第26条1項2001.12.20
「すべて国民は、法律で定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」

喉ごしすっきり、ああいい事、書いてんな〜とお思いでしょうか?
私にとってはこの条文も謎だらけ、疑問だらけです。
まずその前に、
法律では大きい区分からいうと、 『章』 『条』 『項』 『号』 となります。 項の表記方法は○の中に数字が入るのですが、文字化けするのでインターネットの世界では『○2』と書いて「2項」と読みます。
「憲法を見ると26条には2項はあっても1項はないよ?」という方いませんか?
法律ではなぜか?1項には「○1」と付けません。26条と書かれたあとに引き続いているのが1項となり、次が○2となります。
ちなみに法律では例えば『13条の2』とか『13条の3』という表記がありますが、13条の2と13条2項はぜんぜん関係ありません。『13条の2』とは後で追加された条文で本来ならば14条とか15条になるのですが、引用している他の法律や施行令などに影響するのでそういった表記をしてるだけです。
本題に戻ります。
『能力に応じて』とはどういう意味でしょうか?
単に知能とか学力とばかりではなく、経済力ともとれます。
学力をとらえても、共通一次とか偏差値とかは各科目の総合点によります。そうじゃなくて一点豪華といいましょうか、得意科目の能力に応じてという見方もあります。
ここではどういう意味なんでしょうか?

ウーン?分からん 『ひとしく』とはどういう意味でしょうか?
「能力に応じて等しく」といっていますので個人の能力に関わらず絶対的にひとしいのではなさそうです。学力に応じて等しいのか?やる気に応じてひとしいのか?「親が子に教育できることに応じて」とするならばあまりにもあたり前で意味ありません。
いずれにしても意味不明です。
調べますと憲法で「ひとしい」という言葉を使っているのは前文の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」という個所とここの2箇所だけです。前文の使い方から見るとたいして本気でないことが見て取れます。それから見ると起草者はここの文言を確固たる信念をもって「ひとしく」と記述したとは思えませんね!

『権利』とはなんでしょうか?
教育を受ける権利なんて実際あるのですか?
要求すれば得られるのでしょうか??
私事で恐縮ですが、私は高卒です。金がなく上の学校に行けませんでした。それで通信教育の短大で学び、それ以降この歳に至るまで各種通信教育やセミナーなど自己研鑽に励んでまいりました。私の学問は自らチャレンジして獲得してきたもので国が与えてくれた勉学の権利によるものではないと考えます。
この条文が通信教育や民間のセミナーなどの仕組みを意味していると言われたら、納得しがたいところです。それならもはやこの条項は意味を持たないでしょうね!

私の独断ですが、この条項の起案者は国民がひとしく教育を受けられるなんてそんな高い理想を描いていたのではないと思います。
単純に『教育を受ける時、出目や身分によって差別されることはない。』といいたかったのではないでしょうか?
幕末の各藩の教育施設で武士しか学べないところとか、武士も町民も同じく学ぶことができるところとかあったわけです。この条文は誰でも学ぼうとするものは学ぶことができると言いたかったのでないでしょうか?
それにしちゃ表現が仰々しいと感じるのは私だけでしょうか?


本日の結論

できもしないことを国民に約束するのは大盤振る舞いの空手形です。

この条文に限らず、憲法にも法律にも国の施策にも空手形が多いんですよね・・・・・





オレンジ様よりお便りを頂きました。(2004.10.06)
教育を受ける権利について
その意味は3つあると教わりました。
  1. 経済的な理由
  2. 政治的な能力を身につけるため
  3. 人間として豊かに暮らすために必要
また最高裁の判例では
憲法26条の「規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また一市民として、成長、発達し、自分の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利」としています。(旭川学力テスト訴訟 最大判昭51年5月21日)
あまり答えになってはいないでしょうか・・。
能力について
「能力に応じて、ひとしく」とあるので、能力以外では差別されないという意味であると教わりました。つまり知能に障害がある人は養護学校がある。
ここは、先生に質問すると少し困った顔をしていました。。

私見ですが、現在の若い親たちの幼児虐待など、教育を受けさせる義務を守っていない親が見受けられます。
そんなとき、親に義務を負わせるだけでなけ、子供に教育を受ける権利を与えることは重要ではないでしょうか。
オレンジ様、お待ちいたしておりました。
まず、ジジイのようなものと違い、オレンジ様は法曹を目指していらっしゃるお方、憲法26条などといわず、憲法26条1項といいましょう。
さて、
この条文は機会均等ということであって、結果の平等つまり具体的受益権を保証するものではないと思います。
その意味ではこの条文を否定する気はありません。
しかしながら、それであれば第2項と第1項のダブリ・冗長さはどうなのでしょうか?
具体的受益権ではなく機会均等を保証する意味にしては、その表現が大げさ、オドロオドロしすぎであって、私が述べているように、簡単明瞭に記述したらいいのではないか?と思います。

知能とか持ち出す話ではないという気がします。


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