文書の話 2005.08.12
今ではどうってことないのだが、ISO審査が始まった初期の頃にはISO9000の「品質マニュアル」とかISO14000の「環境マニュアル」なんてものすごい秘伝の書のように思われていた。
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忍者がくわえているアレだ 
今でもインターネットで検索するとこれらマニュアルのひながたをアップしていたり、あるいはお値段をつけて販売していたりする。
いくつかの会社のマニュアルをまとめて本にして出版しているところもあるし、最近ではマニュアルだけでなく下位規定までまとめてCD-ROMにして売っている。これですといちいちワープロしなくてもカットアンドペーストで自社のマニュアルと会社規則一式ができあがり!
簡単でスバラシイ なんてお思いになりましょうか?
 マサカネ
これらひながたとして示されているマニュアルとはいかほどの価値があるのだろうか?
お金を出して買うほどの価値があるか、鼻をかむこともできない反故であるのだろうか?
見る人が見ればどうってないしろものなのだが、見る人が見ると光り輝いているのかもしれない。

私のISOコンサルをしている知り合い・・・実はそういう知り合いは大勢いるのだ ・・はいったいどんなことをしているかというと、A社のマニュアルの社名を消してB社に渡し(売り)、B社の環境方針の社名を消してC社に提供するということで飯を食っている。
コンサルというより、単なるメッセンジャーではないか。
オイオイ、そんなことでいいのか?
いえ、私は道義的なんて観点から申しているのではありません。
私は品質方針も品質マニュアルも、環境方針も環境マニュアルも、もちろん下位規定もすべてオーダーメイドでないと使い物にならないと考えているのです。
ちょっと前、知り合いから
「取引している会社でISO14001の認証をしたんだが、そのあとがうまくいかないんだ。そんな問題のせいか、認証まで頼んでいたコンサルが来てくれなくて困っているそうだ。できたら助けてくれないか?」
なんて言われましたので、でしゃばりで好奇心おうせいな私はノコノコとご訪問しました。
マニュアル類を一目見て「ェ!」と声を出しましたね。まあ、方針はありきたりの独自性のないものですし、マニュアルや規定類は一山いくらで売っているようなしろもの・・・・
払ったコンサル代はどぶに捨てたようです。

わしはナポレオンであるぞ
わしの辞書に不可能
という言葉はない
さてどうしたかといいますと、私にとってなにごとも正攻法しかありません。裏わざとか、裏口入学という文字は私の辞書にはないのです。
まず、あなたの会社の実態をよく調べましょう。そしてその流れをあるがままに大きな紙に書いてみましょう。そして今現在ある文書とか帳票とか会議とか報告書とかをそこに書きこんでいきましょう。
はい、じゃあそれをいくつかのジグソーパズルのピースに分けますよ。
それぞれのピース(小片)が会社の規定です。そして全体の流れの概略を書いた冊子がマニュアルですよ。
そしたらISO規格と照らし合わせましょう。足りないところがありますか?
 じゃあ、そこはできるだけ簡単に付け加えて足りるようにしましょう。
これが私のシステム構築の標準化したフローですが、そこで作るマニュアルや文書は決して同じものが二つとありません。
そこの社長は私が言った手順で作ったマニュアルを見て「なんだ!マニュアルとはこういうものだったのか? 今までのマニュアルは何だったんだ」とのたまわっておりました。
「のたまわく」とは話すという意味の「おっしゃる」よりもっと上の敬語でありまして、決して茶化した言葉ではありません。 

ところで、このとき私がいただいたコンサル料は一度居酒屋で飲ませていただいただけでございます。ちょっと安かったのではないでしょうか?
私は過去15年間に書いた品質マニュアルや環境マニュアルは30件くらいあるでしょうし、作った社内規則は数百はあります。数えたことはありませんが、もしかしたら千を越えるかもしれません。これはコンサルを職業としている人でなければ非常に多いほうであろうと思います。
実は私はISO9000なんてのが発生する前からお客様からの要求を受けて品質システム説明書なんてのを書いてました。早い話が品質マニュアルです。そしてそれを支える会社規則や手順書というものを、それはそれはたくさん書いていたのです。
私がブラインドタッチができるようになったのも、キー入力が速くなったのも、これらたくさんの作文をしたおかげです。
もちろん15年前にはマイクロソフトワードではなく一太郎、慎太郎、純一郎といったワープロソフトを使っておりました。
自分が勤めていた会社の文書もあれば、下請会社の認証を手伝ったものもあるし、先ほどのようなボランティアでコンサルした会社のものもあります。
神に誓って申し上げますが、私は元ネタのマニュアルや規定の固有名詞を一括変換してマニュアルや規定類を書いたということは一度としてありません。
私は標準化が生きがいの男でありますが、マニュアルや規定は決して標準化できないし、標準化してはいけないと確信しております。

しかしながら、マニュアルも読者がいますので、自分の思いだけでも作ることができません。なにごともお客様は神様なのはモチロンでございます。
マニュアルの第一のお客様は読者であるISOの審査員、あるいは納入先の品質保証部門、場合によっては官公庁のこともあります。
審査員(あるいは監査員)にはふたつのタイプがあります。
規格要求に「○○をすること」とあったとき、マニュアルにそのまま「○○をする」と書いてあると満足する審査員がひとつのタイプ
マニュアルに「○○をする」と書くことはないから「○○」を社内でどういう方法に展開しているのかを書けという審査員がもうひとつのタイプで、マニュアルに書いてあることを読んで規格要求に適合しているかを判断するのです。
あまり質の良くない審査機関の審査員は前者が多く、質の良い審査機関の審査員は後者が多いようです。 
相手のご希望に合わせて作るというのが事務局の役目でして、私は相手の顔を見てマニュアルや品質保証協定書を書いておりました。そんな事もできなくてはプロのISO事務局は務まりません。
もちろん、形はお客様がお好みに書くのですが、書かれている中身はその会社固有のものでなければならないのは前に申し上げたとおりでございます。

会社の手順書はその会社特有のものでなければ使い物になりません。
こんなんじゃだめよ
こんなんじゃだめよだからISOの評判が悪くなるんだ
だからISOの評判が悪くなるんだ
コンサルタントが持ってきた他社のマニュアルや手順書のヘッダーの社名を変更して、部署名を書きなおして作ったものはISO審査が終わったとたんにもうほこりをかぶっておしまいとなるのではないでしょうか?
法律だって同じだと思います。一つ一つの法律にはそれを作った人の思いが込められていることと思います。
ところで、消防法ってのがありまして、細かいところは条例で定めるってあるんですよね、ご丁寧にもこの消防条例のひながたがありまして、どこの自治体もこのひながたをそのままそこの条例として制定しているようです。これでは・・・・


本日のまとめでございます。

平和主義者の大好きな日本国憲法ですが、これってオリジナルでないんですよね。
マッカーサーの子分どもがフィリピンの憲法やあちこちの宣言を集めてきて、のりとはさみで作り上げたってご存じでしょう。
そんなものが日本の憲法として役立つと思ってたら、あなた大きなカン違いですよ!

憲法改正しなくちゃ





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