「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」
この条項は三つの文から成り立っています。
- 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」
これは簡単に理解できます。「誰でもいかなる宗教を信じてもよい。」ということであります。もちろん、その前提として、12条と13条がありますから「濫用してはいけなく」かつ「公共の福祉に反しない限り」という範囲内であります。
すると、他人に迷惑をかけるような”以前の”オウムは刑法以前に憲法に違反していることになります。
いずれにしろ我々日本人はよかったですね!好きな宗教を信じることができて!
あたりまえだって?そんなことありませんよ。天草じゃ宗教のために大勢の人が死にましたよ。インカ帝国もキリスト教のために壊滅されました。今現在、イスラム原理主義者が他宗教に対して宗教戦争を仕掛けています。
過去をたどれば暴力を用いなかった宗教なんてありません。
自分が信じる自由を相手にも認めることができないと悲劇と言うか破滅ですね。松村 劭さんの本にありました。
宗教の勧誘に来た人が「私の進める宗教を信じれば戦争がなくなる」と言う。
松村さん曰く「私が一番、あなたが二番というから戦争がおきる。あなたが一番、私が二番と言えば戦争はおきない。」と
勧誘者は黙ってしまったそうです。- 「いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならない。」
額面とおり受け取ればそうなんでしょうけど?
例えば靖国神社というものはすでに日本の精神的風土となっています。国に命を捧げた人を祭っているところははっきりと国が管理すべきでしょう。
これ観念論で言っているのではありません。
私には戦死した叔父が二人います。親父が生きていたときは親父が彼岸、お盆に線香を上げていました。今は私が生まれる前に死んだ二人の墓守をしております。私の子供の代になったら無縁仏でしょう。
国のために戦い、結婚もせずに中国で戦死した人をそんな粗末にすることが国家として許されるでしょうか?
新しい慰霊の施設を作るなんて馬鹿なことはやめてください。
平和、平和と口先ばかりで、現実に国家のために命を捧げた人をないがしろにする人たちは倫理的に欠陥があります。
- 「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない。」
これは正しいでしょうか?
私は政治団体、結社も宗教団体と違わないんじゃないかって思います。
宗教と思想の違いってあるんでしょうか?
かって、「神は死んだ」と言った人がいます。言い方変えればこれは「キリスト教じゃなく私を信じろ」ってことでしょう。感心するような理論じゃなくて、単なるわがまま坊主の独りよがりに過ぎません。
共産主義国家なんて宗教の代わりを共産主義がしているに過ぎません。北朝鮮じゃ個人崇拝ですから原始宗教じゃありませんか!
そもそも、宗教の定義って何ですか?
社民党の主義主張を検討しますと、ひたすら中国、北朝鮮をあがめるだけで、国政上の具体的活動目標、手段が明確でなく私にはとても政党とは思えず宗教のように見えます。
別な見方として、宗教の三要素は「仏法僧」すなわち、本尊、経典、伝道者がいれば成り立ちます。
社民党に当てはめてみますと、
本尊はかってはクレムリンでありました。今はペキンの天安門でしょうか?
経典、これは資本論からはじまり殉教し、投獄された先人の書物ならたくさんあります。表向きは日本国憲法も経典に取り上げていますが、最近幹事長がこれはいけないことが書いてあると語っており焚書になりそうです。
伝道者、これはご存知のとおり、人気のある女性をあつめて布教にあい務めています。
まじめな話、社民党と新興宗教の違いはありましょうか?
私には見分けはつきません。
さらなる類似点は論理で説明つかないところは信心によって納得してしまうというワープ現象が見られることです。
現存する政党と宗教の違いが明確でないならば、宗教団体も政治にその力を行使することは当然の権利です。私は創価学会じゃありませんが、宗教団体が政治上に影響を及ぼすことが悪いこととする理屈が見いだせません。
これが悪いとするなら政党の体をなしていない団体は政党と認めないとする条文が必要です。(^^)
神社仏閣が国家予算で運営されるのは明らかにおかしいですが、「自由神道党」とか「臨済民主党」が存在してもおかしくないと思います。
ドイツには「キリスト教民主党」もあるし「緑の党」なんていう過激派宗教の政党もあります。
私の提案する20条1項修正案
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
国は国家に殉じた人を祭るものを除き、保護を与えない。」
でいかがでしょうか?
IQ88様よりお便りをいただきました。(2003.11.26)
佐為さん、こんにちは。
さて憲法20条ですが、政党を除名されても人は生きていけますが、宗教を除名されると生きられない人もいますので、普通2つを一緒にしてはいけないと思います(笑)。
宗教と政党は別か同じかという問題提起
考えてみると私には区別があるとは思えない。
もちろん日本の場合だが、
日本は政党とは正当であり家元制度のように連綿と続くと考えられがちであるが、外国ではそうではない。
韓国では政治家個人が政党を作り、後継者はまた別の政党を作るということは珍しくないというか、普通のことである。ペルーのフジモリ大統領も自分で政党を作っている。
そう考えると小沢一郎はまさにその姿勢であって不思議でもなんでもない。
一方、特定の政党を支持し、それが先細りであっても傾いても離れることができない人も多い。これは特定政党を信じるという宗教だろう。
寒風吹きすさぶ駅前でティッシュ配り・・・もとい・・・革新政党のビラを配らんとして若い通勤者に振り払われるのを見ると宗教を信じて伝道に努めている姿としか思えない。
インターネットの社民党の掲示板ではいかに社民党を立て直そうと議論されているが、社民党の理念を広めるにはどうしたらいいか?という意見と時代に合わせようという意見の縞模様である。
社民の理念を広めようとする人々は社民教徒に違いない!しかしまてよ、社民の理念っていったいなんだ?ところで、宗教にはパターンがある。開祖は過激な考えでカルトでありカリスマでなければ他との差別化はできず、そうであることが要求される。そしてそういったタイプは変化することができず、また回りから変化することは許されずいったんその宗教の基礎が見えてきたらそうそうに去っていかねばならない。ほとんどの場合最後は非業の死という形を取る。
拉致された人を犠牲にし、北朝鮮に貢ぐことをいうのだろうか?
具体例としましては
5人10人拉致されたと騒ぐんじゃない!とか・・・・
不審船を攻撃してはならない!とか・・・・・・
そしてそれを継ぐのははじめは過激な活動家であることが必要であるが、リーダーとなった後は過激さを表に出さずに穏健な管理者能力を発揮し内部外部との調整を図っていかなければならない。
ということなのだが、民主党はこれに当てはめるとどうだろうか?
民主党が宗教団体になるか、政治団体になるのか私は来年中に決まるだろうと思う。
ということでIQ88様、回答になったでしょうか?![]()