第19条2001.12.01
「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」

はたしてこれは日本語なのだろうか??
これが日本語ならば私は日本語を理解できない!

まず、誰が主語なのか?
第3章「国民の権利及び義務」にあることから考えると国民の権利を記述しているのか、国民の義務を記述しているのだろう。
前者とすれば主語は「国」とも思えし、後者とすれば「国民」とも思える。どちらでもありそうだが、この条文からでは主語は分からない。
原文の読み方として主語を追加することは許されない。

次の疑問、
「思想の自由」って分かるけど、「良心の自由」って理解できます??
広辞苑によると「自分の良心に反する信念や行動を強制されないこと。多くの国の憲法で保障されている。」とある。
想像するに外国語で書かれてる「良心の自由」はきっと別な日本語に訳すべきなのだろう。今後外国の憲法で「良心の自由」に相当するのがなにか調べたいと思います。

いずれにしても主語のないこの文章は理解不能です。

私の結論

理解不能




12月28日追加 憲法の英訳を入手しました。
それによると19条は、
Article 19. Freedom of thought and conscience shall not be violated.
となっており、受身で書いてあります。
疑問ですが Freedomは”thought and conscience”の両方なのか、”Freedom of thought” and conscienceなのかいまいち分かりません。後者とすると、何のことはない「思想の自由と良心(原意は秘密だろう)は犯されない」である。
気高く「良心の自由」と宣言した趣旨はやはり分かりませんでした。



1月5日追加
小室直樹の「痛快憲法学」によると憲法は国家権力を規制するためのものだそうだ。そうすると、この文章の主語は「国」になるはずである。
しかし、アメリカ憲法で相当すると思われる修正第一条は
「連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない」
であり、日本国憲法の日本文とも英訳文とも相当な違いがある。
主語の有無にかかわらず「良心は犯されない」とはまあ、宗教的あるいは内心的な言葉であり、「法律を制定してはならない」とは即物的、具体的である。
どっちが法として理解しやすいかは言うまでもない!
これから考えるとやはり19条の意味はもともと相当な混乱があり、まともには理解できそうない。


1月19日MR.Sからメールをいただきました。
グリーン文字は任田追加。他は原文のまま

Freedom of thought and conscience shall not be violated.
思想及び良心の自由は, これを侵してはならない
Conscience shall not be violated.
この場合(英語として)少しおかしいそうです。
良心を侵す? 此れはどう言う状態なのでせうか?
良心の自由、この自由があることが重要で、この自由を侵してはならない事を言つているのでせうね。
また、思想はこれを侵してはならない、ではおかしいでせう。
それで、思想の自由は, これを侵してはならない。
これから、
Freedom of thought shall not be violated.
Freedom of conscience shall not be violated.
の二つの文章を
Freedom of thought and conscience shall not be violated.
としたのである様です。
ですから、日本國憲法第19条のとおりに解釈せねばならない様です。

Conscience はあなた様の辞書の様に「善悪を知らせる道徳意識」の様です。
"良心"について私が理解すること。
良心は善悪の見極めでせうが、ここではすでに悪を除ひた心のみでの権利を言ひます。
良心は各個人が持つことで、その良心(その一つの善悪の判断義務obligation)は各個人が責任をもち行ふことが必要でせう。そのことで各個人がその良心の恩恵を得らるるでせう。
重要なのは、各人が良心を持つことで、それは個人の権利でせう。
その人がその人の良心を表現しなければ誰もその人の良心を理解出来ないでせう。
その人の理性(mind)の内はその人の他には誰も測り知ることは出来ないでせう。
ですから、他(政府とか権力者)からその人の良心に反する"此れでなければならない"と強制されるものではないものなのです。
これが良心の自由を求める意味の様です。
多分この憲法文章を作成された方は、昔時、権力者が良心と言う名で権力者の都合の良い事を非権力者に強制させていたのを止めさせることを考えた様ですね。

ご理解なされましたか。多分せられないでせう。それは私がうまく良心を説明出来ませぬからに外になりませぬ。ごめんなさい。
ご教授ありがとうございます。
そうしますとますます憲法としての記述として不適当な気がします。
合衆国憲法でこれに相当するものは修正第一条(The constitution amendment 1)と思われます。
日本憲法の「良心の自由は侵されない」に比べでて、アメリカ憲法は「make no law」で現実的・具体的で法律としてあるべき姿ではないでしょうか?
いかが思われますか?


D介様からお便りをいただきました。(08.04.07)
信教の自由との矛盾
親に無理矢理強制されたら参加するしか無いよね。
だけど国民は何人も個人として生活し、信教の自由も持っている。
なので、矛盾を生じさせないためにも必要
D介様 お便りありがとうございます。
私が子供の頃のことです。知り合いにクリスチャンの方がいて、生まれた子供に洗礼をしまして、それを聞いて私は子供がかわいそうにと思いました。なぜって、まだ何も考えられないのにキリスト教徒にされちゃったのですから・・
でも考えてみると、私は仏教徒であると心底思っておりますが、なにもたいそうなことではなく、生まれてから親に葬式、法事、墓参りなどで刷り込まれたにすぎません。
信教の自由といっても、我々人間は文化と言えば聞こえがいいですけど、結局親や周囲に感化された結果でしかないようです。
そう考えるとすべては相対化されるのでしょう。
もちろん信教の自由はあるのですが、本当に自由である人がいるようには思えませんが?

日本国憲法の目次にもどる