品質保証愚考 2006.06.18
久しぶりの休日である。家内と二人で電車で駅をいくつか行った街のショッピングセンターに出かけた。
エスカレーターに乗って階段部分の床面というのだろうか?足を乗せる部分の光沢が普通のものと違うことに気付いた。 たいていのエスカレーターは光沢があるがこれはつや消しである。メーカーが違うのかな? と思い上階についたときに床面のメーカー名を見ると「SCHINDLER」と刻印されている。私は文字のつながりを一目で読み取ることができず、一字一次ローマ字読みしてはじめてシンドラーと気がついた。
最近、そのメーカーのエレベーターで人身事故があり、報道機関が問題だ!問題だ!と叩いている。
私はそういうことについてまったくの門外漢であり、事故についてのコメントは差し控える。
しかしそれにまつわって考えたことを書く。

エレベーター事故に関して過熱する報道を見て、その会社で働く人たちの気持ちを思う。そのエレベーター会社の方はみな一生懸命働いていると思う。単に決められたとおりにするだけとか、売り上げを上げるだけ、就業時間だけいればいいという仕事はしていないだろう。
職業人なら誰だって己の仕事に誇りを持っている。持たなくてはプロではない。設計者も営業も工事もメンテナンスも、受付の人もみな一生懸命働いていると思う。
しかしそういった努力を事故は一瞬で吹き飛ばしてしまう。
まさに『築城三年落城三日』である。
シンドラー社だけではない、過去に☆乳業も△自動車もJR西日本も、マスメディアは事故や問題が起きると、己を正義の味方と勘違いして叩きに叩いた。ひどい話である。
quest.gif 事故が起きたときその会社の従業員がボウリング大会をしていたから悪いそうだ。事故当日、社員が飲み会をしていたら悪いのか?
どのような論理でそういう結論が導き出せるのか私には理解できない。

事故を起こしたメーカーだけではない。銀行や通販会社で個人情報流出があると、その会社そのものを否定するような報道をする。
あんた何様といいたい。
民間企業に対してだけではない。アメリカの潜水艦と練習船が衝突したとき、時の首相がゴルフをしていたらなぜ悪いのか私の頭ではわからない。
いずれにせよ、私は報道機関に批判されている会社の従業員の気持ちが痛いほど分かる。みなさん、そういった、ある意味言いがかりと言えるような批判に耐え、ただ頭を下げ、再発を防ぎ、一層の品質・サービスを提供することにより信頼を得ようとひたすら無言の努力を重ねているに違いない。
身につまされる思いだ。
私は製造業に40年も従事していたから、会社側の見方しかできないのだと言われるかもしれない。事故を起こした会社の従業員の気持ちを思うより被害者の気持ちを思え、という罵声が飛んでくるような予感がする。
それとこれとは話が違う。それは人間性の問題だ。
被害者とそのご家族のお気持ちは推察するが、その会社の従業員すべてを否定するような論理はやまり間違っている。
私たちは神様ではない。

ではここで、品質保証ということを考えたい。 品質とは「品物またはサービスが、使用目的を満たしているかどうかを決定するための評価の対象となる固有の性質・性能の全体」であり、物に限らず役務であろうと報道機関であろうと官公庁であろうと品質という概念は存在する。

考えてみよう。ひとつの事故が起きたからその会社の品質が悪いなんてことはいえない。ましてや会社が悪いなんて言えるはずがない。
神様でない限り、事故はおきるだろう。極論すれば飲食業で食中毒が起きるのを完璧に防ぐことは不可能である。鉄道事業で事故を皆無とすることは不可能である。航空会社で事故を絶対起こさないことは不可能である。
もしこの表現に違和感・不満を持たれた方は、きっと仕事の第一線で働いたことがないに違いない。
「起こしてはならない」ということと、「絶対起きない」というのは意味が違うのである。

私は食中毒が起きても仕方がない、列車事故が起きるのは当然だ、航空機事故もしょうがない・・・などと語っているのではない。事業者、従業員その他の人々はそういったことを防ぐために一生懸命に努めているが、ゼロにすることは不可能であるということだ。
同時に個々の品質と品質保証というものは直接的にリンクしてはいない。
品質保証とは良い品質の製品サービスを提供しようとする会社・組織の仕組みであって良い製品を提供するだろうという信頼感を与えるものであるが、品質そのものとは違うのである。
不具合が起きたらその原因を究明し再発防止を図るにはどうするか? あるいは不具合を未然に防ぐためにシステマティックに対策すること・・・が品質保証なのである。
☆乳業も△自動車も、再発を防ぐためにさまざまな手を打ち、そしてそれを公開している。そしてそういった仕組みを粛々と運用することによって社会的に信頼を勝ち得ようと努めている。
個人情報流出事故を起こした会社も同様である。情報管理については一般的に品質保証とは呼ばず、ISMS(情報セキュリティマネジメント システム)とかプライバシーマークなどと呼んでいるが実質は品質保証システムである。

しかし、不具合がおきても品質保証ということを考えていない会社もある。
A新聞とかN放送教会では、不祥事が起きても、捏造だと批判されても社外に品質保証体制を見直ししました、今後は再発しませんとコミットしたとは聞いていない。
おっと、それ以前に報道した内容が問題ないと証明することにやっきになっており、いまだ不具合であったと詫びてもいないようだ。
A新聞やN放送教会は捏造を騒がれてから社内行事を自粛しているのだろうか?
ご存じの方いらっしゃいましたら教えてください。
おかしなことだが、一般の企業で不具合が10あれば報道機関は100くらいに報道するのだが、報道機関に不具合が10あってもお互いにかばいあい1くらいにしか報道しない。
ジャーナリズム宣言とかジャーナリスト宣言というなら、そのような報道をしないとコミットしてほしい。
☆☆☆☆言葉の力を信じるならば、正しいことのみを言葉とすべきである。
☆☆☆☆そしてウソは言葉としてはならないのだ。

私は報道機関に間違いがあってはならないとか、間違えたら腹を切れなどというつもりはない。しかし間違いがあれば潔く間違いと認めること、そして再発防止を図りそれを社外公開することは、信頼回復の唯一の方法であり、公器としての社会的責任・義務だと考える。
A新聞と提携しているニューヨークタイムズなんて公明正大である。捏造報道があれば経過を公表し再発防止を約束している。提携しているならぜひそういった手法も学ぶべきだろうと思う。
己の失敗、不具合を棚に上げ、再発防止対策もせず、時間がたつのをひたすら待つ。そして何でもかんでも一般大衆に伝えればいいんだという考えであれば報道機関とはいえない。
報道機関にこそ品質保証システムを作ってほしい、シンドラーのエスカレーターに乗ってそんなことを考えた。




SLEEP様からお便りを頂きました(06.06.18)
品質保証についてですが・・・
思うに日本というのはとにかくもの凄く恵まれた国です。マドンナは来日してあの暖かい便座が待ち遠しいと言いましたし、とある日本人選手の甘えを指摘していたオランダ人コーチが、来日してこんな便利な環境では甘く見えるのも仕方ないと言いました。
それはどこから来るのかと言えば、日ごろから日本人が一生懸命働くからです。役人が優秀だからじゃありませんし、マスコミが公明正大な報道を心がけるからでもありません。
私も製造業に勤務しておりますが、今の時節柄暑い熱いと文句を垂れながらも皆働きますし、クレームがあればすぐ相手方へ飛んでいきます。また労働災害があれば即座にミーティングです。
むろんクレームや災害が少ないにこしたことはありません。けれどもそれは必ず起きます。ではどうすればそれを減らせるかまたは軽い事故で済ませることができるか、失敗を直視し関係者を処分し再発防止へ少しでも前進する、そういったマネージメント能力こそ真に問われるのです。
残念ながら今のマスコミにそのような能力はこれっぽっちもないでしょう。もし私が当時JR西に勤務していたとしたら、オマエラだけには言われたくないなと呟くでしょうね。
ああ、そうそう不祥事と言えば日銀の総裁がたかだか1000万円の出資に文句を言われてますね。もしこの理屈が正しいとなると日銀総裁はあらゆる金融機関で1000万円単位のお金を利用できない理屈になります。中立公正を謳う各マスコミの方々も当然そのようにされているんでしょうね。

SLEEP様、お便りありがとうございます。
まず、一生懸命働くというのはSLEEP様の時代までかもしれません。最近では少しでも楽をしようというのが主流のようです。
価値観というのは時と場合によって違うとは思います。しかし、製造業と報道機関では相当違うというか裏返っているように思います。
更に言えば、製造業と報道機関の賃金を比べる・・・気分が悪くなるのでやめます。
昔は士農工商という言い回しがありましたが、21世紀はマスメディアは貴族、製造業は奴隷とあきらめましょう。

tama様からお便りを頂きました(06.06.20)
シンドラーの品質管理思想に問題があったのは確からしいです。しかし、今まで聞いたことも無かったシンドラー社という名前が、あの事故以来「また事故」「こちらでも不具合」と取り上げられるのは、△自動車の「また燃えた」と同じレベルにしか思えません。
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/8404/sono17.htm
シンドラー社の評価は、今後の対策を見てから決めたいです。

tama様、おっしゃることよく分かります。私も今は環境なんてことで糧を得ておりますが、元は品質保証屋ですからね
ジャーナリズムによる扇動で右往左往してはいけません。
ジャーナリズムによる扇動って、語義矛盾ですよね!
真実を報道するのがジャーナリズムのはずですから

ピカドン様からお便りを頂きました(06.06.20)
佐為様 ピカドンです。ご無沙汰しています。
先日投稿しました、シ社EVはやはり大半がプログラムミスだったようです。
しかし、高校生の死亡事故については、まだ調査中となっていますが、もう暫く様子を見守りたいと思います。

さて、今日の本題に入りますが、またかと思うような内容だったのですが黙っていられず、つい投稿してしまいました。
埼玉県戸田市の市立小中学校での入学、卒業式の君が代斉唱で起立しない来賓がいたことについて戸田市の伊藤良一教育長は市議会で「はらわたが煮えくり返る」と批判したと報じられた。詳細は定かでないが確かにそう言う記事を目にするだけでも気分が悪くなる。
伊藤良一教育長と言う御仁はなかなか気骨のある方のようで、起立しなかった来賓の氏名や人数の調査を検討しているという事のようですが、法的に問題がないので有れば大いに結構な事で、何割の来賓が不起立だったのか、調査し学校名を公表すればよいと思う。
そもそもそう言う態度は学校即ち、校長や教頭を先頭に教員そのものに責任があり、恥とすべきである。日教組の臭いがプンプンして成らない。

私の周りにはそう言う人間は居ないので一度聞いてみたいのだが、Wカップで国旗掲揚、国歌斉唱の時など、どういう態度で居るのかを是非聞いてみたいものである。
まさか、その時だけは頬に日の丸書いてるんじゃないだろうなと、または、それとこれとは別だ等と言うんじゃなかろうなと。等と訳の分からない論理をお持ちの方がきっとその中にはいらっしゃる事でしょう。
君が代斉唱では以前、東京都教委が地方公務員法に基づき、大量処分を受けていますが、来賓に対しては権限がないと言えども、起立をしないような来賓(父兄)が居れば、式を進行させないくらいの毅然とした態度で臨むべきで、それを怠った場合は同じく処分対象となるくらいの事はあって然るべきではないでしょうか。来賓や父兄が率先して規律を乱すような事があって良いはずはない。
子供達が見ているのです、その構図を想像しただけでも、ある意味恐ろしく、嫌悪感さえ感じさせます。

我が国ほど何しようと、法にさえ触れなければ何でも有りのような国は他には無いでしょう。この国に住む者として、自国の国旗・国家を右翼や軍隊と重ね合わせて見る向きが多いのには驚きますが、是全て、偏向したメディアや反日的行為を平然と繰り返す人たちの成果となって現れていると思わざるを得ない。私はそう言う人たちを軽蔑する。
もう一つ、一部の偏向右翼(何でも戦争ありきの発言が先に出る人たち)な考えをお持ちの面々は、返ってその逆の反日勢力を助長させている面も否定出来ないと思いますが。
国旗国歌を崇拝しなさい等とは誰も言っていません、ただ、自国の国旗国歌に敬意と尊重の気持ちで接する、それだけで十分ではないでしょうか。
誰が教えなくてもそこから自然に愛国心、愛郷心が生まれてくるのです。

ピカドン様 ありがとうございます。
本来ならこのお便りは別のところにアップすべきかもしれませんが、私はあえて品質保証愚考のページにアップさせていただきました。
なぜなら、世の中には、自分は正しいという思い込み、自分が正しいと思うなら世の中の決まりなんて破っていいんだという論理がはびこっているように思うのです。
ピカドン様のそういう論理はオカシイゾという主張はこの記事に見合っていると考えたからです。
私の考えは、この下にある「よーん」様への回答にあります。

よーん様からお便りを頂きました(06.06.23)
初めまして。
最近このホームページを見つけ、読ませて頂いてます。
管理人さん(おばQさんでよろしいのでしょうか?)が意図したであろう「品質保証愚考」の主題とずれることをご容赦ください。
マスコミの批判の対象となった会社の多くは単にミスをしたというのでは許されない問題を起こしてしまったと思います。
自動車会社の場合、リコールすべき欠陥を隠し、その欠陥が原因で亡くなられた方もいらっしゃいます。乳業の場合、食中毒はミスということになりますが、その後の牛肉偽装は明らかな故意によるものです。
私は現在テレビなどマスコミ媒体はあまり見ていないのでマスコミの対応は知りませんが、シンドラー社のエレベーターに関しては事故後の対応に批判の目が向けられています。
私はこのようなことが起きないように社会的制裁としてマスコミの報道による「叩き」は必要だと感じています。
上記のようことを書きましたが、私はマスコミを擁護したいわけではありません。JRの事故の際は辟易しました。日本人の多くは電車の遅れを非常に気にします。それが原因のひとつとなったことは明らかですし、マスコミの社員にも電車の利用者は多いはずです。それにもかかわらず外から単にJRのみを叩く姿勢は疑問に感じました。普段は報道しないようなオーバーランをも大々的に報道することはおかしいと感じました。
少し話がずれますが、アスベスト問題などの世間の感心が薄れたら報道しなくなる点やライブドアの手のひら返しも不快です。
私は加熱した報道は不快ですが、「叩き」は必要だと思います。

よーん様 お便りありがとうございます。
おっしゃる気持ちはよく分かります。 しかしちょっと一歩引いて考えて見ませんか?
第一に、正義とはなんでしょうか? 正義といってはあいまいですが、現世で裁くということはどういうことなのでしょうか?
有罪か無罪かということは裁判が決めます。警察でもなければ、行政でもなく、私たちでもなく、そして報道機関でもありません。
叩くという行為は己を正義と信じているということでしょう。報道機関が自分を正義と信じ込んだ瞬間に、報道機関はジャーナリズムからイエロージャーナリズムになります。
お断りしておきます。私はこのウェブサイトで預言者であることを、あるいは預言者たらんとしていることを宣言しております。
預言者とイエロージャーナリズムは違うのか?と問われれば、私は違うと思います。過去、権力を持った預言者はいません。預言者が権力を持ってはいけないのではなく、権力を持てば預言者というカテゴリーではなく、独裁者というカテゴリーに昇格するのです。
過去の多くの例をあげるまでもなく、よーん様はマスメディアがいかにその権力あるいは暴力的な力で世の中を裁いてきたのか良くご存じでしょう。
裁判でも、正しいことを立証するためではなく、報道されることを目的とするものもあるようです。裁判が結審する頃にはみなの関心は移ってしまうだろうが、名誉毀損などで訴えることによって世の関心が原告側に集まることを狙ったものを見かけます。裁判での勝ち負けではなく、裁判を利用した社会的制裁の勝利を目指しているのです。報道機関の力を逆手に取った手段です。

第二の論点です。
品質保証とはなにかなどと語ると、きりも限りもありませんが、その目的は断罪することではなく、不具合をなくしていくことです。
航空機事故で関係者が間違いをしたと真実を語ったことについて訴追を免れるということに、被害者はやりきれないかもしれない。しかし責任者、ミスを犯した人を裁いてうさを晴らすのと、原因を究明して二度と再び同じ事故、ミスを犯さないようにすることを比較すれば後者の方が人間社会に貢献することは間違いない。
現在のように当局から散発的に発表される情報だけで真の原因が分かったわけでもない。報道機関がそういった情報のかけらとかメーカーの対応が悪いなどということをあげつらってもしょうがないではありませんか?

第三に報道されていることは真実なのでしょうか
☆乳業の社長が「おれはここ数日寝てないんだ」と語った情景が何度も何度もテレビで映されて国民感情を悪化させました。聞くところによると記者が「社長もお疲れでしょう」という問いかけに対してそう応えたそうです。
社長がその言葉を聞いて一瞬弱みを見せた、まさにその瞬間を悪用したことでその報道機関は捏造機関に堕ちてしまったのでしょう。そういう詐欺的行為こそ裁かれるべきではないでしょうか?
シンドラー社の対応というものを私は見ていない、よーん様も見ているはずがない。それともあなたは警察関係者、あるいは報道の第一線にいてその事実の一部始終を見ていたのでしょうか?
私たちが見ているのは、報道機関が料理して私たちに見せようとしているものに過ぎない。それを忘れてはいけない。
少し前、韓国人留学生がホームから落ちた人を助けた、周りにいた日本人も駅員も誰も助けなかったと報道されたことを覚えていますか?
ところが真実はそうではなかったようです。助けたのは駅員、手伝ったのは周りにいた20人ほどの人々だったそうです。
名乗り出た韓国人留学生もその場にいたのは事実らしいですが、どのような役割を果たしたのかは定かではないとのことがあとで伝えられていました。
報道されている情報というのはそういうものです。「おれはここ数日寝てないんだ」への怒り、シンドラー社の対応が悪いからと怒り、韓国人留学生すばらしいと称える・・・まさに報道機関のあやつり人形ではないですか?

第四に
よーん様も報道機関の加熱には懸念を表明されていますが、報道機関は単純、簡単にしたほうが受けを狙えると知っているようです。企業に属する一人が犯罪をすれば、企業全部が悪だといったほうが何も考えない人たちには受け入れやすいでしょう。
しかし、組織が悪をしても、組織に属する人が悪人ではありません。組織に属する一部の人が悪をしても組織に属する人すべてが裁かれるいわれはありません。
ましてや法的な根拠を持たない、報道機関やうわさしか知らない一般民衆からなぜ非難をあびなくてはならないのでしょうか?
ホリエモンが逮捕されてもライブドア社員は己の仕事に疑問を持つことなく誇りを持って働くべきであろうと思います。ましてホリエモン氏はまだ裁判に至っておらず、有罪かどうかも定かではないのです。
殺人犯の子供であっても個人として何の罪もあるはずがない。
この国は韓国とは違います。個人が個人として評価されるはずです。
同時にそれは縁戚とか親の七光りがあってはならないということでもありますが、

最近、環境事故や違反が報道されています。
よーん様は正義感の強い方ですから、そういった企業、関係者を憎んでいらっしゃると思います。
私はそうではありません。なにせ同業者でありますし、40年も社会人をしておりますのでいろいろ考えが浮かんできます。
まず、自分の勤めている会社の仕組は大丈夫か、内部牽制は機能しているかという反省
自分が指導してきたことに間違いがなかっただろうかという反省
危機管理として我々はなにを見習い、改善をしなくてはならないかなどといったことです。
悪いことをした人を責めることまで気が回らないというのが本当のことです。

過去に廃棄物管理票の記載を廃棄物業者にさせていたということで4名もの社員が逮捕された会社が報道されたことがあります。
その報道を見たとき私は「かわいそうに」と思いました。
誤解ないように、「運が悪かった」と思ったのではありません。「運が悪い」とは「見つからなかったら良かったのに」という意味です。私はそういった行為(違法ですよ)をよしと考えているわけではありません。
可哀想にと思ったのは何の得もないチョンボをしてその違法を追求されたことだからそう思ったのです。
廃棄物を渡すとき排出者が記載すべき帳票を、業者に書かせたところで排出者は何の徳もありません。担当者がワイロをもらうこともありません。ただ法で定めること・・もちろんその趣旨としては排出者は廃棄物排出の責任があるのだから最終処分までの責任があることを認識しなければならないということがあるのですが・・に反したということです。
人の道を誤ったとか、社会に多大な影響を与えたわけでもない。
何も知らない一般市民はその報道を聞いて、とんでもない野郎だ!厳しく罰すべきだとお考えになられたことでしょう。
私は何の才能もないジジイですが、世の中の出来事を個人が得られる情報程度で叩こうなんて発想は間違っているように思います。


よーん様からお便りを頂きました(06.06.27)
お返事ありがとうございます
個人で得られる情報程度で他者を叩こうなどと考えてはいけない。
おっしゃるとおりです。考えが浅かったと思います。
少しひねくれた質問をさせていただきます。管理人さんは特定アジアなどに対しての批判をされていますね?
これも上記のことに当てはまるのではないでしょうか?
特に国外のことですし、得られる情報も限られてくると思いますし。国家と会社を同時に語ることは愚かだと思いますが、その辺りの意見について聞きたいのです。

よーん様 ご返礼ありがとうございます。
正直申し上げまして、よーん様は私と同類という感じがいたします。いえ、別に他意はありません。
そうですね、私が特定アジアの行為を批判したり、戦後民主主義者を批判したりするのと、世の中の人が企業や個人を叩くのとどう違うのでしょうか?
といいつつ、私はよーん様がその相違を知っていながらつっこんでいると思います。
まず第一に、私もウェブサイトに書いているのですからそうとうな裏づけがないと書けません。
実を言いまして、私は正義感だけで動くわけではなく、ユニークなこととか証拠が不利な方には組しないんですよ。 
常に証拠が有利な方に味方します。間違っても激情にかられて「日本は神国だ」とか、「日本は常に正しかった」などと熱にうかされたようなことを語ってはいけません。
勘違いしないように 戦況有利な方に付くのではありませんよ
例えば、既に従軍慰安婦、強制連行などは既に存在しなかったとされています。朝日新聞でもサヨク団体でも、今では慰安婦とか、召集などと言い換えています。
100人切り訴訟はあったかなかったかではありません。それを報道したことの責任を問うているのです。
南京虐殺についてはまだ「あった派」ががんばっていますが、どうでしょうか?もう敗北を認めるときが来たように思います。
平和憲法が平和を守るのか? 私は憲法を学んだわけではありませんが、マッカーサー憲法はそうとう読み返しました。英語でも読みました。これも改憲を望む国民が多数です。今現在は外乱によって若干増減していますが、戦後民主主義者が勝利することはまずないでしょう。
もっともサヨクとか戦後民主主義者は敗北を認めるということは決してなく、いつの間にか掲げるむしろ旗の文字が変わっていたりするのです・・・
第二に、私はいつでも議論しましょうというスタンスをとっています。叩くだけはおもしろくないじゃないですか?
水に落ちた犬や抵抗しない人を叩くのは卑怯、正々堂々と議論しましょう。
私がよーん様のお便りをアップしないのも勝手ですが、それじゃあ面白くないでしょう。なんせ議論が飯より好きな老人ですからね 
それでこうしてあなた様の10倍以上の文字数でお応えしているわけでございます。
第三に、私は預言者であらんとしております。前回申し上げましたように、権力を持たないから預言者になるわけですから、私には世の中を叩くとか裁くという意識はありません。ただ皆さんの目を覚まさせようと叫ぶのみです。
そしてノアの時代から、預言者は民衆に受け入れられず、排斥されることに決まっているのです。

ところで世の中には推定無罪という便利な言葉があるそうです。立証責任は肯定側が負い否定側ではないそうです。
私が人民裁判と同じではないと立証する必要はなく、よーん様が私と人民裁判や捏造報道と同じであると立証しなければならないのです。
よーん様、次回は一休さんの"どちてぼうや"のように「どうして?」とか「説明して」と言うのではなく、有罪を立証する論を張ってください。お待ちしております。


よーん様からお便りを頂きました(06.07.17)
お返事遅れました
申し訳ありません。しばらくネットにつなぐことができなかったため、返事が遅れました。
私の言葉が足りないため、勘違いされたようです。私は管理人さんとマスコミがどのように違うのかと疑問に思ったのではなく、「私は何の才能もないジジイですが、世の中の出来事を個人が得られる情報程度で叩こうなんて発想は間違っているように思います」という文に対して疑問をもったのです。
この疑問に関してまとめようと思うので、もう少しお待ちください。

よーん様、毎度ありがとうございます。
私は言葉の世界で生きております。それも小説、文学といったあいまいな、ゆらぎ、偏りの許されるカテゴリーではなく、言葉を使ったイチゼロの世界です。
「世の中の出来事を個人が得られる情報程度で判断できるはずはない」ということは、それ以上でも、それ以下でもありません。
私は同僚が監査に行くときにいつも言います。神に誓って言えることのみを言えと、
同様に、私も根拠に自信のないこと、確たる証拠を見つけることのできなかったことについては断言しません。
またのお便りをお待ち申し上げます。 


よーん様からお便りを頂きました(06.07.22)
叩きと指摘
お返事がまた遅れてしまいました。申し訳ありません。
私は「私は何の才能もないジジイですが、世の中の出来事を個人が得られる情報程度で叩こうなんて発想は間違っているように思います」という部分に対して疑問を持ちました。これが「マスコミというフィルターがかかったものから得た情報だけで、よく考えもせずにただマスコミが取り上げてるからという理由で批判をするべきではない」という内容だったら問題なかったのですが、これは管理人さんの特定アジアやマスコミに対する意見も同じではないのか、と思ったのです。
しかし、時間がたつにつれて少しずつ考えが変わってきました。
これは批判でも指摘に近いものなのかな、と思うようになったのです。以前、芸能人の復帰の早さに関する記事がありましたが、それも「復帰させるな」という乱暴なものではなく、この場合はこういうふうになる可能性があるから問題があるのではないかという疑問を語ったものでした。対して、例に取り上げた産廃関連の一般市民の反応はすでに起こったことに対しての意見でしかないわけです。
このような明確な違いがあるにもかかわらず、よく考えもせず文章を見ただけで反応してしまいました。

今回は私の疑問を丸投げしたような文章に対し、丁寧に返答してくださりありがとうございました。また機会があったら、そのときはよろしくお願いします。

よーん様、毎度ありがとうございます。
私の物言いがきつかったようで申し訳ございません。謝ります。
お断りしておきますが、私は自分が善だとか真理だと考えて語っているわけではありません。
過去何度もご指摘を受け、あるいは議論の結果、私の見解、意見を変えたことはたびたびあります。
基本的に、私はそのページを全面変更せずに取り消し線を引いて残しております。まあ、自戒のためと変更したことにも意味があると思っているからです。
ということで更なるご意見を期待しております。

あらま様からお便りを頂きました(06.06.24)
佐為さま あらまです。
世間を騒がしているエレベーターメーカーの本社が、スイスにあるようですね。
そのスイスとお隣のドイツに、小生の友人がいます。
かつて、小生が若かりし頃、一緒に仕事をした仲です。
彼らが来日したときは、二人とも兵役を終えた後。
日本に、兵役がないことに、驚いていたことに、小生は驚いたものでした。
その彼らを眺めていて感じたことは、ひじょうに頑固で、自分の仕事に誇りを持っていると言うことです。
しかも、仕事が確実で、応用が利くのですね。
これは、スイスやドイツの職人の世界にも、かつて厳しい徒弟制度があったようですが、彼らの国の教育制度は日本と違っていて、早くから自分の道を選択して、それに合った教育が受けることが出来るからだと感じました。
日本の場合も、普通高校と実業 ? 高校とがありますが、スイスやドイツと比較して、なかなか職場体験が味合えない環境だと思います。
ですから、一概には言えませんが、問題が起きたときの対応も、日本人の場合は、標準化され、マニュアルになければお手上げですが、スイス、ドイツ人らは、代用を考えたり、基本構造からやり直すことも厭(いと)わないのですね。
これは、韓国に行ったときも感じました。
かれらは、基本が身についていました。年少の時から実体験を積んでいたのです。
小生は、その時「きっと近い将来、日本は抜かれてしまうだろう・・・」と、確信しました。
彼らには、明確な目標があり、それを目指しているのです。
かたや、日本人は、大学を出ても、まだ自分の目標が定まらない人がいますね。
目標が定まったとしても、その年齢では既に遅いこともあります。
ですから、職業の世襲制も悪いことばかりではなく、職業選択の自由もよいことばかりではないことを感じました。
そんなわけで、小生が会った外人らは、基本に忠実で、シッカリしている反面、頑固で、間違いを認めようとしないのですね。
例え認めても、直そうとしない。それでよくケンカしたものでした。
そうしたことが、エレベーター事故が報告されても、なかなか直さない理由なのかと思いました。

あらま様 毎度ありがとうございます。
職人気質・・・なんて良い意味でも悪い意味でも使われます。
品質保証って仕事が私の過去でございます。先輩にいろいろ教えられました。品質保証という概念はもちろん日本語ではありません。
それは「品質を保証する」と言う意味ではなく、「品質への信頼性をかもし出すこと」といったらいいのでしょうか?
クオリティアシュランスのクオリティは品質ですが、アシュランスは傲慢(ごうまん)という意味もあり日本語の保証というニュアンスとは相当違います。
何か不具合があったとき「ごめんなさい!すぐ直します!」というのは品質保証ではないのです。
「おかしいなあ、当社はこのようにしっかりと仕事をしているんで、間違いが起きるはずがない」といいつつ種々記録を見せて自己保全を図ることなのです。
おっと、普通はもっと上品に説明するのですよ。

謝罪の意味も、保証の意味も、国によって全然違うのですね
言葉の語義も理解せずに、謝罪とか国家を語るボケや魑魅魍魎には困ります。


午前0時様からお便りを頂きました(06.06.29)
はじめまして 午前0時と申します。
私は数年前まで国内メーカー系のエレベーターメンテナンス会社に勤めていました。
今回のシンドラー社の事故に関しては我が事の用に感じております。亡くなられた方には気の毒に思いますし冥福を祈りたいと思います。
連日のエレベーター不具合の報道を見てますと、中には普通では考えられないような不具合も見受けられました。
ただ今回の事故の報道でシンドラー社が始めて会見を行った後(シンドラー社は原因はメンテナンスにあるとの見解で会見を行った)の報道番組でコメンテーターが「最後まで謝罪の言葉が無く誠意が感じられない会見だった」的な発言をしていた事に非常に疑問を感じました。(疑問というより怒りを覚えました)
何に対して謝罪しなくてはならないのでしょうか?自社製品に非はなく本当にメンテナンスに問題があったとしてもメーカーとして謝罪しなければならないのでしょうか?
事故が起きてしまったことは非常に悲しむべきことです、シンドラー社は今後、真の原因を究明し二度と事故を起こさないようにしなければならないと思います。

午前0時様、お便りありがとうございます。
『謝罪』という言葉の意味が異なっているのではないでしょうか?
中国問題でも、一般的な、日本人の謝罪の意味は『半世紀以上も前の戦争ではご迷惑をおかけしましたね』という程度でしょう。
他方、中国では謝罪するということは、もう今後あなたの家来になります、奴隷になりますと意味らしい。だから中国人にとっては『日本人が中国の家来になると言わないと謝罪したことにならない』そうです。
私はそのテレビを見ませんでしたが(というより全然テレビを見ません)、そのコメンテーター(どんな職業なのでしょう)が日本人の『謝罪』という認識で語っていたのかもしれませんが、先方は警察や消防が調査中であるならうかつなことを言ってはいけない、かつその言葉が今後裁判で取り上げられるかもしれないと考えるのは当然でしょう。
責任を負う人が謝罪するわけで、責任がはっきりしないでどういうふうに謝罪するのか論理的にも、実際上の対応もわかりませんね。
実は私も過去に車同士の交通事故にあったことがありますが、全面的に相手に非がありましたので保険会社から相手が入院している病院に見舞いに行かないようにと言われたことがありました。
午前0時様のおっしゃるとおり、何事か起きたら謝っていれば良いという対応は今の時代まったくそぐわないでしょう。


ピカドン様からお便りを頂きました(06.08.09)
佐為様、お久しぶりです。ピカドンです。
行政、元請、下請に批判が集中しています。当然の事と思います。
プールの監視員が学生のアルバイトだった事が悪い訳ではない。
またアルバイトの学生を責める事は出来ないでしょう。
泳げない学生を使っていたという事に関しても、業者のいい加減さから出ているものです。
最も責任があるのは行政担当者、そして丸投げをした元請だと思う。
民間の仕事であっても、取引相手である先方への礼儀を考えれば、丸投げ行為は慎むべきであると思う。特に今回は契約で丸投げを禁じられていた。
私自身も自社のポリシーとして丸投げは好まない。
設計やエンジニアリングに関わる事の場合、技術の漏洩にも成りかねないし、自社の技術力低下にも繋がる。
受注後に工程のズレ等によりやむなく納期遅れを出す場合がある時は事前に先方と協議し、それでもやむを得ない場合は、先方に話を通し許可を得てからするのが常識ではないでしょうか。
管理体制のずさんさが今回の痛ましい事故を起こしてしまったことは言うまでもありませんが、直ぐそこにある「危険」と言うものに対して人々が余りにも無防備である事ではないかと考えさせられる事故でした。
ただ、今回の事故で1つ腑に落ちないのは親は何していたのでしょう。
がっくり肩を落としているご両親を映像で見て、私も辛かったです。
しかし同時に、でもあなた方はそんな小さいお嬢さんをプールで一人で泳がせていたのですかと言う思いがありました。
こんな事を書くと批判集中かも知れませんが是については誰も何も言ってないのです。
確かに肩を落としている親を相手にその様な事をTV等で聞く訳もないでしょう。
小学2年生だったら、親がそばで補助しているのではないのかと私などは普通に疑問に思った。
子供を守るのはまた親の義務でもあります。浮輪はどうしたのか、フローティングベストはどうだったか、浮力を補うものは何もなかったのか、ニュースや記事を見てもその辺が良く解りません。
子供は宝物です。私も娘が小さい時よくプールへ連れて行ったものですが、プールに一緒に行って、小学2年生の娘のそばを私は絶対離れなかった。

ピカドン様、いつもご指導ありがとうございます。
問題の本質原因と丸投げその他の不祥事はリンクしていないのではないかと思います。
姉歯でもホリエモンでも政治でも、あいつはこんなことをしているから悪い奴だという論理がまかり通っているような気がします。真の問題とそういった状況証拠とは関係ないのではないでしょうか?
もちろん丸投げその他の問題は改善しなければならないでしょうが、そういったことをちゃんとしていたら事故が防げたわけでもありません。
ピカドン様がプールでの保護者の責任をおっしゃってますが、それ以外にも類似の問題は多々あります。
パチンコをしていて車の中の子供が熱中症で死んだとか、家に乳児を一人でおいておいて死んじゃったとか、日本では子供を監視する(悪い意味ではありません)という感覚がないようです。
以前、アメリカで日本人夫婦が子供を置いておいてパーティーに行った間に事故で死んで刑法罪に問われたことがありました。日本ではそういった感覚が全然理解されてません。児童虐待というと問題になりますが、子供だけで置いておくということも重大問題だと認識しないといけません。



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