算でない本当の環境側面とかリスクを判断できずに審査ができるのだろうか?
審査するにはその業種の専門家でないと書類審査、形の審査しかできないのではないか?
 これは昔から議論のあるところだ。
ヨーロッパではシステム審査において専門分野はいらないという意見が大勢だそうだ。システムについての理解と審査技術があればいかなる事業においても審査ができるとでも思っているらしい。
これには私は同意できない。
私が建設業に行っても何を見たら良いか分からない。病院もダメ、旅客輸送もダメ、化学工場もダメ、弁当屋もダメというふうに得手・不得手があるのである。
ッツ、不得手ばかりで得手がないって?
そうなんです。困ったことです。
日本では品質も環境も審査員として登録する時に専門分野を登録するのですが、私の専門分野は99(その他)なのです。その他っていったい何でしょう? 
はじめに戻れば、ISO審査登録はプライズでもなければ、資格証明でもない。それは単なるツールに過ぎない。
ISO認証(正しくは審査登録)とは、目的ではなく目標でさえない。会社を良くするという目的を達成するための手段のひとつにすぎない。
現実問題として事務局が苦労している、みんなの理解が得られない、経営層の認識がイマイチだ・・・そういうことはあるだろう。それで悩んでいる事務局、ISO担当者が日本中には何千人もいるの違いない。
でも、それならツールがあなたの会社に会わないのだからツールを選びなおしたらどうですか?
すばらしいゴルフクラブを買えば優れたプレーヤーになれるなんてことがあるはずがない。
このパターは俺に会わなく使いにくい、というとき、使いこなせないことを悩み、必死にそれを使いこなす努力をしますか?
こりゃだめだ!今度の日曜日新しいパターを探そうか?というだけじゃないですか?
私はゴルフをしません。ゴルフをする方、本当のところはどうなんでしょう?

ちなみに私の趣味、囲碁では盤が良くても石が良くても腕が上がるということは・・・絶対になさそうです。
相手は単に指導している会社の悩みをこぼしただけかもしれませんが、私は大いに認識がずれていることにフラストレーションを感じたのです。

おおっと、ISOの問題は何かという問に対して、ISOを手段と考えた私と、ISOそのものの存在を危ぶんだ方の違いと言えばそれまでである。手段か目的かということは立場立場で異なるのは言うまでもない。現在社会ではISOは理念やツールではなく、ビジネス(金儲け)となっているのだから。
そう考えるとISOの課題は87年の初心に戻って会社を良くするためという認識に立ち返り、第三者認証との決別することかもしれない。



ISO14001の課題は何か?
見当違いの期待を持たれたISOは「ワシは知らんよ」というのだろうか?




ISO9001の負のスパイラルという調査報告がでて早2年、
認定機関(JAB)も審査登録機関もコンサルタントもみな飯の食い上げにならないように必死に挽回を図っている。
その成果は何で測られるのだろうか?
なんて問うまでもない、品質向上でしかあるまい。
品質マネジメントシステムは即品質を向上につながらない、なんて言ってもそりゃ犬の遠吠え、引かれ者の小唄に過ぎない。
そんなものなら止めちゃえばいい

環境に関わる者の一人として、ISO14001に負のスパイラルなんて評価が出ないようにがんばりたいと思う。 しかし、全員参加と主張する人とか環境側面の特定方法にこだわる人々がまだいるようでは、行く手は暗いかもしれない。
困った、困った


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