最近聞いた話である。
ある会社で子会社の監査をしたが、最終的に不適合を提示したのではなく、監査した結果、監査員が改善すべきと考えた事項を列記し、それらへの対応つまり是正するか否かの選択を被監査側に任せたという。なんでも監査行うにあたり、ISO14001規格に基づく監査ではないので監査基準を定めておらず適合不適合を断定できず、監査員の判断でそのように判定したといういきさつであった。
私はそれを聞いて、トンデモナイ、そりゃ監査じゃないだろうと思った。
お断りしておくがこの会社は私が勤めているところではなく、監査員は私の部下でも同僚でもない。もしそうであれば私は許さない。
監査基準なくして監査はありえない。いかなる監査でも、親会社が子会社に対して行う監査といえど、監査員は絶対者ではなく、言いたい放題ではない。そして適合・不適合を判定できなければ監査ではない。
第三者審査に限らずいやしくも監査と称するなら、二者監査であろうと一者監査であろうと監査というものはまず監査基準があり、それに照らして適合か不適合かを判定することだ。監査前に監査基準と判定基準を明示せずに行うことはありえないし、そのような調査あるいは行為を監査などと称してはいけない。
ISO19011:2002 による監査の定義
「監査基準が満たされている程度を判定するために、監査証拠を収集し、それを客観的に評価するための体系的で、独立し、文書化されたプロセス」
上記の事例ではもう出発点から監査の定義を満たしていないではないか!
ISO規格に基づく内部監査においても、まず監査基準と判定を説明し合意を得てから実施しているのではないですか?
まさかそれをしてないなんて方は・・・
もっとも、ISOの第三者審査においてもオープニングミーティングで監査基準とか判定基準を明示しない審査員がたくさんいる。正直言って私はそのようなISO審査をたくさん見ている。
だから、世の中の水準はその程度だと思えば一般の企業の監査員が冒頭のような監査(?)を行っても目くじらをたてるべきではないのかもしれない。
親会社あるいは本社が子会社や工場に対して監査を行うとき、オープニングでまず監査基準を被監査側に示し、同意を得なければならない。親会社・本社なのだから子会社・工場の同意を得る必要がないとか反論できるわけがないとおっしゃるかもしれないが、そのような言いたい放題のイベントは監査ではなく弱いものいじめ以外の何者でもない。監査と称するなら監査基準を示し同意を得るというプロセスを経なければならない。
問題点を提示するだけで実施するかしないかは被監査側が取捨選択する、という方式を監査といってはいけない。
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もちろん品質改善の指導とか環境リスクの点検や評価をしていけないというつもりはない。それはそれで重要であり、定期的に行うことが良い。しかし監査基準に基づく適合不適合の判定ではなく、現状を調べて一層の改善を目的として指導とか問題提起を行うことを監査と称するべきではない。
昔からそういったものは、品質診断 QC診断 品質指導 安全診断 リスク点検 現場診断などなどと呼ばれていた。
しかし決して品質監査とか環境監査とは言ってはいけない。
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私の仕事では、外部から監査などを受けたことがない会社の監査をすることがある。監査を受ける会社側はいったい何を聞かれるのか? どういうことになるのか? と不安で疑心暗鬼であるのが普通である。
私はここでは乱暴な論を書いているが、正直言って紳士である。
初対面のそういった心理状況の相手に、監査の目的、監査基準、判定とその結果の対応方法を説明し同意を得ることが第一の仕事である。もちろん同意を得なければ次に進まない。そういったステップを経ることにより、監査結果に納得していただけるし、進んで是正処置をしていただける。
監査側が一方的に権利を主張し高圧的に判断を押し付けても、被監査側が監査基準を理解し同意していなければ、監査の結果提示された不適合が問題であることを理解できないだろうし、当然是正処置の必要性を感じないだろう。親会社から言われたから仕方がないというだけであれば形式上の是正処置はともかく対策が定着するわけがない。
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どのようなコミュニケーションにおいても、提案が相手の利益になることを示すことによってのみ相手を動かすことが出来る。
ピストルは人を止めることができるが、人を動かすことは出来ないというフレーズがイアン・フレミングにあったような気がする。
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じゃあ「第三者監査では指導
(コンサル)してはいけないが第一者監査なら指導が許される」というのはどういう意味かといえば、不適合に対する是正方法の指導や改善案の指導をして良いということではないか。監査の結果「不適合」とするのはあくまでも事前に提示し了解を得た監査基準に基づくのである。
不適合でない改善を推奨することは第三者審査でもしているので第一者・第二者に限らない。
しかし、こんなベーシック、普遍的なことさえ知らないで、監査
(もどき)を行っている人がいるということは驚く。監査を遊び半分にしないでほしい。
冒頭の監査をした方は、内部環境監査や内部品質監査においても監査基準を尊重した厳正な監査を行っていないのではないだろうか?
あるいは 適合性ではなく有効性監査をしているんだ、いやより高度な効率性の監査を行っているのだと語っているのかもしれない。
有効性監査ということが私にはどのようなものか分からないが、多分それは監査員が有効であるかどうか判断することではないと思う。想像するに有効性を判断する監査基準を定めてそれへの適合を判定するものだろうと考える。そして更なる想像であるが、適合性監査をできない方が、有効性監査ができるはずはないと思う。
- 補足1
監査を行うにあたっては、当たり前であるが監査側が監査を行う論理的根拠がなければならない。
ISOの審査は組織が規格適合を判定してもらうために、審査登録機関と審査契約を結びそれに基づいて行う。その契約の中でISO規格、IAF規格、認定機関及び登録機関の定める規則に基づいて行うことを記述している。
ISO規格で定める内部監査であればその目的の第一義は審査登録を受けるための必須要件であり、また会社を良くするために行うのである。そして監査基準や詳細手順を会社規則あるいはマニュアルに記述しているはずだ。でなければ規格に不適合である。
なぜ親会社が子会社あるいは工場を監査する権利があるのか、しなければならないかを理解しているのだろうか?
会社法を持ち出すまでもなく、本社・親会社は工場や子会社の管理責任を持ち、下部組織に問題が起きたときは上位組織が社会的に責任を追及されるからである。権利と義務は表裏。義務を負うからには管理する権利がある。だから法律を遵守し、また親会社の方針が周知展開して活動していることをチェックしなければならないのだ。
監査員が主観で改善すべきことを羅列して、被監査側が適宜選択していいよ・・・ということは、その監査の目的、意図をまったく無視しているとしか言いようがない。
そして親会社が子会社あるいは工場に行う監査手順は、会社の規則でその監査基準と方法を記述していなければならない。でなければ子会社あるいは工場といえど論理的に受け入れる必要がない。
そして監査の実施に当たっては親会社の監査部門は子会社あるいは工場に対して、監査基準と不適合あったときの是正処置手順を説明しなければならないのである。
もし、そのような仕組みがなく監査を行っているのであれば
・・・・レベルが低いと断言する。
- 補足2
昔からの品質保証の観点だけでなく、現在はRoHS規制、製品安全などの観点から、更には製造委託先で不当な労働条件で生産していれば社会的に糾弾されることから、調達先の監査を行うことが広まりつつある。
そのような場合も、監査を行う論理的根拠、監査基準、手順を決めておき、被監査側にその手順を納得していただいて実施しなければ子供の遊びである。
右顧左眄様からお便りを頂きました(08.03.11)
監査基準なき監査
基準なき監査は混乱の元ですが、基準を作ることの出来ない社会は最悪です。
世の中では「サプライチェーン全体の管理をしなければならない」という風が強く吹いています。
「教育機関は生徒の行状のすべてを管理して将来にわたって問題ないようにしなさい」といっていうような海鳴りも聞こえます。
これらの管理量を増大させる時流に対し、何を管理したら十分なのか、こたえられる基準がありません。
しかも周りから見れば何から何まで ざる に見えるように社会の評価の仕組みがかわってきています。
監査は限られた範囲にしか影響を及ぼせないものだから、かならず漏れるところがでてきます。それをカバーするのは?被監査側の経営層の力量です。
そういう経営層と共同の仕事ができても、?監査員に力量がなければ字面の監査になってしまします。
そして?、?の教育ができる指導者を教育できる教育者の力量を評価できる?有徳者が必要なのです。
で、?、?、?いづれも供給不足ですから、結果的にざるからもれちゃうんですよね><。
管理及ばずに腐った組織は自身へのダメージは当然のことでも、ステークホルダーへのダメージが混乱に輪をかけるです。
バベルの塔がくずれるとき誰が生き残るのでしょうか。はたまた、崩壊をくいとめることの出来るルーラーがいるのでしょうか。
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右顧左眄様 毎度ありがとうございます。
うーん、難解ですね
なぜサプライチェーンの管理をしなければならないのでしょうか?
今は化学物質管理をはじめとして環境とか安全衛生が厳しく要求されるからでしょう。
ではそれを実現するにはどうすべきか?となりますが、監査で達成できるなんてことがあるはずはありません。
右顧左眄様がおっしゃるように、監査は抜き取りであるということではなく、警察だけで良い市民を作ることはできないからです。
良い市民を作るには、良い家庭、良い学校、良いコミュニティがなければなりません。
サプライチェーンをしっかり管理するには、関わる全ての人にその理由を教え、それに協力する動機付け、そして評価するという仕組みとしかけがなければなりません。
それなくして監査だけを論じても無理でしょうね
右顧左眄様からお便りを頂きました(08.03.17)
監査基準無き監査
警察だけで良い市民を作ることはできないからです。良い市民を作るには、良い家庭、良い学校、良いコミュニティがなければなりません。
監査基準の話しのなかに、上のような文章がサラっとでてくるとほっとします。
先生のことですから、二ひねりくらいの技が入っているのでしょうが、私は単純に「そのとおりだ」とさけびます。
社会の一員として生きてくメンバーの教育計画と進捗フォローはどうあるべきなんでしょう。電車の中で他人を叱るくらいではおいつかない><基準すらあいまいなんですから。;;
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右顧左眄様 毎度ありがとうございます。
一ひねりも二ひねりもありません。表裏ないのが私の特徴です。
みんな正直に地のままで生きていけるような単純素朴な社会に戻ってほしいと思います。
水戸黄門なんて見ていると、そんな子供みたいなと思いますが、相手の裏をかんぐったり、建て前と本音を使い分けたりするのは現代の悪弊なのではと思ってしまいます。
まあ、夢みたいな話ですが
右顧左眄様からお便りを頂きました(08.03.20)
日経エコロジー2008.4月号に「再生紙偽装の真因」という特集がありますが、真因とか言っている割には甘い分析にとどまっているのはいろいろしがらみがあるのでしょうね。
それはそれとして、記事の一部に「環境性能基準を満たす=メーカーからの自己申告」だったのを「申告内容に虚偽が無いことを示す社長直筆の誓約書を添付」を協議中とあります。
これってとても水戸黄門的になってきたと水戸黄門ファンとしてうれしくなります。
環境品質を保証する仕組みを社長の直筆で保証するわけですから、直筆を得るための社内決裁書規程でもつくるんでしょうね。
この場合監査基準は「真筆かどうか」になるんでしょうか。筆跡鑑定が監査員の力量として必要になる時代がくるかもしれませんね。
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右顧左眄様 毎度ありがとうございます。
しがらみ! あるでしょうねえ・・
広告代もあるでしょうし、今まで環境配慮企業と持ち上げてきたこととの整合性もありそうですし・・
社長直筆
案外、これは日本独特じゃなくて、西欧文化なのかもしれません。昔のことですが、私が品質保証を担当していた時、外国のお客様から「有害物質がないという役員の宣誓書をつけろ」なんて文書が来たことがあります。
役員!?当社にそんなのいたっけか?
あの社長でよいのか?なんて(汗
もっともサインがあれば信頼性があるのか? 裁判になったとき証拠になるのか? 私にはわかりません。
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