第20条1項2001.12.28
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」

この条項は三つの文から成り立っています。


私の提案する20条1項修正案

「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
国は国家に殉じた人を祭るものを除き、保護を与えない。」
でいかがでしょうか?





IQ88様よりお便りをいただきました。(2003.11.26)

佐為さん、こんにちは。
さて憲法20条ですが、政党を除名されても人は生きていけますが、宗教を除名されると生きられない人もいますので、普通2つを一緒にしてはいけないと思います(笑)。
宗教と政党は別か同じかという問題提起
考えてみると私には区別があるとは思えない。

もちろん日本の場合だが、

日本は政党とは正当であり家元制度のように連綿と続くと考えられがちであるが、外国ではそうではない。
韓国では政治家個人が政党を作り、後継者はまた別の政党を作るということは珍しくないというか、普通のことである。ペルーのフジモリ大統領も自分で政党を作っている。
そう考えると小沢一郎はまさにその姿勢であって不思議でもなんでもない。
一方、特定の政党を支持し、それが先細りであっても傾いても離れることができない人も多い。これは特定政党を信じるという宗教だろう。
寒風吹きすさぶ駅前でティッシュ配り・・・もとい・・・革新政党のビラを配らんとして若い通勤者に振り払われるのを見ると宗教を信じて伝道に努めている姿としか思えない。
インターネットの社民党の掲示板ではいかに社民党を立て直そうと議論されているが、社民党の理念を広めるにはどうしたらいいか?という意見と時代に合わせようという意見の縞模様である。
社民の理念を広めようとする人々は社民教徒に違いない!
しかしまてよ、社民の理念っていったいなんだ?
拉致された人を犠牲にし、北朝鮮に貢ぐことをいうのだろうか?
具体例としましては
  5人10人拉致されたと騒ぐんじゃない!とか・・・・
  不審船を攻撃してはならない!とか・・・・・・
ところで、宗教にはパターンがある。開祖は過激な考えでカルトでありカリスマでなければ他との差別化はできず、そうであることが要求される。そしてそういったタイプは変化することができず、また回りから変化することは許されずいったんその宗教の基礎が見えてきたらそうそうに去っていかねばならない。ほとんどの場合最後は非業の死という形を取る。
そしてそれを継ぐのははじめは過激な活動家であることが必要であるが、リーダーとなった後は過激さを表に出さずに穏健な管理者能力を発揮し内部外部との調整を図っていかなければならない。
ということなのだが、民主党はこれに当てはめるとどうだろうか?
民主党が宗教団体になるか、政治団体になるのか私は来年中に決まるだろうと思う。

ということでIQ88様、回答になったでしょうか? 



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