ISO小僧 2002.12.07
毎度ばかばかしいお話を、、
ついにISOまで落語になってしまいました。

   ISO小僧というのをご存知でしょうか?
   ねずみ小僧ではありません。

実を言いまして、ISOのシステムを構築した会社には必ずといっていいほど、このISO小僧がいます。

別に若造であることはありません。また小柄である必要もありません。
私より年配のISO小僧もいますし、体の大きなISO小僧もいます。

監査などで、ペラペラとISO規格が口から出てきて、規格適合性を立証しようとする方、これみなISO小僧です。


さて、私が監査にお伺いしますと、多くの会社ではISO小僧がお出ましになります。
こちらがこれは法に抵触するのでは?とか、他社で事故事例があるから改善したりしたほうがいいですよ、などと申し上げますと、とたんに『ISO規格○○項では・・・・・・・・』と立て板に水の如く反撃を食らいます。

実を言いまして、数年前の私を見る思いです。 


ISO規格というものは文章は少なく、そらんじることは難しくありません。
また、多くのISO小僧は日本語ではイカンと、原文(英文)読んでおりますのでそれはそれは十分理解されております。

でも、品質ならともかく環境は規格よりも法規制の理解、遵法、各種設備の運用といったことがより重要となるでしょう。
法で定めてあることを知らずに、規格文言ではといってもそれはISO審査には通用しても、会社に貢献するのかはいささか疑問です。
逆に言えば、審査登録(俗に認証取得と呼ぶ)ということよりも遵法点検といったことのほうが安心をいただけるのではないでしょうか?

まあ、それはさておき、
監査の席上、昨今の事故事例を挙げて、対応などを推奨したとき、『規格では』と言われますと、子供が真剣を振り回しているような不安を感じます。
私は規格なんてことより、事故が起こらないように手を打つほうが優先すると思いますが・・・

いえ、ISO規格が悪いわけではありません。
目的を履き違えているのでは?と思うところです。

私たちはしばしば大きな目的のための手段を目的と誤解してしまうことがあります。

    ISOの審査登録とは、 本当は会社の仕組みを整理して、効果的に、効率的に、品質や環境をよくしていく仕組みをつくることであるはずです。

  • ところが、往々にして、審査登録することが目的となってしまうのです。

  • 更にはその手段としての、指摘を受けないことが目的となり、

  • 指摘を受けたら、それが不適合でないと反撃することが目的となり、

  • 指摘を重大でなく軽微な不具合(審査機関によりさまざまな呼び方があります)にすることが目的となり

  • 最後には監査側の口を封じるが目的となるようです。

一般に、ISO小僧はシステム屋に多く、公害防止に従事していた方にはお見かけしないようであります。



   


力には知識が必要であるが、知識だけでは力にならない。
力となるには意思と分析力がいる。

おお、なぜかこれはISOに限らないような気が・・・・・




masa-h様からお便りを頂きました(05.07.01)
たんなる質問
純粋に質問します。掲示は必要ありません。
ISO子憎とは、非常に気になって中を見るのですがわかりません。単に間違いであればいいのですが、
今までこの質問無かったでしょうか。

masa-h様、お便りありがとうございます。
実はですね、ISO小僧とは月間アイソスのカラムに載っていたタイトルの盗用なのですよ 
おっと、ご安心ください。
小説であろうと、映画であろうとタイトルには著作権が生じないそうです。ちゃっかりいただいてもお咎めなし
もちろん、中身、コンテンツは盗作ではありません。

さて本題ですが、なにが問題でしょうか?
単にも複雑にも間違いではないと思っております。
世の中にはISO規格をおかしな解釈をしている人がいるよね!とからかっているだけのことです。
実を言いまして、私の本業はいいかげんなことを語っているISO審査員を懲らしめることなのです。
ところが、これがなかなか骨でございまして・・・
桃太郎侍とか水戸黄門のようにはいきません。




masa-h様からお便りを頂きました(05.07.04)
ISO小僧について
ISO子憎→ISO小僧 何か理由があって子憎と引っかけて書かれているのでしょうか。
掲示は必要なかったのですが。


masa-h様、お便りありがとうございます。
まず掲示は必要ないとおっしゃいますが、メールアドレスを書かれてませんので個人的にメールを差し上げることができません。よってここのあげないとmasa-h様は悶々とされるのではないか・・・と愚考いたしました。

最初の疑問ですが、なぜ疑問と感じられたか判ったような気がします。
私の年代は、自分の子供以外、あるいは新入社員であろうと、小僧と呼ぶならいがあるのです。
 たとえば「小僧、これをコピーして来い」という感じですね。
 あるいは、ゴルフが好きな若造は「ゴルフ小僧」
 インターネットにはまっていれば「ネット小僧」
 バイクが好きなら「バイク小僧」
 ネズミ捕りが得意な若者は「ねずみ小僧」・・・これはウソ
ISOに関しては、ああだこうだと得意になって語る人間がいれば「ISO小僧」と呼んで違和感はありません。



萬太郎様からお便りを頂きました(09.09.09)
ISO小僧っていますよね。
小生、会社では安全を担当しておりますが、職場をパトロールしていて安全衛生法上、好ましくない指摘をすると「ISO上は問題ない」と言い張る職制がいます。
「ISOと法律と、どちらが上位だと思っているんですか?」と言い返すのですが、そういう輩は、納得するまでに時間がかかります(T_T)。どうしようもないですね。
ここ数年は見かけませんが、未だに「ISO至上主義」のような輩は存在します。何が問題で何をしなければならないか、考えてほしいものです。m(_ _)m

萬太郎様、お便りありがとうございます。
ISOと法律は比べようがありません。
だってろうで作った寿司と本物の寿司を比べるようなもんですよ。
私も環境の監査で不具合を見つけて指摘すると、「ISO審査員はOKした」なんて反論されるとあきれてしまいます。
まあ審査員のレベルも問題なのですよ。
もし神様が私に力を与えてくれたなら、審査員の試験をして法律の知識、環境施設の知識を調べて一定点を取れない人からは審査員登録証を取り上げるのが日本のため、ISOのためになるのではないかと考えております。
そうなれば萬太郎様も枕を高くして眠れようというもの。
そんなことができたらいいですね・・・





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