第43条2項 (2002.07.27)
「両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。」

  間接民主主義においては議員という国民の代表が存在します。
この代表を選ぶ方法が議論の対象となります。
ある選挙区では議員一人に対しての選挙民が10万人だが、別の選挙区では20万人だった。
これは論理的に正しいだろうか?
国民の平等が侵されているのだろうか???

なんてことが常に議論となり、五増五減とかなんとかということになります。

平等にしろよ

ちょっと思考実験をしましよう。

間接民主主義において議員を選ぶ選挙民の数を等しくすべきという理由、根拠は何なのでしょうか?
アメリカの話で恐縮ですが、上院議員は各州2名となっています。
人口が2000万もいる州もあれば、数十万の州もあるわけです。でも双方とも2名の上院議員を選出することに変わりありません。
人口の多い州から不満があり、議員数も見直しが提訴されたとは聞きません。
もちろん下院議員は人口比率で選挙のたびに見直しされています。
選挙民数に比例して議員を配分するべきという理論は絶対的なものではないでしょう。
農業委員の選挙権は農地の広さとかによって一戸あたり一人とか二人とか決まると聞いたことがあります。 (間違っていたらごめんなさい)

昔は納税額とかで選挙権の有無が異なる制度もありました。もちろん、現在では憲法15条3項で「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。」とありますから、一人当たりの投票権を変えることはできません。
しかし、この論点に関して「なぜ多額納税者が生活補助を受けている人と同等の発言権しかないのか?」という疑問に対して、普通選挙がより普遍的で正しいと立証されたわけではありません。

定数の配分もそうですが、みなさん現状の選挙制度・間接民主主義を理想だとお思いでしょうか?
ギリシアの民主主義だって、スイスの民主主義だって、アメリカ大統領選挙の間接選挙制度だって、その他なんでも住民の数、地形、コミュニケーション技術などの制約を反映して成立してきたわけです。
現在の日本の間接民主主義というのは一定の技術レベルにおける妥協の選択であったと思いますね、

現在が情報化社会・IT時代と言うなら、IT技術によって直接民主主義が可能となるのか?
ということだって検討項目となるはず、

重大な国家の決定は直接民主主義で行うけど、個々の議題においてまでは直接民主主義が不可能だろうって、そうでしょうね?

ある小説にありました。
抽選で一人の人を大統領として選び、その人が細かい行政上の決定をするというもの、
その任期は短期間で常に新しい別の個人が選ばれるというシステムでした。
 そう、○○著の○○です。

次の疑問ですが、現在の日本では成人であればわずかな例外を除き選挙権と被選挙権を認めています。
わずかな例外とは
刑務所の中、公民権停止、引っ越して間もない人などです。
これって、論理的に正しいんでしょうか?
この日本を良くしようとする人と、日本が滅びればいいと考えている人が同等の権利を持っているんです。
ましてや、日本が攻められたら逃げるなんて国会議員もいましたね。
   最近議席を失ったようでご同慶の至りです。
外国に移住して帰化するに当たり、その国に忠誠を誓うことが必要条件です。
それがおかしいと言ったらおかしいですよね。
       いやなら帰化しなくちゃいいんですから・・・・

日本に生まれて、自動的に選挙権を得るというのではなく、国家に忠誠を誓う人のみが選挙権を持てるとしてもおかしいことはありません。
国家防衛の為に戦うことを誓った人のみが選挙権を持つという制度があったとして、それが真理ではないと否定することはできないでしょう。
かって、アメリカで徴兵制度があったときに忌避した人たちが排斥されたとしてもそれは当然のことでしょう。
もちろん反戦運動する権利、戦争反対に投票する権利は保証されていたのですから、、
ところで余計なことだけどアメリカで普通選挙が担保されているか?
  う〜ん、ブッシュ・ゴアの大統領選挙を見ると、それ以前のような気もしますね??


仮に都道府県の衆院議員数を等しく10人としたときいかなる不具合がありましょうか?
  • 東京に住んでいる人が「人口が1000万もいるんだから文句あるぞ」というかもしれません。
    でもその権利は何を根拠にしているのでしょうか?
    北海道や岩手県が「面積が広いんだからもっと議員定数を増やしてもらわないと困る」と言ってもなるほどと思いませんか?
  • 「県民生産額が多いのだから議員定数を増やしてよ!」という県があるかもしれません。
  • 「輸出額が多く外貨を稼いでいるのはおらっちだ!」
    愛知県などいいそうですね。
  • 「過去のノーベル賞受賞者を一番出したのはわが県だ!」
  • 「当県は人口が少ないが豊かな自然があり国家に寄与している」
  • 「農業生産は一番多く食糧自給上最重要な地域であり、多くの議席を得るべきだ」
  • 「過去の投票率から見て、わが県の投票率は高い。単なる選挙民数からではなく投票者数から議席定数を決めるべきでだ」
  • 「人口は少ないが牛、馬が多くいる。これらも選挙民に加えるべきだ」という県もあるかもしれない。
    実はこれはハインラインの某小説から頂いたアイディアである。
もっともっと議員定数決定の論理・理由というものを上げることができるでしょう。
この拙文をお読みになっている賢明なる方々、上記理屈を論破することができますか?

---これは思考実験です。私が馬の数を選挙民に加えるべきとは考えていません(^^)---


私の言いたいことは議員一人当たりの選挙民数を等しくすべきだという論理性はなさそうです。

あるいは国政に参画する国会議員を選挙区に割り振ることが論理的なのでしょうか?
地方公共団体はその地に住む人が選挙で選ぶ、これは論理的なようです。
国会議員はすべからく全国区で選ぶとしてなんら問題なさそうというか、そのほうが地方の利権と結びつく恐れがないのではないでしょうか?
衆議院も参議院も全国区といったら定数問題は永久に解決です。

いえ、私はそれが良いとは言ってません。
現行の間接選挙制度が正しいかどうか、それ以外に制度がないかということの問題提起をしているにすぎません。



ところで、話はがらりと変わって
国会において
   「多数の横暴だ!」
   「少数党には質問時間が少ないのが問題だ」

などとのたまわく国会議員をお見受けしますと、こりゃ定数論議以前だな!という考えを持ちます。

民主主義において 少数の横暴を認めるべきなのでしょうか?
多数党と少数党に同じ質問時間を与えるべきなんでしょうか?
それって民主主義に反するのではないでしょうか?




本日のご提案


憲法の規定するとおり、法律で定めることに異議ありません。

しかしまず、選挙人の数を等しくするのが論理的に正しいのか議論をして欲しいと思います。
実を言って、議員定数と選挙民の比率が同じでないと違憲であるということ自体私は理解しがたいのです???



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