「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
一読されて、いかがな感じをもたれたでしょうか?
「そのとおりだ!、なるほど、いいこと言っているわい。」と思われたでしょうか?
確かに間違ったことは書いてないようですが・・・・・・
では、分析開始
私の考えですが、二つの文章からなる12条はもともと本文に入れるべき内容じゃないような気がします。これは国民に対する公徳心の期待であり、憲法本文が規定するような性格じゃありません。
- 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」
この直前の憲法11条で「この憲法は・・・・永久の権利として、現在および将来の国民に与へられる。」と言っています。
「永久に与える」と言っておきながら、「国民に不断の努力を求めている」のは論理的につじつまが合わず『偽』であることは明らかです。
「国民に不断の努力を求めている」ならば元々与えてないことじゃありませんか!
「保持しなければならない」のであれば不断の努力をしないと国家が基本的人権を取り上げてしまうのでしょうか?
この条文だけでなく、この憲法が論理的じゃなくつじつまの合わない箇所が多々あります。
私の結論は護憲、改憲の議論以前に憲法の文言の再点検と理解できるように修正が必要ですね
- 「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
子供にお金を与えて、「好きに使っていいよ」と言えば『お金を上げた』と言えるでしょう。「何々を買ってきなさい」あるいは「ゲームソフトを買っちゃだめだよ」と言えば『お金を上げたことにならない』でしょう。それは買い物を指示したに過ぎません。
組織論から言えば規則で実施手順を定めているならば権限を委譲したとは言えません。
11条12条を考えると『基本的人権を与える』と言いながら、『濫用せず、公共の福祉に使え』というならば基本的人権を与えていないことになります。なぜ、個人の幸福追求、利益追求に使っちゃいけないんですか?
ちょっと待ってください、
基本的人権とは何でしたっけ?
自由、所有、安全、平等、参政権、などですよね、これらは過去の成立過程を顧みれば決して公共の福祉のために要求し勝ち取ってきたものでないことは明らかです。
これらは市民が自分たちの当然の権利として文字とおり戦い勝ち取ってきたものであります。
すると、この憲法の文言は支離滅裂であるとともに論理的にも破綻しています。
私の論理を「重箱の隅を突っつく」とか「言葉尻を捕らえて!」と言う方がいるかもしれません。憲法解釈にそんな細かいことを言うべきじゃないというかもしれません。
でも歴史に残る書物、憲法はいかなる検証にも反論にも耐えることができます。そうでなければ歴史の中で捨て去られてしまうでしょう。例を挙げます。
- 聖書をご存知ですか?私は真言宗ですが旧約、新約聖書は愛読書です。中学時代から読んでいます。読むたびに味があり何度も何度も読み返すので新約聖書は今三冊目となりました。
さて聖書は創世記からマラキ書まで重箱の隅を突っついても、言葉尻を捕らえても破綻しないんです。整合性って言葉がありますね、部分がすべてかみ合っていて矛盾する箇所、つじつまのあわないところがありません。だってあたりまえですよね、新約は2000年、旧約にいたっては3000年もラビ(ユダヤ教の聖職者)や神父、牧師その他ありとあらゆる信者や反対者に読まれ批判的な観点からも検証されてその結果今に残っているのですから、
日本国憲法をユダヤ教のラビに検証を依頼したら前文のところで放り投げられてしまうでしょう。
- ISO9001あるいはISO14001ってご存知ですか?
実は私はこれで飯を食っています。この国際規格は世界中の関係者によって一語一句が徹底的に検証されています。矛盾はまあないでしょう。そしてこの規格によって企業や組織の品質システムや環境マネジメントシステムが審査され、評価判定されています。よって、Aさんの審査とBさんの審査に質的な差は出ないはずなのです。
−実際は審査員のバラツキが問題になってますがね(^^)−- アメリカ憲法を読みなさい。アメリカ憲法は現時点最古の成文化憲法と言われています。この憲法は成立から200年以上幾多の修正がありますが、各条は具体的であり主語述語が明確です。GHQも日本に新憲法を要求したならせめてアメリカ憲法くらい具体的で明確なものにすればよかったのにね、
そうすれば日本の国語教育も論理的な考えの上で今より憲法が役に立ったでしょうに、
「憲法のような文章を書きなさい」と言えたらすばらしいことではないですか。
現実には「憲法のような文章を書いちゃいかんよ」としか言えません。残念なことです。
憲法をはじめ法律は「○○は△△する」「□□は○○しなければならない」という文言であるはずで、「○○すべき」とか書いちゃいけません。
ましてや論理的に整合してなくては論外です。
もちろん、趣旨としては正しいことですし、なくともいいとは思いますが、削除すべきとまでは言えません。
どうしても憲法に記述したいならこれは憲法前文に入れるべきです。
想像ですが、終戦後憲法を作ろうとした人たちは、日本国民が無制限な自由と誤解し、道徳や公徳心のない無節制な行動を恐れてこの文言を憲法本文に入れたのではないでしょうか?
本日の結論
この条文は削除し、趣旨を前文に盛り込むべき
kimtak様からお便りを頂きました。(07.05.14)
初めまして。
12条は私がとても愛している条文なので「こんなのいらない!」と言われると悲しいです(笑い)
フランスでは国民は主権を得るために、王様と流血の戦闘をしなければなりませんでした。一方ドイツではワイマール憲法で与えられた国民主権は独裁者によって簒奪されました。
日本では(米国の圧力もありましたが)陛下が畏れ多くも主権を我々国民に禅譲くださり、我々国民は血を流すことなく国民主権の恩恵に浴していますが、本来は「国民主権は血であがなう物」です。
そして「政治家に『主権簒奪』されないように常に政治家を警戒して国民主権を防衛して、次世代に受け継いでゆかねばなりません」
つまり、日本には「愚民どもが主権者」で「選良たるオレ様政治家が公僕(国民の下僕)」である事が納得できない「主権者を舐めた国家主義政治家」が実は沢山いるので、そういう連中に「主権簒奪されて、主権者の玉座から蹴り落とされないよう警戒し国民主権を防衛して無傷で次世代に引き継ぐのが主権者の責務」と規定していると言われています。
武力の後ろ盾がなければ、条約が破られるように、憲法に定める国民の自由を権利も、それを蔑ろにする為政者が現れた場合、国民が主権者として選挙権や武力を行使して苛烈に懲罰を加えることができなければ空証文になってしまうので、この憲法12条はとても大事な主権者の責務です。そして管理人さんも主権者の1人なので、憲法12条に規定された主権者の責務に従って是非「国民主権の自主防衛」のPRをよろしくお願いします(笑い
なお、ここで言う「公共の福祉」とは「他人の人権と衝突しない限り」の意味で公僕が「公共の福祉」を理由に主権者の生命・自由・幸福追求の権利を勝手に制限する事を禁じています。
ドイツ連邦共和国憲法やフランス人権宣言を見ても同じです
英米法の法体系は大陸法とは異なっているので、下記御参考までに
http://www.fitweb.or.jp/~nkgw/dgg/index.htm
法曹関係者によれば、自民党案はここが「公益・公の秩序」に置き換えられているが、(一見大した変更に見えないが法律的には大変更で)、自民党が我々国民の生命・自由・幸福追求権を制限できる内容になっている・・とのことです。
公僕が主権者の神聖な自由や人権を弄ぶ僭越は許し難いものがありますkimtak様 お便りありがとうございます。
「国民主権は血であがなう物」というお言葉にまったく同意です。日本人は血であがなうことなく無償でいただいてしまったので、かえってその価値を理解していないのでしょう。
「あがなう」とは「購う」、すなわち金を払って手に入れることです。
しかし、12条の存在意義はそれとはまた別
kimtak様 どう考えてもわざわざここにグダグダと書く必然性があるとは思えません。
お断りしておきますが、40年前人生を機械製図工として出発した私にとって、無用の線や図面記号を書くのは許しがたいことです。
そういう図面を書くのは腕の悪い製図工に決まっているのです。
QSR様からお便りを頂きました(09.03.07)
脱線失礼します
始めまして。
憲法12条についてサーチして、こちらのページを拝見しました。
12条は9条至上主義者撃退に便利でよく使っていたので、ちょっとショックです(笑)
本論と無関係の事で恐縮ですが、聖書に関して突っ込みを入れさせて頂きます
以下、神話と考えても無視できない箇所を列挙してみます。
・・・とまあ、数ページでこんな調子でしたんで、私は聖書は創世記だけで放り投げた口です(笑)
- 神さまは嘘つき編
- 創世記 2-17 → アダムもイシャーも死んでない。
というか史上初の嘘吐きは貴様か、神よ。
契約にうるさい割には「前科あり」じゃないか。- 同 17-1 → 同6-7で創造を後悔しておいてどの口がほざくか。
- アダムの系図編
- 創世記 5-3 → 長男と次男を省略するのはどうかと。
- 同 4-17 → カインの妻は誰?カインの他にノドに行った奴いるの?
- ノアの洪水編
- 創世記 6-19 → 同7-2 結局、何頭づつ保護しろって言ってんの?
- 同 7-17 → 同7-24、同8-2 雨降ってたのって40日?150日?
- 同 8-11 → 150日間水没してたのに植物は枯れなかった?
それとも14日で発芽して「枝」が形成されるほど成長した?
種子は流されなかったとでも?
以上、駄文失礼しました。QSR様 お便りありがとうございます。
でも、いけませんねえ〜
神を疑った者は・・・地獄に落ちまっせ
私は地獄に行きたくないので、聖書は信じないのではなく、都合の良いところだけ利用させていただいております。
信じる者は救われる・・アーメン
StraySheep様からお便りを頂きました(2013.04.07)
日本国憲法 第12条について
高校の頃にもらった「憲法の解説」(一橋出版)を見ていて思ったんです。
憲法第十二条にでてくる公共の福祉って何だろう。
みんなが良くなる為に存在するんじゃないのか?
憲法が国民に保障する自由及び権利は、これを乱用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。
本当に個人個人の権利の衝突した時に、これを避ける為だけにあるという解釈で合っているのだろうか。常に利用する責任を負う・・・。
【福祉】多くの人々の幸い。幸福。
【公共】社会一般。公衆。
【公衆】世間一般の人々。
【公衆道徳】公衆の一人一人が守るべき道徳。
【道徳】人の踏み行うべき正しい道。
社会一般の多くの人々の幸福の為に利用する責任を負う。
という解釈も出来るのではないか?
自分のためだけでなく、他の人のためにも利用するという事じゃないのか?
しかも、その責任を負う。これは利他愛精神を言っているのじゃないのか?
それも常に・・・いつでも他人の為になる事を為せという事じゃないのか?
そんな考えがずっと無視されてきたのか?そんなんでいいんだろうか?
そんな事がふと浮かんだんですか、この思いはおかしいでしょうか?
それとも皆が持ってる疑問なのでしょうか?StraySheep様 お便りありがとうございます。
私は法律を勉強したこともありませんし、憲法に詳しくもありません。
しかしこの問題には断言できます。なぜなら日本の憲法を理解するには、国語辞典を引いたり、言葉の意味を考えても意味がないからです(ダジャレではありません)
日本国憲法を理解するには、英語原文を読んで解釈するしかありません。それが現実です。
では憲法12条はどうなのか?となれば、次の通り
The freedoms and rights guaranteed to the people by this constitution shall be maintained by the constant endeavor of the people, who shall refrain from any abuse of these freedoms and rights and shall always be responsible for utilizing them for the public welfare.
福祉も公共も公衆も、元の英語の単語をみて、その英語での意味を基に解釈すること、それが唯一の道です。
良く考えてませんが、だいたいのところですが・・
福祉の元の言葉は「welfare」ですが、それを福祉と訳さずに、英英辞典で引くのです。
ちなみにlongman辞典では
1 someone's welfare is their health and happiness:
2 help that is provided for people who have personal or social problems
3 American Englishmoney that is paid by the government in the US to people who are very poor or unemployed
これらをみて文章の意味を理解するしかありません。公共も広辞苑などを引くのではなく、英文憲法の元の単語を英英辞典で引いて考えます。
本日は旅から戻ってきたところで時間がありませんので以上でご勘弁願います。