ISOその3 2003.06.12
最近の体験です。
ISOの世界(業界?)では超有名な方で私が以前から尊敬していた方とたまたまお会いして、お話する機会がありました。
この方、マスメディアにも出る方です。 光栄なことであります。

いろいろな話をしていて、その方はその中でこんなことを言いました。
「新しい欧州の規制なんだが、その対応をISO9000でするかISO14000でするか社内で考えているんだ」
つまらないことで百年の恋も一瞬で冷めるといいますが、私はこの言葉を聞いて尊敬の念が一瞬で消えましたね!
有名とか無名とかということじゃなくて、ISO規格以前に、会社の仕組みとかマネジメントシステムとか経営ということをどのくらい理解して話をしているのか・・・・そういった全体的なことに私は疑いを持ったのです。
いったいISO規格をなんと考えているのでしょうか?
ISO規格とはなにかということをご理解されているのでしょうか?
ISO規格の値打ちはどこにあるのか?ご存知でしょうか?
その真髄は本文ではなく序文です。
本文には要求事項が書いてありますが、序文には精神が書いてあります。
精神を知らずに要求事項が理解できるのでしょうか?

いつも『行間を読むな!文字解釈せい!』と語っているジジイ  でありますが、この瞬間悟りを開きましたね!
キリスト教的論理のエッセンスであるISO規格は、悟りという超論理である仏教的なものと実は同じであったと!
いくら文言を読んでも理解できないものは理解できず、本旨をつかんだものは些事をしらなくとも規格の免許皆伝にたっするのだということです。

その後は上の空でこの方が審査員としてこられたらいじめ甲斐があるぞなんてことを考えておりました。
もっともいじめというのはいじめられる本人が自覚しないといじめが成立しません。
ご本人が唯我独尊ではこちらの一人相撲か独り善がり・・・

似たような例ですが、
中小企業のおやっさんが「当社でも会社の仕組みを見通しよくしたいと考えているんだ。それでISOをとろうと思うんだが、ISO9000とISO14000どっちがいいんだい?」と聞かれたことがあります。
うーーん、その心意気はいいんですが、
認証取得(審査登録)以前に会社の仕組みを考えるべきです。その結果ISOなんてわざわざすることがなければ要らないし、商売上入札条件なら審査を受けようかというものでしょう。
まあ、ISOの権威じゃないならば許す!
えーっと、
私はいつも申しておりますが、元々現場上がり、現場で仕事をしておりました。
語るも恥ずかしいことですが、さまざまな失敗を重ねてまいりました。失敗を棚卸すると棚からこぼれ落ちてしまいそうです。
  • たとえば図面改定があっのに、連絡が悪く旧図面で仕事をしてしまったこと。
  • 図面の書き方が悪く、誤読してしまったこと
  • 新人を入れたとき、指導が悪くやり直しが起きてしまったこと
  • 校正してない計器で測定して適正な検査ができなかったこと
  • 決裁が不明確で問題が起きて責任のなすりあいが起きたこと
  • 法で定められた記録がちゃんと保管されていなかったこと
  • 急いでいたので未決裁の図面で仕事をしてお客さんからクレームがついたこと
oldman1.gif いえいえ、これは氷山の一角
長い人生には長い惨めさがあるものでございます。 

もちろん、私は失敗した時、これを反省して工夫をしました。
  • 古い図面で仕事をしてしまった時は、現場に図面のレビジョン表を掲示して図面番号と改定レビジョンが誰でも判るようにしました。
  • 図面の書き方が悪くて誤読した時は、設計者へのフィードバック、図面の読み方の教育、間違いやすいところには注記を追加改定したなどでございます。
  • 検認してない図面は決して使わないことにすると同僚、部下に申し渡すとか・・・
そういったことを会社の規則や手順に少しづつ組み入れておりました。もちろん一監督者のレベルですからできることは高が知れてますが私はそのような努力と成果に誇りを持っております。
誰に習ったわけではなく、すべてが自分で考え改善してきた指導してきたという自負があります。

そんなことをしていて  ISO9001:1987 にめぐり合ったのは1991年です。
これを読みまして『いいこと書いてあるわい。品質改善のエッセンスだ!』と認識しました。
といってもISO9000がすばらしい仕組みと受け取ったのではなく、会社の仕組みにこれを組み込むべきであると受け取ったのです。ISO9000という品質システム(当時はマネジメントシステムなんて僭称してませんでした)を構築しようとしたのではなく、会社の品質保証強化のためにISO9000で定めている手順を利用させてもらおうと考えたわけです。


今日本ではISO9000やISO14000に関わっている人々はたくさんいます。
  • システム屋としてISO9000に関わった方
  • 品質管理をしていてISO9000にたどり着いた人
  • 公害防止や環境設備保全をしていてISO14001に関わった人
  • 老後の生活のために審査員になった方(本当にいます)
  • 英語が得意だという理由でISO勃興期に呼ばれた人(今でも英語は必要です)
ISOに関わった理由はさまざまでしょう、その理由に是非はありません。
動機が不純とか正統とか言われる筋はありません。
みんな聖書の前じゃなかったISO規格の文言の前では平等であります。

袖触れ合うのも他生の縁、同じ時代にISOに関わったのですから変な解釈をするとかISO規格を貶めるようなことはやめましょうや、


東洋でも西洋でも、一番大事なのはその精神、その精神をつかまないものは立派なことを語っても『本物』ではありません。
それは『贋物』です。



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