力量の謎 2006.02.25
本日は頭の体操である。
私は、電車の中でも歩きながらでも、いつもいろいろなことを考えている。
テレビを観ることはめったにないからテレビを見ながら考えることはことはない。また新聞を読みながら考えることはできない 
こんなことを考えても無意味なこと、といえばそれまでである。しかし、審査や監査のシミュレーションでもあるし、ISOに関係ない議論の練習にもなる。

ISO14001規格では著しい環境側面に従事する人には力量を持つことを確実にさせること、及びその記録を求めている。
著しい環境側面とはちょっと日本語としてはこなれていない言葉であるが・・・

初版である96年版では、この点について次のように定めていた。
「4.4.2 訓練、自覚及び能力
組織は、訓練のニーズを明確にしなければならない。著しい環境影響の原因となりうる作業を行う要員は適切な教育、訓練及び/又は経験に基づく能力を持たなければならない。」
The organization shall identify training needs.
Personal performing the takes which can cause significant environmental impacts shall be competent on the basis of appropriate education, training and/or experience.

これが2004年版で、次のように変更された。
「4.4.2 力量、教育訓練及び自覚
組織は、組織によって特定された著しい環境影響の原因となる可能性を持つ作業を組織で実施する又は組織のために実施するすべての人が適切な教育、訓練又は経験に基づく力量を持つことを確実にすること。また、これに伴う記録を保持すること。
The organization shall ensure that any person(s) performing tasks for it or on its behalf that have the potential to cause a significant environmental impact(s) identified by the organization is(are) competent on the basis of appropriate education, training or experience, and shall retain associated records.

対応する個所は同じ色にした。
改定の要点は二つある。
改定前は96年版では「要員は、能力を持たねばならない」のであったが、04年版では「組織は、能力を持つことを確実にする」となり、その責任が組織にあることを明確にしたのだろうと推測する。
次の点、記録を保持するというのは、まあISOの世界だからかやむをえないことかと思う。
しかし、この二点をあわせて考えると、この要求事項は矛盾というか実現不可能とうか論理的におかしいのではないだろうか?
論点は力量を持つことの立証が可能であるかということである。

力量(competence)とは何か?
ISO14001:2004では定義されていない。ISO19011:2002から借用すると「実証された個人的特質、並びに知識及び技能を適用するための実証された能力」
ここで実証の原語は「demonstrate」である。これを英英辞典で引くと
 1. To show clearly and deliberately
 2. To show to be true by reasoning or adducing evidence.
 3. To present by experiments, examples, or practical application.
 4. To show the use of (an article) to a prospective buyer.
日本語で「実証」というと、実証炉などという言葉があるように「事実によって証明すること」で上記3に限定された意味と受け取られるだろう。(そう考えるのは私だけかな?)
原語から推定するに、この規格において「実証する」とは「仕事ができることを実際にしてみせて証明すること」だけでなく、「修了証」などを基に「たぶん仕事ができるだろう」と判断することも含めてもよいと思われる。

しかし、はそこから始まる。
仮にここに著しい環境側面に関るAという仕事があり、Bさんが担当していたとする。会社はBさんがAの仕事を実行する能力を持たせなければならないし、その記録を保管していなければならない。
だが、BさんがAをできること(現在形あるいは未来形)、あるいはできていること(現在完了形)を立証する記録とはなんだろうか?
原文からすると「社外教育を受けたとか、OJTで訓練を受けたことから仕事ができるだろうと推測した記録」は「力量持つことを確実にした記録」に値するとみなされると判断してもよいと思われる。
あるいは「上長が過去の実績から今後も仕事ができるだろうと判断した記録」も「力量持つことを確実にする記録」とみなされることも当然であろう。
ISO審査を受ける企業は規格要求を満たしていなくてはならないから、当然そういった記録は存在するはずだ。
しかし、もしISO審査において、著しい環境側面に関する運用において力量不足による不備が発見されれば、それはそのまま「力量がない証拠」であり、組織が力量を認めたエビデンスは【うそ】となる。
もちろん、ケアレスミスやシステムのその他の要因によって起きた問題は除くとする。

著しい環境側面
力量があります
記録を残します 

ミスがありました
力量がありません
記録はウソです 

この要求事項において記録の位置づけは他の要求事項と大きく異なる。
規格で記録を明示しているのは多々ある。例えば、環境側面の特定や著しい環境側面の決定した記録が必要である。そのとき環境側面の特定で適用範囲が間違っていようが、決定した方法が手順に則っていなかったとしても、特定した記録や決定した記録の事実は否定されるわけではなく、間違いを立証する【記録】になるに過ぎない。
しかし、力量がないと判定されれば、力量を確実にした記録は【事実と異なる】と否定されるのである。
このとき下記のいずれの不適合となるのだろうか?
 1.「力量を持つことを確実としなかったこと」が不適合か?
 2.「担当者の力量を判定できなかった管理者の力量がなかったこと」が不適合か?
 3.「記録が事実と異なること」が不適合か?
非常に興味がある。
いずれにしても、これでは何を出しても負けるじゃんけんではないか? 

他方、「審査結果不備がなかった時」(これは悪魔の証明だから、「力量がないという不適合が検出されなかったとき」とするのが正しい)そもそも組織が力量を確実にする記録を保持することは無用である。
だって事実が証明しているではないか?

いったいこの文章はどういう論理構造になっているのだろうか?
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素直に読めば、あるいは規格で要求していることにそのまま対応するためには、
力量を確実すること、及びその記録とは、日常上長が部下の仕事振りをみて、指導し育成することではないかと考える。
それこそが実際に毎日会社でしていることではないかと思う。
だって、無能な部下がいては、上長の命が危ないし、会社が傾いてしまうから。
とすると、この要求事項は当たり前、どの会社でも過去よりしていることを改めて述べたに過ぎないのであろうか?
その時、力量を確実にした記録とは、なにか特別なものではなくて、業務報告や出張報告に上長が、「よくやった」とか、「次回はこうすべきだ」とか、「しっかりしろ」というコメントが該当するのではないだろうか?
それは力量を確実にした記録ではなく、力量を確実にするための育成記録なのかもしれない。
しかし、と考える。
力量とは固定したものではないはずだ。これだけ能力があれば以後向上する必要はないなんてことはいかなる分野にもないはずだ。日々研鑽し、成長していくということが人間としてなんて大げさなことではなく、仕事をしていく上で必要なことは言うまでもない。
であれば、力量を確認した記録などというのは本来存在しないのではないか?
存在するのは、継続的に努力し力量を向上させているという記録ではないのだろうか?
 はたして? 世間のISO事務局はどう考えているのだろうか?
そして審査機関はどう考えているのだろうか?




あらま様よりお便りをいただきました(06.02.26)
個人の力量について
Any person(s) performing tasks for it or on its behalf that have the potential to cause a significant environmental impact(s) identified by the organization is(are) competent on the basis of appropriate education, training or experience.
の訳がたいへんですね。
主語を「全ての人」とするか「どんな人(たち)でも」と訳すかによって、全体の感じ方が変わってくると思います。
個人の「力量」を、その人の向上心に委ねていたのを、組織として教育し管理するという手法に変えることついては、限界があると思います。
その理由は、人が人を評価するのですから、人の査定なんて、確実でないと思います。
「釣りバカ」の「ハマちゃん」ではないですが、特に営業の面で、「力量」がなくても「魅力」があれば、万年平社員でも、会社にとって「有用」ではないかと思うことがあります。
とにかく、前後の文章がどうなのかわかりませんが、現在はアウトソーシング時代ですから、「力量」がなければ、ドンドン切り捨てていけばよいわけですね。
そのために、「記録」を取るとも解釈するのは、私の心が歪んでいるからでしょうか。
あらま様、まいどありがとうございます。
もともとあらま様はISO関連からこのホームページにご訪問されたと記憶しております。
しかし、すぐにISOと縁を切り、ダジャレの世界にはまってしまったのが私にとって残念です。
今回は初心に戻っていただけましたか? 仏様のお導きでございましょう。
本題ですが、
会社に限らず担当する人はそれを処理する能力がなければならないという理屈は分かるのだが、その力をつけること、そしてそれを確認することは非常に難しく、更に第三者に説明することはほとんど困難なのではないでしょうか?
しかし、ISOの世界ではそれを要求します。それに対抗するならば、突然キリスト教の世界から浪花節の世界にギアチェンジして「俺の目を見ろ何にも言うな〜♪」と歌うしかないのでしょうか?
立派な講習会修了証があっても実力がない人はいるし、医師免許があっても医療過誤で失業する人もいる。ISO審査でボケを語っている主任審査員もいる。
ああ、人生不可解なり


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