第56条2項2002.01.07
「両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。」

世の中には多数決と民主主義は一つのものと考えてらっしゃる方がいます。
また、多数決で決まったことは正しいと考えておられる方がいます。
昔、私が小学生の時のことですが、算数の問題で答えが二案ありワイワイしたとき、先生が「どっちが正しい答えか多数決で決めよう」と言ったことを覚えています。
オイオイ、そりゃねーだろう!!
当時は民主主義は多数決、多数決とは正義といった風潮がありましたが、いくらなんでもこりゃおかしいよね!

民主主義と多数決は関係ありません。
とはいえ、民主主義になればいろいろな意見があり、まとまらなくなるのは事実、そこでもって多数決という決定方法が考えられたのでしょう。
でも全員一致が無理でも、過半数がいいのか、3分の2以上がいいのか、あるいは・・・と選択肢、決定水準は多々ありそうです。
統計で危険率5%は普通ですが、決定にあたりその重大さ、あるいは緊急性から危険率10%あるいは2%を採用することもまた立派な選択です。

独裁、あるいは王政であれば顧問の意見が全員一致であろうが、多数であろうが、決定権のある人の決済で決まります。これは企業の会議で出席者の総意とか多数意見に関係なく決裁者の決定できまるのと同じです。その代わり決定者は結果責任を負わなくてはなりません。

その逆に、第66条3項に「内閣は行政権の行使について、国会に対して連帯して責任を負ふ」というのがあり、これにより内閣では全員一致が原則となっているそうです。
決定に反対の大臣がいて「連帯責任を負えないよ」ということがないようにというわけなんでしょう。
多数決を選択したならその土俵で戦うべきよ でもこれではスピーディーな決定が困難となり、緊急事態には対応できそうありません。閣内にいるという事実で既に連帯責任を負うと考えれば、個々の案件についてまで全員一致は必要ないんじゃないか?と私は思います。

多数決は決定方法の便法に過ぎませんから、正しいとか正義とは関係ありませんよね、
世の中には少数意見を保護せよという意見はよく聞かれます。主張する方はだいたい少数意見の方ですが(^^)
それも一案ですが、ではどういった方法で決定するのかというのが問題です。多数決は少なくとも不満な人より満足な人が多いのは事実です。不満の人より満足する人を少なくする方法は少なくとも実用的じゃありません。
空港を作ろうとするとき、反対者一人のためにできなく国家的損失が出たのではまったくの誤りです。
「たとえ一人でも反対するなら橋はかけない。」とはよく使われる比喩ですが、その後に「みんなで川を渡ろう」と続くそうです。
もし、多数が川を渡るのがいやならやはり橋を作るべきです。
民主主義は最大多数の最大幸福ですから。


そこで本日の結論

多数決は正しい方法ではない。
でも、それは多くの人を満足させる方法である。


しかしながら、と続くんですが、
国会の定足数は3分の一、そのまた半数の採決で日本の将来が決まると思うといささか不安と言うか疑問を感じます。
企業であれば重要案件であれば関係者そろわないと会議開催できませんよ!
国会議員にとって国会より重要な仕事があるようには思えませんが??
なぜ、定足数をもっと多く、たとえば過半数にしないんでしょうね?


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